
1984年2月8日、アンカレッジ経由の北回りでヨーロッパに向かっていました。
この当時、シベリア上空は通過できなかったため、16時間ほどの長時間のフライトが必要でした。
アラスカ上空で、マッキンリーが見えているというアナウンスがありました。そこで撮ったのがこの写真です。
マッキンリーは、6194 mの標高を持つ北米の最高峰です。先住民デナッイア族の言語に基づいて「デナリ」(偉大なもの)という呼び方もされるようになっています。
このマッキンリーの写真は、撮影日時と合わさって、忘れられないものになりました。
冒険家の植村直己氏は、世界初の五大陸最高峰登頂者となり、犬ぞりを操っての人類史上初の北極点単独行、グリーンランド縦断にも成功し、世界的な名声を得ます。
43歳の誕生日であった1984年2月12日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たしますが、翌日の無線連絡を最後に消息を絶ちます。その後の捜索にもかかわらず、遺体は現在まで発見されていません。
遭難のニュースを後に知って、上空から眺めた快晴のマッキンリーでは、植村直己氏は山頂めざして活動中であったと気が付きました。
この快晴が続いていたならば、無事に生還できたのでしょうがね。
この当時、シベリア上空は通過できなかったため、16時間ほどの長時間のフライトが必要でした。
アラスカ上空で、マッキンリーが見えているというアナウンスがありました。そこで撮ったのがこの写真です。
マッキンリーは、6194 mの標高を持つ北米の最高峰です。先住民デナッイア族の言語に基づいて「デナリ」(偉大なもの)という呼び方もされるようになっています。
このマッキンリーの写真は、撮影日時と合わさって、忘れられないものになりました。
冒険家の植村直己氏は、世界初の五大陸最高峰登頂者となり、犬ぞりを操っての人類史上初の北極点単独行、グリーンランド縦断にも成功し、世界的な名声を得ます。
43歳の誕生日であった1984年2月12日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たしますが、翌日の無線連絡を最後に消息を絶ちます。その後の捜索にもかかわらず、遺体は現在まで発見されていません。
遭難のニュースを後に知って、上空から眺めた快晴のマッキンリーでは、植村直己氏は山頂めざして活動中であったと気が付きました。
この快晴が続いていたならば、無事に生還できたのでしょうがね。