今回は、
脳神経外科の医学誌 Neurosurgery に掲載された
ミケランジェロによる隠し絵についてのお話。
まず具体的な図解が載せてあった記事、
CNN.com から紹介する。
Michelangelo hid brain image in chapel, scientists say ミケランジェロが礼拝堂に脳の画像を忍ばせていた、と科学者が指摘
By Elizabeth Landau
ミケランジェロの最も有名な作品のいくつかには、人間の脳が神の最大の創造物の一つであることを示唆する隠されたメッセージが託されている可能性がある。
この偉大なイタリア人のルネッサンス芸術家は人間の身体をよく知るために死体を解剖していた。このためよりうまく人体を描くことができた。そして、新しい分析によると、1508年から1512年にかけて彼が描いたシスティーナ礼拝堂の天井の神の絵の中に彼は脳幹の描写を忍ばせていたという。
Johns Hopkins University の神経外科医 Rafael Tamargo、Ian Suk 両医師は、天地創造を描いたミケランジェロの天井画 “Separation of Light From Darkness” を詳細に観察した。彼らはこの作品の中の神の頸(正確には喉)の部分に人間の脳幹が描かれていることを発見した。
「彼は脳が重要な構造物であると認識しており、それゆえ天地創造にそれを盛り込んだのだと思います。なぜなら、脳が神によって創造された最も崇高な物の一つであると考えていたからです」と、Tamargo 氏は言う。
脳幹は、脳から、あるいは脳へと伝達されるすべての信号が通過する脳の最も重要な部位である、Tamargo 氏は言う。上の写真の左側、絵画の中の神の頸と実際の脳幹との比較をご覧いただきたい(左の図Aと図B)。右側では絵画上の異なる二つの光の向きに注目いただきたい(右の図Aと図Bの矢印)。これはミケランジェロでは珍しいことである。
芸術家がより正確な作品を作り上げる目的で解剖を行うことはルネッサンス期においてはめずらしいことではなかったと、彼は言う。ミケランジェロより23才年上のレオナルド・ダ・ヴィンチも自身が行った脳の解剖を記録しており、脳幹の研究も行っていた。上図のGのように拡大して見てみると、ミケランジェロが描いた神の頸部は解剖学的に異常である。この画家の他の作品では図AからDに示すように、頸部の状態を彼がよく理解していたことがわかる(なお、Eはレオナルド、Fはラファエロの作品)。このことから、『単にミケランジェロの調子が悪かったのではなかった』ということがわかる、と Tamargo 氏は言う。
ミケランジェロが自身の絵に脳の解剖を忍ばせていることを指摘したのは Tamargo 氏らが最初ではない。1990年 Frank Lynn Meshberger 医師による Journal of the American Medical Association の論文では、このルネッサンスの巨匠によるシスティーナ礼拝堂のもう一つのフレスコ画 “Creation of Adam(アダムの創造)” に人間の脳が描かれていることが示唆されている。
恐らくミケランジェロは脳の様々な構成要素の機能までは知らなかっただろうが、脳が重要な構造物であったことは理解していただろうと、Tamargo 氏は言う。
システィーナ礼拝堂の聖餐台の上方にある “Separation of Light From Darkness” はミケランジェロの時代の人々にとってははるか高いところにあったため、脳幹を確認できるほど細部を見ることはできなかっただろうし、まだ望遠鏡もない時代である。しかし、この芸術家には、いつの日か、誰か気付かれにることが恐らくわかっていたのだろうと、Tamargo 氏は言う。
「彼は、解剖を理解していることを人々に知らしめるために、そして恐らく、そのフレスコ画の意義を高めるために、未来に向けてそこにメッセージを残したのだと思います」と、Tamargo 氏は言う。
この記事では
ミケランジェロの目論見が今一つ理解できないので、
