医療崩壊の一つの現象に
勤務医の疲弊、
そして逃散(←すごい言葉だ)が
ある。
勤務医の過重労働、
モティベーションの低下、
医療訴訟リスクに対する不安など
様々な要因が挙げられている。
ところで、
「近頃の医師って忍耐力
低下してない?」とか
「全体的に使命感が
足りないんじゃないの?」
など、医師側へのマイナス意見も
出てきそうなところだ。
多少はあるかも知れない、
しかし、それは違う、と思う。
医師不足、現場マンパワーの不足から
医師の過重労働が問題となっているが、
考えてみるに、昔の医師だって
よく働いていたように思う。
むしろもっと長く病院にいたのではないか。
次から次へとやってくる急患に
寝る間も惜しまず対応し
次の日も平気な顔で仕事をしていた。
過重労働は昔も今も一緒なのだ。
では、なぜ昔の医師は元気だったのか?
何が変わったのか。
それは…
仕事内容が大きく変化したのだと考える。
たとえば、昔なら、検査の説明では
次のようなお話しで済んでいた。
「この検査は造影剤を使わなくちゃ
いけないんだけど、まれに
特異体質の方がいて
アレルギーショックで死ぬことあるけど
その確率は、交通事故で死亡する
確率より低いんですよ~。
ま、そのくらいだから、心配しないで
検査しましょうね~。」
今、これで済ませたらとんでもないことだ。
検査の目的、必要性を十分理解してもらい、
起こりうるあらゆる合併症を説明した上で、
患者さんの同意を得る必要がある。
またその説明内容を文書にして患者さんに渡し、
同じ内容をカルテに記載しなくちゃならない。
昔なら5分で済んでいたことだが、
今では優に一時間は必要だ。
これはインフォームドコンセントを得る上で
必要不可欠の手順だ。
しかし、これは医師にとって
予想以上に骨の折れる作業に違いない。
患者さんにとって都合の悪いことを
これでもかと並べたてながらも
最終的に同意を得ようとするのだから。
ひょっとしたら営業のセールスよりも
むずかしいことかも。
これに費やす時間もさることながら、
かかるストレスの重さも
昔とは比較にならないほど大きい。
昔が良かった、正しかったとは言わない。
しかし、検査説明ひとつとってみても
このように段違いに増加している
現代医療にかかわる労力を
昔と変わらぬ人数でこなすことは
不可能だと思う。
勤務医の精神的肉体的窮地は
もはや精神論で乗り越えられる
レベルではないと思うのだ。