さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 マドリッド その2

2013年07月19日 | 海外旅行
プラド美術館見学のため、ロス・ヘロニモス・レアーレス教会の前でバスを降りました。



まずは、ゴヤの扉の前にある切符売り場に移動。



その前にはゴヤの像が置かれています。



左に回り込んで、ヘロニモスの扉から入場しました。

プラド美術館の建物は、1785年にカルロス3世が自然科学に関する博物館を作るために設計させたものですが、博物館として使われることはなく、孫のフェルナンド7世が美術館としました。

フェリペ2世とフェリペ4世の収集したコレクションが基礎になっており、1819年に「王立美術館」として開館しました。

現在では、3万点以上の絵画や彫刻を所有しており、略奪品は一つもないというのが自慢になっています。ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤといったスペイン画家のコレクションが充実しているのは当然ですが、かつて領地であったフランドル絵画や、イタリア、ドイツ絵画も多く所有しています。

残念ながら、館内は撮影禁止になっています。

幸いなことに、プラド美術館のホームページは充実しており、ネット上で絵をみることができます。ただ、膨大なコレクションの中から望む絵を表示させるためには、画家の名前を原語で入力して検索する必要があります。

プラド美術館公式ホームページ



また、館内のショップで手に入れたガイドブックは、470ページの分厚いものでしたが、説明が充実していました。



プラド美術館というと、ベラスケスの作品がまず挙げられます。特に、この「ラス・メニーナス」は、プラド美術館から門外不出の作品になっているといいます。

フェリベ4世の娘のマルガリータ王女が中心になっていますが、タイトルは女官たちという意味です。

個人的な趣味からすると、それほど好きというほどではないですがね。



気になるのは、こちらの「赤いドレスのマルガリータ王女」。ベラスケスの絶筆で、弟子の手で完成されました。マルガリータ王女の肖像画は、オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世との結婚に際して、お見合い写真として描かれました。マルガリータが3歳、5歳、8歳の時の肖像が贈られており、これらの絵画は現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されています。この絵は1660年に描かれたとあるので、1666年に行われた結婚式の準備も進んでおり、絵をウィーンに贈る必要も無くなっていたのでしょう。

プラド美術館を訪れたなら、ウィーンの美術史美術館も見る必要がありますね。



羊飼いの礼拝。

一般に知られるエル・グレコの名前は、本名ではなく、「ギリシャ人」に由来しています。イタリアからスペインに渡ってきて宮廷画家になることを目指しましたが、フェリベ2世の不興をかって、その道は閉ざされました。トレドに安住の地を得て、多くの作品を残しました。エル・グレコの絵は、現在ではベラスケスやゴヤと並んで、スペイン三大画家として扱われていますが、その評価が高まったのは、19世紀に入ってからといいます。



ゴヤの作品といえば、この「着衣のマハ」と次の「裸のマハ」ですね。

「着衣のマハ」は、2012年に西洋美術館で展示されましたが、セットというべき「裸のマハ」は来日しませんでした。両作品が日本にやってきたのは、1971年のことで、幸い、この時の展覧会を見ることができました。しかも、台風かなにかの大雨で、入館者も少なく、ゆっくりと眺めることができました。今回は、三回目のご対面。



マハとは特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で「小粋な女」を意味します。

宰相ゴドイの依頼によって描かれたようで、壁に掛けられている「着衣のマハ」を釣り上げると背後に「裸のマハ」が現れるという展示がされていたといいます。

当時は、裸婦を描くことは宗教上の理由から禁止されており、この絵が失脚したゴドイの別荘から押収されると、異端審問所によってゴヤが呼び出されるまでの騒ぎになったといいます。

当時、裸婦といっても宗教画なら許されており、官能的なウルビーノのヴィーナスのような絵も描かれています。ゴヤも、そのような抜け道は当然知っているはずで、宗教画にするためのシンボル的書き込みをあえてしなかった理由が判りません。

この「裸のマハ」は、収蔵されてから100年ほど仕舞い込まれて、両作品が並んで展示されたのは1901年になってからといいます。



プラド美術館のゴヤの作品としては、一連の「黒い絵」が挙げられますが、代わりに、明るい雰囲気の「パラソル」を載せておきましょう。

この絵は、宮殿を飾るタペストリーの原画として描かれたもので、ゴヤは、この下絵描きから宮殿画家のキャリアを始めました。



プラド美術館で、一番見たかったのは、ボス(あるいはボッシュ)の作品でした。ネーデルランドの画家で、比喩に富んだ宗教画を主に描きました。宗教改革の際に多くの作品が失われましたが、フェリペ2世はボスの絵の愛好者であったため、プラド美術館は最大のコレクションを所蔵しています。

この「快楽の園」は、ボスの作品の最高傑作といってよいでしょう。三連祭壇画になっており、道徳的寓意を元にして、左から右へ、天国から地獄への姿が描かれています。

細かい所を見ると発見のある絵なのですが、ボスの作品も多く、じっくりと見る時間が足りなかったことは残念でした。



このムリーリョの「無原罪のお宿り」も、好きな絵です。三大ならぬ、四大スペイン画家には加えられて当然なところでしょう。



イタリアの作家ですが、フラ・アンジェリコの「受胎告知」。

フィレンツェのサン・マルコ修道院で見た「受胎告知」は、階段を上った先の壁に描かれ、ほの暗い光に照らされて、神秘的な感動にいざなわれた覚えがあります。

このプラド美術館の「受胎告知」は、フィレンツェ近郊のサン・ドメニコ修道院の祭壇画として描かれたものです。サン・マルコ修道院のものとほぼ同じ構図で、久しぶりの出会いといった感じがしました。



プラド美術館には、その他にもラファエロ、ティントレッティ、ルーベンスなど、数えきれないほどの作品がありますが、最後にこの絵を紹介しておきましょう。

あまりにも有名な「モナ・リザ」。モナ・リザには、真贋が議論されている多くの複製画があります。

この絵は、1666年から王室コレクションに記載されており、オリジナルと同時期にダ・ヴィンチの弟子によって描かれたものと考えられています。2011年に、黒く塗りつぶされていた背景が修復によって除かれたことにより、保存状態の良い背景が現れました。退色の進んでいるルーヴル美術館のオリジナルの比較対象になる作品として価値があるとされています。

おしいことに、ルーヴル美術館のオリジナルと違って、この絵の前に足を停める人は少なかったです。ダ・ビンチ派と呼ばれる弟子たちによる絵は、興味深いものがあります。

プラド美術館の見学は、自由時間も含めて2時間半で、それでも足りないほどだったので、ソフィア王妃芸術センターを割愛したのは正解だったと思います。



プラド美術館の自由時間の後の集合場所は、ロス・ヘロニモス・レアーレス教会の前であったので、中を見学してみました。



美しい造りになっていました。



入り口の上には、パイプオルガンが設けられていました。



マリア像も、どこかムリーリョの絵に似ています。



美しいステンドグラスが飾られていました。









午前中の見学を終えて、グランピア沿いのレストランで、パエリャの昼食をとりました。

午後は自由観光でしたが、オプショナル・ツアーでトレドへ出かけることにしました。
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