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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

病魔に襲われ続けて17年

2022-01-19 22:39:25 | 健康・病気

2022年最初のメディカル・ミステリーです。

 

1月14日付 Washington Post 電子版

 

‘I’m going blind. Somebody’s got to help me.’

「私は失明してしまいそうです。誰か私を助けて下さい」

By Sandra G. Boodman,  

 

Julia Lefelar(ジュリア・ルフェラ)さんはそれ以外に何をすべきかわからなかった。

 彼女は副鼻腔炎に対して抗生物質を内服していたが、症状は悪化しているように思えた。両目が痛み、眼の見え方は時間ごとに暗くなっていたが、彼女は耳鼻咽喉専門医の受診予約を取れないでいた。

 そのため Lefeler さんは定期検査で数年前に受診したことのある眼科医の診療所まで車で行き、その勢いに驚く受付係の人に懇願した:「私は失明してしまいそうです。誰か私を助けて下さい」

 「あれほど迅速に動いてくれた人に出会ったことはありません」そのスタッフの応対について彼女はそう話す。

 現在、メリーランド州Gaithersburg(ゲイサーズバーグ)に住んでいる Lefelar さんは10年以上の間、1~2ヶ月続く不可解な症状と闘っていた。多くの場合、ひどい眼痛、暗くなる視野、息切れ、嘔気、さらに激しい倦怠感がみられた。これに対し2人の医師は彼女の症状はストレスに起因すると考えた。別の医師はもっと食物線維を摂るよう助言した。またある医師があからさまに疑念を呈したことに不安を感じたこのソフトフェア・エンジニアは夫に協力を求め、彼女が誇張して言っているのではないことを証言してもらったこともあった。

Kristina Lefelar(クリスチナ・レフェラ)さん(左)と彼女の母親 Julia Lefelar さん。「どこも悪いところはないと(医師から)言われ続けている人たちと私は毎週話をしています」自身の疾患で経験した辛い体験との類似性に着目する Julia Lefelar さんはそう語る。

 

 彼女に症状がみられるようになって何年か経ったとき、一人の友人が先見の明がある意見を語った。「あなたが良くなって何が原因だったのか誰もわからないままになるか、悪くなって原因が分かるかのどちらかよ」

 Lefelar さんの眼科医への受診は後者の始まりとなるものであり、その必死の受診から3年後についに診断が下されることになる。

 現在58歳の彼女は自身の複雑な気持ちを思い起こす。「自分の決定的証拠を見つけた奇妙な幸福感には、耐えてきた苦痛の記憶と、自分は死にかけているのに誰にもその原因がわからないという繰り返す恐怖とが入り混じっていました」と彼女は言う。

 Lefelar さんはさらに、「他の人達が享受できたものを逃してきたこと、またその過程で彼女の原因不明の疾患が自身の娘たちの小児期に影を落としてきたことに対する怒りや悲しみ」を感じているという。

 「気持ち的にまさに複雑でした」と彼女は言う。

 

Essential nap 欠かせない昼寝

 

 最初の発作は2000年になかなか治らないひどい風邪で始まった。Lefelarさんは目の奥が痛み疲労感を自覚した。

 彼女はかかりつけの内科医を受診し抗生物質を処方されたが効果はなかった。彼は血液検査を行ったが異常は何も見つからなかった。それでも Lefelar さんの倦怠感は確かなように思われた;彼女は一日の勤務をこなすために職場での昼寝が不可欠となっていた。

 「食料品店に行ったとしても家にたどり着けないように思いました」と彼女は思い起こす。彼女は台所で食料品を落としたり、階段を這って上がったり、疲れ切ってベッドに倒れこんだりすることもあった。時には視力の低下もみられたと Lefelar さんは言う。彼女が明るく照明された台所で灯りが暗いのではないかと夫に尋ねたことを覚えている。

 Lefelarさんの内科医は原因がわからなかった。「『あなたは若い母親で仕事もしています。無理があるんです』そのようなことを彼が言っていました」と彼女は思い起こす。「彼は私を誰にも紹介しませんでしたし、私のことを重視してくれなかったのです」一時は視力の低下が単なる自分の思い込みなのではないかと考えることもあった。

 1、2ヶ月して彼女の症状は軽減しその後消失したが数ヶ月後には再発した。2001年の再発のさなか、スポーツ医学を専門にしている新たな内科医を受診した。彼女によると、彼女の地域で保険を扱う数少ない家庭医の一人だったからだという。

 血液検査を行ったが全く問題はなかったため、その医師は、Lefelar さんが時折自覚していた動悸の精査を目的に心臓内科医に紹介した。

 その心臓内科医は彼女に Holter monitor(ホルター心電計)を装着した。これは心臓の調律を監視する装置である。彼は premature atrial contractions(心房性期外収縮)と診断した。これは心疾患を実際に持たない人では特に問題のない状態である;その原因の一つにストレスがある。その医師は彼女に休養しストレスを避けるよう助言した。

 続いて彼女は持続する嘔気のことで胃腸科医を受診した。彼は sigmoidoscopy(S状結腸鏡検査)を行った。この検査は内視鏡を用いて大腸の肛門に近い部位を調べる検査である。彼はもっと食物線維を摂取するよう彼女に助言したが、それでもほとんど嘔気が和らぐことはなかった。

 満足な答えが得られなかった彼女は元の内科医に戻った。彼女が「うつ状態にあるがそれに気づいていない可能性がある」と彼は説明し、彼女を精神科医に紹介した。

 Lefelar さんはその精神科医を一回だけ受診したという。「彼は私にこう言いました。『私はあなたのどこが悪いのかわかりませんが、あなたには身体的な疾患があると思います』」と彼女は思い起こす。彼からは、さらに、新たな家庭医を見つけるよう明確な忠告を受けたと Lefelar さんは言う。

 数ヶ月して彼女は3人目の内科医を受診、そこには初診を含めて2度受診した。彼は彼女に、mycoplasma(マイコプラズマ)の感染歴の証拠が血液検査で示されたと説明した。マイコプラズマは肺を初めとする身体の異なる箇所に感染する細菌である。彼は一ヶ月間抗生物質を処方した。

 「『よし、これだ』と私は考えました」そう Lefelar さんは思い起こす。しかしそうはならなかった。その薬を内服した当初は症状が改善したものの消失することはなかったのである。

 

 それでも最初の発作から6年後の2006年には、Lefelar さんは「ほぼ正常」に感じていたと言う。

 彼女の倦怠感は軽くなっており、種々の症状もまれにみられたが、以前より対処しやすくなっていた。昼食時間の仮眠も中止した。おそらくそれは食習慣を変更したためだろうと彼女は考えた:彼女はカフェインとアルコールを中止していたのである。

 「きちんと食べていればまだ働くことはできたのです」と彼女は言う。「なるほど、これが私のニュー・ノーマルなのだ」と私は考えました。

 

Eye pain 眼の痛み

 

 しかし、2014年、再び以前の繰り返しが始まった。ひどい風邪のあと、Lefelar さんには目の奥の痛みが出現しその後視野が暗くなった。別の内科医(4人目)によって耳鼻咽喉科専門医に紹介されると、副鼻腔感染症に対して抗生物質が処方された。

 そして冒頭の眼科医の診察室へ緊急受診するという必死の決断が、彼女にとってこの十数年間で初めてとなる目の検査につながった。

 「私は他のことに意識が集中していたので目のことは放っていたのです」と彼女は言う。「今思っているのは『あーあ、間抜けな私』です」

 その眼科医は直ちに optic neuritis(視神経炎)と診断した。これは、中枢神経系の疾患である multiple sclerosis(MS, 多発性硬化症)の患者にしばしばみられる視神経の炎症である。彼は即座に彼女を、目ではなく神経系が原因となるまれな視覚障害を専門にする、眼科学と神経病学の教育を受けた医師、すなわち neuro-ophthalmologist(神経眼科専門医)に紹介した。その専門医が高用量のステロイドを処方すると、Lefelar さんの視力は正常に復した。しかし医師らは MS を除外、彼女の視力低下の根本的原因は解明できなかった。運が良ければそれは再発しないだろうと彼らは彼女に説明した。

 しかし、その後数ヶ月で再発した。最初は一方の目に起こり、その後反対側にも生じ、結局両側性となった。しかし発作が起こるたびにステロイドを内服すると改善した。

 Lefelar さんは、当時バルチモアにある Johns Hopkins Hospital(ジョンズ・ホプキンス病院)の neuroimmunologist(神経免疫学者)だった Michael Levy(マイケル・レビー)氏に紹介された。[Levy 氏は現在、ボストンの Massachusetts General Hospital(マサチューセッツ総合病院)の Division of Neuroimmunology & Neuroinfectious Disease(神経免疫学および神経感染症部門)の研究部長である]。

 彼は Lefelar さんが、免疫系が誤って脊髄や視神経の健康な細胞を攻撃して発症し痛みや視力喪失を引き起こすまれな疾患である neuromyelitis optica(NMO, 視神経脊髄炎、またはNMOSD, 視神経脊髄炎スペクトラム障害)ではないかと疑った。本症は米国で年間約4,000人が診断されているが、これと混同されやすいMS に比べるとはるかに少ない。

 Lefelar さんは rituximab(リツキシマブ)の点滴注射を受けることになった。これは、特定の癌や重症の自己免疫疾患の治療に用いられる薬である。しかし、彼女に最善の反応はみられず、その後行われた NMO 抗体の検査は陰性だった。

 Lefelar さんによると、2014年中の3ヶ月間はほとんど失明状態で活動できない状態だったという。「視野の下の方のわずかな部分だけ視覚が残っており、基本的に家を歩き回ることだけはできました」

 その後彼女の視力は徐々に回復したが、永続的な欠損がいくらか残った:いくつかの盲点とあせたような色の箇所が残存した。しかし Lefelar さんは十分復職できるまでに回復した。「『そう、これが私の病気なんだし、どうにかやっていかなければならない』と私は思いました」

 しかし2017年、Lefelarさんに下肢の脱力と膀胱のコントロールの障害がみられるようになり、rituximab の効果がみられなくなっていることが明らかとなった。Levy氏は新しい疾患に対して最近開発された血液検査を行った。その疾患はMOG antibody disease(MOG抗体疾患、MOGADとも言われる)と呼ばれるもので、MOGADは myelin oligodendrocyte glycoprotein antibody disease(抗ミエリンオリゴデンドロサイト糖たんぱく抗体関連疾患)の略である。

