中央アジアでは、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスを訪れていますが、今回はトルクメニスタンに出かけました。選んだツアーは、以下のものです。
「トルクメニスタン完全一周 10日間」(西遊旅行社)
2019年
第一日目 9月16日(月)
成田発 13:20(OZ101)ソウル着 15:50
ソウル発 17:00(OZ-573)タシケント着 20:20
(タシケント LE GRANDPLAZA泊)
第二日目 9月17日(火)
タシケント発 7:25(HY011)ヌクス着 9:05
(国境超え)クニャ・ウルゲンチ(クトゥルグ・ティムールのミナレット、テュラベク・ハニム廟、テケッシュ廟)、タシャウズ
(タシャウズ DASHOGUZ泊)
第三日目 9月18日(水)
ダルワザ(地獄の門)
(地獄の門 テント泊)
第四日目 9月19日(木)
アシガバード(国立博物館、バルティア王国の都ニサ、アハルテケ(汗血馬)の飼育場)
(アシガバード GRAND TURKMEN泊)
第五日目 9月20日(金)
バルカナバード経由ヤンギ・カラ
(ヤンギ・カラ テント泊)
第六日目 9月21日(土)
トルクメンバシ
トルクメンバシ発 14:40(T5246)アシガバード着 15:40
(アシガバード GRAND TURKMEN泊)
第七日目 9月22日(日)
アシガバード発 6:20(T5127)マリ着 7:00
マルゲッシュ遺跡
(マリ MARY泊)
第八日目 9月23日(月)
メルブ遺跡(大キズカラ、小キズカラ、スルタン・サンジャール廟、エルク・カラ、グヤウル・カラ)、黒い砂漠、トルクメナバード(国境超え)ブハラ
(ブハラ GRAND BUKHARA泊)
第九日目 9月24日(火)
ブハラからサマルカンド経由タシケント
タシケント発 22:20(OZ-574)
第十日目 9月25日(水)
ソウル着 8:55
ソウル発 15:45(OZ-106)成田着 18:15
今回の旅では、複雑な行程をとっていますので、ツアー会社のパンフレットに掲載されていた地図を一部訂正して載せておきます。パンフレットでは、タシケントからウルゲンチに飛んで国境越をすることになっていましたが、今回はヌクスから入りました。結果的には、トルクメニスタ入国後の最初の訪問地のクニャ・ウルゲンチに近く、好都合でした。
トルクメニスタンへの日本からの直行便は無いため、ソウル経由でまずタシケントに向かいました。
タシケントまでは、2013年4月にウズベキスタンを訪れた時と同じくアシアナ航空を利用することになりました。
ソウルまでは、超大型旅客機のエアバス380でした。
昨今の日韓の不仲の関係で韓国人の訪日客が激減しているようですが、がら空きの期待もむなしく満席でした。格安航空機を利用する韓国人観光客が主に減っているようで、大韓航空やアシアナ航空を利用する客は一定数いるようです。減便も行っているのでしょうけど。
お待ちかねの機内食。料理は美味しかったのですが、驚いたことにソフトドリンクの提供しかありませんでした。2013年の際には、ビールをもらうことができました。アシアナ航空は経営悪化で身売り先を探している最中と聞いています。ビールをカットし、機内食の容器も簡略しているとは、経営状態がよほど悪いようです。まさか国際線でビールが飲めないとは失望そのものです。
フライトマップですが、小さくてこの縮尺で載せる必要のない竹島をわざわざ独島と表示しているのは、日本人への嫌がらせとしか言えませんね。さらに、日本海を東海とも表示しています。そのくせ、中国に対しては遠慮してか、西海とは言わずに黄海と表示しています。こういうのを見ると、嫌韓に押しやられる気がします。
仁川空港に到着。この空港はそう広くもなく、乗り換えには便利です。
タシケント行に搭乗。
再びアシアナ航空です。ほぼ満席でした。
機内食。ようやくビールを飲むことができました。はっきり言って、韓国のビールは水っぽくて美味しくありません。
到着前に、ピザの軽食がでました。
シルクロード沿いに飛行してタシケントに向かいました。
