北陵の神道を進んでいくと、隆恩門に出ます。隆恩門の上には「五鳳楼」と呼ばれる三層の楼閣が載っています。
隆恩門には、左から漢字、満洲文字、蒙古文字で名前が記されています。
隆恩門をくぐった先は方城と呼ばれ、城壁で囲まれた広場になっています。正面には、隆恩殿があります。
隆恩殿は1643年に創建されました。ここには、太宗ヌルハチと皇太極ホンタイジ、孝端文皇后が祀られており、祭祀を執り行う際の主要な建物になっています。
隆恩殿の前の左右には建物が設けられ、これは西配楼
右に見える石灯篭のようなものは、白色大理石でできており、「焚帛亭」と呼ばれます。この中には丸い火壺が置かれ、大祭の時に儀式に用いられた絹布や紙が燃やされたといいます。
こちらは、東配楼。
隆恩殿は、石段の上に設けられています。
正面には龍のレリーフが置かれています。
石段上の龍の飾り。
隆恩殿の入り口には、拝礼のための場所としてヒスイの石が埋め込まれています。
隆恩殿の中には、燭台や花卉が置かれた奥に王座が置かれています。
隆恩殿から隆恩門を振り返ったところ。
隆恩殿の石段の龍頭飾り
隆恩殿の背後に進むと、二柱門に出ます。
二柱門の前には、石歳台と呼ばれる祭壇があり、上には香炉や香瓶、燭台が一対ずつ置かれています。この祭台では、祭祀の祭に大きな鳴き声で悲しみを表して、酒を捧げました。
大明楼の下を通ると、三日月型をした空間の「月牙城」に出ます。
正面には、彩色タイルで作られた絵が置かれています。薔薇が描かれており、この絵のどこかを押すと、皇太極ホンタイジと孝端文皇后が眠っている「地宮」への扉が開くと言い伝えられているといいます。
コンピューターゲームの先取りといっても良い伝説ですね。試しに壁を蹴ってみようかと思いましたが、怒られそうなのでやめました。
月牙城から城壁の上に進みました。
城壁の上は回廊になっており、方城を一周できます。
奥に見える土盛りが宝頂で、楡の木が一本植えられています。その地下が埋葬場所の地宮になります。
回廊から見た大明楼。
城壁に上がると、屋根飾りの走獣も近くに見ることができます。
一般的には、先頭は鳥に乗った仙人のはずですが、これは違っています。
回廊を回りながら方城の内部を眺めました。隆恩殿、大明楼と並ぶ後ろに宝頂が見えています。
隆恩門の上から隆恩殿を眺めたところ。
また、隆恩門の上から大碑楼を眺めたところ。
これで、北陵の見学も終わり、再びカートを利用してバスに戻りました。
清朝は、満洲で起こり、この地で歴史を終えたということに改めて思いを馳せました。
隆恩門には、左から漢字、満洲文字、蒙古文字で名前が記されています。
隆恩門をくぐった先は方城と呼ばれ、城壁で囲まれた広場になっています。正面には、隆恩殿があります。
隆恩殿は1643年に創建されました。ここには、太宗ヌルハチと皇太極ホンタイジ、孝端文皇后が祀られており、祭祀を執り行う際の主要な建物になっています。
隆恩殿の前の左右には建物が設けられ、これは西配楼
右に見える石灯篭のようなものは、白色大理石でできており、「焚帛亭」と呼ばれます。この中には丸い火壺が置かれ、大祭の時に儀式に用いられた絹布や紙が燃やされたといいます。
こちらは、東配楼。
隆恩殿は、石段の上に設けられています。
正面には龍のレリーフが置かれています。
石段上の龍の飾り。
隆恩殿の入り口には、拝礼のための場所としてヒスイの石が埋め込まれています。
隆恩殿の中には、燭台や花卉が置かれた奥に王座が置かれています。
隆恩殿から隆恩門を振り返ったところ。
隆恩殿の石段の龍頭飾り
隆恩殿の背後に進むと、二柱門に出ます。
二柱門の前には、石歳台と呼ばれる祭壇があり、上には香炉や香瓶、燭台が一対ずつ置かれています。この祭台では、祭祀の祭に大きな鳴き声で悲しみを表して、酒を捧げました。
大明楼の下を通ると、三日月型をした空間の「月牙城」に出ます。
正面には、彩色タイルで作られた絵が置かれています。薔薇が描かれており、この絵のどこかを押すと、皇太極ホンタイジと孝端文皇后が眠っている「地宮」への扉が開くと言い伝えられているといいます。
コンピューターゲームの先取りといっても良い伝説ですね。試しに壁を蹴ってみようかと思いましたが、怒られそうなのでやめました。
月牙城から城壁の上に進みました。
城壁の上は回廊になっており、方城を一周できます。
奥に見える土盛りが宝頂で、楡の木が一本植えられています。その地下が埋葬場所の地宮になります。
回廊から見た大明楼。
城壁に上がると、屋根飾りの走獣も近くに見ることができます。
一般的には、先頭は鳥に乗った仙人のはずですが、これは違っています。
回廊を回りながら方城の内部を眺めました。隆恩殿、大明楼と並ぶ後ろに宝頂が見えています。
隆恩門の上から隆恩殿を眺めたところ。
また、隆恩門の上から大碑楼を眺めたところ。
これで、北陵の見学も終わり、再びカートを利用してバスに戻りました。
清朝は、満洲で起こり、この地で歴史を終えたということに改めて思いを馳せました。