MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

ミス・リンディ 遭難の謎

2012-08-22 22:52:46 | 歴史

アメリカ人 アメリア・イアハートは
チャールズ・リンドバーグに続き、1932年に
女性としてはじめての大西洋単独横断飛行に成功した
スーパー・ウーマン(このためミス・リンディの愛称がある)。
イアハートについては日本ではあまり知られていないが、
米国では絶大な人気があり、
彼女自身も女性地位向上に熱心な活動を行ったことから
イアハートの名前を冠した奨学金制度は
今も運営されている。
また本年はイアハート生誕115周年ということで
様々な事業が催されているそうである。

Ameliaearhart01
しかし、1937年5月21日、赤道上世界一周に飛び立った
イアハートとナビゲータのフレッド・ヌーナンは
1937年7月、太平洋の赤道直下で消息を絶った。
当時のアメリカ政府は大規模な捜索を行ったが、
結局、遺体も機体も発見されないまま
1939年、両名の死亡が宣告された。
ところが、2009年、『歴史的航空機の発見を目指す
国際グループ(TIGHAR: The International Group
for Historic Aircraft Recovery)』が南太平洋の
ニクマロロ島で人間の指の部分と見られる骨片を発見し
イアハートの骨であると主張し脚光を浴びた。
ただしその骨がウミガメの骨である可能性も捨て切れていない。
イアハートの遭難には日本軍が関与していたとの
とんでもない説が浮上したこともあるようだが、
いまだに謎の多いイアハートの結末の解明に
今回新たな証拠が得られたのだろうか?

8月19日付 CNN.com

75 years later, the mystery of Amelia Earhart solved? 75年後 Amelia Earhart の謎は解けたのか?

Ameliaearhart02
水中写真には Amelia Earhart の飛行機の残骸が写っている可能性がある

 南太平洋の海底で発見された残骸は行方不明となった女性飛行士 Amelia Earhart (アメリア・イアハート)の飛行機の一部かも知れない。
 「最近行われた NikuⅦ という探索の際に撮影された水中の高解像度ビデオ映像で Nikumaroro (ニクマロロ)島の西岸沖の岩礁の斜面上に人工物が散乱していることが明らかになっている」(航空機の捜索や保存を行っている研究グループである)The International Group for Historic Aircraft Recovery (TIGHAR)がそのウェブサイトで報告した。
 研究者らによって今投げかけられる疑問は、これらの新しい画像は 1937 年の Nikumaroro 島の写真に記録されているのと同じ飛行機の一部を示すものなのか?ということである。
 同島の西の海岸線を撮影した1937年の写真は Earhart と彼女のナビゲーターである Fred Noonan が行方不明となってから3か月後に撮影されたものであると Discovery News は報じている。当時の英国植民地行政府(British Colonial Service)の役人 Eric R. Bevington によって撮影された写真では、突出する明らかな人工的物体が写真の左側に認められている。この画像の科学捜査的解析で、『この謎の物体がEarhart の飛行機の逆さまになった着陸装置と、その形状と大きさが一致していることがわかった』という。
 「この Bevington の写真には飛行機の構成物のように見えるものが4つ認められます:支柱、車輪、ウォーム歯車、そしてフェンダーです。一方、残骸の見られた現場には、フェンダーのようなものがあり、恐らく車輪と、支柱の一部もあるようです」 TIGHAR の画像科学捜査の専門家 Jeff Glickman 氏は Discovery News にそう語っている。
 TIGHAR は先月この探索に乗り出し、75年前、Lockheed Electra(ロッキード・エレクトラ)機が海に飛び立った後、Earhart と Noonan が Nikumaroro 島に不時着し、結局そこで死を迎えたという説に取り組んだ。
 このグループの9回目となる同島の探索は、インターネット上の興奮と非難の声とともに始まった。結局、研究者らは米国に戻り、彼らが同機の明らかな痕跡を何も発見できなかった。しかし、海中の残骸の現場の新たな解析によって、研究者らが探していたまさにそのものが発見できたことになるのかも知れない。
 「初期のメディアの報道では、この探索が何も発見しなかったとの性急な判断を下していました」と TIGHAR の専務理事である Ric Gillespie 氏は Discovery News に語っている。「もちろん我々は飛行機の残骸の大きな破片を見つけることを期待していましたが、Nikumaroro の厳しい海中環境を見た途端、75年前に小片に引き裂かれた飛行機からの残骸を探すことになるのだろうと考えました」
 同グループは7月12日に始まり7月24日に終了した今回の探索で撮影された高解像度水中ビデオの30%に満たない部分を検証したところであると Glickman 氏は Discovery News に語っている。
 Earhart と Noonan は着陸を計画していた別の南太平洋の島を見つけることができず、 Nikumaroro 島(当時の Gardner 島)に着陸したとの説を TIGHAR は唱えている。二人は安全に着陸し、エレクトラの無線を使って救助を求めたと考えらる(MrK 註:救難信号が3昼夜傍受できたとの記録がある)。運命のいたずらで、その後恐らくこの飛行機は海に流され、Earhart と Noonan の唯一の連絡源も流されてしまう。米国海軍の偵察機はこの島の上空を飛んだが、エレクトラを発見できないまま、そこを通り過ぎ別の場所を捜索し続けた。
 「今回が最高の探索となったのは、飛行機の残骸を探し出すために集めることのできたテクノロジーのおかげです」と Gillespie 氏は先月 CNN に語った。「私たちは自走車を持っています。また、私たちが今現在乗っている University of Hawaii の船の上部にはマルチビーム・ソナーがあります。さらに、ターゲットを詳しく調査する遠隔操作の車両や高解像度カメラを持っています。準備がしっかり整っていたのです」
 Bavington の写真のさらなる解析が TIGHAR の説を支持し続けるとしたら、同グループは太平洋の海底からその物体を回収しようとするつもりであると Gillespie 氏は Discovery News に語っている。

問題の写真を見ても、
MrK にはどれが人工的な物体なのか判別不能である。
やはり75年の歳月は長いと言えそうだ。
しかしそれほどの歳月が流れた今でも
熱心な探索が続けられているという事実によって、
アインハートの活躍、そしてその存在が
今でもアメリカでいかに賞賛されているかが
うかがい知れるのである。

コメント
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