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振り返れば子育て失格

2023-09-30 15:17:07 | 社会・経済
自分の子供を殺害する親と言った悲惨な報道を最近よく見かける。何という酷い親だろうと思うが、振り返ると私は酷い父親だったと情けなくなる。私は仕事最優先の団塊世代の父親だった。子供が生まれた時から疑うことなく、子育ては母親の仕事だと思っていた。

一生懸命仕事をやって家族の養育費を稼いでくるのが自分の責務だと思っていた。私は運よく仕事ぶりが評価されサラリーマンとしてそれなりに会社患部に昇進したので、父親として良くやったと自己評価していた。だが、最近増えた共働きの家庭で父親の子育て責任を報じる報道を見るに連れ、その都度昔の私は全く逆だった、子育て放棄した親を単純に非難できないと思った。

思い起こせば殆どの場合、家内に言われた時だけ子育てのことを考えた。酷いことに家内がどの位子育てに苦労したのか良く考えなかった。四人目の子を妊娠した時にもう育てられないと医者に中絶を申し出、彼女に言われて二人で医者に行き私も承知してると伝えた。私が子育てに無頓着で家内に苦労を掛けていた証拠だが、当時の私は少し胸が痛んだだけ、医者から戻ると仕事に没頭した。

子供達の教育も家内にお任せだった。私は時折家内の報告を受けて助言したが、教育費に関わることが多かった。私が鮮明に記憶しているのは、小学校の夏休みの自由学習で彼女は子供達と市内を巡り写真を撮って貼り付けた地図がクラスで話題になり、翌年から同じ様な作品が出てきたことだ。彼女のセンスの良さに驚いた。夏休みには家族揃って原爆ドームに連れて行くなど配慮してくれた。だが、私は常に世界最先端の仕事をしてるという思い(今となっては言い訳)があった。

中学生頃からだと想像するが、子供達は自主的に勉強して将来の道を決めて進学して行った。家内の育て方が良かったのだろう。私は家内から報告を受けるだけで、その後も仕事に熱中し幹部として接待を受けるようになった。会社の女の子を連れてきて家飲み中に、子供達が帰宅してびっくりさせた記憶もある。朝まで居間の炬燵でお酒を飲んで雑魚寝したこともある。酷い親だった。

そのうち海外関係の仕事をやるようになり、80年代から海外出張が増え米国の子会社に出向することになった。会社の同僚は(多分家庭の都合で)出向を断った挙句、私に白羽の矢が当たったと推測する。私は家庭の事情など悩むことなく海外赴任を打診されると了解した。子供達の教育は家内にお任せし、子供達が自主的に進路を判断したようだ。全く酷い父親だった。

だが、米国に行く前から家族を連れてハワイや西海岸に何度も連れて行った。出向後も家内や子供達は何度か米国の職場で働く私に会いに来てくれた。カナダからメキシコまで家内を旅行したこともある。私には子育てを家内に任せっぱなしにした反省がある。多分、仕事に熱中しなかったらそう何度も家族を世界のアチコチを旅行させてやることも出来なかったろう。私の言い訳だ。

現在、子供達は私と違う親になり素晴らしい家庭を持っているように期待を込めて思う。多分、私のような酷い親にはなっていないと思うと、ホッとする。私は後期高齢者になって残り少ない人生を考えつつある。と言ってもやりたい放題の人生も悪くはなかった。■

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