 この疾患は、抗体が、視神経、および頻度は低いが脳、脊髄における神経細胞を覆い保護的な役割を果たしている髄鞘に認められるたんぱくを攻撃することで発症する。その結果生じる脱髄が神経細胞の機能を障害し、視神経炎、視力喪失、嘔気、さらには倦怠感をもたらす。

 Lefelarさんの MOG 抗体検査は陽性だった。最初の発作から17年後、彼女はついに答えを得たのである。彼女の症状は MOG antibody disease(MOG 抗体疾患)によるものだったのだ。

 小児および成人を襲うこの自己免疫疾患の原因はわかっていないが、一般に家族性とは考えられていない。小児ではしばしば単回の発作に襲われた後に回復することがあるが、成人では複数回再発する発作を経験しそれによって中枢神経系の障害が起こりうる。

 MOGには標準的な治療ガイドラインが存在しないが、炎症を抑えるために高用量ステロイドの静注がしばしば用いられる。また免疫系を抑制するために臓器移植の患者に投与される薬剤がしばしば処方される。

 Levy 氏によると、当初、MOGはMSの亜型であると考えられていたが、現在専門家は別の疾患であるとみなしており、MSの治療では増悪する可能性があると警告しているという。

 「MOGについて奇妙なことの一つは、多くの発作が重篤(MSの発作に比べ重篤)であるものの患者の症状は良くなる傾向にあることです」と、Harvard Medical School(ハーバード医科大学)の准教授である Levy 氏は言う。「MSの患者はMOG の患者より多くの障害が積み重なっていくのです」

 現在、Lefelar さんは自宅で投与できる薬剤の静脈注射を毎週受けている;2017年以降彼女には一度も発作が起こっていない。

 「22年になります。そして私は今非常に良好な生活を送ることができています」と彼女は言う。「運転しますし、働けます。95%の視力になっています」

 彼女の娘や妹とともに Lefelar さんは2020年に非営利の MOG Project を立ち上げた。彼女はこれを自身の第2の仕事と呼んでいる。その目的は、このほとんど知られていないこの疾患の認識を高めることとこの疾患の研究を推進することである。

 

 「どこも悪いところはないと(医師から)言われ続けている人たちと私は毎週話をしています」自身の疾患で経験した辛い体験との類似性に着目する Julia Lefelar さんはそう語る。

 彼女の疾患はMOGがまだ発見されていたなかった2000年には診断できなかったが、苦労してたどりつけた専門家を活用して他の患者を救うことを望んでいると Lefelar さんは言う。

 「自分をどのように支援すべきかを知っている未来の Julie に自分がなれればと思っています」

 

 

 

MOG抗体関連疾患については以下のサイトを参照いただきたい。

MSネットジャパン

第57回日本神経眼科学会総会モーニングセミナー(2019年)

 

MOG抗体関連疾患は、

多発性硬化症(MS)、視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD)と

同じように自己免疫機序で発症するが

MS、NMOSD のいずれとも区別されるMS類似疾患である。

本疾患はMS、NMOSDとは臨床像が異なっており、

抗アクアポリン4抗体(抗AQP4抗体)が陰性、

抗MOG抗体(抗モグ抗体と呼ぶ)が陽性となる。

(抗MOG抗体の重要性が認識されるようになったのは2000年代中頃である)

なお髄鞘が破壊される点ではMSと共通だがMSでは抗MOG抗体は陰性である。

またNMOSDでは標的がアストロサイトという神経支持細胞であり

抗AQP4抗体が陽性となる。

MOGは記事中にあったように、

myelin oligodendrocyte glycoprotein(髄鞘オリゴデンドロサイト糖たんぱく)の

略で、神経の鞘である髄鞘と、髄鞘を形成するオリゴデンドロサイトのみに

存在する糖たんぱくである。

このため MOG抗体関連疾患では髄鞘とオリゴデンドロサイトが攻撃を受ける。

 

主に視神経と脳・脊髄に炎症が生ずるが、

MOG抗体関連疾患では小児例も多いのが特徴である。

(小児では脳病変が多い)

男女差はなく発症年齢は5~10歳と30~35歳に2つのピークがある。

視神経炎の頻度が高く眼痛を伴うことが多い。

またNMOSDに比べ視神経炎の再発率が高いとされている。

また、排便や排尿機能の中枢が障害される頻度が高い。

臨床像や治療効果について未だ不明な点が多いが、          

現在分かっていることは以下の通りである。

  1. ステロイド(プレドニン)は有効だが減量や中止をすれば再発することが多い
  2. 開始時期が適切であれば、重症の再発時でも血漿交換が有効
  3. 治療が継続されていれば MSやNMOSDと比べて強い後遺症を残すことは

少ない (ただし1割程度難治症例が存在する)

 

なお MSの治療薬であるインターフェロンやフィンゴリモドは無効である。

プレドニンによる長期投与が必要となることが多く、

ステロイドの副作用を軽減するために他の免疫抑制剤を適切に併用する。

重篤な再発が発生した時には迅速に血漿交換治療を行う。

 

診断基準を作成するための国際委員会が2020年にようやく

立ち上げられたばかりであり、まだ不明な点が多い疾患であるが、

失明に至る可能性もあることから本疾患の啓蒙が重要である。

 

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マッサージでめまいと難聴

2021-12-14 22:24:30 | 健康・病気

2021年12月のメディカル・ミステリーです。

 

12月11日付 Washington Post 電子版

 

Hours after a massage, a professor was wildly dizzy and deaf in one ear

マッサージを受けて数時間後、教授は激しく目が回り、片方の耳が聴こえなくなった

By Sandra G. Boodman,

 ペンシルベニアのスパで仰向けになって友人とともに独立記念日にマッサージを受けていたとき、Catherine Nettles(キャサリン・ネトルズ・カッター)さんは、側頸部から鎖骨にかけて突然の衝撃的な痛みを感じ、大きな音が聞こえた。それが彼女の生活を変えることになったのである。

 「落ち着いて」それまでカッターさんの頭部を左右に回していた女性マッサージ師はそう言った。彼女は、この食品微生物学者である彼女に、身体の柔軟性を改善させるためには理学療法を試してみるといいでしょうと提案していたのである。

 当時56歳だった Cutterさんがマッサージ台を降りると普段と変わりないように感じた。しかし翌朝7時に彼女が目を覚ますと、激しいめまいを感じ、右耳がほとんど聴こえなくなっていた;左耳には異常はなかった。

 「部屋が回っていて、めまいがひどかったので目を開けることができませんでした」と Cutter さんは思い起こす。

 

「部屋が回っていて、めまいがひどかったので目を開けることができませんでした」と Cutter さんは思い起こす。この教授が頸部の奇妙な損傷を経験したのは10年強の年月で2度めだった。「今日ではずいぶんと楽になっています」と彼女は言う。

 

 その後彼女がそこまで悪くなった原因を3つの州の専門医が解明に努めたが、判明までに優に1年以上を要することになる。多くの検査とその後のいくつかの治療によりCutterさんは随分回復した。

 「Cutterさんは非常に複雑でめずらしいケースです」そう話すのは University of Pennsylvania(ペンシルベニア大学)の神経外科医で、彼女を治療した専門医の一人 Omar A Choudhri(オマル・A・チョードリ)氏である。

 Cutterさんが頸部に関する稀な疾患の解決に奔走したのは今回が初めてではなかった。2010年、ボディサーフィンの事故のあと声を回復させる辛い手術を受けたが、その際には2年以上を費やし、20数人の医師への受診を要するという最高に遠回りの経緯をたどっていた。(MrK 註:2015年3月1日の当ブログ『私のこの声、痛みの原因は何?』に掲載)

 

 彼女によると、その苦しかった試練から「辛抱強く目的を貫き、自らの支援者となって」専門家を探し出すことがいかに重要であるかを学んだという。「私は長く待つべきではないし、そうしないことを心に決めていました」

 

"Horrendous" vertigo “すさまじい”めまい

 

 ペンシルバニア州立大学の食品科学教授の Cutter さんは、彼女の人生のかなりの時間、間欠的な片頭痛と闘ってきていたため、当初、自身の聴こえなくなった耳に感じる強い圧力が片頭痛を起こしそれがめまいをもたらしたのかもしれないと考えた。

 彼女は市販の充血改善薬を内服したが効果はなかった。そのため壁伝いにゆっくりと移動して車まで行き、週末に診療していた予約なしで受診できる診療所まで夫に連れて行ってもらった。ナース・プラクティショナー(上級看護師)は、内耳の不均衡によって引き起こされる benign paroxysmal positional vertigo(良性発作性頭囲めまい症)か、あるいは内耳の炎症である labyrinthitis(内耳炎)ではないかと考えた。彼女は後者に対する治療として抗ヒスタミン薬を処方し、Cutter さんに耳鼻咽喉専門医を受診するよう助言した。Cutter さんは自宅に戻りその日はずっと寝ていた。

 翌日、依然としてめまいが強く食べることができず、彼女の具合はさらに悪くなった。彼女が“horrendous(すさまじい)”と表現するめまいは、空吐きを伴っており、目の焦点を合わせることができなかった。夫がクリニックに電話をかけると、奥さんは脳梗塞を起こしている可能性があるためただちに緊急室に連れて行くべきだと看護師は彼に告げた。

 CT検査と血液検査が行われ、医師らは脳梗塞を除外し、原因不明に異常に高い血圧を下げる薬を処方した。彼らもまた内耳炎を疑い、制吐薬を処方した。

 それからの数週間でめまいは徐々に治まったが聴力低下は続いていた。検査で、Cutter さんの右耳は90%以上聴力が低下していることがわかった。彼女は理学療法士にかかり、Epley maneuver(エプリー法)を2度施行された。これは頭位性めまいに用いられる治療手技である。MRI検査で聴神経鞘腫と呼ばれる良性腫瘍が除外され、Cutter さんは耳の中へのステロイド注射を受け始めた。これによって聴力が回復することを医師らが期待したからである。また彼女はvestibular rehabilitation(前庭リハビリテーション)を開始した。これはめまいの影響を減弱させるのを目的に行われる運動を基本とした療法である。

 しかし、どれもたいした効果はなかった。

 受診した耳鼻咽喉科医はとりあえず彼女を重症のめまいを起こす稀な内耳疾患である Ménière’s disease(メニエール病)と診断した。彼は急上昇した血圧を下げるため減塩食を勧め、神経耳科医を受診する必要があると説明した。神経耳科医とは主要な教育病院で脳および神経系を専門とする耳鼻咽喉科医のことである。

