メディカル・ミステリーのコーナーです。
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Woman endured years of troubling spells before their cause was recognized 原因がわかるまで何年間もやっかいな発作をその女性は我慢していた
後列左から息子の Brandon、夫の Shane、娘の Brittany と――Sonja MacDonald さんは発作を恐れてどこにも行くことができなかったと言う。
By Sandra G. Boodman
Sonja MacDonald さんとその家族が彼女の発作とともに生活した11年間は、発作が起こりそうだと彼女が感じたり、あるいは彼らが気付いたりしたときに何をすべきか心づもりができていた。
もし自分が運転していたなら、MacDonald さんは道路の脇に車を停止させることになっていた。彼女が運転できなくなったときにはハンドルの操作法を夫は幼い子供たちに教えていた。幸いにもそんなことは一度も起こらなかったが。彼女がシャワーを浴びるときには、彼女が突然意識を失うことに備えて、誰かがいつも浴室にいた。そして、彼女が働いている老人ホームで起こったときには、MacDonald さんが自力で空いたベッドにたどりつけることに賭けていた。
時々不安を帯びた見当識障害という奇妙な感覚の前兆で始まっていたと彼女が表現するエピソードから、ペンシルベニア州 Milton 在住のこの女性に対して医師たちは何年にも渡って様々な診断名をつけた。彼女はぼんやりと見つめることが多く、時に見えない物をつかもうとしたり、短時間意識を失ったりした。持続時間がせいぜい2分間以内のこれらのできごとは突然に起こり、疲労感や悪寒を残したが、起こったことの記憶はなかった。
専門家たちのほとんどは、これらの発作はしばしば片頭痛に続いて起こるてんかんであるとの意見で一致していた。しかし、彼女が不思議に思ったのは、時々起こる頭痛がひどいものではないのに、片頭痛誘発てんかんがどうして起こるのだろうか?ということである。医師らはそのような疑問を無視したため、MacDonald さんは真の病気が何であれ、あきらめてそれとつきあってゆくことに決めた。
「私は夫にこう言いました『私は別の医者のもとへは二度と行かない。たぶん私が気が向いたときに受診すれば、誰かが私を信じてくれるでしょう』」と、現在39才になる MacDonald さんは言う。
しかし、2009年、別の神経内科医が彼女のケースを新たな目で見直し、すばやく病気が何であるかを解明した。この医師は後に知ったのだが、その答えは何年もの間 MacDonald さんのカルテの中に埋もれていたのだった。Frozen in place その場に凍りつく
最初のエピソードが起こったのは1998年、MacDonald さんが幼い息子を抱き上げようとしたときだった。彼女がベビーベッドに手を伸ばそうとしたとき、身体の左側の感覚がなくなり、その場に凍りついたように感じた。このエピソードは瞬間で終わったが彼女はショックを受けていた。MacDonald さんがかかりつけ医に電話したところ、一過性脳虚血発作(TIA)の可能性があると告げられた。TIA 自体は永続する障害を残さないが、後遺症をもたらす脳卒中の前触れとなる。彼女はMRIを受けたが、TIAを起こすような所見は認められなかった。
数ヶ月後、同じようなエピソードが再び起こり、神経内科医が再度MRIを行ったところ良からぬ所見、脳の病変が疑われた。悪性の脳腫瘍かもしれないということで MacDonald さんはすぐに脳神経外科医を受診するよう勧められた。不安な数週間を過ごしたものの、結局その病変は単に血管であることが判明した。
しかし、医師らには繰り返すエピソードを説明することはできないでいた。「発作は実際に説明しがたい奇妙な感覚で始まり襲われるように感じられました。」と彼女は思い起こす。「夫によると、私はポカンとした顔をし、時には、物をつかもうとして手を伸ばしたり、洗濯物について長々と話したりしていたそうです」言っている内容は何ら意味を成していなかった。またあるいは舌なめずりをすることもあった。MacDonald 自身には発作の記憶はなかった。脳波や様々な画像診断でも異常がなかったので主治医らは困り果てていた。「私はあきらめていました」と、MacDonald さんは言う。
