さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ポズナン

2016年12月12日 | 海外旅行
トルンから南西に移動してポズナンにやってきました。ポズナンは、ポーランド初代君主ミェシコ1世がポーランド王国を起こした地で、中世ポーランド王国の最初の首都になりました。250キロ西にはドイツのベルリンが位置するといった交通の要所にあり、ドイツ騎士団のハンザ同盟加盟都市として繁栄しました。



バスを降りて、旧市場広場に向かいました。



旧市場広場の中心に立つのは、旧市庁舎です。広場の見学は後回しにして、まずは昼食をとりました。



広場脇のレストランに入りましたが、その前には水汲みの女性像が飾られた噴水が置かれていました。この街では、至る所に彫刻が飾られた噴水が置かれていました。



お腹を満たしたところで、見学の開始。土曜日でしたが、旧市庁舎では婚姻届けの受付を行っていました。



広場の中央にある旧市庁舎は、13世紀にゴシック様式で建てられましたが、第二次大戦で焼失し、現在の姿は16世紀のイタリア・ルネッサンス様式で再建されたものです。内部は、ポズナン市歴史博物館になっています。



旧市場広場の周りには、色とりどりの華麗な建物が並んでいます。



ギリシャ・ローマ神話に基づく彫刻のようです。



建物を眺めながら広場を一周していきます。







旧市庁舎の並びの建物は、ヴィエルコポルスカ蜂起博物館になっています。

ヴィエルコポルスカ蜂起は、第一次世界大戦終結後の1918年12月27日から1919年2月16日まで続いた、当時プロイセン領であったポズナンを中心とするヴィエルコポルスカ地域を、再びポーランドに取り戻そうとした蜂起です。ポーランドの歴史の中でも、唯一勝利した蜂起として有名で、ポーランド人の誇りになっています。





ボセイドンの噴水。



彫刻のある風景は、イタリアの街といった感じもします。



頭上に5つの星が輝いていることから聖ヤン・ネポムツキーでしょう。聖ヤン・ネポムツキーは、ボヘミアの守護聖人とされており、チェコ・プラハのカレル橋の植上の像で有名ですね。





旧市庁舎を回り込んでいくと、新しい彫刻が出現。



竪琴を持っているので、アポロンでしょうか。



ここで一旦広場から離れて、ファラ教会 (聖マグダラのマリアと聖スタニスラウス教区教会)に向かいました。17世紀から18世紀にかけて造られたバロック様式の教会です。



外壁にも豪華な彫刻が飾られていました。



内部は、高い天井に何本もの柱が並ぶ豪華絢爛な造りになっていました。



主祭壇。



司祭が儀式を行っていました。



天井に見えるドームは、平坦な屋根にドーム状の絵を描いたもののようです。



外に出て、ファラ教会の塔を眺めたもの。



ファラ教会の並びに、現在はポズナン市役所になっているラジヴィウ宮殿があります。



建物には、ショパンとナポレオンの記念プレートが掲げられていました。

ショパンは1828年にベルリンからワルシャワに戻る途中、当時のポズナン大公国の総督であったアントニ・ラジヴィウ公爵に招待され、このラジヴィウ宮殿のサロンで演奏を披露しました。


また、ナポレオンが、1806年、1807年、1812年にここを訪れたようです。

ポーランド分割後、ポーランド・リトアニア共和国は独立を喪失して国家としての実体を失っていました。しかし、ナポレオン戦争中の1807年にティルジット講和条約によってワルシャワ公国が建国されました。しかし、ナポレオンが1812年にロシア遠征に失敗した後、ウィーン会議の決議によって公国はプロイセンとロシアに分割されてしまいました。
年代を見ると、ワルシャワ公国の建国時とロシア遠征時に訪れたようです。



ラジヴィウ宮殿の前の公園に、二頭のヤギの像が置かれていました。



1551年に市庁舎に大時計が取り付けられたとき、料理して出されるはずであった二匹の子ヤギが、市庁舎のからくり人形のある場所まで逃げて喧嘩を始め、皆を楽しませたことに由来するといわれます。



旧市場広場に戻ってきました。



ポズナンを代表するカラフルな家並みです。



また彫刻が置かれていました。



「エウロペの略奪」あるいは「ペルセポネーの略奪」でしょうか。



正午に、大時計の上にある窓から子ヤギのからくりが現れるようです。



一旦バスに載って移動し、ポズナン大聖堂を訪れました。



ポズナン大聖堂は、10世紀にポーランドがキリスト教を受け入れた直後に建てられ、ポーランド最古の教会になっています。現在の建物は、第二次大戦後に14~15世紀のゴシック様式で修復されたものです。ポズナンは、ポーランド王国最初の首都になっているため、初期君主の埋葬地になっています。とりわけ有名なのは、初代君主のミェシコ1世とその息子のボレスワフ1世です。

残念ながら、内部には入らず、外観のみの見学でした。



10ズウォティ札には、ミェシコ1世の肖像が描かれています。



20ズウォティ札には、ボレスワフ1世の肖像。



ポズナンを離れようとすると、建物の壁にヤギの絵が描かれていました。

ポズナンは、地球の歩き方でも、3ページほどしか書かれておらず、トルンからヴロツワフへの移動途中の昼食とトイレ休憩を兼ねての見学地程度に思っていたのですが、街の美しさ、撮影スポットとしては、トップクラスのものでした。
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