 Cutter さんは非常に心配になったことを覚えている。彼女が現在の状態で教えることができる見込みはなかった。ほとんど寝室を出ることができない日もあった。彼女の右耳の圧は弱まることがなかったが、白色雑音のように聞こえる持続的な耳鳴りは奇妙なゴボゴボという音で中断した。

 Cutter さんは、2008年の最初の時よりも実働できないように感じていた。2008年当時彼女は Myrtle Beach(マートルビーチ;サウスカロライナ州の大西洋岸に位置する都市)での休暇旅行中、波によって海底に打ちつけられたあと頸部を捻ったのだった。その後程なく彼女は、タコスチップスが喉に詰まったように感じた。飲み込むのに痛みを伴うようになり、彼女の力強いアルトの声は小さくなりかすれたささやき声となった。Cutter さんは自分の頸部に何らかの異常があると考えていることを繰り返し医師らに説明し、サーフィン中の事故について話したが、数ヶ月間、その事故は、彼女の喉の痛みと声の障害と偶然重なったものと彼らは見なした。

 しかしペンシルベニア大学の外科医が Eagle syndrome(イーグル症候群)を発見し事態は変化した。この稀な病気は、頭蓋骨から耳の方へ伸びる先の尖った箇所の骨が一部の人たちで長くなっていて、それが神経を圧迫するときに発症する。Cutter さんのケースでは、サーフィンの事故がこの骨の増大を助長し、痛みと声の喪失を引き起こしたと外科医らは考えている。過剰な骨の切除が行われた手術によって彼女は声を取り戻すことができたのである。

 

Cause or coincidence? 原因?それとも偶然の発症?

 

 彼女の運命的なマッサージから6週間後、Cutter さんは医療休暇を取り、神経耳科医を受診するために4時間運転してフィラデルフィアに向かった。

 彼は前庭リハビリテーションを続けるよう彼女に勧めた。彼女に重度の聴力低下があることから埋込型型補聴器のための評価を受けるよう提案した。2019年12月、Cutter さんは埋込型骨導補聴器を装着された。これは一側の難聴の治療に用いられるものである。

 Cutter さんはめまいに苦しめられ続けていたが、頸部の位置で違いが生じることに気がついた。仰向けに寝たり、頸を回したりすると、ほぼ瞬時にめまいが誘発された。しかし左側を下にして横になるとめまいが抑えられるようだった。

 彼女は再び、自分の頸がこの症状の鍵であり、あのマッサージが自身の症状に何らかの形で関連があると確信した。しかし、専門医らは彼女の突然の感音性難聴を引き起こしている原因について意見を異にしており、また体位を変えるとめまいが改善する原因についても見解が一致していなかった。何人かの専門医は、マッサージ中に起こったことが何であっても彼女の難聴とめまいには関連はないと考えていると彼女に説明した。

 バルチモアの専門医はメニエール病を除外した。別の専門医は vestibular migraines(前庭性片頭痛)を疑った。一方、ペンシルベニアの神経内科医からもその可能性が指摘されていたが、ピッツバーグの医師からめまいが血管の障害に関連しているかもしれないと言われたCutter さんは Penn Center for Cerebral Revascularization(ペンシルベニア脳血行再建センター)の所長 Choudhri 氏に紹介された。

 Cutterさんは2020年3月9日に彼を受診した。それはパンデミックで国内がほとんどシャットダウンされる数日前だった。

 Choudhri 氏によると、Eagle症候群の診断などめずらしい病歴に加えて Cutter さんの多くの精密検査を見直したという。

 「彼女は、自分のめまいに頭位認識していました」この神経外科医はそう思い起こす。

 診断には造影剤とX線検査を用いて脳の血流を撮影する手技であるダイナミックCT脳血管撮影での確証が必要となるが、Choudhri氏は彼女が rotational vertebral artery syndrome(日本語訳はないが、あえて訳すなら 頸部回旋性椎骨動脈症候群?)とも呼ばれているbow hunter’s syndrome(ボウハンター症候群)というきわめて稀な疾患ではないかと考えていることを告げた。

 この bow hunter’s syndrome という非専門用語的な病名はユタ州の神経外科医によって1978年につけられたが、弓矢で狙いをつけようとするときの頭部と頸部の回旋姿勢に由来する。

 Cutterさんのケースでそうだったように、しばしば加齢の結果で生ずる頸椎の骨棘が頸を回した時に動脈を挟んで閉塞を起こし得る。その圧迫が脳への血流を遮断し、嘔気、意識消失、めまい、耳鳴、視力障害などを起こす;難聴が起こることは知られていない。カイロプラクティック手技、手術体位、およびスポーツなどが bow hunter 症候群と関連のある動作として挙げられ、いずれの場合でも脳梗塞を起こし得る。

 この疾患は男性でより頻度が高い。頸部が動いていない状態であれば画像では見逃される可能性があると Choudhri 氏は言う。一方、頭部や頸部を回して行われるダイナミック血管撮影ではこれを検出することが可能となる。

 

Head-turning news 人を振り向かせるような事実

 

 「それは簡単に診断できるものではありません。最初から診断するには稀な疾患です」と Choudhri氏は言う。彼は約15年間で10例を診てきたという。「何らかの誘因が存在するはずです;Cathy(キャサリン)には骨の異常な増大を生じやすい体質があります」彼女の Eagle syndrome に言及して彼はそう話す。

 血管撮影で診断が確定した。

 「それは実に印象的でした。彼女の動脈は完全に完全に挟まれていました」とこの神経外科医は言う。

 マッサージ中の頸部への手技で骨棘が Cutter さんの椎骨動脈と接する状態になったようであると彼は理論づける。Choundhri 氏は骨棘を除去し頸部の2つの椎骨を固定する手術を受けるよう彼女に勧めた。

 通常なら手術はすぐに予定されるはずだった。しかしパンデミックにより3ヶ月遅れた。それまでの間、脳梗塞を発症するのではないかと Cutter さんは恐れた。「夫と私はペンシルベニアまで空輸してもらう緊急時対応策を考えていました」と彼女は言う。

 2020年6月の手術では、動脈を補強する手技も追加されたが成功した。しかし、理由は不明だが Cutterr さんのめまいは実質的に軽減しなかった。彼女の患耳の聴力は不良のままであり耳鳴も変化はなかった。

 10月、彼女は神経内科医とめまいの専門医を受診するためにクリーブランドまで出かけ、彼女の繰り返す頭痛を治療する薬を処方してもらった。

 2021年3月、Cuitter さんの補聴器が除去され、聴力の喪失や重症の聴力障害のある患者で聴力を取り戻すのに有効な外科的に埋め込まれる小さな装置である cochlear implant(人工内耳)が植え込まれた。この装置は耳鳴を抑えるのにも有効である。Cutter さんによると、聴力は劇的に改善し耳鳴も大いに軽減したという。

 彼女の突然の難聴を起こした原因を確実に知ることは不可能ではあるが、あのマッサージによって聴力に重要な内耳の hair cells(有毛細胞)への血流が遮断された可能性があると聴覚専門医から聞かされたと Cutter さんは言う。頸部の手技後の突然の聴力喪失の症例が報告されている。

 人工内耳の植込み術を受けてから9ヶ月になるが Cutter さんのめまいは、彼女が“manageable(何とかつきあっていける)”と呼ぶレベルまで軽減している。

 「ずいぶんと楽になっています」と彼女は言う。そしてマッサージは二度と受けないと誓う一方で Cutter さんは達観したところもみせる。「他の状況で頸を痛めていてもおかしくはなかったのです」と彼女は言うのである。

 

Bow Hunter 症候群(BHS)については下記ブログ、

研修医・救急医のための整形外科・外傷・スポーツ医学マニュアル』に

わかりやすく説明されているのでご参照いただきたい。

症例報告(耳鼻咽喉科展望)も参照のこと。

 

脳に行く4本の動脈のうち、後ろ側にある左右の椎骨動脈は

第6頸椎から第1頸椎まで椎骨の横にあいている横突孔を通って

上行し最終的には頭蓋骨の底にある大孔を通って頭蓋内に入る。

BHS は椎骨脳底動脈の循環不全の一つであり、これら頸椎部を

通過中の椎骨動脈が頸部回旋により狭窄や閉塞を来し、

一過性の脳の虚血症状を生じる疾患で、時に脳幹梗塞を起こす。

1978 年に Sorensen がアーチェリーの練習中に脳幹梗塞を

発症した症例を bow hunter’s stroke として初めて報告した。

本邦でも 1990 年頃から報告例が増加しているが稀な疾患である。

BHS の発症機序として腫瘍性や外傷性なども報告はされているが、

多くは頸椎の骨棘、靭帯間膜の肥厚、頸椎不安定性に起因する。

 

症状は一般に一過性の虚血による発作であるが、

血管内皮の障害から塞栓、解離を生じ致死的になる例もある。

好発部位は第1・第2頸椎(環椎・軸椎)レベルで、

回旋方向と反対側に多い。

その他、第5・6頸椎レベル、第6・7頸椎レベルでの

発症も報告されている。これらのレベルでは椎骨動脈が

頸椎横突孔を出入りすることから

本来生理的な屈曲が存在しているためとみられている。

 

BHS の症状は椎骨脳底動脈循環不全による症状であり、

比較的頻度の高い症状として回転性めまい(45%)、

浮動性めまい(25%)、眼前暗黒感(15%)などがある。

その他視覚障害、意識障害(気が遠くなる・短時間の意識消失)

などがみられる。耳鳴・難聴の随伴は極めて少ないとされている。

このような症状が頸部回旋時に認められることを

病歴でしっかりと把握ことが重要である。

 

通常の造影 CT やMRI、MRA では頸部回旋に伴う動的な病態を

捉えることができないため、本疾患の可能性が疑われる場合には、

カテーテルによる血管造影や、経時的に撮影を繰り返す

ダイナミックCT検査が有用となる。

 

BHS では自然に改善する症例も報告されているが、

まずは頸部回旋を控える生活指導を行い、発作を繰り返す例では

抗凝固療法がおこなわれる。

頸部回旋により明らかに椎骨動脈の狭窄が認められる場合には、

外科的加療が行われることがある。

椎骨動脈の圧迫に関与する組織(間膜・靭帯・椎骨の一部)を

切除するか、頸椎の不安定性がみられる例では患部の椎体固定術が

行われる。

前者では再発例がみられることがあり、

後者では術後に可動域制限が生ずるという欠点がある。

世界的にも症例数が少ないため、未だ明確な治療指針は

確立されていない。

 

BHS で Cutter さんのような高度な難聴が起こることは

考えにくいように思われるが、

前庭障害を来した報告もいくつかあることから

全くありえないことではないのかもしれない。

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背中に手榴弾!

