
ホテルにチェック・インしましたが、メディナ内のレストランで夕食ということで、再び出かけることになりました。バス移動の予定でしたが、イベントのためチュニス内は大渋滞になっており、歩いていくことになりました。これによって、チュニジア最終日の午前中に行なう予定のメディナ観光は自由行動になり、ありがたい予定変更になりました。
アフリカ・エルムラディの前のハビブ・ブルギバ通りは、行き交う人で賑わっていました。

ハビブ・ブルギバ通りは、ヨーロッパ風でカフェも出ています。これは市民劇場。

フランス保護時代に建てられた劇場のようで、壁面は美しい装飾が施されていました。

道路の反対側に大聖堂が現れました。

フランス保護時代の19世紀末に建造され、ゴシック様式、ネオビザンチン様式、およびアラブ風の建築様式が混在しています。
大聖堂に向かい合ってフランス大使館がありますが、鉄条網で囲まれ、装甲車も置かれ、銃を持った兵士も警備しているというものものしさで、撮影禁止になっていました。

教会前の緑地帯に置かれていた銅像。誰の像かは不明。

その先の通りには、ヨーロッパの街を思わせる重厚なアーケードも設けられていました。

メディナの東の入口のバーブ・ブハル(フランス門)に到着。かつては、メディナの周囲を城壁が取り巻いましたが、現在ではこの門だけが残されています。

門を抜けた先はビクトワール広場となり、ここからメディナ内へ小路が延びています。

ビクトワール広場に面して、古い館を改装した高級ホテルのダール・エル・メディナがあります。

ビクトワール広場からは何本もの小路が始まっていますが、ジャマー・ジトゥーナ通りに進みました。この通りが観光客用の土産物屋が一番並んでいるようでした。

テロの影響がまだ残っていて観光客は少ないようでしたが、地元の人で賑わっていました。

民族衣装の店が目立ちました。

観光客用の土産物屋も多くありました。


金属製の装飾皿の店。

カフェの店が並ぶアーケード。

ジャマー・ジトゥーナ通りは、グランドモスクに行きあたって終わります。

その迷路状態の道を進みました。

この一帯は、結婚用品の店が並んでいました。

飾り籠。

夕食をとるダール・エッサラヤに到着しました。ガイドブックによれば、豪華邸宅を改装したチュニジア伝統料理の高級レストランとのことです。

内部に入って座席が決まると、まずは建物の見学になりました。

アラブ風満点の部屋です。



二階も見学することができました。

一階を見下ろしたところ。

ヨーロッパのリュートの直接の祖先である、チュニジアの民族楽器のウードの演奏を行ってくれて、優雅な気分で食事をすることができました。
アラブ音楽は大別すると東西に分かれ、東のエジプト・シリア・レバノン・イラクなど地中海東側のアラブ諸国、さらにオスマン帝国以来のトルコの伝統音楽は、“シャルキー”とか“オリエンタル音楽”と呼ばれます。一方、西のモロッコ、アルジェリア・チュニジア・リビアなど、北アフリカのいわゆるマグレブ諸国では、アラブがイベリア半島(アンダルシア)を支配していた9~12世紀頃にそこで発展し、13世紀以降は再び北アフリカに持ち帰られた音楽遺産であるアラボ=アンダルース音楽が伝統になっています。
チュニジアでは、アンダルシア起源の伝統音楽を自国の文化遺産とみなし、“マルーフ”と呼んでいますが、19世紀以降はエジプトやトルコ音楽の影響も入ってきているようです。
料理については、後ほど別項目にて。
アフリカ・エルムラディの前のハビブ・ブルギバ通りは、行き交う人で賑わっていました。

ハビブ・ブルギバ通りは、ヨーロッパ風でカフェも出ています。これは市民劇場。

フランス保護時代に建てられた劇場のようで、壁面は美しい装飾が施されていました。

道路の反対側に大聖堂が現れました。

フランス保護時代の19世紀末に建造され、ゴシック様式、ネオビザンチン様式、およびアラブ風の建築様式が混在しています。
大聖堂に向かい合ってフランス大使館がありますが、鉄条網で囲まれ、装甲車も置かれ、銃を持った兵士も警備しているというものものしさで、撮影禁止になっていました。

教会前の緑地帯に置かれていた銅像。誰の像かは不明。

その先の通りには、ヨーロッパの街を思わせる重厚なアーケードも設けられていました。

メディナの東の入口のバーブ・ブハル(フランス門)に到着。かつては、メディナの周囲を城壁が取り巻いましたが、現在ではこの門だけが残されています。

門を抜けた先はビクトワール広場となり、ここからメディナ内へ小路が延びています。

ビクトワール広場に面して、古い館を改装した高級ホテルのダール・エル・メディナがあります。

ビクトワール広場からは何本もの小路が始まっていますが、ジャマー・ジトゥーナ通りに進みました。この通りが観光客用の土産物屋が一番並んでいるようでした。

テロの影響がまだ残っていて観光客は少ないようでしたが、地元の人で賑わっていました。

民族衣装の店が目立ちました。

観光客用の土産物屋も多くありました。


金属製の装飾皿の店。

カフェの店が並ぶアーケード。

ジャマー・ジトゥーナ通りは、グランドモスクに行きあたって終わります。

その迷路状態の道を進みました。

この一帯は、結婚用品の店が並んでいました。

飾り籠。

夕食をとるダール・エッサラヤに到着しました。ガイドブックによれば、豪華邸宅を改装したチュニジア伝統料理の高級レストランとのことです。

内部に入って座席が決まると、まずは建物の見学になりました。

アラブ風満点の部屋です。



二階も見学することができました。

一階を見下ろしたところ。

ヨーロッパのリュートの直接の祖先である、チュニジアの民族楽器のウードの演奏を行ってくれて、優雅な気分で食事をすることができました。
アラブ音楽は大別すると東西に分かれ、東のエジプト・シリア・レバノン・イラクなど地中海東側のアラブ諸国、さらにオスマン帝国以来のトルコの伝統音楽は、“シャルキー”とか“オリエンタル音楽”と呼ばれます。一方、西のモロッコ、アルジェリア・チュニジア・リビアなど、北アフリカのいわゆるマグレブ諸国では、アラブがイベリア半島(アンダルシア)を支配していた9~12世紀頃にそこで発展し、13世紀以降は再び北アフリカに持ち帰られた音楽遺産であるアラボ=アンダルース音楽が伝統になっています。
チュニジアでは、アンダルシア起源の伝統音楽を自国の文化遺産とみなし、“マルーフ”と呼んでいますが、19世紀以降はエジプトやトルコ音楽の影響も入ってきているようです。
料理については、後ほど別項目にて。