さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

さすらいの風景 グラナダ その1

2013年08月22日 | 海外旅行
セビーリャからバスで移動し、グラナダには夕方に到着しました。ツアーの一行は近くのスーパーマーケットに買い物に出かけるとのことでしたが、カテドラルと王室礼拝堂を見学に出かけることにしました。

タクシーで下ろしてもらった所から、まず王室礼拝堂に入ろうと思いましたが、入り口を見落としてカテドラルの前に出てしまいました。

カテドラルは、グラナダ陥落後の1518年から、モスク跡に建築が始められました。当初はゴシック様式で工事が進められましたが、1528年以降は、イタリア・ルネッサンス様式、ゴシック様式、アラブ的なムデハル様式が合わさったプラテレスコ様式で建築されました。



工事は1704年まで続けられましたが、塔の部分は未完成で、正面から見て左のものしかありません。



壁面にはレリーフが飾られていました。これは受胎告知の場面でしょうか。



内部に入ると、高い天井を太い柱が支える巨大な空間が広がっていました。夕暮れ時のためか、内部には数人しかおらず、静けさが広がっていました。



黄金色に輝く巨大な主祭壇が設けられていました。



主祭壇上部のドームにはステンドグラスが飾られていました。



カテドラルの見学を終えて、入り口近くに戻って、王室礼拝堂を見学しました。



閉じられていましたが、ここが正式な入り口のようです。

グラナダを陥落させてレコンキスタを完了させたイザベル女王は、この地に墓所を定め、1504年に墓所の建築に着手しました。イザベル女王、さらにフェルナンド2世も完成を見ずに7亡くなりますが、1521年の落成とともに両王の棺が安置されました。

カテドラルの一部のように見えますが、王室礼拝堂の方が古い建物です。



扉上部の飾り。



王室礼拝堂内部は撮影禁止のため、購入したパンフレットからの写真を載せます。

王室礼拝堂には聖遺物や絵画も置かれていますが、特に見たかったのは、カトリック両王の墓でした。

向かって右はイザベル女王とフェルナンド2世の墓で、左は娘のフアナ女王とフィリップ美公の墓です。



イザベル女王とフェルナンド2世の墓。

イザベルは、父親であるカスティーリャ=レオン王国の王フアン2世が亡くなって異母兄エンリケ4世が即位すると、母と弟と共に地方に追放されてしまいます。兄王に女児フアナが生まれると、密通による子で父親が誰かという疑惑が生じ、王位継承問題に発展します。カスティーリャ貴族の一部はエンリケ4世を見限り、異母弟妹であるイサベルとアルフォンソを次の国王に据えようとして内乱が生じます。アルフォンソの病死によって内乱は収束し、イサベル自身もポルトガルに嫁がされようとしますが、結婚相手としてふさわしいのは地中海に領海権を持つアラゴン=カタルーニャ王国の王子フェルナンドであると考えて、ひそかに結婚してしまいます。エンリケ4世が亡くなると、イサベルは夫フェルナンドと共同で王位に就きました。フェルナンドは父フアン2世の死去に伴いアラゴン王位を継承し、ここにカスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生しました。1492年1月、南部に残っていた最後のイスラム国家グラナダ王国を制圧し、約800年にわたったレコンキスタを完成させました。この功績によって、ローマ教皇から「カトリック両王」の称号を授けられました。



フアナ女王とフィリップ美公の墓。

フアナは、イザベル女王とフェルナンド2世の娘で、ハプスブルク家のマクシミリアン1世の長男であるブルゴーニュ公フィリップ(美公)と結婚しました。フアナは、相次いで兄弟が亡くなったために王位継承者に指名され、イザベル女王が亡くなるとカスティーリャ女王に即位しますが、その直後に、フィリップがブルゴスで突然死去してしまいます。衝撃を受けたフアナは完全に正気を失い、夫の埋葬を許さず、その棺を運び出して馬車に乗せ、数年間カスティーリャ国内をさまよい続けました。フアナは父王によって幽閉されます。父フェルナンド2世も死去し、長男カールがスペイン王カルロス1世として政務を代行することになりますが、死ぬまで退位を拒んで、40年以上の幽閉生活の末に亡くなりました。「狂女王フアナ」として、スペインの歴史上でも印象深い人物になっています。



墓石の背後に回ると、地下室をのぞきこめるよう階段が設けてあります。中央にイザベル女王とフェルナンド2世の棺が置かれ、その両脇にフアナ女王とフィリップ美公の棺が並べられています。

スペインの歴史に興味を持つものなら、このグラナダの王室礼拝堂は必見スポットなのですが、ツアーではアルハンブラを半日観光して午後はミハスへ移動してしまうことは残念なことです。



王室礼拝堂を見学した後、カテドラル周辺を少し歩きました。広場の周囲にはバルが並んでいました。



スパイスの店もありました。



カテドラルの脇に、アルカイセリアと呼ばれる一帯があります。



ここは、アラブ時代は市場であった場所で、現在では細い小路に沿って土産物屋が並んでいます。



中には、イスタンブールのバザールで見かけたようなランタンを売る店もありました。

夕食のため、見学はここまでとして、タクシーでホテルに戻りました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さすらいの風景 セビーリャ... | トップ | さすらいの風景 グラナダ ... »
最新の画像もっと見る

海外旅行」カテゴリの最新記事