【今日の 古いもの】
わけあって、今母親の部屋の片づけをしている。
出てくる出てくる古いつまらんもの、なんでも「とっとく」性格は母親ゆずりであるが反省しなけりゃあ。
で、これ、愛国駅から幸福駅行きの切符70円也、昭和50年2月14日付け。
当時はなぜか全国的なブームになり、日本人なら知らぬ人はいなかったんじゃあないかなあ。
ウィキで調べると
◆「愛の国から幸福へ」ブーム
この駅は一部の旅人に注目されていたが、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 ~帯広~』として紹介されたことから知名度が上昇した[注 3]。
周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅付近の商店も入場券の販売をするようになる。特に幸福駅より二つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなる。1974年にはこれを元にした歌「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)も登場した。前年には7枚しか売れなかった愛国-幸福間の切符が、この年は300万枚、4年間で1000万枚も売れた。観光客が多数訪れるようになり、待合室の内外に利用者が名刺や使用済みの定期券などを記念に残すようになったのもこのころからである。
隣の大正駅を始めとして広尾線には愛国駅など縁起の良い名を持つ駅が点在しており、これらの駅との間の乗車券も活発に発行された。例えば「大正駅 - 幸福駅」で「たいそう幸福」といった具合である。あるいはそれらの駅相互の間でも「新生駅 - 大樹駅」などの切符が人気を集めた。
しかしこのブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった[注 4]。最末期は一日片道6本という同線の便数の少なさもあって、この駅を訪れる観光客自体観光バスやレンタカーを利用することが多かった。同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった。
◆縁起もの入場券のブームへ
幸福駅は当時に始まり、現在もなお継続する縁起の良い駅名の入場券・乗車券を求めるブームの嚆矢となった駅であり、全国のローカル線やローカル鉄道会社に記念入場券で収益を補うという新たなサイドビジネスを提案することとなった。幸福駅の事例により全国の縁起の良い名前を持つ駅、たとえば学駅・妻駅・真幸駅・学門駅などが入場券をアピールしようとするのである。そして松浦鉄道の大学駅やくま川鉄道のおかどめ幸福駅、南阿蘇鉄道の南阿蘇水の生まれる里白水高原駅など、特に第三セクター鉄道において、入場券の販売を目的とした新設駅の駅名選定あるいは駅名改称なども起こっている。
母親もこのキーホルダーを持ってたんだ。
しかも、2月14日はセントバレンタインデーだよ!
1975年当時はバレンタインデーはブームであったかどうか
そこでバレンタインデーを再び「ウィキ」で引くと・・・・
◆最初に神戸のモロゾフがCMを売ったのが1936年とあるが、
『1970年代後半に、女子が男子に親愛の情を込めてチョコレートを贈るという「日本型バレンタインデー」が社会に定着すると・・』
となっていて、1975年当時は2月14日がそういった特別な日か、なかなか微妙だ。
謎は深まるばかりである。
どう?思い出した?
位置はここ
今はバス路線の表示だ
現在は駅舎が保存されているのだと。
この幸福駅ブームで幸せになった人は・・・・・・・
キーホルダーを日本中に売った人である。
わけあって、今母親の部屋の片づけをしている。
出てくる出てくる古いつまらんもの、なんでも「とっとく」性格は母親ゆずりであるが反省しなけりゃあ。
で、これ、愛国駅から幸福駅行きの切符70円也、昭和50年2月14日付け。
当時はなぜか全国的なブームになり、日本人なら知らぬ人はいなかったんじゃあないかなあ。
ウィキで調べると
◆「愛の国から幸福へ」ブーム
この駅は一部の旅人に注目されていたが、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 ~帯広~』として紹介されたことから知名度が上昇した[注 3]。
周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅付近の商店も入場券の販売をするようになる。特に幸福駅より二つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなる。1974年にはこれを元にした歌「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)も登場した。前年には7枚しか売れなかった愛国-幸福間の切符が、この年は300万枚、4年間で1000万枚も売れた。観光客が多数訪れるようになり、待合室の内外に利用者が名刺や使用済みの定期券などを記念に残すようになったのもこのころからである。
隣の大正駅を始めとして広尾線には愛国駅など縁起の良い名を持つ駅が点在しており、これらの駅との間の乗車券も活発に発行された。例えば「大正駅 - 幸福駅」で「たいそう幸福」といった具合である。あるいはそれらの駅相互の間でも「新生駅 - 大樹駅」などの切符が人気を集めた。
しかしこのブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった[注 4]。最末期は一日片道6本という同線の便数の少なさもあって、この駅を訪れる観光客自体観光バスやレンタカーを利用することが多かった。同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった。
◆縁起もの入場券のブームへ
幸福駅は当時に始まり、現在もなお継続する縁起の良い駅名の入場券・乗車券を求めるブームの嚆矢となった駅であり、全国のローカル線やローカル鉄道会社に記念入場券で収益を補うという新たなサイドビジネスを提案することとなった。幸福駅の事例により全国の縁起の良い名前を持つ駅、たとえば学駅・妻駅・真幸駅・学門駅などが入場券をアピールしようとするのである。そして松浦鉄道の大学駅やくま川鉄道のおかどめ幸福駅、南阿蘇鉄道の南阿蘇水の生まれる里白水高原駅など、特に第三セクター鉄道において、入場券の販売を目的とした新設駅の駅名選定あるいは駅名改称なども起こっている。
母親もこのキーホルダーを持ってたんだ。
しかも、2月14日はセントバレンタインデーだよ!
1975年当時はバレンタインデーはブームであったかどうか
そこでバレンタインデーを再び「ウィキ」で引くと・・・・
◆最初に神戸のモロゾフがCMを売ったのが1936年とあるが、
『1970年代後半に、女子が男子に親愛の情を込めてチョコレートを贈るという「日本型バレンタインデー」が社会に定着すると・・』
となっていて、1975年当時は2月14日がそういった特別な日か、なかなか微妙だ。
謎は深まるばかりである。
どう?思い出した?
位置はここ
今はバス路線の表示だ
現在は駅舎が保存されているのだと。
この幸福駅ブームで幸せになった人は・・・・・・・
キーホルダーを日本中に売った人である。
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