クラクフ市街地や近郊へと移動する際に、ヴィスワ川越しのヴァヴェル城の風景を何度も見ることになりました。
ヴァヴェル城は、11世紀より歴代ポーランド王の居城として使われ、歴代の王が増改築を行い、敷地内に王宮や大聖堂が造られました。16世紀に首都がワルシャワに移された後も、国王の戴冠式はヴァヴェル城で行われてきました。
中央広場から歩いてきて、王宮へと坂道を上がりました。それほどの高度差は無いのですが、朝からの徒歩観光が続いているので、結構辛く感じました。
坂道の途中、甲冑姿のコスプレヤーが営業の準備をしていました。
一汗かいて丘の上に出ると、城門が設けてありました。
城門の脇には、コシチューシュコ像が置かれていました。
コシチューシュコは、ポーランド・リトアニア共和国の将軍で、1793年の第2回ポーランド分割後にクラクフで蜂起し、一時はロシア軍に大勝しましたが、やがて兵員を補充していったロシア・プロイセン連合軍に敗れてしまいました。この敗北によりポーランド国家は消滅の憂き目にあってしまいました。
城門に飾られていた紋章。
城門を過ぎると、多くの建物に囲まれた広場に出ました。
教皇紋章から、パウロ2世の像でしょうね。
広場を囲む建物の中でもひと際目を引くのは、ヴァヴェル大聖堂です。大聖堂は、幾度もの増改築を繰り返してきたため、さまざまな建築様式からなっています。中でもジグムント1世が建てた、金のドームが輝くジグムント礼拝堂は、アルプス以北でもっとも美しいルネサンス建築と言われています。
大聖堂には、午後の自由時間の際に入場することにしました。
旧王宮へと進みました。
防御の意味もあるのか、長いトンネルを抜けていきます。
中庭を取り巻く建物は、16世紀初頭にジグムント1世が建てたゴシックとルネサンスの複合様式のものです。
見上げると、壁の一部に絵が描かれていました。
王宮に入場しましたが、内部は撮影禁止であったので、絵葉書を代わりに載せておきます。
王宮の見どころのひつにタペストリーが挙げられます。ジグムント1世はタペストリーの収集にも情熱を傾け、フランドルやアントワープの工房から数多くの作品を取り寄せました。その情熱はジグムント2世に受け継がれ、集められたタペストリ ーは350枚を超えたといいます。
「バベルの塔」のタペストリー。
一時は国外へ持ち出されたものの、第二次世界大戦後 140枚が戻り、今も王宮博物館を飾っています
ベッドルーム。
旧下院会議場。
評議員の間。
議員ホールの天井。枡目に仕切られた天井に、男女の顔の木彫が嵌め込まれています。
その中には、猿ぐつわをされた女性の像もありました。
見学の途中、中庭を見下ろす回廊に出ました。
その先で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」の展示室がありました。本来は、旧市街地にあるチャルトリスキ美術館という別の所に展示されているのですが、改装のために閉鎖されており、ヴァヴェル城での臨時展示になっていました。時間の限られているツアー客には、幸運なことでした。
「白貂を抱く貴婦人」は、1489年から1490年ごろにかけて描かれ、ダ・ヴィンチの作品で、一人の女性を描いた肖像画はわずかに4作品しか現存しておらず、そのうちの一点として貴重なものになっています。
他に客はいない状態で、心ゆくまで絵を鑑賞することができました。女性の表情としては、モナリザより、この絵の方が好きです。
自由行動時に、ヴァヴェル大聖堂に入場しました。
内部は撮影禁止であったので、絵葉書を載せておきます。
14世紀から18世紀までの400年間、歴代のほとんどの王の戴冠式を執り行ったこともあり、重厚な造りでした。
広場の西に出ると、ヴィスワ川を見下ろすことができました。
丘の下に竜の洞窟があり、その前に置かれた竜の像が見えていました。木立の間から見えているドラゴンの口からは時々火が吹きだされます。
伝説によれば、昔、竜がやってきてヴィス川のほとりに居ついてしまった。竜は、家畜に加えて、付近に住む娘を攫っては食べてしまった。騎士が立ち向かったが、ドラゴンの吹く火の前にいずれも倒れてしまった。そこで靴職人の弟子が竜をだましてタールと硫黄を染み込ませた羊のぬいぐるみを食べさせた。腹の中で燃える火によってのどが渇いた竜は、ヴィスワ川の飲み続け、ついには体が破裂してしまった。この賢い靴職人の弟子は、王の娘と結婚したという。
この竜はクラクフのマスコットになっており、土産物屋でも竜のぬいぐるみが売られていました。
ヴァヴェル城の南側の通路を下っていきました。
長い城壁が続いていました。
街中には、「白貂を抱く貴婦人」のポスターが飾られていました。
旧市街地の西には、クラクフ国立博物館本館がありました。
また、ヴァヴェル城のヴィスワ川対岸には、日本美術・技術博物館「マンガ館」があります。ポーランド人コレクターのフェリックス・マンガ・ヤシェンスキの日本美術の所蔵品を集めたもので、浮世絵や日本画や武具などが収めらています。
この美術館の設立にあたっては、「灰とダイヤモンド」で知られる映画監督のワイダ氏が中心的役割を果たしました。1987年に受賞した京都賞の賞金をもとに資金を調達し、さらに京都では自身で街頭募金に立ったといいます。
ちょっと誤解してしまいますが、マンガというのは、シェンスキ氏のミドルネーム兼ペンネームで、北斎漫画に由来しているといいます。日本文化のカルチャーセンターとしての役割を果たしているというので、この先は漫画も紹介されていくことになるでしょう。
これにて、クラクフの市内観光は終わりますが、翌日は、クラクフ近郊のアウシュビッツやヴィエリチカ岩塩抗の見学を行うことになりました。