2021-11-18 19:19:17 | 健康・病気

2021年11月のメディカル・ミステリーです。

 

11月13日付 Washington Post 電子版

 

Medical mystery: Back pain plagued her for 30 years. A recurring clue sparked a delayed diagnosis.

メディカル・ミステリー:彼女は背中の痛みに30年間苦しめられた。繰り返しみられた手がかりによって遅れていた診断が前進した。

 

By Sndra G. Boodman, 

 Charlene Gervais(シャーリーン・ジェルベーズ)さんは、当時16歳、高校バレーボールの花形選手だったので、長くバスに乗っていることで腰にその影響が及ぶことをとりわけ恐れていた。ミネソタ州北部の遠征試合に参加することは、バスが田舎道を1時間以上ゴトゴト揺られながら走ることを意味しており、そういった遠出は彼女に凝りや痛みをもたらした。プレーを始めると背骨や殿部の痛みは減弱したが、自宅に戻る時には増悪してしまうのだった。そして明らかな誘因なく痛みが増悪することもよくみられた。

 現在54歳、シカゴでブランド戦略コンサルタントをしている Gervais さんは、周期的に襲ってくる、しばしば予測できない背部の痛みは遺伝的運命であると思っていた。彼女の父親が同じ症状で悩まされていたからである。

 Gervais さんは、何年もの間診てもらっていた医師やトレーナーから、椎間板ヘルニア、骨棘、脊椎の下方にある仙腸関節の機能障害など、様々な診断名を告げられてきた。しかし、彼らが推奨するどの治療も彼女の痛みや凝りを長期に渡って軽減できなかった。

Charlene Gervais さんは、殿部や背部の繰り返す凝りの治療として何年間もカイロプラクティック手技や運動療法を受けてきたが不成功に終わっていた。予測できない痛みはあったが、彼女は世界を広く旅行しパイロットの免許も取得した。しかし小さな飛行機の乗り降りが難しいこともあった。

 

 そういった症状に対処するために Gervais さんは次善策を編み出した。彼女は、腰を前に曲げるのを避けるため、ペン、タオル、衣類などの物を、足の指で拾い上げる術を身につけた。前屈みの運動は、彼女の腰を固まらせ、強い痛みをもたらし、背筋を伸ばせなくなる可能性があったからである。

 彼女が治療方針を変える必要があると考えたのは、Gervais さんが“tipping point(転換点)” と呼ぶ事態、すなわち9ヶ月間の耐えがたい痛みの頂点を経験してからのことだった。彼女は何年間分ものカルテをコピーし、それらをすべて読み、繰り返し問題として上げられていた単語に興味をひかれた。

 その発見はすぐさま、思春期のころから Gervais さんを悩ませていた症状への新たなアプローチにつながった。その成功に至った速さを目の当たりにした彼女は、自身の役割にもっと関っていれば何年にも及ぶ苦悩を短くできていたのではないかと考えた。

 「私は多くを人任せにするのです」と彼女は言い、長い間『医学的なことを Google で探すこと』を苦手にしていたことも付け加える。

 「私は専門家を見つけると、彼らがきっと仕事をしてくれるはずだと信じてしまうのです」と Gervais さんは言う。彼女は自分の専門領域ではその方法が彼女に有効であったと信じているが、自身の医療については逆に障害となっていたのである。

 

Misaligned spine? ずれている脊椎?

 

 10代の頃、Gervais さんは背中の痛みのためにカイロプラクター(脊椎ヘルスケアの専門家)にかかっていた。「両親が大ファンだったのです」さらに彼女の家庭医も、脊椎の痛みを緩和させるための脊椎の徒手整復術をはじめとするこの治療の支持者だった。

 Gervaisさんによると、そのカイロプラクターは彼女には spinal misalignment(脊椎のズレ)があると説明したという。時折彼女は背部痛が強いためバレーボールの練習を休んでいた。しかし大概は、試合から外されることを恐れてその症状を気にしないよう努めていた。

 「パターンはそれほど多くはないようでした」と Gervais さんは思い起こす。彼女の症状は朝目が覚めた時が一番悪い傾向にあったが、あちこち動くと改善することに気づいた。時には何ら痛みのない状態が数ヶ月続くこともあった。

 成人してからも Gervais さんは、身体を強化する運動、ならびに痛みをコントロールする治療を勧めてくれているのだと信じていたカイロプラクターと個人的なトレーナーにかかり続けていた。ジムで真剣に汗を流すあまり、繰り返し無理をしていたことを覚えている。

 「私は負けず嫌いなので、セーブすることをしないで自分自身を何度も痛めつけてしまうのです」そう彼女は思い起こす。

 これまで100ヶ国を訪れてきた熱心な旅行者である Gervais さんによると、背中が悪いことで自身の活力を落としたくないという決意を持ち続けていたという。約15年前、彼女はパイロットの免許を取得したが、小さな飛行機の乗り降りが困難なことがあった。

 40歳代前半まで何年もの間、自身の健康以外の事に集中してきていたが、見て見ぬふりをしてきた自身の戦略につまずきが生じ始めていることが明らかになったと Gervais さんは言う。「私のやり方は、ただただ勇往邁進することでした:自分自身を救うことに多くの時間を割いてこなかったのです」

 一度、彼女の背中が動かなくなり彼女のオフィスがある5階までの階段を運んでもらわなければならないことがあった。くしゃみは、彼女が床の上で胎児のように丸くなっていない限りひどく辛かった;その姿勢でなければそれは“手榴弾が背骨に大きな打撃を加えている”ように感じたのである。Gervais さんによると、座っている姿勢から立ち上がろうとするには、転がってソファーから落ち、家を這いまわってから立ち上っていたこともあったという。時には、ベッドで寝がえりを打つことすら不可能なこともあった。

 薬物治療は概ね無効だった。抗炎症薬は効かなくなっており、オピオイド(麻薬)は痒みとイライラ感をもたらした。

 Gervais さんがかかりつけの古くからの内科医は同情の念を抱いた。

 「彼女は私を多くの専門医に紹介してくれました。しかし誰も私の助けにはなりませんでした」と Gervais さんは言う。彼女は一人の整形外科医と数人の理学療法士にかかるとともに、時折カイロプラクターの世話にもなった。Gervais さんは歩行を改善するための歩行訓練と、疼痛を緩和させるための鍼治療を試みた。そして個人的トレーナーのもと定期的トレーニングを続けたが、あるトレーナーはあまりに積極的過ぎたため Gervais さんが痛みのあまり泣いたこともあった。

 「筋肉の凝りだと思っていたのでそれが有効だろうと信じていました」と彼女は言う。「彼らが自分のことを専門家だと言えば、私は彼らを信じてしまうのです。そして、私は疑わしいことでも善意に解釈するのです。私は強い忠誠心を持った人間なのです」

 しかし、仙腸関節の固定術を勧めた整形外科医の提言についてはさすがに彼女はこれを拒絶した。

 「こんな風に彼は言ったのです。『うん、たぶんこれで良くなるよ』と」そう Gervais さんは思い起こす。さらに彼女はコルチゾンの注射というアドバイスも、副作用の可能性を恐れて回避した。

 

Common as a cold 風邪と同じくらいありふれた

 

 自分のカルテを読み通したところ、一つの要点が当時46歳のGervais さんの目に止まったという:それは彼女の関節について繰り返し言及されていた点である。そこで“ doctors who fix joints(関節を修復する医師)”でオンライン検索してみたところ、関節、筋、骨および免疫系を専門とするリウマチ専門医、内科医、あるいは小児科医についてのウェブサイトが見つかった。Gervaisさんはそれまでリウマチ専門医にかかったことがなかったため、かかりつけの内科医に、シカゴにある Northwestern University’s Feinberg School of Medicine(ノースウェスタン大学フェインバーグ医科大学)の内科学準教授の Arthur M. Mandelin(アーサー・M・マンデリン)氏への紹介を依頼した。

 2012年6月の彼女の最初の受診予約は「それまで経験した中で最も徹底した診察」だったと Gervais さんは言う。

 Gervaisさんは、Mandelin 氏が投げかけた一連の質問に対して、はいと答えたことを覚えている:長い時間座った後に立ち上がるのが難しいですか?症状は歩行後に軽減しますか?「そういった的を得た質問をされたのは初めてでした」と彼女は言う。

 Mandelin 氏は、Gervais さんの病歴と理学的検査に基づき、彼女が ankylosing spondylitis(AS, 強直性脊椎炎)ではないかと考えていると告げた。これは、硬直と背部痛を起こす慢性炎症性の脊椎炎の一型である。身体の他の部位も侵す可能性がある AS は脊椎椎体間や仙腸関節の炎症に起因する。本疾患は一般に思春期後期から若年成人に発症するが、その原因は分かっていない。しかし、環境因子と遺伝的要因の両者に起因すると考えられている。

 ASの重症度は様々である;高度な前屈姿勢を起こす人もいれば、椎体が癒合しているために脊椎が動かなくなってしまう“bamboo spine(竹様脊椎)”の状態になる人もいる。

 本疾患は主として男性が罹患すると考えられてきたが、最近の研究では、女性で見逃されている可能性が示唆されていると Mandelin 氏は言う。治療として、薬物治療、運動療法、そして時に手術が行われる。

 Mandelin 氏によると、ASの診断の遅れは通例となっているが、Gervaisさんに要した30年というのは長い方であるという。

 「背部痛というのは骨格筋疾患における風邪症状のようなものです」と Mandelin 氏は言う。多くの原因があるためそれらを選別するのは大変であると彼は言い、原因を特定しようとする際に Gervais さんの長い病歴が助けとなったと付け加える。

 医師らはASを意識していなかったために Gervais さんのケースでそれを考慮してこなかった可能性がある。

 「私自身の研修から学んだ教訓があります:『頭が知らないことを目で見ることはできない』というものです」そう彼は話す。

 ASの患者の中には治療を求めるのが遅れる人たちがいる。それは、当初は市販の抗炎症薬が有効なためだが、その後、痛みを抑えるには不十分となり結局仕事を辞めることになる。

