撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

岩手大学ミュージアム

2022-09-30 07:35:39 | 岩手
2022年8月2日(火)岩手県出張二日目は移動日、新幹線の時間まで盛岡を見て回った。

岩手大学にて農業教育資料館を堪能したのち

12時00分、岩手大にあるもうひとつの展示施設である 岩手大学ミュージアムに入ってみた。こちらは農業教育資料館と違って入館無料、館内撮影可能、建屋も現代建築で冷房も効いていた。


館内には今の岩手大学の教育・研究成果を展示してあって

農学部



人文社会学部、教育学部



工学部(2022年9月30日時点では理工学部。学部改組後に表示を改めていないものと推測)と岩手大学が有する4学部ごとに展示がしてあった。

農業教育資料館では筆者ら以外に初老のご夫婦、中年男性おひとりの入館者があったがこちらは他に誰もいなかった。推測だが、農業教育資料館は宮沢賢治関連の展示があるのでファンが訪れるのであろう。
しかしながら岩手大学の研究成果が展示されたこのミュージアムは農業教育資料館から歩いて30秒くらいでしかも無料、岩手大訪問の際はぜひ農業教育資料館とあわせてご覧になられることをお勧めする次第である。

さて素晴らしき岩手大学を後にし、次なる訪問先へ向かったので以下次号

岩手大学農業教育資料館

2022-09-29 07:06:29 | 岩手
2022年8月2日(火)岩手県出張二日目は移動日にて岩手大学を訪ねた。

旧正門からユニバーシティパークを通って

11時31分、風格ある建物に至った。岩手大学 農業教育資料館 である。



個人的にこういう建築物を見ると心が躍って仕方ないのである。



この建物は1912(大正元)年12月、盛岡高等農林学校の本館として完成、青森ヒバを用いた明治後期を代表する木造二階建ての欧風建築物(岩手大学HPより)で、1994(平成6)年7月12日に国の重要文化財指定を受けた。岩手大学の前身校である盛岡高等農林学校といえば、宮沢賢治の出身校である。宮沢賢治が盛岡高等農林に入学したのは1915(大正4)年4月であるから彼もこの建物に出入りしていたであろう。



見上げてみる。カッコいい。



宮沢賢治も出入りしたであろう玄関。農業教育資料館となった現在は入館料140円、玄関入って右側にある券売機で購入するようになっている。入ろうとしたらちょうど玄関で長靴をはいた女性職員に鉢合わせ、買った入館券を渡してしまったが、あとで記念に持っておけばよかったと後悔したが、あとから入ってきた初老のご夫婦が券売機で入館券を購入したと同時に事務室から係の女性が出てきて券を回収していたので券の持ち帰りはできないのかもしれない。

内部の写真がないのは館内撮影禁止の為。動物の剥製や昔の標本、宮沢賢治関連の展示もあって140円では済まぬほど見応えがあった。
ただ明治後期に建設が開始された建物ゆえ冷房がなく、やや蒸し暑かった。ちなみに岩手大教職員及び学生は無料である。
そして初老のご夫婦の後に中年男性がおひとり入館されたのだが、このときも男性が券売機で券を購入したとたん、事務室から事務員の方が出てきて券を回収していた。まさかカメラで監視されているのではなかろうかと思ったがそれはさすがにないだろう、券を購入するとわかるようになっているものと推測。


見学を終えて玄関を出たところで最初に会った女性係員と再遭遇、写真が撮れないのは残念ですが仕方ないですなと言ったら

建物自体は大掛かりな修復がされているが、この石畳部分は建築当初から全くそのままだと教えて下さったので、写真に収めさせて頂きお礼を申し上げ、次の見学施設へ向かったので以下次号

岩手大学旧正門 門番所

2022-09-28 07:05:07 | 岩手
2022年8月2日(火)岩手県出張二日目は移動日、新幹線の時間まで観光した。


11時27分、岩手大学旧正門 に至った。1912(明治45)年竣工



キャンパス内から見た旧正門


旧正門の横には

かような建物があった。



旧門番所、1903(明治36)年竣工、もとは別の場所にあったが旧正門ができた1912(明治45)年に旧正門横に移築された「寄せ棟風八角」造りの明示を代表する建物(岩手大学HP)なのだ。

