さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 トビリシからハフパト村

2016年09月05日 | 海外旅行
トビリシを出発し、アルメニアの首都のエレバンに向かいました。



国境近くのマルネウリに到着。広場に面したスーパーで、トイレ休憩と買い物を行いました。ここで、手持ちのジョージア通貨のラリを使いきりました。



アルメニアとの国境が近づくと、これまで見なかった、洗剤やトイレットペーパーといった生活雑貨を売る露店が現れるようになりました。



小さな村のスーパーでも生活雑貨が店先に並んでいました。アルメニアからの買い出し客がいるようです。



マルネウリからは、30分ほどでサダハロ(Sadakhlo)のジョージア側の国境に到着しました。荷物を持って、徒歩で国境地帯を通過することになります。ジョージアの出入国は、ビザも不要なことから簡単に通過することができました。建物内にはトイレや免罪店もあり、設備が整っていました。

アゼルバイジャンからジョージアまで案内してくれた現地ガイドさんとは、ここでお別れになり、アルメニアでは別の現地ガイドさんになりました。レベツ川を渡ると、アゼルバイジャン側に入りますが、ビザの取得が必要になります。旅行会社の方で書類を作ってあるので、パスポートに書類を挟んでまとめて提出し、発行してもらうことになりました。その後入国手続きのため、列をつくって待つことになりました。人数がそう多いわけではなかったですが、時間はかかりました。ただ、割り込みや押し合いへしあいのようなことは無かったので、陸路での国境通過としては楽なものでした。



アルメニア側から振り返った国境ゲート。経済の差なのか、アゼルバイジャン側の方が、さびれた感じがしました。



アゼルバイジャン側の民家は、より鄙びた感じになりました。



エレバンに向かう幹線道路から分かれて、ハフパト村への道に進みました。



九十九折の道が続きました。

谷向こうの絶壁に開いた穴は、かつてモンゴルの侵略の際に、家族を隠した跡と説明を受けました。



崖の上には台地が広がり、集落もできていました。



ホテルで昼食になりました。トビリシからエレバンに向かうツアー客は、たいていこのホテルで昼食をとるようです。



ホテル前のテラスからは、展望が開けていました。

煙が上がっているのは、アラヴェルディ銅鉱山からの排気です。手前の丘の上にあるのは、9世紀のガヤン要塞。



アラヴェルディ銅鉱山からの排気が、パイプで山頂脇まで引かれて放出されています。ソ連時代に乱掘したため、周囲の環境汚染が進み、周囲の山に木が無くなっています。銅山による環境汚染というと、栃木県の足尾銅山を思い出してしまいます。



レストランでは、テラス席が設けてありました。



二人組が演奏を行ってくれました。



途中で、ハイという掛け声も入れる乗りの良い演奏が続きました。



この二人組は、レストランの名物演奏家のようで、他の旅行記録などでも登場しています。


演奏曲の中で、「百万本のバラ」を日本語で歌ってくれたのは、特に印象的で、チップをあげることになりました。



「百万本のバラ」は、加藤登紀子の歌によって知られているロシアの歌謡曲です。

貧しい絵書きが女優に恋をした。ある日、町中のバラを買って、窓から見える庭をバラで埋め尽くした。しかし、彼女はどこかのお金持ちがふざけているのだと思い、出会いはそれだけで終わった。

この絵描きは、この写真のグルジアの画家ニコ・ピロスマニであるとされています。



そしてニコ・ピロスマニが描いたのが、女優マルガリータ。この絵は、グルジアの首都トビリシの国立美術館に収められています。

この絵を見ると、ニコ・ピロスマニはアンリ・ルソーと同じく素朴派に分類されることが判ります。売れない画家であったことは想像できます。

ただ、「百万本のバラ」は、「マーラは与えた人生」というラトビア語の歌謡曲がもとになっています。

歌詞を引用しましょう。

子供のころ泣かされると
母に寄り添って
なぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って、もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして寂しさに駆られると
同じ事を一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が
笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

(マーラとはラトビア地方に伝わる聖母をいいます)

スウェーデン、ポーランド、ロシアに蹂躙されてきた小さな国ラトビアの悲しみをうたっています。ロシア版は、ロマンティックというよりもそんなアホなという気持ちが沸いてきてしまい、ほろ酔いかげんで口ずさむのが相応しく思えます。ラトビアの元歌は、祈りに似て心にしみ込んできます。ネット上で聞くことができますので、是非探してみてください。

「百万本のバラ」について、ラトビアやロシアやジョージアでもなく、アルメニアで触れることになってしまいました。ソ連というくくりなら同じ国ですがね。



ホテル脇の草むらでは、赤いポピーが咲いていました。



日本の花にあてはめればソナバといったところでしょうか。

昼食を終えた後は、ハフパト修道院を見学しました。
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