2013年の際にはウズベキスタンへの入国手続き時に現地人と押し合いへし合いしながら、えらく時間が掛かりましたが、現在は観光客を誘致するために、スムーズに流れるように改善されていました。
タシケントには夜になって到着。
第一日目は、タシケントのLE GRANDPLAZAに宿泊しました。(写真は翌朝に撮影)
なぜか、先回と同じホテルでした。日本人ツアーの利用も多いようですが、室内の設備など、少々がたがきています。
机の上に張られているのは、避難方向ではなく、メッカの方向を示すキプラシールだろうと思います。普通は天井に張ってあるのですがね。
翌朝、ヌクスに向かうため、国内線専用の空港に向かいました。
ウズベキスタン航空に搭乗しました。
飛行時間も短いので、窓際の席をとりました。
眼下には、赤茶けた砂漠が広がっていました。
ヌクスに到着。小さな空港でした。
バスに乗車して、トルクメニスタンとの国境に向かいました。
アムダリヤ川を渡りました。もともとはアラル海に注いでいましたが、現在では河口部で干上がっています。
丘一帯に広がっているのは、8世紀頃の墓です。
住居のように見えます。
こちらは、5世紀の墓。
ドールカラというらしい5世紀の城跡です。アムダリヤ川が流れを変えるたびに城を造り替える必要があり、1000以上もの多数の都城(カラ)跡がこの一帯には残されているといいます。
ウズベキスタンとトルクメニスタンとの国境に到着。奥に見えているドームを持った建物が、トルクメニスタン側のオフィスです。
特にトルクメニスタン側での写真撮影の制限は厳しいので、国境部の撮影はここまで。
ウズベキスタンからの出国は簡単でしたが、トルクメニスタンへの入国には時間がかかりました。現地ガイドのサポートによって、窓口の前に集まっている地元民を掻き分けてパスポートに入国印をもらいました。観光客優先とのことでしたが、待っている人には御免なさいという気分でした。その後の荷物検査は数名がスーツケースを開けさせられましたが、私は幸い「ピストル、ドローン、ドラッグ?」の質問だけで済みました。結局、国境通過には2時間かかりました。これでも順調に進んだようです。1時から2時の昼休みにかかったら、さらに待ち時間が増えてしまうようです。
「トルクメニスタン完全一周 10日間」(西遊旅行社)
2019年
第一日目 9月16日(月)
成田発 13:20(OZ101)ソウル着 15:50
ソウル発 17:00(OZ-573)タシケント着 20:20
(タシケント LE GRANDPLAZA泊)
第二日目 9月17日(火)
タシケント発 7:25(HY011)ヌクス着 9:05
(国境超え)クニャ・ウルゲンチ(クトゥルグ・ティムールのミナレット、テュラベク・ハニム廟、テケッシュ廟)、タシャウズ
(タシャウズ DASHOGUZ泊)
第三日目 9月18日(水)
ダルワザ(地獄の門)
(地獄の門 テント泊)
第四日目 9月19日(木)
アシガバード(国立博物館、バルティア王国の都ニサ、アハルテケ(汗血馬)の飼育場)
(アシガバード GRAND TURKMEN泊)
第五日目 9月20日(金)
バルカナバード経由ヤンギ・カラ
(ヤンギ・カラ テント泊)
第六日目 9月21日(土)
トルクメンバシ
トルクメンバシ発 14:40(T5246)アシガバード着 15:40
(アシガバード GRAND TURKMEN泊)
第七日目 9月22日(日)
アシガバード発 6:20(T5127)マリ着 7:00
マルゲッシュ遺跡
(マリ MARY泊)
第八日目 9月23日(月)
メルブ遺跡(大キズカラ、小キズカラ、スルタン・サンジャール廟、エルク・カラ、グヤウル・カラ)、黒い砂漠、トルクメナバード(国境超え)ブハラ
(ブハラ GRAND BUKHARA泊)
第九日目 9月24日(火)
ブハラからサマルカンド経由タシケント
タシケント発 22:20(OZ-574)
第十日目 9月25日(水)
ソウル着 8:55
ソウル発 15:45(OZ-106)成田着 18:15
