さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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与板城址 '2008.5.25.)

2008年06月01日 | 登山
与板城は、直江兼続によって作られ、この二城で守りを固めたと言われます。本与板城は陰城、与板城は陽城とも呼ばれるといいます。

登り口にあたる八坂神社の前からうま道森林公園方面に進むと、駐車場が設けられていました。この脇が、「直江兼続公館跡地」とのことです。



八坂神社から登り始めます。



石段を登ると、神社の社殿があります。山頂方面には右奥に進みます。



このコースは、コンクリート敷きの遊歩道になっており、傘をさした観光客ともすれ違いました。



途中で、「おせん清水」の入口が右手に現れます。

直江信綱は子供がいなかったため、信綱を養子としましたが、御館の乱の際に、刃傷沙汰の巻き添えで死亡してしまいます。未亡人のお船の方を兼続にめとらせて、直江家を存続させることになりました。

兼続は、文武両道の武人というイメージがありますが、家付き女房に頭の上がらない恐妻家であったかもしれませんね。どのようにドラマ化されるかは判りませんが。

このおせん清水で、お茶をたてたということです。



曲輪跡を抜けていくと、赤い鳥居が表れ、その先が山頂になります。



山頂広場に出ると、「城の一本杉」と呼ばれる杉の大木が現れます、樹齢約400年の古木で、慶長三年、直江兼続が会津移封のおり記念として贈った五本の杉のうちの一本とのことです。



赤い鳥居の向こうにあるのは、城山稲荷社。直江家とお稲荷さまとの関係は不明です。



お堂の後ろには、狐の像が置かれていました。



与板城址の石碑も置かれています。



「城山の碑…望む所の事は 信の一字なり」と書かれており、兼続の直筆書をうつしたようです。



奥にも城跡の遺構が残っているようなので、先に進んでみました。深い空堀が掘られており、アップダウンのある道が続きました。

千人溜まで進むと、のろし台という標識が現れましたので、さらに進みました。



ひと登りすると林道に飛び出し、右に進んでいくと、のろし台の登り口に出ました。ひと登りで小ピークの上に出て、そこには石の祠が置かれていました。木立に囲まれて展望は閉ざされていました。ここで、引き返すことにしました。



本丸跡からは、北に向かう道を下りました。赤い鳥居を潜ると、車道に飛び出しました。大手口と呼ばれるようなので、こちらが本来のメインの道であったのでしょうかね。
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