MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

二人の薩摩おごじょ

2008-04-14 23:51:57 | 芸能ネタ

NHK大河ドラマ『篤姫』、なかなか面白い。

これまでにも幕末、明治維新が舞台となった

大河ドラマ数多くあれど、最後まで見続けたものは

なかった。『篤姫』は最後まで見られるかも…

篤姫は幕末の動乱期に島津分家から本家の養女となり

徳川13代将軍家定に嫁ぐ。

わずか1年9ヶ月の結婚生活で家定は急死。

夫の死後、落飾。『天璋院』と号し、

14代将軍家茂の養母として大奥に残り

江戸城の無血開城と徳川家の救済に尽力した。

ドラマ全体にただよう明るい雰囲気は気になるところだが、

故郷から遠く離れた江戸に一人赴き、

出自の低さをもろともせず、

強い精神力で、幕末、維新を生き抜いた姿には感動がある。

薩摩のシーンで何度も画面に登場する桜島には、

やや不自然な感が否めないが、

桜島が薩摩人の心の拠り所、原動力であることは

確かだろう。

桜島遠泳をとりあげた映画『チェスト!』も

いよいよ4月19日封切とか。

今ちょっとした鹿児島ブーム??

Photo

ところで鹿児島出身の芸能人といえば、

稲森いずみや小西真奈美など、

現在活躍中の女優もいるのだが、

『篤姫』を見るたびに、なぜだかいにしえの

二人の女性が心に浮かんでくるのだ。

一人目は、ご存知?『早乙女愛』である。

映画『愛と誠』(1974年)で、西城秀樹の相手役として

4万人の応募者の中から選ばれ、

役名と同じ『早乙女愛』の芸名でデビュー。

当時、『篤姫』にも出てくる肝付尚五郎(後の小松帯刀)の

肝付家のかつての所領であった肝属(きもつき)郡にある

高山(こうざん)高校の一年生だった。

愛らしい顔と抜群のプロポーションの美少女であったが、

鹿児島弁のイントネーションが出て、撮影に苦労したという

エピソードを語っていた。

その後、何本かの映画やドラマに出演したが、

芸名が災いしたか、そのイメージからの脱皮に苦しみ

女優としてはパッとしなかった。

1983年には日活ロマンポルノ『女猫』に出演。

ここ数年はテレビ、映画でその姿を見ることはない。

二人目は『桜たまこ』だ。

1976年デビューの歌手。

たしか、2、3曲はリリースしたはずである。

しかし、桜たまこといえば、何といっても

1977年の『東京娘』だろう。

02

ドドンパ・リズムで、いきなり、

『お・じ・さんっ♪ どこまでも連れてぇって~今~♪』

などと、意味深な歌詞をミョーに明るく歌っていた。

『援交』という言葉など存在しない時代であり、

素直な気持ちで聞いていたなあ…(幼いな)

抜群の歌唱力、垢抜けしないルックス、明るい笑顔、

これらがなんともミスマッチで、好感が持てた(謎)。

ちょっと笑ってしまうこの芸名については、自身が

「桜島出身の桜たまこですっ!桜は桜島から

いただきました。」とか言っていたように思う。

結局、その後、ヒット曲には恵まれず、いつしか

芸能界から消えた。

主婦として子育てに専念との情報も。

『東京娘』の原曲は探し出せなかったが、

takimari さんが再現しておられるのでお聴きください。

http://players.music-eclub.com/?action=user_song_detail&song_id=87351

人気の点でずいぶん違いはあったが、両人とも

鹿児島の片田舎(失礼っ)から出てきて、

一躍スターダムにのし上がり、

静かに表舞台から去っていった。

しかしながら、根底には

夢を追い続ける気持ちの強さがあるように、

当時は感じられたものだった(桜島パワー?)。

そこが『篤姫』と重なり、

今、唐突にこの二人が MrK の心に浮かんでくる理由は

そこらあたりにあるのかも知れない(違うだろっ!)。

コメント (3)
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