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kan-haruの日記

イベント 三井記念美術館 三井家のおひなさまと特別展示きもの展

2009年04月03日 | イベント
kan-haru blog 2009 

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お彼岸と節句
お彼岸には、菩提樹の神宮寺(古河市横山町1-1-11)にお墓参りに出かけます。神宮寺は、茨城県古河にある旧日光街道に面してあり、1446年(文安三年)の後花園天皇の御代に良宥上人に開基された古寺で、本殿の本尊の不動明王とは別に十一面観音が祀られて(「風景・風物詩 秋の歳時記お彼岸 城下町古河の菩提樹お墓参りと周辺散策 その1」参照)います。

 古河は鎌倉の足利成氏と結ぶ歴史のある街(:十一面観音像説明板、:古河市は日光街道沿いの城下町、:神宮寺は古河公方の足利成氏と所縁がある)

墓参りの帰りには、途中立ち寄りして散策するのが恒例で、今年は三井記念美術館で2月4日から4月5日まで開催の三井家のおひなさまと特別展示きもの展を3月18日に見てきました。

 三井記念美術館地図

三井記念美術館(中央区日本橋室町二丁目1番1号 三井本館7階)は、三越本店前の三井本館7階にあります。三井記念美術館では、撮影禁止のためおひなさまなどの展示物の撮影写真はありません。

 三井記念美術館

三月節供
3月3日のお雛祭りは、昔中国では水辺にて身を清め、穢れを祓う習慣の桃花節が日本に伝わったと云われます。農耕民族の日本では弥生の月の3月は、濃耕作業の始まる時期で濃耕に害になるものを祓い、身の穢れを流し清めるため人の身代わりに人形(ひとがた)をつくり、人を撫でて人形に穢れや災いを移して、3月3日の節句の夕方に川や海に流す流し雛は各地(「小さな旅 すみだ郷土文化資料館と墨田川江戸流しびな」参照)で行われています。

現在でも、各地の神社でヒトガタに名前・年齢などを書き、それに身体をなでたり、息を吹きかけたりして、自分の災厄や穢れを人形に移して神事を行いお焚きあげ(「大森町界隈あれこれ 2009年ゆく年・くる年 大森町の歳末・正月風景その1」参照)をします。

昔は、ヒトガタの変形として出産お祝の作られた人形に、T字形に組んで白絹製の頭部を付けて産着などの衣装を着せてお祓いの形代にした「天児(あまがつ)」が宮中で使われました。また、民間では小児誕生の際に白絹地で首と胴を綿入れにした這う子のかたちどりの人形を作り、祈祷を済ませて子供の枕元に置いて災厄を負わせた「婢女(ほうこ)」という出産祝いの人形がありました。

雛祭り
人形のお祓いとは別に、平安の中期には宮中や公家では男女の人形を使用した、京都なまりの雛遊(ひいなあそび)という大人の遊びが広まりました。京都から江戸に雛遊がやって来たのは寛永の末期ころで、民間でも広まったようです。雛遊が江戸に移り雛祭りに変わったのは、享保年間頃と云われています。

立雛
雛人形のかたちは、初めは「立雛」で主として雛を厚紙で作り、木で作られた頭を差し込み、面相を整え髪つけしたシンプルな形でした。あたかも、ひとがたから天児と婢女に進化した人形は、男女一対の雛人形のように見えます。

 立雛(三井記念美術館絵はがき)

座雛
座雛は寛永以後に作られたもので、享保頃には立雛と座雛が対等に飾られて、それ以後では雛人形の座雛が主で立雛が従となりました。さらにその後の古今雛に至ってからは、男雛・女雛の一対雛人形が様々な人形や調度品・道具が加わり豪華なものになってきました。

雛人形の飾り方
雛人形の飾り方は、上方では御殿飾りの二段飾りで、御殿内に雛一対を置き、その他に官女・左大臣・右大臣・桜橘を置きほか座敷に天児・這子・犬張子・市松人形・御所人形・お公家様の調度品を置きます。江戸では、最上段に内裏雛を置くという飾り方で、五段飾り・七段飾り・九段飾りの飾り方です。明治以降になってから、全国的に同じ飾り方になりました。

内裏様の飾り方
昔の内裏様の飾り方は、向かって右が男雛、左が女雛です。現在の飾り方は、関東では昭和初年に左に男雛、向かって右に女雛を飾るということになっています。三井家のおひなさまの飾り方も向かって左に男雛が飾られていました。

 内裏様(三井記念美術館絵はがき)

三井記念美術館のおひなさま展示
三井記念美術館の展示(会場図)は、エントランスホールを入り最初の展示室1から3には、館蔵の茶道具の「春の取り合わせ」の併設展示で、展示室4と5に三井家のおひなさまが展示してありました。
展示品の雛人形は三井記念美術館の資料によると、展示室4に展示一つめの北三井家十代・高棟夫人旧蔵品の巴印のひな人形と雛道具で、実家の旧富山藩主前田家から伝わったものや、江戸時代から三井家に伝来したものと、結婚後三井家で新たに作られたものなどさまざまな年代や種類があります。文化2年の立雛、江戸時代の有職雛、享保雛と、明治時代の内裏雛に、江戸時代の梅鉢紋・違鷹羽紋唐津蒔絵雛道具が展示されていました。

 梅鉢紋・違鷹羽紋唐津蒔絵雛道具(三井記念美術館絵はがき)

展示二つめは北三井家十一代・高公長女寄贈品の昭和9年、京都の丸平大木人形店・五世大木平藏(1885-1941)に注文してあつらえた雛人形と雛道具を、浅野家で行われていた段飾りを再現して展示してありました。

 内裏雛 五世大木平藏(三井記念美術館絵はがき)

三つめ展示は北三井家十一代・高公夫人旧蔵品の明治・大正時代の小蝶印のひな人形とひな道具が展示されており、実家の旧福井藩主・松平家より嫁入り道具として持参した雛で、日本橋十軒店の名工・ニ代永齋製のものが中心で展示されていました。
展示室5には、江戸時代の桐紋津蒔絵雛道具と、江戸時代や明治・大正時代の御所人形や風俗衣装人形と共に、次郎左衛門雛を展示してありました。

展示室6には、新期寄贈品の水野年方筆の「三井好都のにしき」の展示で、水野年方(1866~1908)は浮世絵師の月岡芳年に師事し、『やまと新聞』の挿絵を師とともに担当するなど、挿絵画家として高い名声を得ていました。
展示室7には特別展示のきもの ―明治のシック・大正のロマン・昭和のモダン― で、振袖や着物が14点展示されていました。明治時代のきものは、小さな模様が襟下から裾にかけて配され、地色も黒、藍、鼠、茶系など渋く地味な印象のものでした。大正時代のきものは、華やかな色調、絵画的な表現のきものが流行しました。昭和時代のきものは、幾何学的な地文や明快な色彩表現を特徴とするモダンなデザインでした。

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