 「私が注意を惹かれたことは、彼女の背部の痛みにこれらの炎症性の特徴がみられていることです。彼女は朝の最初の行動がむずかしいが、動いた後は改善していたのです」と Mandelin 氏は言う。もし彼女の痛みが損傷の結果であるとすれば逆のことが当てはまることになる:つまり安静が疼痛を緩和するのである。

 「そして外傷など誘因となるできごとがありませんでした」と彼は言う。

 本疾患では早期の診断と治療が重要であり、「早期の積極的な介入がこの病気をコントロールし、その結果、脊椎や身体の他の部位への障害を減じる絶好のチャンスとなります」と Mandelin 氏は言う。

 診断確定を補助するために Mandelin 氏は HLA-B27 をはじめとする血液検査を行った。HLA-B27 は白血球細胞の表面に認められるたんぱくで、ASを発症するリスクを増加させるが、スクリーニング検査にはなっていない。

 Gervais さんはその検査は陰性だったが、とりあえず暫定的な診断を受けられたことを大いに喜び、indomethacin(インドメタシン)という強力な抗炎症薬が始まって間もなく、さらに満足感が得られたのである。

 「それは文字通り人生が変わるものでした」と彼女は言う。数日のうちに「私は正常の人のように前かがみになれたのですから」

 その薬剤に対する彼女の“驚異的な”反応が Mandelin 氏にとって決め手となる証拠となった。「それは印象的でした」と彼は言う。「リウマチ学において、金字塔的に信頼できる血液検査はほとんどないのです」

 しかし、Gervais さんにはその薬剤によってめまいと精神的混乱が生じたため内服を続けることができなかった。「知らないうちに完全な霧の中で自分の机を見つめているだけの自分に気づいたりしていました」と彼女は思い起こす。飛行機を操縦することなど論外だった。

 代わって彼女は隔週に Humira(ヒュミラ)の注射を受けることになった。この薬剤は免疫系を抑制するため、他のタイプの関節炎や Crohn’s disease(クローン病)の治療に用いられる。後者はしばしば AS を合併する。

 「私たちは炎症を抑えた状況を保てる薬剤を求めています」と Mandelin 氏は言う。この薬は Gervais さんに有効であり、これまでのところ副作用を経験していない。彼女の状態はこの10年間安定を保てていると、現在も6ヶ月毎に診察している Mandelin 氏は言う。

 Gervais さんによると、彼女は現在難なく動けているという。彼女は毎日5マイル歩いており、痛みなく週に3度ジムで運動している。

 「今、順調です、実に良好です」と彼女は言う。数ヶ月前にガーデニングをしたことで短期間の炎症の増悪がみられたとき、かつて何年もの間自身がどのようにして切り抜けてきたのだろうかと彼女は不思議に思ったという。

 「私の経験で浮き彫りになったのは、的確な診断が得られないということに対する途方もない失望感です。誰もきちんと診断できなかったのはなぜなのでしょう?」と彼女は言う。

 

 

強直性脊椎炎(ankyolosing spondylitis, AS)の詳細は

下記のサイトをご参照いただきたい。

公益財団法人日本リウマチ財団のサイト

 

難病情報センターのサイト

 

 

ASとは、主に脊椎・仙腸関節(脊椎下部の仙骨と骨盤の間の関節)、

及び四肢の大関節を侵す慢性進行性の炎症性疾患である。

多くは30歳前の若年者に発症し、頸部・背部・腰部・臀部、

さらには肩、股、膝、肩関節など全身に炎症性疼痛が拡がり、

次第に各部位の拘縮や強直を生じる。

このため、身体的だけでなく心理的・社会的にもQOLの

著しい低下を招き、就学・就労の大きな障壁となる。

重症例では全脊椎が前屈位で骨性に強直して運動性が消失し、

前方を注視できない、上を見上げられない、後ろを振り向けない、

長時間同じ姿勢を維持するのが困難になるなど、

日常生活に大きな支障が生じてくる。

さらには、脊椎骨折やこれに伴う脊髄損傷などを来しやすく、

外傷による後遺症の危険性も高まる。

 

本邦におけるASの患者数は欧米に比べ極めて少ない。

(白人では全人口の0.5%、日本人ではその10分の1以下と

考えられている)

患者の発病時期は、思春期、青年期に多く、

45歳以上での発病は稀である。

医師の間でも本疾患が十分に周知されていないため

診断は遅れがちとなり、発症から診断までに平均9.3年を要する。

 

原因

ASは遺伝性の病気ではないとされている。

原因は不明だが、

ヒト白血球抗原 HLA の一型であるHLA-B27との強い関連性が

みられ、ASの患者にはこの型を持つ例が多い。

(海外ではASの患者の90%以上で HLA-B27陽性)

そのような遺伝的要因が背景にあり、

腸管の細菌感染など後天的要因による免疫異常が生じた結果

ASを発症するのではないかと考えられているが

未だ確証は得られていない。

 

症状

仙腸関節炎や脊椎炎による腰背部痛や殿部痛が

初発症状となることが多いが、

早期には一般的な腰痛症や坐骨神経痛との区別は容易ではない。

疼痛が運動により軽快し、安静や就寝により増悪するのが

特徴である。

夜間や朝方に痛みが強くみられることが多い。

また、症状に波があるのも特徴で、激痛が数日続き

その後は痛みがほとんどなくなることもある。

アキレス腱の付着部である踵部をはじめ、身体各所の

靱帯付着部の炎症徴候(疼痛・腫脹)がしばしば見られ、

時に股、膝、肩など四肢の大関節の疼痛や運動制限も生じる。

進行に伴い脊椎や関節の可動域が減少し、

重症例では運動性が完全に消失する。

骨関節症状以外では、

まれに失明を招くぶどう膜炎(虹彩炎)が約1/3に併発し

視力低下を来す。

その他、貧血や消化器病変(炎症性腸疾患)、

循環器病変(弁閉鎖不全症、伝導障害)、

呼吸器病変(肺線維症)などを合併することがある。

 

診断

若年者で、徐々に進む腰痛があり運動で良くなるような場合には、

本疾患を疑う。

血液検査では、炎症を反映するCRPの上昇がみられることが多い。

関節リウマチでみられるリウマトイド因子は陰性である。

画像検査として、仙腸関節や脊椎のX線検査や、

CT、MRIなどの検査を行うが早期の診断は困難なことがある。

 

治療法

根治療法はなく、薬物療法、及び理学療法・運動療法などの

対症療法が中心となる。

症状軽減には非ステロイド性抗炎症薬が有効である。

ステロイドの長期間の内服は、効果に乏しく

副作用が懸念されるため推奨されていない。

関節リウマチに汎用される抗リウマチ薬(メトトレキサート、

サラゾスルファピリジンなど)の有効性は証明されていない。

ただ、関節リウマチに用いられる

生物学的製剤(TNFα阻害剤)の適応が2010年に承認され、

60%以上の患者でその有効性が証明されている。

TNFα阻害剤にはインフリキシマブ(商品名レミケード)や

アダリムマブ(商品名ヒュミラ)がある。

またASにおける関節の炎症において、

サイトカインの一つであるインターロイキン17A(IL-17A)が

関与していることが示唆されることから、

抗IL-17A遺伝子組換えヒト型モノクローナル抗体も

本疾患の治療薬として昨年本邦でも承認された。

これらは非ステロイド性抗炎症薬の効果不十分な患者に

対して用いることが推奨されている。

高度の脊柱後弯変形(前屈変形)に対しては脊柱を伸ばして

固定する脊椎矯正固定術が、

また股関節・膝関節の破壊・強直に対しては

人工関節置換術が施行されることがある。

 

予後

病状は数十年にわたり徐々に進行し、広範囲の強い疼痛に加え

脊椎や四肢関節の運動制限により、

日常生活動作が著しく制限されるようになる。

約1/3の患者で、全脊椎が棒のようになる強直

(bamboo spine, 竹様脊椎)に進展する。

併発する臓器病変や長期の薬物治療の影響も加わって、

一般人より平均余命は短いが、

病状の進行の程度には個人差がみられる。

また、骨粗鬆症の抑制や骨折の予防が重要である。

 

海外に比べ本邦ではかなり頻度の低い難病だが、

主として若年者を苦しめるこの疾患の存在を

しっかりと頭の片隅に置いておくべきである。

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思い込みはほどほどに

2021-10-21 18:22:55 | 健康・病気

今月のメディカル・ミステリーです。

 

10月16日付 Washington Post 電子版

 

Her unexplained jitteriness and weight loss were telling clues

彼女の原因不明のイライラと体重減少は手がかりを教えてくれていた

By Sandra G. Boodman, 

 ほぼ10年間に渡って Sherrill Franklin(シェリル・フランクリン)さんは捉えどころのない障害と闘ってきた。彼女は意図しないまま体重が 22ポンド(約10kg)減った。顔は紅潮し、頸部は汗ばみベトベトして気持ちが悪かった。さらにどういうわけかイライラした。フィラデルフィアから西に1時間のところにある田舎の地域に住んでいる Franklin さんは時々、めまいの発作にも悩まされた。

 気になる新たな症状が出現したため彼女が行った病院で専門医が血液検査を行って初めて彼女の体調が悪かった理由が明らかになった。その医師は彼女が受診した20何番目かの医師だった。

 Franklin さんは無駄に過ごした年月を後悔し、それまでの自身の経験が、誤った想定の不幸な連鎖、機会の逸失、そして、人を惑わす情報への誘導であったと考えている。

 「大変費用がかかったし、惨めでした」と彼女は言う。医師らが、彼女の病気の考えられる原因を繰り返し見逃してきたようであったことに彼女はうろたえている。そして、彼女自身の行動が、図らずも診断の遅れが長引いたことの一因となった可能性があると考えている。

「私はこれから先、元通りになれるかはわかりません」自身の病気について Sherrill Franklin さんはそう話す。「長い長い道のりだったので」

 

 「起こったことを経験したことで多くを学び、その理由を知りました。他の人たちにも学んでいただけることを望んでいます」と彼女は言う。

 

Lyme again? またライム病?