旧正門、旧門番所いずれも1994(平成6)年7月12日に国の重要文化財に指定されている。



そして旧正門を入るとユリノキ並木というのがあって



そのあたり一帯はユニバーシティパーク となっている。近隣住民の方々の憩いの場ともなっている様だ。



ユニバーシティパークを進む、以下次号

岩手大学

2022-09-27 07:09:11 | 岩手
2022年8月2日(火)岩手県出張二日目は移動のみなので岩手を見てまわる。小岩井農場の一本桜から移動して


11時21分、岩手大学 に至った。
1902(明治35)年創立の盛岡高等農林学校を起源とし、今は4学部を有する国立大学だ。



花壇も美しい正門である。拙ブログで今まで国内では北は北海道大学から南は鹿児島大学、海外にあっては中国の雲南大学、タイのチュラロンコン大学の訪問記を吊るしているが、東北の大学訪問はこの岩手大学が初めてで大学訪問記も25校目となる。



ここは上田団地。伝統の農学部をはじめ、教育学部、人文社会科学部が同じ敷地にあり、市道を挟んだ北側には理工学部がある。
4学部学生総数4,587人、院生815人、総敷地面積426,592㎡(2022年度大学概要)という広いキャンパスだが理工学部を除けば335,000㎡くらい(筆者グーグルアースで算出)と思う。それでも広くて立派なキャンパスだ。



正門を入っていくと



左手には農学部がある。



突き当りまで行って正門を望む。広いキャンパスなので正門は彼方である。



突き当りには立派な図書館



図書館を過ぎて右手に



中央学生食堂がある。



学食の向かい側は人文社会科学部



その先には教育学部があり、さらに先には体育施設があって、それらを過ぎるといったん市道に出る。市道を渡ったら理工学部なのだが訪問当日は蒸し暑い日でおやじの体力ではこれ以上先へ行くのは危険と判断



踵を返して農学部方面へ南下したので以下次号

小岩井農場の一本桜

2022-09-26 07:05:21 | 岩手
2022年8月2日(火)岩手県出張二日目は移動のみ。盛岡の宿のロビーで出張同行者のH氏と落ち合い9時半ごろチェックアウト。新幹線の時間は余裕を見ていたので盛岡観光しようと思い立ち、H氏に駅まで送りましょうかと申し上げたら「ワシも観光したい」と仰るので助手席でのナビをお願いし出発した。

雨が降る中、レンタカーのカーナビがバグり、助手席のH氏は昭和の男(筆者もそうだが)ゆえ携帯電話のグーグルマップの扱い方が判らず道に迷いまくって

10時17分、雫石町は小岩井農場の一本桜 に至ったが、曇天で岩手山が見えなかった。これも日頃の行いの報いといえよう。



8月に桜の花は咲かぬが、晴れていればこの看板の様な素晴らしい岩手山が見られたはずだった。



一本桜の前の道路、秋田方を望む。一本桜の鑑賞は交通事故防止の観点から写真右側に写っている柵の内側からせねばならぬ。



盛岡方。道路沿いには20台くらいは停められる砂利駐車場がある。無料だ。






駐車場は9時から15時の間利用可能、これ以外は施錠される。



帰り際に駐車場から見た一本桜。ひょっとして岩手山が顔をのぞかせまいかと期待したが、やっぱりダメだった。

ปอการでイサーン料理

2022-09-24 07:31:15 | タイ王国
2019年11月22日(金)バンコクにて在タイの友人夫婦と落ち合いトゥクトゥクに乗って多分 ปอการ という名の屋台に19時56分到着、友人のN氏と筆者の希望を聞きつつタイ人である奥様がオーダーして下さった。


20時00分、เบียร์สิงห์ ビアシンが来た。氷を入れて飲むのがタイ風である。



同時に ส้มตำปูปลาร้า ソムタムプープラーラが到着。いわゆるカニと魚醤を使ったパパイヤサラダでイサーン出身の奥様はパパイヤポッポと言っている。独特のニオイがあり筆者は食えぬことはないがこれをオーダーするなら他のものを食うしNさんは苦手、予想通り奥様が注文したもので後刻ひと皿追加していた。ちなみに中に入っているサワガニは中る確率が高く、タイ人でも食わぬので決して食ってはならない。



