さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 サマルカンド その6

2013年06月28日 | 海外旅行
アミール・ティムール廟は、ティムール一族が眠る廟です。「支配者の墓」という意味からグリ・アミ-ル廟とも呼ばれます。

もとは、ここにティムールの孫のムハンマド・スルタンが建てたメドレセとモスクがありましたが、1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまったため、ティムールは彼を偲んで廟を建設しました。廟は1404年に完成しましたが、その1年後にティムールは中国遠征の途上で病死してしまったため、ここに葬られることになりました。



入り口の門にも精緻な装飾が施されています。



前門が大きいため、脇にずれないと本殿のドームは隠されています。



アミール・ティムール廟は、独特の装飾を施された青いドームが特徴的です。このような建造物から、サマルカンドは「青の都」とも称えられています。



門の奥にドームが見えています。



見上げると、前門にはムカルナスと呼ばれる鍾乳石飾りが施されています。



廟に入ります。



廟の中には、ティムール一族の墓石が並べられています。黒い墓石がティムールのものです。



廟の天井。



ティムールの廟のことだけあって、豪華な造りです。



ムカルナス(鍾乳石飾り)がも施されています。



廟の裏手に回ると、地下に通じる扉があります。ティムールの棺は、この地下に収められています。

この棺は、「禁断の棺」というエピソードが残されています。

1941年にソビエト連邦の調査隊によって、この棺が開けられて、ティムールの遺体の調査が行われました。ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていました。さらに、開けてみると、棺の内側には「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という書かれているのが発見されました。この調査から2日後、ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始し、ソ連に侵入しました。1942年11月のスターリングラード攻防戦でのソ連軍の反撃の直前に、ティムールの遺体はイスラム教式の丁重な葬礼で再埋葬されて、棺は再封印されました。



廟内に置かれていたティムールの肖像画。

ソビエト連邦の調査隊によるティムールの頭蓋骨の調査からティムールの顔の特徴を再現することができ、また長身で足をひきずって歩いたという身体的特徴が確認されています。





ティムールのお墓にも詣で、ウズベキスタン旅行も終わりに近づいてきました。
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