 

 2008年春、博物館の店の商品を製造するビジネスを経営している Franklin さんはライム病(スピロヘータの一種 Borrelia [ボレリア] 属細菌によって引き起こされるダニ媒介性感染症)の治療が必要となったことがあった。彼女には古典的な bull’s eye rash(慢性遊走性紅斑)がみられ、かかりつけの内科医の診療所のナース・プラクティショナー(上級看護師)は標準的治療薬、すなわち一連の経口抗生物質を処方した。

 当時56歳だった Franklin さんは半信半疑で、すっきりしなかった。今回が初めてのライム病発症ではなかったからである。21年前、妊娠中に治療が不十分だったダニによる咬傷でその後2年間苦しんだ。彼女によると、彼女には3週間の抗生物質の経静脈投与が必要であったことを知ったのは、初めてライム病を発見したエール大学の医師に連絡を取ったときだったという。その後彼女は治療を受け完全に回復した。

 2回目のライム病の診断から数週間のうちに、彼女は、神経の高ぶり、筋力低下、さらには発汗などの様々な症状に苦しんだという。これらの症状は最初の時に経験したものとは異なっていたことから、Franklin さんは異なるライムの菌株に感染したのではないかと考えた(12種類以上存在する)。

 一方、彼女の主治医は代謝疾患の可能性を疑い、内分泌専門医への受診を勧めた。彼女が受診したフィラデルフィアの専門医は「私の症状すべてに苛立ち、辟易としたようでした」と Franklin さんは思い起こすが、結局その医師には原因がわからなかった。

 それからの2年間、Franklin さんの内科医は彼女を感染症専門医や内分泌専門医に紹介した:彼女自身も他の何人かの専門医を見つけた。ある医師は彼女の症状は閉経が原因であるとした;他の医師は、甲状腺の機能障害があるとして、甲状腺が炎症を起こしているときにみられる機能の低下や亢進が原因となって生ずる症状の変動を治療すべく様々な量の薬を処方した。

 しかし自身の症状はダニに関連するものであると Franklin さんは徐々に確信するようになった。そして医師らが原因を特定できず有効な治療薬も処方できないように思われたことでその思いは強くなっていった。

 「私は慢性ライム病なのだと思いました」ライム病の活動家となった Franklin さんは言う。「頼りとするところがわかりませんでした。そのため長い間その道を進んで行ったのです」

 “慢性ライム病”の存在や治療は、近年の医学において最も論争を起こしている問題の一つになっている。

 連邦衛生当局は、明確な定義がされておらず誤解を招く恐れがあるこの曖昧な疾患の診断を行わないよう警告している。そして、当局はその治療に用いられる立証されていない危険な治療を行わないよう強く警告している。中でも重要なものは、“ライムに通じている”専門医によって処方される数ヶ月から数年にわたる静脈投与の抗生物質である。これにより一部の症例で重症化したり、死に至ることもあったからである。

 2010年7月、Franklin さんは、回転性めまいと、深刻な疾患の前兆である可能性があるリズミカルにシューという音、あるいはドンドンという音がするいわゆる pulsatile tinnitus(脈動性耳鳴)の症状で耳鼻咽喉科を受診した。彼は画像検査を依頼したが正常であり、動脈瘤や、脳内の血管の異常な塊は除外された。その医師は Franklin さんに、甲状腺の異常が耳鳴に関係しているかもしれないと説明した。甲状腺の機能亢進は頻脈や心臓の動悸をもたらす可能性があり、彼女の耳に反響する音を説明することができた。別の専門医は pheochromocytoma(褐色細胞腫)の精査を Franklin さんに行った。これはまれな副腎腫瘍で、発汗の原因となりうる。しかし検査では異常な所見はみられなかった。

 2011年には Franklin さんは22ポンド(約10㎏)体重が減っていた;彼女は 167㎝で体重118ポンド(53.5kg)だった。彼女の家庭医は心配し、彼女に Ensure(エンシュア、経腸栄養剤)を飲み始めるよう勧めた。「彼の診察室で泣き出し、助けを求めたことを覚えています」と彼女は思い起こす。「私は動揺しており、彼も何をすべきかわかりませんでした」

 彼女の内科医は大きな中西部のメディカルセンターを受診する手伝いをすることに同意したが予約を確保できなかった。

 その後の5年間、彼女は、ライムの専門医、感染症専門医、内科医、および内分泌専門医の間を行ったり来たりした。Franklin さんによると、大概は受診の最初にライム病について言及していたという。ライム病に関係ない医師の反応は、不信を募らせたるものから、全く冷ややかなものまでみられた。

 クリーブランドの感染症専門医は Franklin さんに、彼女の症状は閉経に関連しているものと考えていると告げた。フィラデルフィア地区の内分泌専門医は、彼女は全く健康であると断言した。デラウェアとニューヨークの医師らは彼女が mast cell activation syndrome(肥満細胞活性化症候群)かもしれないと考えた。これは顔面紅潮をもたらすアレルギー反応であるが、その後それは除外された。

 3人のライム病の専門医から処方された治療薬、その中には、3週間のコースの静脈投与の抗生物質が含まれており、これによってFranklinさんに9,000ドルの費用がかかったが、健康状態の改善に何ら寄与しなかった。

 

A telling symptom 手がかりとなる症状

 

 心臓の動悸が2017年1月に本格的に始まった。Franklinさんが初めてかかっていた内科医にその症状を話すと、その医師は不安症状だとしてそれを無視した。彼女の年齢から、その医師が骨密度検査を行ったところ骨粗鬆症が明らかとなった。

 9月21日には動悸は無視できないものとなった。「昼食を食べても動悸は治まりませんでした」と Franklin さんは思い起こす。

 夫が彼女を急病治療センターに連れて行くと、そこのスタッフにより心電図が行われ、救急車が呼ばれた。Franklin さんは、不規則な頻脈である atrial fibrillation(AFib、心房細動)の状態だった。運ばれた病院で、心拍を調整する薬と、AFib の結果起こりうる脳梗塞を予防する薬が開始された。

 一週間後、彼女は再発を起こしその病院に戻った。今回は一人の内分泌専門医によって thyroid stimulating immunoglobulin(TSI、甲状腺刺激性免疫グロブリン)の検査が行われた。Franklin さんによると、この検査はこれまで行われたことがなかったという。

 その結果は確定的でありそのまま診断につながった。Franklinさんの TSI値が異常に高かったのである。この数値の上昇は甲状腺機能亢進症の最も多い原因となっている Graves’ disease(グレーブス病)の特徴である。

 Graves’ diseaseは免疫系が甲状腺を攻撃するときに発病し、過剰な甲状腺ホルモンを産生が生じる。このホルモンは、身体のエネルギー利用を制御し、ほぼすべての臓器に影響を及ぼす。

 19世紀のアイルランドの医師 Robert Graves(ロバート・グレーブス)の名前に由来する本疾患は200人に1人が罹患すると考えられており、その大多数は女性である。その原因は不明だが、甲状腺疾患の家族歴に反映されるように遺伝子の組み合わせの他、ウイルスやストレスなどの環境要因が関与していると考えられている。

 Graves’ の症状としては、意図しない体重減少、イライラ、動悸、頻脈、あるいは心臓の不耐症などがみられる。一部の患者ではグレーブス眼症と呼ばれる眼病変がみられる。Franklin さんにはみられなかったが眼症では眼球突出が認められる。Grave’s disease の治療には3つの方法がある:①甲状腺機能を低下させる放射性ヨードの内服摂取、②甲状腺の切除手術、そして③薬物治療、である。

 治療されないまま放置されると Graves’により骨粗鬆症、AFibが起こり、時に心不全に陥る。

 「新規に発症した AFibのほとんどの患者では甲状腺機能が調べられます」今回の検査を依頼し診断した内分泌専門医の Christopher Bruno(クリストファー・ブルーノ)氏は言う。

 「通常、Graves’ disease はきわめて単純明快な診断になります」と付け加える。「Franklin さんの場合、多くの他の疾患を探るために精査が行われ、これら多くの専門医を受診してきました」このことが異常な診断の遅れにつながった可能性があるという。

 「未診断の Grave’s を抱えて、10年間ずっと彼女が歩き回っていたかはわかりませんが、少なくとも1、2年間はそういう状態でした」それによって、AFib とおそらく骨粗鬆症が引き起こされたと彼は言う。

 ライム病への彼女の執着が、このような結果を招いた要因の一つになっていた可能性があると考えていると Bruno氏と Franlin さんはともに言う。

 Bruno 氏によるとライム病が Graves’ disease を引き起こしていた可能性があるかどうか Franklin さんが彼に尋ねたという;彼は、両者には関係はないと彼女に説明した。

 「それらは二つの独立した経過です」と彼は言う。

 Franklin さんによると、今、あまりに多くの専門医を受診したことで明らかになるどころか混乱を招くことになったと考えているという。他の医師が言ったことを新しい医師に話さなければ良かったと思っている。また、自身のカルテをごく当たり前に共有しなければ良かったとも考えている。「彼らはこう思うのでしょう、『オッケー、何人かの専門医がすでに彼女を診ている、彼女はグズグズ言う人間なのだ』と」そう彼女は言う。

 自分を“頭のいかれたライムの女”と片付けた医師もいただろうと彼女は思っている。

 振り返って見れば、医師らに「これは他に何の可能性がありますか」と尋ね、そして彼女が取るべき次の手段について訊いた方が良かったのではないかと彼女は考えている。自身の甲状腺機能の変動があったにも関わらず、受診した内分泌専門医の誰一人として彼女が Graves’ かもしれないと考えなかったことに Franklin さんは今でも不思議に思っている。

 2018年、薬物療法では彼女の甲状腺機能を安定化できなかったため、Franklin さんは甲状腺を切除する手術を受けた。これにより彼女の健康状態は劇的に改善した。彼女には AFib の再発はみられておらず、骨密度も改善した。

 「私はこれから先、元通りになれるかはわかりません。あまりに長い道のりだったので」と彼女は言う。

 

 

 

 

 

この患者、経過中に何度か甲状腺の異常が疑われたようであるが、

結局最終診断にはなかなかたどり着けなかったということなのだろう。

 

グレーブス病(あるいはバセドウ病)については下記サイト等

ご参照いただきたい。

杏林大学医学部付属病院

日本小児内分泌学会

 

甲状腺は頸の前面で鎖骨のすぐ上に、蝶が羽を広げたように

気管の両側に存在する大きさ15~20gの内分泌器官である。

甲状腺は、食べものに含まれるヨウ素から甲状腺ホルモンを産生する。

甲状腺ホルモンは各器官に作用し、主として代謝を活発にし、

体温調節をしたり基礎代謝を上昇させたり、

成長や発達を促したりするなど重要な役割を果たす。

この甲状腺ホルモンの合成・分泌が過剰になり

血液中のホルモン値が上昇している状態を甲状腺機能亢進症という。

バセドウ病(グレーブス病)は

甲状腺機能亢進症を引き起こす代表的な病気で

自己免疫疾患の一つである。

甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることで、

甲状腺機能亢進による症状、すなわち動悸や息切れ、手の震え、多汗、

全身倦怠感、体重減少、眼球突出など全身に様々な症状を引き起こす。

20歳から50歳代に多く、女性が男性の3~5倍多い。

高齢者にも発症するが、症状が典型的でなく診断が遅れることがある。

バセドウ病という病名は、この病気を1840年に発表した

ドイツ人医師 Karl Adolph von Basedowの名前からつけられたが、

英語圏では1835年に本疾患を報告したRobert James Gravesの名前に

ちなんでグレーブス病と呼ばれることが多い。

 

