国立博物館の後は、近くのインド門に向かいましたが、デモに会いました。この一帯は官庁街なので、しばしばデモが行われるようです。
路線バスも停められて通行不能になっており、Uターンして別の道に進みました。
迂回して何とかインド門に到着しました。先回の訪問では、車窓から眺めただけなので、改めて訪問したいと思っていました。
インド門は、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られたモニュメントで、1931年に完成しました。
高さは42mあり、壁面には戦没者13500人の名前が刻まれています。
インド門付属の小塔。
校外学習の学生。
最後にインド門近くにある大統領官邸を車窓から見学しました。
大統領官邸は、ムガール様式と西洋の伝統的な建築様式が入り混じった建築スタイルで、国家元首の公邸としては世界最大規模を誇ります。
その脇には、国会議事堂。
政府合同庁舎。
デリーの街中の交通渋滞は、ひどい状態でした。
首都にもかかわらず、野良牛がいました。
最後に、インドの言語状況についてふれておきましょう。これはデリーで見た交通標識。ヒンディー語、英語、パンジャーブ語、ウルドウ語で書かれています。地方によって交通標識に使われる言語は異なってくるようです。
これは、インドの10ルピー札の一部のコピーです。
15の言語で「10ルピー」と書かれています。
ASSAMESE(アッサム語・ベンガル文字)
BENGALI(ベンガル語・ベンガル文字)
GUJARATI(グジャラティ語・グジャラート文字)
KANNADA(カンナダ語・カンナダ文字)
KASHMIRI(カシミール語・アラビア文字)
KONKANI(コンカニ語・デーバナーガリ文字)
MALAYALAM(マラヤラム語・マラヤラム文字)
MARATHI(マラティ語・デーバナーガリ文字)
NEPALI(ネパリ語・デーバナーガリ文字)
ORIYA(オリヤ語・オリヤ文字)
PUNJABI(パンジャブ語・グルムーキー文字)
SANSKRIT(サンスクリット語・デーバナーガリ文字)
TAMIL(タミール語・タミール文字)
TELUGU(テルグ語・テルグ文字)
URDU(ウルドゥ語・アラビア文字)
お札には、数字のアラビア文字と発行元のインド連邦準備銀行の説明が英語で書かれているので、これを加えると、16種の言語がお札に見られることになります。
もっとも、旅行中の簡単な会話は英語だけで充分で、これらの言語に接する機会はありませんでした。
この後は、紅茶店によって買い物をして、夕食をとってから空港に向かいました。日本への帰国は特に問題なく終わりました。
路線バスも停められて通行不能になっており、Uターンして別の道に進みました。
迂回して何とかインド門に到着しました。先回の訪問では、車窓から眺めただけなので、改めて訪問したいと思っていました。
インド門は、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られたモニュメントで、1931年に完成しました。
高さは42mあり、壁面には戦没者13500人の名前が刻まれています。
インド門付属の小塔。
校外学習の学生。
最後にインド門近くにある大統領官邸を車窓から見学しました。
大統領官邸は、ムガール様式と西洋の伝統的な建築様式が入り混じった建築スタイルで、国家元首の公邸としては世界最大規模を誇ります。
その脇には、国会議事堂。
政府合同庁舎。
デリーの街中の交通渋滞は、ひどい状態でした。
首都にもかかわらず、野良牛がいました。
最後に、インドの言語状況についてふれておきましょう。これはデリーで見た交通標識。ヒンディー語、英語、パンジャーブ語、ウルドウ語で書かれています。地方によって交通標識に使われる言語は異なってくるようです。
これは、インドの10ルピー札の一部のコピーです。
15の言語で「10ルピー」と書かれています。
ASSAMESE(アッサム語・ベンガル文字)
BENGALI(ベンガル語・ベンガル文字)
GUJARATI(グジャラティ語・グジャラート文字)
KANNADA(カンナダ語・カンナダ文字)
KASHMIRI(カシミール語・アラビア文字)
KONKANI(コンカニ語・デーバナーガリ文字)
MALAYALAM(マラヤラム語・マラヤラム文字)
MARATHI(マラティ語・デーバナーガリ文字)
NEPALI(ネパリ語・デーバナーガリ文字)
ORIYA(オリヤ語・オリヤ文字)
PUNJABI(パンジャブ語・グルムーキー文字)
SANSKRIT(サンスクリット語・デーバナーガリ文字)
TAMIL(タミール語・タミール文字)
TELUGU(テルグ語・テルグ文字)
URDU(ウルドゥ語・アラビア文字)
お札には、数字のアラビア文字と発行元のインド連邦準備銀行の説明が英語で書かれているので、これを加えると、16種の言語がお札に見られることになります。
もっとも、旅行中の簡単な会話は英語だけで充分で、これらの言語に接する機会はありませんでした。
この後は、紅茶店によって買い物をして、夕食をとってから空港に向かいました。日本への帰国は特に問題なく終わりました。