さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ブハラ その3

2013年06月03日 | 海外旅行
アルク城の下に広がるレギスタン広場に立つと、青いドームやミナレットが見えてきました。



旧市街の中心地に向かって歩いてきます。



通りに面して、屋根つきの通路が設けてあります。雪国新潟の街では、雪が積もっても店の前の屋根付き通路を自由に歩けるようにするため、雁木造りと呼ばれる建築形式が発達しましたが、ここは日除けが目的でしょうか。



青いドームは、文字の模様で飾られています。



通りを進むと、ミル・アラブ・メドレセ(左)とカラーン・モスク(右)が向かいあう広場に出ました。中央にあるのは、ブハラのシンボルともいえるカラーン・ミナレットです。



ミル・アラブ・メドレセは、1536年にウバイドゥッラー・ハンによって建てられた神学校です。ハンは、3000人以上のペルシャ人奴隷を売って資金を得たといいます。



ミル・アラブ・メドレセは、巨大なアーチの両脇に二つの青いドームを並べています。末期ティムール様式を代表するものです。

内部は、一般には開放されていません。



カラーン・ミナレットの「カラーン」は、タジク語で大きいという意味です。高さは約46mで、基部の直径は9m、土台部分が地下に10m潜っています。

1127年に建てられ、街を破壊した大地震にも耐え、チンギス・ハーンにも破壊されなかったことから多くの伝説が残されています。

18、19世紀には死刑場となり、死刑囚を袋に詰めて塔の上から投げおろしたことから、「死の塔」とも呼ばれました。

建物の美しさに反して、それを建築させたハンは、残虐な暴君だったようですね。



塔は、レンガの積み方を変えて造った模様で飾られています。



灯火用窓の下の一層だけに青タイルが模様が施されています。

残念ながら、修復のために登ることはできません。



カラーン・モスクは、シャイバニ朝時代の1514年に造られました。



入り口のアーチは、タイルで美しく飾られています。



タイル装飾を鑑賞することにしましょう。





門をくぐると、広大な中庭が設けられていました。



中庭の周囲の回廊には208本の柱が並び、288の丸屋根で覆われています。



回廊もタイル装飾が施されています。



正面のモスク内部への入り口の前には八角形の東屋が設けてあります。



この八角形の東屋は、ミンバルと同じく説教台の役割を果たしたといいます。



ドームの上には、イスラム教のシンボルの月の形の飾りが置かれています。



入り口を振り返ると、ミル・アラブ・メドレセの二つの青いドームやカラーン・ミナレットが、このモスクの付属施設のように見えています。



モスク内部のミフラーブ。



回廊の内部は、柱が立ち並んでいました。このモスクは、1万人が収容できますが、ソ連時代には、倉庫として使われました。そっけない白い壁は、その名残りかもしれません。
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