
旅行三日目は、バンコクの市内観光で、まずはワット・アルンに向かいました。ワット・アルンは、三島由紀夫の小説「暁の寺」の舞台になっていることでも知られています。
アユタヤ王朝時には、ワット・マコークというごく普通のお寺でした。ラオス軍の進攻によってアユタヤ王朝がほろんだ後に、タクシン将軍がトンブリー王朝を開いた際に、ここを王室寺院とし、名前も「ワット・チェーン(夜明けの寺)」と改めました。現王室のチャクリー王朝のラーマ4世時代なってワット・アルン(暁の寺)と呼ばれるようになりました。
バンコクの街は、チャオプラヤー川の東岸に広がっているのに対し、ワット・アルンは西岸にあるので、渡し船を使うことになります。

乗船は5分ほどで、川岸にある巨大な仏塔が近づいてきます。

渡し船の乗り場には、魚の餌が売られており、ナマズに似た魚が、群れていました。

渡し船乗り場を下りてすぐの所には、本堂の入り口があり、その入り口を守るヤックと呼ばれる鬼神の像が立っています。

ヤックは、インド神話の夜叉に由来する神で、日本の金剛力士像に相当します。

タイの寺院や王宮、空港で、このヤックに出会うことになります。

仏塔は、、ヒンドゥー教のシヴァ神が住む聖地カイラーサ山をかたどったものと言われています。中央の大仏頭の周りを4基の小塔が囲んでいます。

川岸にラーマ2世の銅像が置かれており、その脇が、ワット・アルンの記念写真ポイントになっています。

ワット・アルンの仏塔は、陶器がはめ込まれており、日光と月光に輝くように造られています。

ワット・アルンの入り口です。

大仏塔は、高さ75mで、見上げる高さです。

入り口には、金色に輝く布袋象が置かれています。

この布袋さまは、未来仏である弥勒菩薩と同じものなのですが、日本でお馴染みの弥勒菩薩象とは、あまりにも姿が違いすぎます。

こちらは、お釈迦様でしょう。

塔の表面を見ると、猿や悪鬼などの小像や、陶器の破片を使った模様がびっしりと飾られれています。

大仏塔の三分の二ほどの高さまで、急な階段で上がることができます。

細かい模様に目が引き付けられます。

基壇の登り口には、中国風の像が置かれていました。


壁の飾りに中国風の絵が描かれている所もありました。
自由時間は限られているため、さっそく仏塔を登ることにしました。
アユタヤ王朝時には、ワット・マコークというごく普通のお寺でした。ラオス軍の進攻によってアユタヤ王朝がほろんだ後に、タクシン将軍がトンブリー王朝を開いた際に、ここを王室寺院とし、名前も「ワット・チェーン(夜明けの寺)」と改めました。現王室のチャクリー王朝のラーマ4世時代なってワット・アルン(暁の寺)と呼ばれるようになりました。
バンコクの街は、チャオプラヤー川の東岸に広がっているのに対し、ワット・アルンは西岸にあるので、渡し船を使うことになります。

乗船は5分ほどで、川岸にある巨大な仏塔が近づいてきます。

渡し船の乗り場には、魚の餌が売られており、ナマズに似た魚が、群れていました。

渡し船乗り場を下りてすぐの所には、本堂の入り口があり、その入り口を守るヤックと呼ばれる鬼神の像が立っています。

ヤックは、インド神話の夜叉に由来する神で、日本の金剛力士像に相当します。

タイの寺院や王宮、空港で、このヤックに出会うことになります。

仏塔は、、ヒンドゥー教のシヴァ神が住む聖地カイラーサ山をかたどったものと言われています。中央の大仏頭の周りを4基の小塔が囲んでいます。

川岸にラーマ2世の銅像が置かれており、その脇が、ワット・アルンの記念写真ポイントになっています。

ワット・アルンの仏塔は、陶器がはめ込まれており、日光と月光に輝くように造られています。

ワット・アルンの入り口です。

大仏塔は、高さ75mで、見上げる高さです。

入り口には、金色に輝く布袋象が置かれています。

この布袋さまは、未来仏である弥勒菩薩と同じものなのですが、日本でお馴染みの弥勒菩薩象とは、あまりにも姿が違いすぎます。

こちらは、お釈迦様でしょう。

塔の表面を見ると、猿や悪鬼などの小像や、陶器の破片を使った模様がびっしりと飾られれています。

大仏塔の三分の二ほどの高さまで、急な階段で上がることができます。

細かい模様に目が引き付けられます。

基壇の登り口には、中国風の像が置かれていました。


壁の飾りに中国風の絵が描かれている所もありました。
自由時間は限られているため、さっそく仏塔を登ることにしました。