ヴァヴェル城は、11世紀より歴代ポーランド王の居城として使われ、歴代の王が増改築を行い、敷地内に王宮や大聖堂が造られました。16世紀に首都がワルシャワに移された後も、国王の戴冠式はヴァヴェル城で行われてきました。
中央広場から歩いてきて、王宮へと坂道を上がりました。それほどの高度差は無いのですが、朝からの徒歩観光が続いているので、結構辛く感じました。
坂道の途中、甲冑姿のコスプレヤーが営業の準備をしていました。
一汗かいて丘の上に出ると、城門が設けてありました。
城門の脇には、コシチューシュコ像が置かれていました。
コシチューシュコは、ポーランド・リトアニア共和国の将軍で、1793年の第2回ポーランド分割後にクラクフで蜂起し、一時はロシア軍に大勝しましたが、やがて兵員を補充していったロシア・プロイセン連合軍に敗れてしまいました。この敗北によりポーランド国家は消滅の憂き目にあってしまいました。
城門に飾られていた紋章。
城門を過ぎると、多くの建物に囲まれた広場に出ました。
教皇紋章から、パウロ2世の像でしょうね。
広場を囲む建物の中でもひと際目を引くのは、ヴァヴェル大聖堂です。大聖堂は、幾度もの増改築を繰り返してきたため、さまざまな建築様式からなっています。中でもジグムント1世が建てた、金のドームが輝くジグムント礼拝堂は、アルプス以北でもっとも美しいルネサンス建築と言われています。
大聖堂には、午後の自由時間の際に入場することにしました。
旧王宮へと進みました。
防御の意味もあるのか、長いトンネルを抜けていきます。
中庭を取り巻く建物は、16世紀初頭にジグムント1世が建てたゴシックとルネサンスの複合様式のものです。
見上げると、壁の一部に絵が描かれていました。
王宮に入場しましたが、内部は撮影禁止であったので、絵葉書を代わりに載せておきます。
王宮の見どころのひつにタペストリーが挙げられます。ジグムント1世はタペストリーの収集にも情熱を傾け、フランドルやアントワープの工房から数多くの作品を取り寄せました。その情熱はジグムント2世に受け継がれ、集められたタペストリ ーは350枚を超えたといいます。
「バベルの塔」のタペストリー。
一時は国外へ持ち出されたものの、第二次世界大戦後 140枚が戻り、今も王宮博物館を飾っています
ベッドルーム。
旧下院会議場。
評議員の間。
議員ホールの天井。枡目に仕切られた天井に、男女の顔の木彫が嵌め込まれています。
その中には、猿ぐつわをされた女性の像もありました。
見学の途中、中庭を見下ろす回廊に出ました。
その先で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」の展示室がありました。本来は、旧市街地にあるチャルトリスキ美術館という別の所に展示されているのですが、改装のために閉鎖されており、ヴァヴェル城での臨時展示になっていました。時間の限られているツアー客には、幸運なことでした。
「白貂を抱く貴婦人」は、1489年から1490年ごろにかけて描かれ、ダ・ヴィンチの作品で、一人の女性を描いた肖像画はわずかに4作品しか現存しておらず、そのうちの一点として貴重なものになっています。
他に客はいない状態で、心ゆくまで絵を鑑賞することができました。女性の表情としては、モナリザより、この絵の方が好きです。
自由行動時に、ヴァヴェル大聖堂に入場しました。
内部は撮影禁止であったので、絵葉書を載せておきます。
14世紀から18世紀までの400年間、歴代のほとんどの王の戴冠式を執り行ったこともあり、重厚な造りでした。
広場の西に出ると、ヴィスワ川を見下ろすことができました。
丘の下に竜の洞窟があり、その前に置かれた竜の像が見えていました。木立の間から見えているドラゴンの口からは時々火が吹きだされます。
伝説によれば、昔、竜がやってきてヴィス川のほとりに居ついてしまった。竜は、家畜に加えて、付近に住む娘を攫っては食べてしまった。騎士が立ち向かったが、ドラゴンの吹く火の前にいずれも倒れてしまった。そこで靴職人の弟子が竜をだましてタールと硫黄を染み込ませた羊のぬいぐるみを食べさせた。腹の中で燃える火によってのどが渇いた竜は、ヴィスワ川の飲み続け、ついには体が破裂してしまった。この賢い靴職人の弟子は、王の娘と結婚したという。
この竜はクラクフのマスコットになっており、土産物屋でも竜のぬいぐるみが売られていました。
ヴァヴェル城の南側の通路を下っていきました。
長い城壁が続いていました。
街中には、「白貂を抱く貴婦人」のポスターが飾られていました。
旧市街地の西には、クラクフ国立博物館本館がありました。
また、ヴァヴェル城のヴィスワ川対岸には、日本美術・技術博物館「マンガ館」があります。ポーランド人コレクターのフェリックス・マンガ・ヤシェンスキの日本美術の所蔵品を集めたもので、浮世絵や日本画や武具などが収めらています。
この美術館の設立にあたっては、「灰とダイヤモンド」で知られる映画監督のワイダ氏が中心的役割を果たしました。1987年に受賞した京都賞の賞金をもとに資金を調達し、さらに京都では自身で街頭募金に立ったといいます。
ちょっと誤解してしまいますが、マンガというのは、シェンスキ氏のミドルネーム兼ペンネームで、北斎漫画に由来しているといいます。日本文化のカルチャーセンターとしての役割を果たしているというので、この先は漫画も紹介されていくことになるでしょう。
これにて、クラクフの市内観光は終わりますが、翌日は、クラクフ近郊のアウシュビッツやヴィエリチカ岩塩抗の見学を行うことになりました。