今回の旅では、複雑な行程をとっていますので、ツアー会社のパンフレットに掲載されていた地図を一部訂正して載せておきます。パンフレットでは、タシケントからウルゲンチに飛んで国境越をすることになっていましたが、今回はヌクスから入りました。結果的には、トルクメニスタ入国後の最初の訪問地のクニャ・ウルゲンチに近く、好都合でした。
トルクメニスタンへの日本からの直行便は無いため、ソウル経由でまずタシケントに向かいました。
タシケントまでは、2013年4月にウズベキスタンを訪れた時と同じくアシアナ航空を利用することになりました。
ソウルまでは、超大型旅客機のエアバス380でした。
昨今の日韓の不仲の関係で韓国人の訪日客が激減しているようですが、がら空きの期待もむなしく満席でした。格安航空機を利用する韓国人観光客が主に減っているようで、大韓航空やアシアナ航空を利用する客は一定数いるようです。減便も行っているのでしょうけど。
お待ちかねの機内食。料理は美味しかったのですが、驚いたことにソフトドリンクの提供しかありませんでした。2013年の際には、ビールをもらうことができました。アシアナ航空は経営悪化で身売り先を探している最中と聞いています。ビールをカットし、機内食の容器も簡略しているとは、経営状態がよほど悪いようです。まさか国際線でビールが飲めないとは失望そのものです。
フライトマップですが、小さくてこの縮尺で載せる必要のない竹島をわざわざ独島と表示しているのは、日本人への嫌がらせとしか言えませんね。さらに、日本海を東海とも表示しています。そのくせ、中国に対しては遠慮してか、西海とは言わずに黄海と表示しています。こういうのを見ると、嫌韓に押しやられる気がします。
仁川空港に到着。この空港はそう広くもなく、乗り換えには便利です。
タシケント行に搭乗。
再びアシアナ航空です。ほぼ満席でした。
機内食。ようやくビールを飲むことができました。はっきり言って、韓国のビールは水っぽくて美味しくありません。
到着前に、ピザの軽食がでました。
シルクロード沿いに飛行してタシケントに向かいました。
2013年の際にはウズベキスタンへの入国手続き時に現地人と押し合いへし合いしながら、えらく時間が掛かりましたが、現在は観光客を誘致するために、スムーズに流れるように改善されていました。
タシケントには夜になって到着。
第一日目は、タシケントのLE GRANDPLAZAに宿泊しました。(写真は翌朝に撮影)
なぜか、先回と同じホテルでした。日本人ツアーの利用も多いようですが、室内の設備など、少々がたがきています。
机の上に張られているのは、避難方向ではなく、メッカの方向を示すキプラシールだろうと思います。普通は天井に張ってあるのですがね。
翌朝、ヌクスに向かうため、国内線専用の空港に向かいました。
ウズベキスタン航空に搭乗しました。
飛行時間も短いので、窓際の席をとりました。
眼下には、赤茶けた砂漠が広がっていました。
ヌクスに到着。小さな空港でした。
バスに乗車して、トルクメニスタンとの国境に向かいました。
アムダリヤ川を渡りました。もともとはアラル海に注いでいましたが、現在では河口部で干上がっています。
丘一帯に広がっているのは、8世紀頃の墓です。
住居のように見えます。
こちらは、5世紀の墓。
ドールカラというらしい5世紀の城跡です。アムダリヤ川が流れを変えるたびに城を造り替える必要があり、1000以上もの多数の都城(カラ)跡がこの一帯には残されているといいます。
ウズベキスタンとトルクメニスタンとの国境に到着。奥に見えているドームを持った建物が、トルクメニスタン側のオフィスです。
特にトルクメニスタン側での写真撮影の制限は厳しいので、国境部の撮影はここまで。
ウズベキスタンからの出国は簡単でしたが、トルクメニスタンへの入国には時間がかかりました。現地ガイドのサポートによって、窓口の前に集まっている地元民を掻き分けてパスポートに入国印をもらいました。観光客優先とのことでしたが、待っている人には御免なさいという気分でした。その後の荷物検査は数名がスーツケースを開けさせられましたが、私は幸い「ピストル、ドローン、ドラッグ?」の質問だけで済みました。結局、国境通過には2時間かかりました。これでも順調に進んだようです。1時から2時の昼休みにかかったら、さらに待ち時間が増えてしまうようです。