
旧市街広場をひと通り見て、王の道の一部であるツェレトゥナー通りを東に向かいました。レストランやお土産店が並んでいます。

通りが分かれる角に黒い聖母の家がありました。プラハには、様々な建築様式の建物がありますが、これはキュビズムを代表する建築とのことです。内部は、チェコ・キュビズム博物館になっており、キュビズムの絵画、彫刻、家具が展示されているようです。

黒い聖母の名前の由来は、建物の角に取り付けられた、この聖母像によるものです。

この角から奥に入っていくと、スタヴォススケー劇場(エステート劇場)があります。建物は、1783年に完成しました。
モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」は、ここで初演されました。また、映画「アマデウス」におけるオペラシーンは、この劇場で撮影されています。
この縁によるものか、ドン・ジョヴァンニ」は、プラハ名物みまっているマイオネット劇場の主要な演目になっています。

その脇の小路の奥には、カレル大学本部のカロリヌムがあります。カレル大学は、1348年創立の中欧最古の大学です。

当時の姿はほとんど残っていませんが、このゴシック様式の出窓は、聖ヴィート大聖堂やカレル橋と同じ設計者によるものです。

ツェレトゥナー通りに戻ってさらに進むと、火薬塔(火薬門)が見えてきます。

門をくぐって振り返ったところ。
火薬塔(火薬門)は、1475年に造られ、城壁の一部でしたが、17世紀に火薬庫として使われたために、この名前が付けられました。

火薬塔の脇に、市民会館があります。文化的催し物ができるホールとして、1911年に完成しました。1918年のチェコスロヴァキア共和国の独立宣言は、ここで行われました。
ここのスメタナ・ホールは、「プラハの春音楽祭」の会場として知られています。

美しい外観を持っています。
市民会館正面を飾るのは、カレル・シュビラル作「プラハへの敬意」のモザイク画です。

2時からのガイドツアーに参加しました。説明は英語で行われるため、それでは判らないだろうということで、日本語の説明パンフレットを渡されました。終了後には返却するため、いそいでカメラで撮影しました。8枚分の説明書でしたが、帰国後に記録をまとめるのに役に立ちました。
市民会館内部の写真撮影は別料金でしたので、それならばと撮影しまくりましたので、少し詳しく記録をまとめることにします。

玄関ホールから階段を上り、中二階はクロークで、大ホールは二階にあります。

スメタナ・ホールと呼ばれる大ホールです。
予想外なことに、夜の宴会の準備を行っていました。ここが、市民会館であることを思い出させてくれました。
ここは、プラハ交響楽団の本拠地で、「プラハの春音楽祭」のオープニングでは、スメタナの「我が祖国」が演奏されるのが恒例になっています。
ここでの「我が祖国」は、さまざまな指揮者でのもとでの演奏をビデオで見ることができましたが、中でも、1990年のクーベリックの亡命先からの帰国コンサートで行われた「我が祖国」の演奏には、心打たれる名演として忘れることができません。

また、日本の音楽ファンには、「のだめカンタービレ」の舞台としてお馴染みでしょう。
千秋のプラティニ指揮者コンクールの本選、そしてヨーロッパ・デビューとなった場所。また、映画の最終楽章での、シュトレーゼマンとのだめのショパン・ピアノ協奏曲の演奏会もここで撮影されています。
実は、「のだめカンタービレ」のファンでありまして、コミック、テレビドラマ、映画、アニメはすべて見ております。

天井は、色ガラスを用いた天蓋が設けられて、ホールを明るくしています。

舞台の左右には石膏像が置かれ、右はスメタナにちなんだ「ヴィシェフラド(高い城)」です。スメタナ作曲の「我が祖国」の第一曲目ですね。

左は、ドヴォルザークにちなんだ「スラヴ舞曲」の像

最前列部のバルコニーは、右側がプラハ市長、左側がチェコ大統領のための専用ボックス席です。

舞台中央には、世界最大級のパイプオルガンが置かれています。

パイプオルガンの中央には、スメタナのブロンズレリーフ像が飾られています。

ホール後方をみたところ。

ホールの壁は、市民会館正面のモザイク画を描いたカレル・シュビラルの壁画で飾られています。

通りが分かれる角に黒い聖母の家がありました。プラハには、様々な建築様式の建物がありますが、これはキュビズムを代表する建築とのことです。内部は、チェコ・キュビズム博物館になっており、キュビズムの絵画、彫刻、家具が展示されているようです。

