MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

駅伝改革案(没)

2008-01-11 22:51:26 | スポーツ

『駅伝』って…

チーム一丸となって、力を合わせて勝利をめざす、

日本で発祥したすばらしい競技、と思っていた…

今年も箱根駅伝は、お正月二日、三日と、日本全国で

駅伝ファンをテレビの前に釘付けにした。

視聴率は往路が25.4%、復路が27.7%。

自分とは全く関わりのない大学同士の熱戦に

国民はなぜ熱くなるのだろうか…

5区では、歩いて登るのもしんどそうな急勾配を

我々が下り坂を全力疾走するよりも

はるかに速く駆け上がるのに驚かされる(比較するなよっ)。

しかし、毎年必ず起こってしまうアクシデントを半分期待?しながら

見ている人もいるのかもしれない(自分もそうだ)。

案の定、今年も、5区で順大、9区で大東大、

10区で東海大が途中棄権となった。

(フラフラになりながらそれでも前に進もうとする選手の姿に

驚嘆するとともに、胸が熱くなった)

タスキをつなぐことができなければ、そこでそのチームは

競技から脱落である。

結果を出したチームこそ皆が力を合わせた成果だったと

喜びあえるだろう。

しかし、脱落したチームには力を合わせるすべもない。

駅伝はチーム結集の競技に見えて、実のところ

一区一区、まさに孤独な個人技であり、

それぞれ、細い一本の綱を渡っているようなものだ。

個人の失敗はすなわち、チームの敗退という

あまりにも残酷な競技と言えるだろう。

それは、例えば、野球でボコボコに打たれたピッチャーや

サッカーでいえば、反則を連発して退場となった選手や

凡ミスを繰り返して失点を重ねたゴールキーパーなどとは

比較にならないくらい失敗の責任は重く、

他者がカバーしてやることができないものだ。

1917年に日本で始まったと言われる駅伝、

今や海外でも『EKIDEN』の呼び名で通用するようになった。

しかし、

自分に不都合なできごとを、すべて他の誰かのせいだと

思い込まずにはいられなくなってしまった昨今の日本人。

今回、途中棄権した選手達は、周囲からのそんな空気を感じ、

自責の念にかられ、うちひしがれていることだろう。

それとも、古き日本人の持っていた、かばい合いの精神が

かろうじて、彼らを救ってくれてるだろうか…

人に冷たいこの時代、

いっそのこと駅伝を次のようなルールに変えてみてはいかがだろう。

1つの区間を1チーム3人ずつでスタートし、

そのうち一番速かった選手が次区間の別の3人に

タスキを渡し、また一番速かった選手が次区間の…

これなら、一区間3人に責任が分散されるし、

途中棄権の心配もない。

って、タスキはどうやって最初から最終まで

つなぐのかって?

えー、それには~

最初の走者がそれぞれ、残りの区間数の

3倍の本数(7区間なら21本)のタスキをかけて~

それを3等分して次の3走者に渡して~

でもそれじゃ、第1走者はタスキが重過ぎそうだから、やっぱり…

(不評につき、フェイドアウトにてこのエントリー終了…)

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