さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 リトル・ペトラ

2014年04月11日 | 海外旅行
旅の4日目は、リトル・ペトラを見学してからワディ・ラムに向かうことになりました。

ペトラの街を取り巻く丘の上に上がっていくと、街が見えてきました。セイフンと呼ばれる街のようです。



谷をのぞくと、ペトラ(ビザンチン)教会の白い屋根やカルス・アル・ピントが見えていました。その背後の岩山の頂上に白い建物が見えますが、これはジャバル・ハールーンと呼ばれるモーゼの弟のアロンの墓です。ドーム型の墓は、1459年に造られ、聖地として崇められています。ペトラ遺跡からもハイキングコースが整備されているようです。



セイフンは、ペトラ遺跡内に住んでいたベドウィンを移住させて造られた新しい街のようです。遺跡内で働いているロバや土産物売りは、毎日ここから通っているようです。



街の背後には、さらに高い山が広がっていました。これらの山が、ペトラ遺跡の水源になっていたようです。



道の周囲には、岩山が広がるようになりました。





リトル・ペトラに到着しました。



入り口の脇には、岩窟墓がありました。



ペトラがナバタイ人の宗教的聖地としての役割を果たしていたのに対し、リトル・ペトラはナバタイ人の居住区、ペトラ一帯での主要なキャラバンサライとして機能していたといいます。



リトル・ペトラ内部へは、狭いシークを通って入ります。



入り口の脇には、岩をくりぬいて造った部屋がありますが、これは守衛のためのものだったようです。



シークを抜けて中に進みました。



立派な建造物ですが、宮殿であったようです。





この宮殿の脇には、水を集める貯水槽が設けられていました。岩壁を良く見ると、雨水を誘導するための溝が設けられています。



さらに奥へ進みます。



右手に部屋が現れましたが、これは葬式や生け贄のための儀式を行うホールとのことです。





部屋の中をのぞくと、入り口には身を清めるための水槽や、座るためのベンチやが設けられていました。



部屋の天井がすすけているのは、この中で生活したベドウィンが、焚火をしたためです。



大きな建造物が現れました。宮殿だったようです。



下からのぞくと、ホールの奥の壁が鉄格子で保護されているのが見えます。



二階部にあるホールへは階段を使って上がることができます。



滑りやすそうな階段を上ってホールに入りました。



鉄格子の奥の壁には、ブドウの葉や花のフレスコ画が描かれていました。痛みが進んでいるのは残念です。



ホールから向かいの岸壁をみると、階段が設けられて道が付けられていたようです。



見学していると、ベドウィンの老人が現れて、ウードの演奏を始めました。チップ目当てのようですが、ここの訪問者は少ないので、小遣い稼ぎには良い場所とも思えません。



奥をのぞくとシークは行き止まりになっていましたが、上へ延びる階段が設けられているようです。



リトル・ペトラの入り口に戻ると、羊の放牧が行われていました。

リトル・ペトラは、その名前通りにペトラ遺跡の縮小版でした。本家が無ければ、これだけでも充分な見どころになったでしょうね。
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