
ホイアンの市内観光を終えて、午後はミーソン遺跡を訪れました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西約40kmの位置にあり、チャンパ王国の聖地でした。
チャンパ王国は、2世紀から17世紀にかけて、ベトナム中部沿海地方を支配し、9世紀以降は海上交易で栄えました。
ミーソン遺跡の入り口の駐車場からは少し歩く必要があり、本降りの雨の中で少々辛い観光になりました。

ミーソン遺跡は、4世紀から13世紀までの900年間にわたって建築物が造られてきました。

チャンパ王国の遺跡は日干しレンガで造られているため、崩壊も進んでいますが、彫像も残されています。

祠堂と呼ばれる建物が遺跡の中に点在しています。



チャンパ王国は、ヒンドゥー教を信仰していたため、女性性器を象徴するヨニの上に男性性器を象徴するリンガを置いた像が遺跡内に多く見られました。

柱の台座でしょうか。


祠堂の中には入ることのできるものもありました。

内部にはヨニが置かれていました。

女性の像は、水の精のアプサラでしょうか。


内部が展示場になっている祠堂もありました。

置かれている彫像は、アンコール遺跡のものにも似ていました。

アプサラ像。

リンガ。


象。ヒンドュー教の神のガネーシャではないようです。

シヴァ神の従者のカーラなのか、鬼瓦に通じる魔除け像なのか。

このミーソン遺跡は、ベトナム戦争中はベトコンが基地として使用したため、アメリカ軍の攻撃による被害を受けており、不発弾も展示されていました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西約40kmの位置にあり、チャンパ王国の聖地でした。
チャンパ王国は、2世紀から17世紀にかけて、ベトナム中部沿海地方を支配し、9世紀以降は海上交易で栄えました。
ミーソン遺跡の入り口の駐車場からは少し歩く必要があり、本降りの雨の中で少々辛い観光になりました。

ミーソン遺跡は、4世紀から13世紀までの900年間にわたって建築物が造られてきました。

チャンパ王国の遺跡は日干しレンガで造られているため、崩壊も進んでいますが、彫像も残されています。

祠堂と呼ばれる建物が遺跡の中に点在しています。



チャンパ王国は、ヒンドゥー教を信仰していたため、女性性器を象徴するヨニの上に男性性器を象徴するリンガを置いた像が遺跡内に多く見られました。

柱の台座でしょうか。


祠堂の中には入ることのできるものもありました。

内部にはヨニが置かれていました。

女性の像は、水の精のアプサラでしょうか。


内部が展示場になっている祠堂もありました。

置かれている彫像は、アンコール遺跡のものにも似ていました。

アプサラ像。

リンガ。


象。ヒンドュー教の神のガネーシャではないようです。

シヴァ神の従者のカーラなのか、鬼瓦に通じる魔除け像なのか。

このミーソン遺跡は、ベトナム戦争中はベトコンが基地として使用したため、アメリカ軍の攻撃による被害を受けており、不発弾も展示されていました。