昨日の午後、3年ぶりに10キロ走った、というか走れた。朝7時頃に起床した時の書斎の気温は22度台、午前中に歯科医に行き午後3時頃の室温も22度台だった。これを見て昨日はサイクリングではなくジョギングをしようと思った。夏が終わりスポーツの秋が来た、高山と冨士山のサイクリング挑戦に加え次はジョギングだと。今の体調を考えると、私には最も厳しい挑戦だ。
走り始めは2年前に偽痛風で入院してから先週までと同じ走り方で、ゆっくり走るというよりジーサンがトボトボ歩く感じだった。だが、3キロ経過して矢落川から肱川に合流する五郎駅付近を過ぎて、河川敷の歩道から肱川堤防の車・遊歩道と一緒になると体調に変化を感じた。
今迄に何回か挑戦しても限界を感じて引き返して来たポイントだったが、昨日はまだ走れる行けるところまで行こうという手応えを感じた。丁度その頃消防署が上流の鹿野川ダムで500トンの水を放流すると注意喚起する車とすれ違った。それが気分転換になり上流の五郎橋まで辿り着いた。
ここまで来たら往復10キロになる、3年前ならこの先の休憩小屋まで走ると12キロ、或いは対岸に大洲城が見える公園までだと15キロが見えて来た。昨日はこれ以上無理しないでおこう、これから少しずつ距離を伸ばそうと思い折り返して戻ることにした。
ということで復路を走っている時に往路とは違う走り方をしている自分に気付いた。往路ではジーサンのトボトボ走りだったが、復路では歩幅が少し広がりスイスイ走っているように感じた。復路は往路より短いコースに変えたせいもあり、歩数は8350歩から6650歩に、タイムは68分から37分に減っていた。
次回は往路復路とも病気する前と同じコースを走り、記録を比較してみたいと思う。昨日走って一番の成果は、体感的に昔と同じように走れたことだ。77歳を過ぎてもう無理だろうという気持ちがあったが、この調子で体力を回復して行けば孫たちと百名山にも登れるかも知れない。
昨夜は疲れで何時もよりよく眠れるかも思ったが、そこまでは期待し過ぎだった。今朝は筋肉痛を覚悟したが、それも無い。体重は0.4キロ減、血圧は変わらなかった。体が鈍感になったのだろうか。ちょっと驚きは、昨日の室温は1日中22度台、今日の室温は21度台だった。■
走り始めは2年前に偽痛風で入院してから先週までと同じ走り方で、ゆっくり走るというよりジーサンがトボトボ歩く感じだった。だが、3キロ経過して矢落川から肱川に合流する五郎駅付近を過ぎて、河川敷の歩道から肱川堤防の車・遊歩道と一緒になると体調に変化を感じた。
今迄に何回か挑戦しても限界を感じて引き返して来たポイントだったが、昨日はまだ走れる行けるところまで行こうという手応えを感じた。丁度その頃消防署が上流の鹿野川ダムで500トンの水を放流すると注意喚起する車とすれ違った。それが気分転換になり上流の五郎橋まで辿り着いた。
ここまで来たら往復10キロになる、3年前ならこの先の休憩小屋まで走ると12キロ、或いは対岸に大洲城が見える公園までだと15キロが見えて来た。昨日はこれ以上無理しないでおこう、これから少しずつ距離を伸ばそうと思い折り返して戻ることにした。
ということで復路を走っている時に往路とは違う走り方をしている自分に気付いた。往路ではジーサンのトボトボ走りだったが、復路では歩幅が少し広がりスイスイ走っているように感じた。復路は往路より短いコースに変えたせいもあり、歩数は8350歩から6650歩に、タイムは68分から37分に減っていた。
次回は往路復路とも病気する前と同じコースを走り、記録を比較してみたいと思う。昨日走って一番の成果は、体感的に昔と同じように走れたことだ。77歳を過ぎてもう無理だろうという気持ちがあったが、この調子で体力を回復して行けば孫たちと百名山にも登れるかも知れない。
昨夜は疲れで何時もよりよく眠れるかも思ったが、そこまでは期待し過ぎだった。今朝は筋肉痛を覚悟したが、それも無い。体重は0.4キロ減、血圧は変わらなかった。体が鈍感になったのだろうか。ちょっと驚きは、昨日の室温は1日中22度台、今日の室温は21度台だった。■