カルタゴ観光の最後にアントニヌスの共同浴場を訪れました。
アントニヌスの共同浴場は、2世紀にローマの五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウスによって造られました。
当時、建物は2階建てで、ドームがせり上がって天井の高さは30mはあったようです。
更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど、100を超える部屋が設けられ、フレスコ画や彫刻、モザイクで飾られた贅沢な造りであったといいます。
現在は、石材が持ち去られて、柱や建物の土台部が残されているだけですが、往時の巨大な施設を想像することができます。
広大な遺跡ですが、これ全部が浴場跡です。
一階部に下って、遺跡の中を歩いていきました。
円形の建物だったようです。
太い柱が印象的です。、
導水路も残されていました。
アントニヌス・ピウスの名前が刻まれた大理石も残されていました。
砲弾のような丸石が置かれていますが、これは後世のものでしょう。
青い空と海をバックにして立つ柱が美しい眺めを作っていました。
出口付近から遺跡を振り返りました。
なお、背後の丘の上にある旗は大統領官邸のもので、ひと昔前までは、この方向の写真撮影は禁止になっていたようです。ジャスミン革命後の現在は、撮影禁止措置は無くなっていました。
アントニヌスの共同浴場は、2世紀にローマの五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウスによって造られました。
当時、建物は2階建てで、ドームがせり上がって天井の高さは30mはあったようです。
更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど、100を超える部屋が設けられ、フレスコ画や彫刻、モザイクで飾られた贅沢な造りであったといいます。
現在は、石材が持ち去られて、柱や建物の土台部が残されているだけですが、往時の巨大な施設を想像することができます。
広大な遺跡ですが、これ全部が浴場跡です。
一階部に下って、遺跡の中を歩いていきました。
円形の建物だったようです。
太い柱が印象的です。、
導水路も残されていました。
アントニヌス・ピウスの名前が刻まれた大理石も残されていました。
砲弾のような丸石が置かれていますが、これは後世のものでしょう。
青い空と海をバックにして立つ柱が美しい眺めを作っていました。
出口付近から遺跡を振り返りました。
なお、背後の丘の上にある旗は大統領官邸のもので、ひと昔前までは、この方向の写真撮影は禁止になっていたようです。ジャスミン革命後の現在は、撮影禁止措置は無くなっていました。