さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ロワール その1

2008年12月15日 | 海外旅行
フランス中部を流れるロワール川の流域には、16世紀に王侯貴族が築いたフランス・ルネサンス建築の城館や庭園が数多くあることから、「フランスの庭」と呼ばれています。

パリから日帰り観光バスのツアーを利用して訪れました。

まずは、シャンボール城。



16世紀初頭にフランソワ1世の命で建てられたものです。フレンチ・ルネサンス様式が特異な城で、ロワール渓谷最大の威容を誇ります。レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人として、このシャンボール城の設計にたずさわったといいます。



屋根の上に並ぶ数多くの塔に目を奪われます。これは、コンスタンティノープルの地平線に現れる屋波を現したものといいます。



シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もなく、宮殿としての建築物になっています。しかし、天井が高くて暖房の効果がない。近くに村落が無く、食べ物が手に入らないなどの理由で、フランソワ1世、ルイ14世、ルイ15世といった歴代の王も、放置状態に置いてしまっていました。

当時の家具は、内部には無いようですが、日帰り観光バスツアーとあって、外から眺めただけで、見学は終わりました。



続いてはブロワ城。

ブロワ城はルイ12世の居城として作られ、王国の政治的首都となりました。

ジャンヌ・ダルクが1429年、オルレアンからイギリスに軍を出発させる前に、ランスの大司教から祝福を受けた場所でもあります。

主な建築様式はゴシックですが、ルネサンス建築の要素も入っています。



このお城で有名な フランソワ1世の螺旋階段です。

フランソワ1世が王になると、クロード王妃はブロワ城を改修させてアンボワーズ城から移ろうとすします。フランソワ1世は城に新しい翼を建設し、図書室を造りますが、王妃が亡くなると、ブロワ城で過ごすことははほとんどなくなり、大量の蔵書はフォンテーヌブロー城に移されて国立図書館が作られます。

フランス宗教戦争の間、アンリ3世はこの城に滞在し、三部会を開きました。

また、ブルボン朝初代の王アンリ4世もこの城に滞在し、王の亡き後、未亡人マリー・ド・メディシスは一時期ブロワ城に幽閉されました。その後、オルレアン公ガストンによって増築もなされましたが、フランス革命にかけて城は放棄されて、取り壊し寸前にまでなりました。





雨樋の尖端は、ガーゴイルの頭になっています。



このお城は内部を見学しました。

これは、カトリーヌ・メディシスの小部屋にあったベッド。後に作られたもので、カトリーヌ・メディシスが実際に寝たというわけではないようです。

カトリーヌ・ド・メディシスが毒薬をしまったという隠し戸棚もあります。実際は、皆が知っている収納棚だったようですが。

アンリ3世によるギーズ公暗殺の舞台となった部屋もあります。



中庭を見下ろしたところです。

古い歴史を持ったお城です。歴史に詳しいガイドで、歴史について、しゃべるわしゃべるは。話についていくのが大変でした。
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