さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 北京 その15

2011年08月11日 | 海外旅行
北海の湖岸に沿って歩いていくと、仿膳飯荘があります。



清朝の崩壊後、元宮廷料理人たちが宮廷での調理方法通りに腕をふるうことを目的にして、1925年に北海公園の北岸で茶店を開いて名を仿膳とし、その後仿膳飯荘と改名して宮廷料理レストランとしての営業を現在まで続けています。



中庭を中心にして客室が並んでいます。



仿膳の上には、白塔が夕暮れ時の明るさに光っています。



満漢全席とは、清朝の乾隆帝の時代から始まった満州族の料理と漢族の料理のうち、選りすぐったメニューを取りそろえて宴席に出す宴会様式です。後に、広東料理など漢族の他の地方料理も加えるようになり、西太后の時代になるとさらに洗練されたものとなりました。盛大な宴の例では、途中で出し物を見たりしながら、数日間かけて100種類を越える料理を順に食べる場合もあったと言われています。

仿膳では、昼食や、夕食でも安めのコース料理で三名以下なら予約無しでも食べることができますが、やはりここでは予約して満漢全席の一部を経験するのが望ましいでしょう。



これは、仿膳にて三人で夕食をとった時の写真ですが、「琵琶大蝦」という伊勢海老の揚げ物や豚肉の炒め物が出ています。

中華料理を小人数で食べると、テーブルがさみしく見えます。

そこで、北京での学会の際に、知り合いに声をかけて八人を集めて宴会料理を予約しました。

食事が目的なら3000円程度のコースでも十分ですが、この時は少し張り込みました。といっても、横浜中華街でコース料理をたのんだのと同じほどの料金のものです。



満漢全席の宴会は、北海公園に到着した時から始まります。

仿膳飯荘のある瓊華島の入場は、5時までですが、入り口のゲートで予約があることを告げると通してくれ、宮廷衣装の女性がランタンを片手に出迎えに来てくれました。

仿膳飯荘に到着すると、中庭で歓迎の踊りが始まります。





ひと昔の中国は、共産主義的意識が強く、サービスなどというものは期待できない状態でしたが、この踊りによって宴会の期待が高まりました。



客室に入ると、テーブルの中央には、野菜による飾り物が置かれていました。

配られたメニューには、満漢全席の一夜を再現したものと書かれていました。



料理が並べられたところ。黄色い食器は、清代では皇帝だけに許されたものです。

ここの料理は、脂っこい中華料理というイメージからは離れた、素材位の味を引き出した洗練されたものです。

手前の緑の羊羹のような点心は、西太后が好んだという名物です。

満漢全席というのは、中国の各地から集められた珍味を食べるという面があります。そのため、鳥や豚、牛肉、海老、魚といった普通の食材の他に、食べるのに少し勇気のいる珍味に属するようなものも出てきます。仿膳では、三回食事しましたが、鹿のペニス、駱駝のコブ、象の鼻の料理も出てきました。料金が高いものになるほど珍味の傾向が強くなるようで、ここのコース料理は、中の上程度の料金のものまでにした方がよさそうです。



琵琶の演奏者が客室を回っており、演奏を頼みました。優雅な気分になります。



この「肉末焼餅」は、西太后ゆかりの点心で、義和団事件で西安に逃れた際に、好物になった庶民の料理です。

餅を半分に割って、肉ソボロを挟んで食べます。味は、庶民の料理よりは洗練されています。



庭では、専門の料理人が餅を焼いています。この餅は、お変わり自由ですが、他の料理もたっぷりあるので、そう幾つもは食べれません。



最後のお菓子です。海老やヒヨコといった可愛らしい形をしています。



しめの果物。



最後に記念写真。

仿膳飯荘での食事は、贅をつくしたという西太后の生活の一部をかいま見ることがことができます。

特別なグルメツアーでなければ体験することのできない仿膳飯荘の宮廷料理ですが、機会がありましたら是非食べてみてください。中華料理という先入観からは大きくはずれます。
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