2002年ごろ、一人の神経内科医がそれらの症状はてんかん発作であり、片頭痛に誘発された可能性があると考えた。「時々頭痛はありましたがそれらが片頭痛だとは考えていませんでした」と、MacDonald さんは言う。一時はてんかん治療の主力薬だったが、より副作用の少ない新しい薬の登場で影が薄くなっていた抗てんかん薬、フェノバルビタールがその神経内科医から処方された。この薬では発作を抑制できず、気分がむしろ悪くなったのでMacDonald さんは6週間後にはこの薬を内服するのを止めたという。
一年後、特に良くならないまま、彼女はペンシルベニアにある大きなティーチング・ホスピタルの神経内科医を受診した。彼の診断は多発性硬化症だったが、MacDonald さんが受けた腰椎穿刺の結果が正常であることがわかり、その可能性は低いと考えられた。
2004年、新たな見解を求めて、今度はメリーランド州にある二つめのティーチング・ホスピタルまで3時間かけて車で行った。そこの神経内科医は彼女は多発性硬化症ではないと言い、原因は migraine seizure(片頭痛に誘発されるけいれん)ではないかと疑った。同診断名はこののち彼女を診察した医師らによって繰り返しつけられ、そのため彼女には頭痛薬が処方されることになる。
「単純にどう考えるたらよいのかわかりませんでした。そして、私は医師たちと時々議論し、彼らに、薬によって逆に片頭痛が起こっていると言ったのですが、耳を傾けてくれる人はいなかったようです」と、MacDonald さんは思い出す。
我慢することが一番であると彼女は心に決めた。その発作は頻度を増しており、睡眠中にも起こるようになった。MacDonald さんによると、刑務所の護衛官をしている夫は彼女がベッドで硬直して座っていることがあると話し、発作の証拠を記録しようとしたが、携帯電話を探し当てたりビデオカメラを取り出したりするまでに発作は終わっていたという。An answer at last ついに答えが…
2009年までに、それらの発作が MacDonald さんの生活の多くを占めるようになっていた。彼女は気を失い職場から近くの緊急室に数回運ばれていたが、医師らは依然何も見つけられなかった。そして MacDonald さんは言う「どこに行くのも怖かったのです。お店にいるときに何かが起こったらどうなるんでしょう?」
実際一度彼女が食料品店のレジの順番を待っていたときに発作があり、ひどく気恥ずかしい思いをした。運転は常に心配の種であり、もはや我慢することが有効な方策ではないことは明らかだった。仕方なく彼女は新しい医師を受診することに同意した。彼女としてはその医師がこれまでの医師より役に立ってくれるとは思えなかったのだが…。
2009年9月、最初の予約診察のとき、ペンシルベニア州 Danville にある Geisinger Health System の神経内科部長 Frank Gilliam 氏は、病院内での持続的な監視が必要となる特殊なビデオ付き脳波検査を行いたいと、MacDonald さんと夫に伝えた。この検査は発作の映像をしっかりと捉え脳波を測定するために10 日間、ひょっとしたらもっと長い入院が必要だった。その時、彼には彼女の病気が何であるか見当はついていると、夫妻に告げた。
MacDonald さんは10月19日に同病院に入院した。翌朝、彼女が入眠してすぐに発作が起こっていたと Gilliam 氏は彼女に伝えた。「私は唖然としてました」と彼女は言う。「それを覚えてなかったものですから」
それから2晩の間にさらに発作が記録され、Gilliam は診断を下し、彼女を家に帰した。MacDonald さんは、かつては側頭葉てんかんと呼ばれ、今は complex partial seizures(複雑部分発作)と呼ばれているてんかんの一型だったのである。彼によるとその診断名は、6年前、彼女にフェノバルビタールが処方された時にカルテに実際に認められていたが、その薬の効果が見られず、彼女がそれを内服するのを止めたあと、どういうわけかその診断名が存続されることはなかったという。
