NHK大河ドラマ『篤姫』、なかなか面白い。
これまでにも幕末、明治維新が舞台となった
大河ドラマ数多くあれど、最後まで見続けたものは
なかった。『篤姫』は最後まで見られるかも…
あ
篤姫は幕末の動乱期に島津分家から本家の養女となり
徳川13代将軍家定に嫁ぐ。
わずか1年9ヶ月の結婚生活で家定は急死。
夫の死後、落飾。『天璋院』と号し、
14代将軍家茂の養母として大奥に残り
江戸城の無血開城と徳川家の救済に尽力した。
あ
ドラマ全体にただよう明るい雰囲気は気になるところだが、
故郷から遠く離れた江戸に一人赴き、
出自の低さをもろともせず、
強い精神力で、幕末、維新を生き抜いた姿には感動がある。
薩摩のシーンで何度も画面に登場する桜島には、
やや不自然な感が否めないが、
桜島が薩摩人の心の拠り所、原動力であることは
確かだろう。
桜島遠泳をとりあげた映画『チェスト!』も
いよいよ4月19日封切とか。
今ちょっとした鹿児島ブーム??
あ
あ
あ
あ
ところで鹿児島出身の芸能人といえば、
稲森いずみや小西真奈美など、
現在活躍中の女優もいるのだが、
『篤姫』を見るたびに、なぜだかいにしえの
二人の女性が心に浮かんでくるのだ。
あ
一人目は、ご存知?『早乙女愛』である。
映画『愛と誠』(1974年)で、西城秀樹の相手役として
4万人の応募者の中から選ばれ、
役名と同じ『早乙女愛』の芸名でデビュー。
当時、『篤姫』にも出てくる肝付尚五郎(後の小松帯刀)の
肝付家のかつての所領であった肝属(きもつき)郡にある
高山(こうざん)高校の一年生だった。
愛らしい顔と抜群のプロポーションの美少女であったが、
鹿児島弁のイントネーションが出て、撮影に苦労したという
エピソードを語っていた。
その後、何本かの映画やドラマに出演したが、
芸名が災いしたか、そのイメージからの脱皮に苦しみ
女優としてはパッとしなかった。
1983年には日活ロマンポルノ『女猫』に出演。
ここ数年はテレビ、映画でその姿を見ることはない。
あ
二人目は『桜たまこ』だ。
1976年デビューの歌手。
たしか、2、3曲はリリースしたはずである。
しかし、桜たまこといえば、何といっても
1977年の『東京娘』だろう。
あ
あ
あ
ドドンパ・リズムで、いきなり、
『お・じ・さんっ♪ どこまでも連れてぇって~今~♪』
などと、意味深な歌詞をミョーに明るく歌っていた。
『援交』という言葉など存在しない時代であり、
素直な気持ちで聞いていたなあ…(幼いな)
抜群の歌唱力、垢抜けしないルックス、明るい笑顔、
これらがなんともミスマッチで、好感が持てた(謎)。
ちょっと笑ってしまうこの芸名については、自身が
「桜島出身の桜たまこですっ!桜は桜島から
いただきました。」とか言っていたように思う。
結局、その後、ヒット曲には恵まれず、いつしか
芸能界から消えた。
主婦として子育てに専念との情報も。
『東京娘』の原曲は探し出せなかったが、
takimari さんが再現しておられるのでお聴きください。
http://players.music-eclub.com/?action=user_song_detail&song_id=87351
あ
人気の点でずいぶん違いはあったが、両人とも
鹿児島の片田舎(失礼っ)から出てきて、
一躍スターダムにのし上がり、
静かに表舞台から去っていった。
しかしながら、根底には
夢を追い続ける気持ちの強さがあるように、
当時は感じられたものだった(桜島パワー?)。
そこが『篤姫』と重なり、
今、唐突にこの二人が MrK の心に浮かんでくる理由は
そこらあたりにあるのかも知れない(違うだろっ!)。