20時01分、Nさんと筆者要望のคอหมูย่าง コムヤーン、豚のノド肉あぶり焼きが到着。ウマいが食いすぎると胃もたれするのでふたりでひと皿を分けた。



20時02分、筆者要望の ปลาดุกย่าง プラードゥックヤーン、ナマズ焼きが到着。見た目はグロいが味は絶品、例えればアユの塩焼きである。日本のタイ料理屋では食えないのが残念だ。



ナマズと同時にข้าวเหนียว カオニャオ、もち米が来た。ソムタムには欠かせないメニューでこれを手で丸めてソムタムの汁に浸して食うのだ。もちろん奥様のオーダーで、N氏と筆者にも1個づつあてがい、ウマいからソムタムと一緒に食べてくんろというので、日本人ふたりしてイサーン人仕様の激辛ソムタムと一緒に汗を吹き出しヒーヒーハーハー言いながら食ったのであった。
怒涛のイサーン料理晩餐会は次号に続く。

岩手県機動隊輸送車

2022-09-22 07:22:54 | 岩手
2022年8月1日(月)岩手県出張。盛岡の繁華街、中央通にてさんさ踊りを見て照明塔で地元の祭りに貢献する自衛隊に敬意を表したのち


20時51分、岩手県機動隊の輸送車を見た。



お子さんが記念撮影中だったので順番を待って



写真に収めた。



岩手県の警察輸送車のマークは暗くて見づらいが、東北の地図に虎が吠えている図案でその右に IP というローマ字があった。
過去に見た警察輸送車のマークは栃木県の栃の葉(拙ブログ掲載)、青森県の青森県地図に歌舞伎役者の様な顔(拙ブログ未掲載)がある。
こういった郷土色豊かなマークが見られるのも警察輸送車の魅力かと思うのだ。

肝心の晩餐の場所だがどの店も人出が多く、あきらめてコンビニで弁当を買って寂しく宿で食ったのであったが、さんさ踊りという盛岡の素晴らしい祭り、地域貢献する自衛隊、岩手県のパトカーと警察輸送車を見る事ができ、実り多き夜の盛岡散策であった。

岩手県POLICEパトカー

2022-09-21 07:22:21 | 岩手
2022年8月1日(月)岩手県出張。盛岡の繁華街、大通にて


20時36分、岩手県のPOLICEパトカーを見た。



後部バンパーにも POLICE表示があった。

当記事にて、これまでに拙ブログに収めた「POLICEパトカー」は、岩手県がPOLICEなしから移行した為
北海道、青森県、岩手県、栃木県、茨城県、千葉県、神奈川県、石川県、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、兵庫県、徳島県、広島県、愛媛県、長崎県、熊本県、鹿児島県の20道府県。

かたや「POLICEなしパトカー」は
山形県、東京都、福井県、鳥取県、福岡県 の5都県となった。

今後も機会があれば残る22府県のパトカー撮影を試みていきたい。

自衛隊照明塔

2022-09-20 07:07:31 | 岩手
2022年8月1日(月)岩手県出張。盛岡中央通にてさんさ踊りを見た。そして夜の中央通がやけに明るい理由を20時49分に発見。


自衛隊の照明塔が出動していたのであった。陸上自衛隊のHPを見たが、この照明塔は装備一覧に載っていなかった。



ステッカーを見るに、岩手駐屯地から来たのだろう。



クレーン付きトラック



有事や災害に備えつつ、この様なイベントにも出動し郷土を盛り上げるにひと役買って出る姿に深い尊敬の念を感じずにはいられなかった。

盛岡さんさ踊り

2022-09-19 07:37:49 | 岩手
2022年8月1日(月)岩手県出張


20時41分、盛岡の官庁街、オフィス街たる中央通に出たら、人が踊っていた。盛岡さんさ祭りである。



1978(昭和53)年に現在のパレード形式の市民参加型で始まった歴史的には新しい祭りだそうな。



しかしもとをたどれば江戸時代に盛岡市内各地で行われていた盆踊りに起源があり、天明年間(1780年頃)には記録が残っているというからそれより古い歴史があろう。



岩手といえばチャグチャグ馬コは知っていたが、このさんさ踊りは知らなかった。



ネット情報では、徳島の阿波踊りの様に沢山の踊り手がパレードする祭りの様だが、夜だったからか山車のパレードだった。



趣向を凝らした



山車は見ているだけでも楽しいものだ。



盛岡の中央通、立派な通りであるが、夜というのに明るい。この理由は次号にて。