さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 スベイトラ遺跡 その1

2018年08月22日 | 海外旅行
カイラワーンの見学を終えて、南西100kmにあるスベイトラ遺跡に移動しました。

街に到着すると、アイ・ラブ・スベイトラの看板が置かれていました。ニューヨークがオリジナルなはずですが、世界中に広がっていますね。



まず、道路脇に凱旋門が現れました。紀元前300年頃に造られました。



スベイトラ遺跡へ入場。

ローマ帝国が東西に分裂してしまった後の7世紀半ば、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)のチュニジア最高責任者グレゴアールは、独立を宣言して自らを皇帝と称し、カルタゴからスベイトラへ首都を移動するために都市の拡張工事を行いました。しかし、この工事が完了した直後に、イスラム教の布教を目的としたアラブ軍が襲撃し、グレゴアールは処刑され、都市は略奪しくつされてしまいました。チュニジアにおけるローマ帝国の支配は終わり、以後はアラブ時代が続くことになりました。このために、スベイトラ遺跡はチュニジアに残る最も新しいローマ遺跡とも呼ばれています。



ビザンチン時代の住居跡。



二階部から一階部を見下ろしています。





一階部へ下ります。



井戸の跡のようです。



二階部から遺跡の奥を眺めました。

雨混じりの砂嵐になって、風景が茶色に靄ってしまいました。



奥に見えるのは、ミネルバ・ジュピター・ジュノーの三神を祀った神殿。



三神を祀った神殿のアップ。





名産のオリーブ絞りのための臼。



浴場。



モザイクの残る浴槽。



魚が描かれたモザイク。



遺跡の奥に向かいます。



アントニウス・ピウスの門と三神殿。





セルブス教会。



洗礼盤跡。少し前の写真を見ると、立派な洗礼盤が写っているので、本物は博物館に移動されてしまったようです。



アゴラ(商店)跡。



下に見える石には娼館の方向を示す印が刻まれています。ただ、この石は本来はこの位置には無かったもののようです。



娼館の印。

トルコのエフェス遺跡でも娼館の案内板が有名になっていますが、ここの物は、ちょっと直接的過ぎます。このマークを深読みすると、男娼がお待ちしていますなんてことはないよねと疑問が涌いてきます。
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