ハッフィントン・ポストからの記事を次に紹介する。
Michelangel's Secret Message in the Sistine Chapel
システィーナ礼拝堂に隠されたミケランジェロのメッセージ写真はI Suk and RJ Tamargo, (2010) Concealed neuroanatomy in Michelangelo's Separation of Light From Darkness in the Sistine Chapel, Neurosurgery 66, 851-861 より
By Douglas Fields
17才の時、彼は教会の墓地から得た死体の解剖を始めた。1508年から1512年の間に、彼はローマのシスティーナ礼拝堂の天井に絵を描いた。並はずれた天才画家、彫刻家、建築家としてそのファーストネームで世界中に知られている Michelangelo Buonarroti は解剖学者でもあったのだが、彼の解剖のスケッチやノートのほとんどすべてが破棄されていることから詳細は謎である。
それらが描かれて500年経った今、彼によって隠された解剖学的な図が発見されつつある。システィーナ礼拝堂の天井に描かれていながら、ローマ教皇ユリウス2世や数えきれないほど多くの宗教的礼拝者、歴史家、さらには何世紀にもわたる芸術愛好家たちの目をのがれ、神の身体の中に巧妙に仕込まれていたのである。
以上が科学雑誌 Neurosurgery の最新号の論文にある Ian Suk、Rafael Tamargo 両氏の結論である。Suk、Tamargo 両氏はメリーランド州バルチモアにある Johns Hopkins University School of Medicine の神経解剖学のエキスパートである。
1990年、Frank Meshberger 医師は、Journal of the American Medical Association に論文を発表し、天井の中央のパネルにある God Creating Adam の描写は間違いなく人間の脳の断面となっている解剖図であるという驚くべき発見をもってミケランジェロの表現を解析した。神が Adam に授けようとしたものは生命だけでなく、崇高な人間の知性でもあったことを示そうとしてミケランジェロが人間の脳を表した布で神を覆ったとMeshberger 氏は考察する。
そして今回、もう一枚のパネル、Separation of Light from Darkness で、Suk、Tamargo の両氏が新たな発見をしたのである。神の胸中央を上にたどり喉の部分を形づくりながら、人間の脊髄と脳幹の正確な描写が成されていることをこの研究者たちが見出した。
システィーナ礼拝堂の天井は、今ようやく解き明かされようとしている500年に及ぶ謎だということなのか?神の喉頭を人間の脳幹で構成することによってミケランジェロは何を言おうとしていたのだろうか?それは神への冒涜なのだろうか、それとも敬服なのだろうか?
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井の完成させるのに4年を要した。彼は東から西に進み、礼拝堂の入り口から始めて聖餐台の上で終えた。最後のパネルには光と闇を区別しようとしている神が描かれている。そしてこれこそが、ミケランジェロが聖餐台の直上にある神の姿の中に人間の脳幹、眼、視神経を忍ばせているとこの研究者たちが報告している作品である。
芸術批評家や歴史家たちは、ミケランジェロによるこのパネルに見られる神の頸の描画における異様な解剖学的不整さと、この部位の不統一な照明効果に長く頭を悩ませてきた。このフレスコ画の人物は左下から対角線に沿って光が当てられているのだが、スポットライトを浴びているかのように浮かび上がった神の頸部には真っすぐやや右よりから照明が当てられている。世界的な人間の解剖学の達人であり光を巧みに操る肖像画家でもある人物による聖餐台の上方に位置する神の像を台無しにしてしまうような不手際をどう理解したらいいのだろうか?