原因

甲状腺からの甲状腺ホルモンの分泌は、

脳下垂体から分泌されている甲状腺刺激ホルモン(TSH)により

調節を受けている。

バセドウ病では、甲状腺にあるTSH受容体に対する抗体、

すなわち TSH受容体抗体(TSH receptor antibody : TRAb)が

何らかの原因で作られ、

それにより甲状腺が刺激され甲状腺機能が亢進する。

バセドウ病の原因はいまだ完全には解明されておらず、

遺伝因子、環境因子、あるいはその両方の関与が考えられている。

原因となる遺伝子はまだ特定されていない。

遺伝因子以外の要因として精神的・肉体的ストレスや

喫煙、過労、出産などの関与が示唆されている。

 

症状

バセドウ病により甲状腺ホルモンが正常より高くなると、

甲状腺機能亢進によるさまざまな症状が出現する。

甲状腺ホルモンにより新陳代謝が活発になりすぎるため、

常に運動しているような状態になり体が消耗する。

代表的な症状として頻脈、心気亢進、手の震え、体重減少、

多汗、眼球突出などがある。

なかでも、びまん性甲状腺腫大、頻脈、眼球突出が

典型的3徴候(メルセブルグの3徴)と呼ばれている。

そのほか、不整脈(心房細動)などの循環器系の症状、

食欲亢進、軟便または下痢、肝障害などの消化器症状、

脱力、筋力低下などの神経・筋症状がみられる。

バセドウ病の原因である抗体により、

バセドウ眼症という眼球突出を見ることがある。

心不全や骨粗鬆症、不妊や流産などの原因となることもある。

男性ではまれに低カリウム血症から脱力がみられることがある。

 

検査

問診と甲状腺の触診、採血と甲状腺超音波で診断する。

甲状腺ホルモンであるFT4(フリーT4、サイロキシン)や

FT3(フリーT3、トリヨードサイロニン)の血中濃度が高値で、

甲状腺刺激ホルモンであるTSHが低値であれば、

甲状腺機能亢進症(甲状腺中毒症)と診断する。

さらに抗TSH受容体抗体(TRAb)を測定して陽性であれば、

多くがバセドウ病の診断となる。

甲状腺超音波検査では、甲状腺はびまん性(全体的)に腫大し、

甲状腺内部の血流の増加が確認される。

バセドウ病の診断には、甲状腺機能亢進症の原因となりうる

抗不整脈薬のアミオダロンやインターフェロン、抗癌剤などの

薬剤の影響、腫瘍や炎症などを除外する必要がある。

 

治療

治療は甲状腺ホルモンの分泌を抑制し正常化することを

目標とする。

①薬物療法

薬物療法にはチアマゾールやプロピロチオウラシルなどの

抗甲状腺薬と無機ヨウ素による治療法がある。

多くの場合、抗甲状腺薬のチアマゾールから開始するが、

ホルモン値が正常となるまでには1~3ヶ月かかるため

即効性のある無機ヨウ素を併用する場合もある。

動悸、息切れなどに対してはβブロッカーを投与する。

なお抗甲状腺薬には副作用に注意する必要がある。

副作用には皮膚のかゆみや発疹などの軽症副作用と、

無顆粒球症(白血球の中の顆粒球の減少)、重症肝機能障害、

MPO-ANCA関連血管炎などの重症副作用がある。

抗甲状腺薬で副作用が出た場合や、

甲状腺機能を早く正常化させる必要がある場合は

無機ヨウ素による治療が行われる。

無機ヨウ素による治療は、重篤な副作用がなく即効性がある反面、

長期服用で効果がなくなるというエスケープ現象が知られている。

②放射線治療(アイソトープ治療)

放射性ヨードのカプセルを服用する治療である。

原則として18歳以下の若年者には用いられない。

この治療では抗甲状腺薬による副作用や手術による合併症を

回避できることから欧米では良く選択される治療法となっている。

しかし、日本においては放射線に対して抵抗感があり、

また治療できる施設が限られているので積極的には

用いられていない。

③手術療法

手術療法は、抗甲状腺薬で重篤な副作用が出た場合、

腫瘍を合併している場合、TSH受容体抗体が高く難治な場合、

あるいは出産に不安のある妊婦やバセドウ眼症が高度な患者などに

適応がある。

手術には甲状腺を少し残す亜全摘と全摘とがある。

亜全摘は再発率が高いのに対し、全摘では術後甲状腺ホルモンを

永続的に服用する必要がある。

確実な治療効果が得られることから全摘が選択されることが多い。

 

古くから知られている頻度の高い病気であるが、

発症にストレスが関与している可能性があるなど

いまだに謎の多い病気である。

 

 

 

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新車のにおい DE 激しい頭痛

2021-09-29 14:37:55 | 健康・病気

9月のメディカル・ミステリーです。

 

9月25日付 Washington Post 電子版

 

The unusual headaches that upended this man’s life began with a new car

彼の人生を一変させた異常な頭痛は新しい車から始まった

 

By Sandra G. Boodman,  

 

 Tom Wells(トム・ウェルズ)さんと妻の Susan(スーザン)さんが2015年の10月に、Maryland にある最近改装されたばかりの映画館の座席に着いたとき、彼女は彼にそこを出るべきかどうか尋ねた。

 Wells さんは10年以上、新車や塗りたてのペンキのにおいにさらされることで誘発される頭痛と闘っていた。Susan Wells さんは微かではあるが間違えようのない新しいカーペットや塗料の薬品臭に気づいたので夫にどうしたいかを尋ねたのである。

 Wells さんもまたそのにおいに気づいていたが、おそらく大丈夫だろうと答えた。そこは大きな劇場なのだから、と彼は理由づけたのだ。そのため、その夫婦は席にとどまり冷戦ドラマの “Bridge of Spies(ブリッジ・オブ・スパイ)” を見続けたのである。

 Wells さんが予期しなかったことは、その劇場で過ごした3時間がこれまでに彼が下した最悪の決断になってしまったということだった。「一体自分が何を考えていたのかわかりません」最近彼はそう話す。

 

「誰からも『ねぇ、要は気のせいでしょ』とは言われませんでした」と Tom Wells さんは言う。彼の長期にわたる頭痛は何人かの専門医によって薬品臭と関連付けられていた。彼の頭痛が何ヶ月も持続することに医師らは当惑し、原因探索の道筋が見えなくなっていた。

 

 それから6年になるが、あの映画を見てから数時間して出現した頭痛は完全には消失していない。

 「この気の毒な男性はあちらこちらの医師に診てもらっていました」彼を長く診てきた神経内科医 Nirjal K. Nikhar 氏(ニヤル・K・ニハール)氏は、Freddie Mac(連邦住宅金融抵当公庫:アメリカ政府支援の住宅投資機関)の元専務理事だったこの57歳の男性が疼痛専門医、神経外科医、頭痛専門医、および神経内科医などの様々な専門医を受診したことについて、そう話す。しかし、この18ヶ月間、新たな治療法の効果がみられているようである。

 「彼の場合の二つの大きな疑問は『これがなぜ起こったのか?』、そして『それに対して何ができるか?』です」Nikhar 氏はそう語り、Wells さんの稀な疾患の様相がいまだに彼を当惑させ続けていると付け加えた。

 

New car smell 新車のにおい

 

 Wells さんの症状は彼が新車を購入した2002年に始まった。Maryland 郊外の彼の自宅の近隣を運転した2、3時間後に異常な頭痛が出現したのである。それは、頭の中心が焼けるような感じがして、まるで“誰かが自分の脳をサンドペーパーで磨いているよう”だったという。

 Wells さんはそれまで健康で、頭痛の既往もなく、妻の古い車を運転しているときには何ら問題がないことに気づいていた。その新車に排気ガスの漏れがあるのではないかと恐れた彼はそれを返却した。しかし、中古車に買い換えたところ同じことが起こった。

 彼はアレルギー専門医を受診したが、そこから環境衛生を専門にしているバルチモアの Johns Hopkins Hospital(ジョンズ・ホプキンズ病院)の医師に紹介された。

 Hopkins の専門医は Wells さんに  volatile organic compounds(VOC, 揮発性有機化合物)に対して過敏性があるとみられると説明した。それは非常に様々な製品や製造工程に検出されるもので、空気中に放出されるガス状の物質である。それらの中には車の製造工程で使われ、結果として新車のにおいとして知られているものとなる。

 これらのどこにでも存在する化合物は、その一部はにおいとして感知されないが、呼吸器に障害のある患者や、それらに異常に敏感な人たちでは、健康被害のリスクを高める可能性がある。VOC 曝露の影響は、化学物質の種類、曝露期間の長さ、および空気中に漂う量に関係する。

 Benzene(ベンゼン)など一部の高濃度 VOCs への慢性的な曝露は神経障害や癌と関連づけられている。タバコの煙やガソリンはベンゼン曝露の発生源となっている。

 Wells さんによると、その医師は彼に、塗りたてのペンキ、新しい敷物類、および新車を避けるよう努めるべきであると説明した。それらはすべて VOCs の重要な発生源である。もし彼がその努力をしなければ、頭痛は恐らくさらに重症化し遷延するだろうとその医師から告げられたことを覚えている。

 その後数年間、Wells さんはそのアドバイスに従うことに心を砕き、頭痛のない状態を維持できていた。

 「私はホテルに宿泊するときにはあらかじめ電話をかけ支配人と話をして最近改修されていない部屋をお願いするようにしていました」と彼は思い起こす。休暇で家族とフロリダに行ったときには、タイル張りの床になっている特定のコンドミニアムに滞在した。新車も購入しなかった。そして、レンタカーを利用するときには、店舗にある最も古い車両を所望し、彼が乗る前に消毒しないよう求めた。

