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kan-haruの日記

旅ものがたり 湯野上温泉 同窓旧友たちの旅での会津鉄道を懐かしみ南会津の癒しの温泉の旅その2

2014年12月23日 | 旅ものがたり

kan-haru blog 2013 江戸時代に翔る道

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・湯野上温泉駅から大内宿へ
湯野上温泉駅には13時35分に着き、今宵宿泊の「こぼうしの湯 洗心亭」のチェツクインまでには時間がありますので、大内宿にはいまから16年前の1998年に兄弟会で行っておりますが、久しぶりなのでタクシーで行ってみました。
湯野上温泉駅前から北に国道121号を進み、湯野上橋を渡り左に折れ小野観音を右に見て、小野川添いに福島県道329号湯野上会津高田線を進むとスノーシェッドを通過して、下野街道との合流点の三叉路です。三叉路を北上すると、駅前から15分ほどで大内宿(福島県南会津郡下郷町大字大内字山本)の入口に到着です。入口の曲がり角には、1980年に下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例がが制定され、翌年には国の「重要伝統的建造物群保存地区 下郷町大内宿」に選定され、その石標が建っています。ここから先は、保存地区で一般車両の乗り入れはできず、歩行による見物です。

 湯野上温泉駅前から大内宿へ
(:湯野上温泉駅前、:紅葉の県道329号、:大内宿の入口1112)

・大内宿
重要伝統的建造物群保存地区に指定された大内宿は、「大内宿保存会」が設立されて住民による町並み保存活動が始まり、「大内宿を守る住民憲章」を制定し、大内宿入口にはその立札が建てられており、さらに並んで「江戸時代に翔る道」の説明板が建っています。江戸時代に翔る道のとは、「この道は、大内区(里親)と福島県下郷町(道路管理者)の養子縁組のロードで、里親が清掃美化等の維持管理を行っています。地域住民と大内宿を訪れる皆さんとの共有空間の「江戸時代に翔る道」を大きな着新心を深めていただければ幸いです。」と記されています。

 江戸時代に翔る道
(:江戸時代に翔るロード、中:「大内宿を守る住民憲章」掲示板、右:「江戸時代に翔る道」説明板1112)

時計を見ると、昼時が過ぎて14時を回っていましたので、大内宿場の右側3軒目に、鳥せいろう飯・そばと看板のある黄色い壁が目立つ、外にはワンちゃんの休憩室がある分家
玉や(下郷町大字大内字権現上358番地)に入りました。

 大内宿での昼食は分家玉やで新そば
(:江戸時代に翔るロードを進む、:鳥せいろう飯・そばと看板のある分家玉や1112)

分店玉やは、玄関を入り左側の廊下を進むと中央には広い座敷の席があり、その奥のカギの手の廊下上のテーブル席に着き、突き出しのそば饅頭と冷やしと温かいそばをとり、おそい昼食後にコーヒーで一服しました。


 分家玉やで昼食とスイーツ(:窓辺に干し柿がいっぱいの玉や分店、:奥縁側の座席で新そばの昼食、:そばもち1112)

昼食をとり、15時を過ぎましたので奥まで行かずに、大内宿のロードを途中まで見て戻りました。

 大内宿図
(下郷町観光案内所配布から)

下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区の説明版が建っていましたので、説明詳細は写真中をクリックして、拡大写真を見てください。説明文の要約は、「面積が約2.3ヘクタールで、大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の1つである。この通りは江戸時代初期に、会津と江戸を結ぶ幹線道路として整備し、廻米の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代に利用した重要な街道である。大内宿が宿駅として整えられたのは、17世紀中ごろと推定され、本陣・脇本陣として置かれた。この地区の街並みの特徴は、寄棟造りの建物が道路に直角にならべられ、母屋は道路から空地を設け、敷地の北側に後退して建ち、南は余地を置いて奥の土間への通路となっており、道路側に半間幅の縁をつけ、その奥に2部屋の座敷としている。当初は、道路の中央に広い溝を設け、用水路として利用されたが、1886年(明治19年)に埋め立てられ、道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設ける変遷があった。」と説明されています。
 「下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区」説明版
(:「下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区」説明版、:説明版文章部大拡大、:説明版文章部1112)

説明版を読んで、大内宿の街並みを見ながら江戸時代に翔るロードを奥へと歩いてみました。

 江戸時代に翔るロードを歩く1(:三澤屋、:松美屋1112)

大内宿では、ほとんどの家でお土産を扱っており、お蕎麦店などの食事を扱っている家は15店を数えます。南仙院本家ではそば粉のてんぷらを名物にし、萬屋では名物ねぎそばを扱っています。

 江戸時代に翔るロードを歩く2(:扇屋分家、:南仙院本家、:萬屋1112)

大内宿のロードの両側には、明治時代に改造して掘られた洗い場付きの水路側溝があります。ロードの終点は、1998年に兄弟会で一緒に来た時、おそばを食べた扇屋分家があります。今回の大内宿旅行も、15時を回りましたので、大内宿入口に戻りタクシーで、今宵の宿泊の湯野上温泉 こぼうしの湯洗心亭にむかいます。

 江戸時代に翔るロードを歩く3
(:両側に水路溝のある江戸時代に翔るロード:江戸時代に翔るロード終点の扇屋分家1112)

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