黒い聖母の名前の由来は、建物の角に取り付けられた、この聖母像によるものです。

この角から奥に入っていくと、スタヴォススケー劇場(エステート劇場)があります。建物は、1783年に完成しました。
モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」は、ここで初演されました。また、映画「アマデウス」におけるオペラシーンは、この劇場で撮影されています。
この縁によるものか、ドン・ジョヴァンニ」は、プラハ名物みまっているマイオネット劇場の主要な演目になっています。

その脇の小路の奥には、カレル大学本部のカロリヌムがあります。カレル大学は、1348年創立の中欧最古の大学です。

当時の姿はほとんど残っていませんが、このゴシック様式の出窓は、聖ヴィート大聖堂やカレル橋と同じ設計者によるものです。

ツェレトゥナー通りに戻ってさらに進むと、火薬塔(火薬門)が見えてきます。

門をくぐって振り返ったところ。
火薬塔(火薬門)は、1475年に造られ、城壁の一部でしたが、17世紀に火薬庫として使われたために、この名前が付けられました。

火薬塔の脇に、市民会館があります。文化的催し物ができるホールとして、1911年に完成しました。1918年のチェコスロヴァキア共和国の独立宣言は、ここで行われました。
ここのスメタナ・ホールは、「プラハの春音楽祭」の会場として知られています。

美しい外観を持っています。
市民会館正面を飾るのは、カレル・シュビラル作「プラハへの敬意」のモザイク画です。

2時からのガイドツアーに参加しました。説明は英語で行われるため、それでは判らないだろうということで、日本語の説明パンフレットを渡されました。終了後には返却するため、いそいでカメラで撮影しました。8枚分の説明書でしたが、帰国後に記録をまとめるのに役に立ちました。
市民会館内部の写真撮影は別料金でしたので、それならばと撮影しまくりましたので、少し詳しく記録をまとめることにします。

玄関ホールから階段を上り、中二階はクロークで、大ホールは二階にあります。

スメタナ・ホールと呼ばれる大ホールです。
予想外なことに、夜の宴会の準備を行っていました。ここが、市民会館であることを思い出させてくれました。
ここは、プラハ交響楽団の本拠地で、「プラハの春音楽祭」のオープニングでは、スメタナの「我が祖国」が演奏されるのが恒例になっています。
ここでの「我が祖国」は、さまざまな指揮者でのもとでの演奏をビデオで見ることができましたが、中でも、1990年のクーベリックの亡命先からの帰国コンサートで行われた「我が祖国」の演奏には、心打たれる名演として忘れることができません。

また、日本の音楽ファンには、「のだめカンタービレ」の舞台としてお馴染みでしょう。
千秋のプラティニ指揮者コンクールの本選、そしてヨーロッパ・デビューとなった場所。また、映画の最終楽章での、シュトレーゼマンとのだめのショパン・ピアノ協奏曲の演奏会もここで撮影されています。
実は、「のだめカンタービレ」のファンでありまして、コミック、テレビドラマ、映画、アニメはすべて見ております。

天井は、色ガラスを用いた天蓋が設けられて、ホールを明るくしています。

舞台の左右には石膏像が置かれ、右はスメタナにちなんだ「ヴィシェフラド(高い城)」です。スメタナ作曲の「我が祖国」の第一曲目ですね。

左は、ドヴォルザークにちなんだ「スラヴ舞曲」の像

最前列部のバルコニーは、右側がプラハ市長、左側がチェコ大統領のための専用ボックス席です。

舞台中央には、世界最大級のパイプオルガンが置かれています。

パイプオルガンの中央には、スメタナのブロンズレリーフ像が飾られています。

ホール後方をみたところ。

ホールの壁は、市民会館正面のモザイク画を描いたカレル・シュビラルの壁画で飾られています。