さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ホイアン その5

2013年04月08日 | 海外旅行
来遠橋(日本橋)に戻り、こんどはチャンフー通りを東に向かいました。



落ち着いた街並みが続いていますが、本降りの雨で余裕も無いのが残念です。



貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)に入ります。



ホイアンは、海のシルクロードの中継都市として栄えました。日本の御朱印船もこの街までやってきていました。



沈没船から引き揚げた陶磁器が展示されています。これは肥前焼きの皿とのこと。



日本人街の絵も展示されていました。1601年に広南阮氏は徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、御朱印船貿易が始まりまったことから、ホイアンに大規模な日本人街ができあがりました。しかし、鎖国によって日本人の往来も途絶えて、日本人町も無くなりました。



ホアイアンの東約28kmの沖合にあるチャム島の難破船から発掘されたベトナム産チャーダウ陶器。ベトナム産の陶器も海外に輸出されていたようです。



陶器の破片がいろいろ展示されていました。



二階の窓から通りを眺めたところ。



ホイアンでは、黒い瓦が屋根を覆っていました。



一階の中庭を見下ろしたところ。



貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)の見学を終えて外に出ました。



続いて、福建会館を訪れました。



前庭には、派手な飾り付けの像が置かれていました。



唐獅子も置かれていました。



福建会館は、福建省出身者の華僑の集会所になっています。



前門の上にも像が置かれていました。



本堂です。



新年後とあって、参拝者で賑わっていました。



天井に、あまり見ない網のような飾りがぶる下げてありました。



本尊には天后聖母が祀られています。天后聖母は、媽祖(まそ)とも呼ばれ、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神です。



奥にもお堂が置かれていました。



道教の神々のようです。

ホイアンの街を歩いていると、国際貿易都市の名残りをかいま見ることができました。
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