Suk と Tamargo の両氏は、この奇妙な甲状腺腫によって変形したように見える神の頸は失敗ではなく、むしろ隠されたメッセージであると提唱する。他のいかなる絵のどの箇所にもミケランジェロによる人間の頸の描写に解剖学的な不正確さは見られなかったと彼らは主張する。Separation of Light from Darkness に見られる神の頸の異様にでこぼこした細部を、やや下方から見た人間の脳の写真と重ね合わせたところ、神の頸部の輪郭が正確に人間の脳の外観と一致した、という事実を彼らは示した。
この写真には他にもどこか奇妙なところがある。巻かれた筒状の布が奇妙にも神の服の中心を上方へ伸びている。生地はここに集められているが、このような箇所は他の部位には見られない。そして、この折れ返り部分は神の胴体を覆う布の自然な襞とぶつかる。実際にはこれは人間の脊髄であり、神の頸に存在する脳幹に向かって上行していると彼らは見る。神の腰の部位では神の服は奇妙に皺を作って再びねじれており、2つの眼球から出た視神経を示しているようだが、これはまさにレオナルド・ダ・ヴィンチが1487年の彼のイラストで示した通りである。ダ・ヴィンチとミケランジェロは同時代の人間であり、お互いの作品をよく知っていた。
謎なのはこれらの神経解剖学的な絵が隠されたメッセージなのか、それとも誰かが有意義なイメージを取り出すことができるようなシスティーナ礼拝堂製ロールシャッハ・テストなのかということである。ただし、この論文の著者らは、所詮神経解剖学者である。彼らが天井に見る神経解剖は、月の表面が人間に見えるようなものに過ぎない可能性もある。
しかし他の学者によればミケランジェロはまた天井の別の箇所に解剖学的な絵を描いているという。それは明らかに腎臓なのであるが、ミケランジェロは腎臓によく通じており、自身が腎結石だったことから彼には腎臓に対して特別興味があった。
もし隠された絵が意図的であるとしたらそれらは何を意味するのだろうか?著者らは推測を避けているが、偉大な芸術家は単に芸術作品の中に物を再現するだけでなく、象徴的なものを通じて意味を呼び起こそうとする。Separation of Light from Darkness は、科学と宗教の間の果てしない衝突に対する芸術的な主張なのだろうか?当時は、地球が太陽の周りを回っているという理論を司祭のコペルニクスが立てたことに対し教会が糾弾した時代であったことを思い出していただきたい。科学的観察と教会の権威との間の闘争の時代であり、プロテスタントとカトリックの間の激しい論争があった時代である。
ミケランジェロとカトリック教会との関係が緊迫していったのも不思議はない。この芸術家は元は純真な男だったが、次第に教会の贅沢と堕落を嫌うようになっていった。最高傑作の二ヶ所にミケランジェロは自身の肖像画を残したが、それらは両方とも苦悶する自分を描いている。生きたまま皮を剥がされることによって殉教する12使途の一人、聖バーソロミューの身体と、ユーディトに誘惑され斬首されたホロフェルネスの切断された頭部に、自身の顔を描いたのである。
ミケランジェロは信心深い人間だったが、晩年、スピリチュアリズム(心霊主義)を信ずるようになり、そのために彼は教皇パウルス4世から非難された。スピリチュアリズムの基本的な信条は神への道は教会を通じてだけでなく、神との直接的な交信によって見つけることができるというものである。教皇パウルス4世は、天井画の完成から20年後にシスティーナ礼拝堂の壁に描かれたミケランジェロの Last Judgment を、イエスや彼を取り巻く人たちが教会を必要とせず直接神と通じていたことを示すことによって教会の名を汚していると解釈した。教皇はミケランジェロの恩給を差し止めこのフレスコ画の裸体にイチジクの葉を描き加えさせた。ミケランジェロの希望に従って、彼の遺体はヴァチカンの地には埋められず、フィレンチェの墓地に埋葬されている。
おそらくシスティーナ礼拝堂の意味は、神がアダムに知性を与えているということではなく、知性と順守、そしてそれらを可能にする身体の器官を用いれば教会を必要とすることなく直接神につながることができるということであろう。推測の材料は豊富であり、新たな知見は間違いなく果てしない解釈を生むことだろう。私たちは決して真実を知ることはないかもしれないが、Separation of Light from Darkness において、ミケランジェロの最高傑作は、刺激的で神々しい作品の中で、芸術、宗教、科学、そして信仰の世界を結合させている。一方でそれらは何かを映し出す鏡のようなものなのかもしれない。
ヴァチカンン市国にあるシスティーナ礼拝堂は
教皇選挙コンクラーヴェが行われるカトリックの重要施設で
『天使と悪魔』にも登場した。
そのような施設にある天井画、しかも神の姿の中に
人体の解剖図を隠しこませるとは、なんとも図太い遊びごころ?
それとも依頼者ユリウス2世や教会に対する反抗心か?
当時の状況について知るすべもないが、
「言いなりにはならないよ」という
ミケランジェロの芸術家ならではの抵抗が
隠し絵に込められているように思うのである。
(皆さんはいかがでしょう?)。