 2008年、この夫婦は新しいリビングルームの家具を購入した。しかしそれが届くと間もなく、激しい頭痛が始まった。Wells さんはその後、その家具が圧縮材あるいは複合材でできていることを知った。複合材はしばしば VOC である formaldehyde(ホルムアルデヒド)を含有している。そのためその家具を返品し、VOCs の含有量の低い同一材で作られた商品と取り換えてもらった。この時には彼の頭痛は数週間遷延した。

 頭痛がさらに長く続いていることを心配した Wells さんは2人目の Hopkins の専門医を受診した。彼女は、彼の頭痛の原因を特定できないと話し、biofeedback(バイオフィードバック、生体自己制御法)が有効かもしれないと提案した。これは痛みとストレスを緩和させる目的で身体機能の測定に生体センサーを用いるマインドフルネス療法である。Wells さんはそれを短期間試みたが、頭痛にこの療法を用いる専門医を見つけ出すことができなかった。

 そこで彼が受診したのが Nikhar 氏である。彼は MRI 検査を依頼したが正常だった。

 “炎症性要素”を有していると疑われる頭痛を治療する目的で、強力な副腎皮質ステロイドである prednisone(プレドニゾン)を漸増しながら高用量を処方した。副腎皮質ステロイドは炎症を抑えることはできるが長期に高用量が投与されると重篤な副作用を起こしうる。

 Wells さんによるとその薬が有効かどうかの判断は難しかったという。ある時、仕事で車庫に車を停めたところ、その床面が新たに塗り替えられていたことに彼は気づいた;すると30分以内に頭痛が始まったという。高用量のプレドニゾンを内服し、その車庫を数週間避けたにも関わらず、彼の頭痛は2ヶ月続いた。

 

Ill-fated movie night 不運だった映画の夜

 

 Wells さんは、油断していたという以外に、あの映画を見続けることにした決断を説明できない。燃えるような頭痛が翌日に始まった。最初、頭痛があまりに強かったので焦点を合わせることもできず、ある晩、地元の緊急室を受診した。

 「自分が何をやったのかと思っていたことを覚えています。私はひどく怖い思いをしていました」と彼は言う。

 2016年の初め、Nikhar 氏は2度目の脳 MRI 検査を行った。今回は初回と異なり正常ではなかった。多発性の深部白質病変が認められたが、その意義は不明である。片頭痛、多発性硬化症、および他の疾患でそのような病変が引き起こされることがある。

 「それが何を意味するのかはわかっていません」Nikhar 氏はそう述べるが、それらは50歳代の男性には予想外の所見ではあると付け加える。しかしWells さんはそれ以降数回 MRI 検査を行っているが変化はみられていない。

 それからの3年間、Wells さんは絶え間なく続く頭痛の治療を受けるべく複数の専門医を受診した:神経内科医、疼痛専門医、神経外科医、そしてリウマチ専門医である。彼はたくさんの内服薬を試みた:片頭痛、うつ病、神経疼痛の治療薬に加え、筋弛緩薬、抗ヒスタミン薬、鎮痛薬、そして鎮静剤である;しかしいずれも効果がないようだった。痛みを和らげることを期待して前額部に打った十数回の注射も、数ヶ月間行った鍼治療も効果がなかった。

「誰からも『ねぇ、要は気のせいでしょ』とは言われませんでした」と Wells さんは思い起こす。彼の頭痛が何ヶ月も持続することに医師らは当惑し、原因探索の道筋が見えなくなっていた。時に、慢性頭痛は、鎮痛薬の頻回、あるいは過剰使用によって引き起こされるリバウンド反応の結果みられることもある。

 Wells さんによると、彼は、問題があるかもしれないとわかっている VOCs を避けることを怠らなかったし、彼の雇用主も対応してくれていたという。オフィスがリフォームをする計画があったときには、彼は古い仕事場へと移動した。そして 2019年までに彼の痛みは弱まっていた。Wells さんは不安、不眠、およびパニック障害に使用される安定剤 benzodiazepine(ベンゾジアゼピン)が Nikhar 氏から処方され、内服を始めていたのである。

 「どのようにしてそれが彼の頭痛に効果があるのかわかりません」と Nikhar 氏は言う。「おそらく彼の心を落ち着かせることで筋肉の緊張を緩めるのでしょう」しかし、この神経内科医は Wells さんの頭痛が不安の結果生じているとは考えていないという。「彼の不安は症状の結果として存在していると思います」と Nikhar 氏は言う。「不安が彼の頭痛の増長因子ではないと考えます」

 依存性があることが知られている薬物であるベンゾジアゼピンを用いることは危険性を孕んでいる、とこの神経内科医は言う。「2つの要因の狭間で葛藤があるのです。患者を救いたい一方で依存を生みたくないのです」

 しかし、2019年の年末までに Wells さんの頭痛はかなり悪くなった。

 「私の不安はまさに徐々に大きくなりました。『これが私の人生となるのだろうか?』そう思っていました」と彼は思い起こす。

 

Some relief いくばくかの安堵

 

 2020年の初め、Nikhar 氏の勧めによって Wells さんは頭痛治療を専門としている Cleveland Clinic(クリーブランド・クリニック)の神経内科医の受診予約をした。

 その予約は3月下旬に取れたが、その時期はパンデミックによって旅行や非緊急の対面診療ができなくなって2週間後だった。

 30分間の電話での会話による診察中、その Cleveland の医師は、Wells さんは central sensitization(中枢性感作)と呼ばれる現象を経験しているのかもしれないと提唱した。これは脳に送られた疼痛シグナルを中枢神経系が増幅している状況である。

 Central sensitization の原因は明らかにされていない;疼痛に対する反応が増強されやすいといった遺伝的要素が一因となっている可能性がある。しばしば、外傷や手術など引き金となる事象が存在する。

 Wells さんによると、その神経内科医は、これまでに数例の似たケースを診たことがあり、鍵となる目標はそのサイクルを断ち切ることであると彼に説明したという。

 その電話のすぐ前に、Wells さんは2つめの薬の内服を始めていた。Nikhar 氏が処方した神経疼痛の治療薬として承認されている抗うつ薬である。その Cleveland の専門医は Wells さんにその薬の内服を続けるよう助言した。その薬は片頭痛の治療に用いられており、その効果を評価するために、必要に応じてさらに高用量で投与されることもある。

 4ヶ月後、Wells さんの頭痛は大いに減弱した。彼はその抗うつ薬の内服を続けるとともに、痛みがひどくなった時にはベンゾジアゼピンを用いた。彼によると、これまでのところ頭痛は「非常に良く管理できている」状態にあるといい、「できるかぎり少なく内服するよう努力しています」という。そして、完全に両方の薬の内服をやめられることを望んでいると付け加える。

 Nkhar 氏が「いくばくかこれまでの常識を破る」治療と呼ぶこの薬剤の組み合わせがなぜ有効なのかはわかっていない。ただ彼によると、central sensitization は「頭痛においては良く知られている」のだという。

 Wells さんの唯一の症状は「長い年月に渡って、きわめて特異的で一貫性がみられている」がそのことはいささか珍しいことであると彼は付け加える。

 Wells さんの異常な MRI をどう判断するか、あるいはその病変が彼の頭痛あるいは何らかの症状に関係しているのかはわからないと Nikhar 氏は言う。

 「神経学においては、答えの得られていない疑問が際限なくあるのです」と彼は話す。

 

 

中枢性感作の詳細については

下記『神経治療』の論文をご参照いただきたい。

中枢性感作の評価

中枢性感作に影響する要因

 

神経系における“感作”とは聞き慣れない言葉だが、

近年難治性疼痛のメカニズムにおける重要な

キーワードとなっている。

中枢性感作(central sensitization, CS)は、

痛覚過敏を誘発する中枢神経系(脳および脊髄)における

神経信号の増幅と定義されている。

末梢からの感覚入力は伝導路を伝わって大脳まで伝導されるが、

その伝導路に当たる中枢神経系において刺激が増大され、

本来よりも増幅されて伝導される状態となる。

CS は刺激に対する反応性の増大だけでなく、本来備わっている

中枢内での疼痛抑制機構(下行性疼痛抑制系)の機能低下を

引き起こし、疼痛過敏やアロディニア(通常では痛みとして

認識しない程度の接触や軽微な圧迫、寒冷などの非侵害性刺激が

痛みとして認識されてしまう感覚異常)の誘発、さらには、

うつ症状や睡眠障害などと関連する。

CS の代表的な疾患は線維筋痛症であるが、

よくみられる腰痛患者や変形性関節症においても CS の影響が

報告されている。

CS の影響が強いと痛み以外にも様々な刺激に過敏性を示すため、

臨床的には『不定愁訴』として扱われてしまう可能性がある。

CS は知覚過敏と関連するだけでなく、光、音、におい、

ストレスなどの様々な刺激に対する過敏症にも関連している

可能性がある。

CSが発現して生ずる痛覚過敏またはアロディニアの状態には

侵害受容刺激はほとんど必要ないと考えられている。

つまり、痛みは末梢組織器官の変化、または侵害刺激の

いずれも存在しなくても生じうる。

疼痛の明らかな原因が特定できないため、これらの患者は

神経症や身体化症状を有していると解釈されてきた。

これまで異なる疾患とみなされていた疼痛関連症候群の多くが

CSに共通する病因を持つ可能性が考えられるようになっている。

病態生理学的にある程度解明されている慢性の難治性片頭痛も、

中枢神経系の感作状態とりわけ持続中枢感作と言われる状況に

起因していると考えられている。

それによって疲労感、倦怠感など身体症状、めまいやしびれなどの

神経症状、うつなどの精神症状を誘発している可能性がある。

これらは結果として生活の質を大きく妨げ、登校拒否、

離職をもたらし、家庭生活を続行することが困難となり、

本人の生活のみでなく社会の生産性が大きく損なわれることになる。

最近、CS が病態に関与している包括的な疾患概念として、

中枢性感作症候群(central sensitivity syndrome, CSS)が

提唱されている。

CSS には線維筋痛症、慢性疲労症候群、化学物質過敏症、

過敏性腸症候群、顎関節症、

レストレス・レッグス(むずむず脚)症候群、

片頭痛および緊張性頭痛、非定型顔面痛、

さらには、うつ病、パニック障害などが含まれる可能性がある。

これらの多くは一見無関係にみえるが、

刺激に対する過敏性という共通点を持つ。

慢性疼痛に対して、精神的な要因のみ追求するのではなく、

中神経系における複雑な疼痛増幅のメカニズムの存在を

念頭に置いた対応が重要である。

痛みの認識には極めてやっかいなプロセスが関わっているのである。

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