てんかん患者の約30%に片頭痛が見られるが、「彼女に片頭痛があったようには思いません」とてんかん専門医である Gilliam 氏は言う。彼によれば、MacDonald さんの症状は複雑部分発作の症状として “きわめて教科書的” であったという。それは前兆であり、それに続いて、うつろなまなざし、意味不明の会話、舌なめずりなどが認められる。
オンライン医学事典 eMedicine の記載によると、複雑部分発作の患者の死亡率は、その一部に転落や他の事故によって重大な外傷を生じる人がいることから一般人のそれより2倍から3倍高いという。頭部外傷や感染がこの発作の誘因となるが、発作が生ずると意識が遠のき、一過性の意識消失をもたらすことがある。またMacDonald さんのように明らかな原因がない例もある。
診断を受けた MacDonald さんの最初の反応は安堵だったという。「幸せだと言いたいわけではありません。ただ答えが得られたことがうれしかったのです。11年間もこれに苦しんできたのですから」
Gilliam 氏によると、彼の患者の中には15年間も診断されないまま複雑部分発作を起こしていた例があるという。「先週も、MacDonald さんの例とちょうど同じような2人の患者を見ました」、と彼は言う。患者がエピソードを表現するのがむずかしいことに加え発作の持続時間が短いことが診断の遅れにつながっていると、Gilliam 氏は言う。そして、医師の間に、正しい診断を見つけようとする“意欲に欠ける姿勢”が見られると、彼は付け加えた。
てんかんがあるということでさしあたり運転が禁止となった。MacDonald さんは6ヶ月間発作が起こらなくなるまで運転することはできなくなった。そして種々の強力な薬物が試されたがいずれも彼女の発作を抑えることはできなかった。薬物治療が失敗となれば発作の発生源となる脳の一部を切除する手術が一つの選択肢となるが、その治療によって脳梗塞が生じたり突然死亡したりする可能性もある。
MacDonald さんは生活を蝕んできた発作を終わらせる可能性にかけて手術を受けたいと考えたという。2010年2月2日、彼女は開頭側頭葉切除術という10時間に及ぶ手術を受けた。発作を抑える目的で彼女の海馬の一部が脳神経外科医によって切除されたのである。
その後はずっと MacDonald さんには発作が見られず、内服薬の量も少なくなっている。来年には完全に薬物を中止できると見られている。病気を見つけて失望と恐怖の11年間に終止符を与えてくれたことで Gilliam 氏にはずっと感謝しつづけるだろうと彼女は言う。「人生を取り戻してくれたことに対して、その人にどのようにしたら報いることができることでしょう?」
複雑部分発作はてんかんの一型である。
原因が側頭葉にある場合と前頭葉にある場合がある。
意識障害を伴わない『単純』部分発作に対して、
意識がもうろうとしたり反応性が低下した状態で
唇や舌でペチャペチャ音をさせたり、一点を凝視したり、
意味不明な言葉を発したり、
ボタンをいじる・徘徊するなど異常な行動を生じたりする
『自動症』が認められる発作を『複雑』部分発作という。
これらの発作が始まる前に
何とも言えない不安感、不快感、異臭、耳鳴り、頭痛など
さまざまな前駆症状、すなわち前兆が出現する。
前兆までは記憶があって
発作があったことを理解することもあるが、
発作中のことは全く覚えていない。
一部の患者では
攻撃性が強かったり粘着気質であったりするなどの
性格変化が認められることもある。
抗てんかん薬で発作をコントロールできない場合、
検査でてんかん発作の焦点が明らかとなれば、
そこを外科的に切除するのが最も有効な治療法となる。
記憶に関係する海馬が焦点となっていることが多く、
萎縮した海馬が認められれば記憶障害を残さず
切除が可能である。
記事のケースは発作も短く、発作間欠期の脳波所見に
異常が認められなかったため診断が遅れたものと思われる。
それにしても片頭痛で押し通すというのもどうかと
思ってしまうのである。
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