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kan-haruの日記

イベント 都営交通100周年記念特別展 東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の“いま・むかし”~その3

2011年09月20日 | イベント
kan-haru blog 2011 高架山手線千代田区内幸町周辺(国立国会図書館所蔵写真帳から)  
     
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関東大震災前の東京市内の鉄道
・東京市内最初の鉄道は官営鉄道で開業
日本での最初の鉄道は、政府が1869年(明治2年)11月に自国管轄方式によって新橋・横浜間の鉄道建設を決め、技術や資金を援助する国としてイギリスを選定して、土木工事は築城経験のある日本の技術が生かされましたが、六郷川橋梁だけはイギリス人の指導の下に木造で架橋されました。

 六郷蒸気車鉄道之図(六郷物語から)

軌間は、国際標準軌1,435 mmより狭い狭軌の1,067 mmが選ばれ、車両はすべてイギリスから輸入され、蒸気機関車10両はすべて軸配置1Bのタンク機関車の5社の製品を混合使用し、客車はすべて2軸で上等車(定員18人)10両、中等車(定員26人)40両、緩急車8両が輸入されましたが、開業前に中等車26両は日本人大工の手によって定員52人の下等車に改造されました。当時の客車は台車や台枠は鉄製だが壁や屋根を含む本体は木造でありました。

 新橋停車場と明治初期の列車(:新橋停車場、:明治初期の列車)国立国会図書館所蔵写真帳(写真の中の明・治大正)から

1872年(明治5年)6月12日に、品川駅が開業して官設鉄道(日本の鉄道所管官庁工部省鉄道寮)による品川駅ー横浜駅間の鉄道仮営業を開始しました。

 「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」一曜斎国輝(Dubsの機関車から)

同10月14日に初代新橋駅が開業し、東海道線の新橋駅―横浜駅間が本開業しました。現在の横浜駅が1915年(大正4年)に開業する前の43年間は、現桜木町駅が初代横浜駅でした。

 広重が描いた「横浜鉄道館蒸気車往返之図」(タイムスリップよこはまから)

当初東京と関西を結ぶ路線は中山道経由とされており、1883年(明治16年)に高崎駅ー大垣駅間の建設が始まりましたが、山岳地帯を通るために難所が多く工事は難航し、1886年(明治19年)に鉄道局長の井上と総理大臣の伊藤博文、陸軍の大立者山縣有朋が相談して東海道へのルートを変更することが決定し、1889年(明治22年)7月1日には東海道線の建設が急ピッチで進みに全線が開通しました。

 新橋・横浜間開通(日本の鉄道史Wikepediaから)

日本鉄道(私有鉄道)による東北・高崎線建設開設
もともと政府では鉄道は国が敷設して国が保有すべきであるという意見が強かったが、西南戦争の出費などで財政が窮乏していたこともあり、民間資本を取り入れて鉄道を敷設することになり、1881年(明治14年)8月1日に岩倉具視をはじめとする華族などが参加して私立鉄道会社「日本鉄道」の創立が決定し、同年11月11日に設立特許条約書が下付され、初代社長に吉井友実を選出して会社が設立されました。形式的には私鉄であったが、路線の建設や運営には政府及び官設鉄道が関わっており、建設路線の決定も国策的要素が優先されたり、国有地無償貸与、建設国営など実質上は「半官半民」の会社でありました。
まずは1883年(明治14年)7月28日に、東京下町の山下町を起点として第一区線の建設を進め、上野―熊谷間が開業しました。その後引き続いて、1884年(明治17年)8月20日に高崎―下前橋へと延伸していきました。

 主要線路名と主要駅名

現高崎線の開通に続いて、東京市内に目黒、渋谷、新宿、目白、板橋の各駅を新設して、1885年(明治16年)3月1日に、赤羽 ―品川間の品川線(現在の赤羽線赤羽―池袋間と山手線池袋―品川間)が開業しました。
その後、第二区線から第五区線の建設を進め、1891年(明治22年)9月1日には、現在の東北本線全線の上野―青森間が開業しました。1896年(明治27年)4月1日には、田端駅が新設されました。

 最初の山手線誕生国立国会図書館所蔵写真帳(写真の中の明治・大正)から

1905年(明治38年)4月1日には日暮里駅を開業し、同 6月10日には山手線の赤羽駅―板橋駅間に十条駅が開業しました。

 山手線の駅名説明図

・山手線の国有化
1906年(明治39年)2月7日には、甲武鉄道(現中央線)に代々木駅が開業しましたが、山手線には駅が設置されず通過しました。また、同年3月31日公布された鉄道国有法(法律第17号)によって鉄道が国有化されました。国有化により、日本鉄道から同年11月1日に鉄道長1,385.3 km、機関車数368、客車数857、貨車数6,411が142,495千円で買収されました。
1909年(明治42年)10月12日には、赤羽駅―品川駅間と池袋駅―田端駅間の線路名称を山手線と制定されました。同12月16日には、山手線の田端駅―池袋駅間、赤羽駅―品川駅間。上野駅―新宿駅―品川駅―烏森駅(現在の新橋駅)、赤羽駅―池袋駅間の電車運転が開始されました。

 山手線の伸延国立国会図書館所蔵写真帳(写真の中の明治・大正)から

1910年(明治43年)6月25日には、烏森駅―有楽町駅間が開業しました。また、9月15日には高田馬場駅が開業し、有楽町駅-呉服橋駅間が開業しました。
1911年(明治44年)10月15日には五反田駅と、1912年7月11日には鶯谷駅が開業して、1914年11月15日には新大久保駅開業しました。また、同年12月20日には東京駅が開業し、大井聯絡所を駅に変更し大井町駅を開業して、新橋駅を汐留駅と改称して、烏森駅を新橋駅としました。
1918年(大正7年)12月20日には、品川駅 ―大崎駅間が開業し、1919年1月28日には、大崎駅-恵比寿駅間が開業しました。
1919年(大正8年)3月1日には神田駅が開業し、中央本線と接続して中野駅―東京駅―品川駅―池袋駅―上野駅間で「『の』の字運転」で開始しました。

 「の」の字運転となる山手線国立国会図書館所蔵写真帳(写真の中の明治・大正)から

1921年(大正10年)7月15日には、恵比寿駅―渋谷駅間が開業し、1922年(大正11年)7月25日には、渋谷駅―原宿駅間が開業しました。
1923年(大正12年)9月1日には、関東大震災で有楽町駅・新橋駅・浜松町駅・鶯谷駅・上野駅各駅が焼失し、 早期に平常時の運転に復旧しましたが、東京駅への乗り入れは1924年1月13日以降となりました。
1924年(大正13年)12月5日には、原宿駅―新大久保駅間が開業し、同 9月11日には、新大久保駅-池袋駅間が開業し、同12月28日には、池袋駅―巣鴨駅間が開業しました。
1925年(大正14年)3月28日には、巣鴨駅-田端駅間が開業し、同4月26日には新宿駅新駅舎の落成式を挙行しました。同11月1日には神田駅―上野駅間が開業して、御徒町駅の開業により環状運転が開始されました。

 環状運転となった山手線国立国会図書館所蔵写真帳(写真の中の明治・大正)から

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