ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

みんなで劔岳:タカネツメクサ

2017年10月31日 00時16分26秒 | Weblog
別山からは南下するような感じで立山を縦走する。
ガスがなく視界が良好でさへあれば雄山方面までを一望でき、自分たちがこれから向かう縦走ルートがよく分かるのだが・・・。


時折だがガスの切れ間から縦走ルート、そして室堂方面が目視できた。
風はあったが、寒さを感じるほどでもない。
とりあえずウゥンドブレーカー代わりとしてレインウェアは着たまま歩き出した。


つい二日前に辿った雷鳥平方面が見えた。
「なんか随分と前のような気がしますね・・・。」
「そうかもしれない。昨日は夜明け前から動き出したし、あまりに長い一日でいろんな事があったからそう感じるんだと思うよ。」
そう返事はしたが、それよりもKMさんのザックが改めて「デカイ!」と思わざるを得ない。
後ろから見ると尚のことザックが大きく見える。

真砂岳方面へと縦走し、分岐点を右に折れ「富士ノ折立」方面へと向かった。
この辺りのルート周辺は高山植物の宝庫であり、自分の大好きな「タカネツメクサ」も間違いなくあるはずだ。
昨日まではまだ見かけておらず楽しみであった。
と思っていたら・・・、あったあった! 見ぃ~つけた♪

ルートのすぐ端に見つけることができた。
「これだよ! これが見たかったんだよ。この白く清楚で可憐な花びら。か細い女性の指のように細長い葉。」
なんてことを言っていたら二人に笑われてしまった。

AM君も見つけたようだ。

二年前にここを通った時は一ヵ所でしか見つけられなかったが、今日は数カ所で愛でることができた。
それだけでもラッキーだ。


KMさんも写真を撮りだした。
名前なんてものは後から調べれば済む。
今この時期しか見ることのできないものは撮っておいたほうがいい。


これから先、富士ノ折立には急斜面のガレ場を登らなければならない。
こうして楽に尾根道を縦走できるのもそろそろ終わりだろうか。


「この後はガレ場の登りだから。今日一番の難所かな。」
「了解です。頑張ります。」


徐々に斜度が出始めた。
3000m近い標高で、しかも急斜面のガレ場を登る。
更には大型ザックを背負っている。
初日の雷鳥坂よりも斜度的には急になっており、踏ん張りどころだ。


技術的な問題よりも、体力や筋力を重視すべきかも知れない。
この区間はKMさんには苦だろうと思う。
大きな段差のポイントでは手を差し出した。
そう、ここは素直に受け入れるべきポイントだ。
こんな時、ガスが無く晴れていれば、3000mから見渡す360°の絶景を見るだけで疲労感は軽減されるだろう。
素晴らしい北アルプスの山脈(やまなみ)が癒しをもたらしてくれるのは間違いのないことだ。


「この登りを越えれば、あとは大したことはないから。でも少し休もうか。」
今日は室堂までの下りだ。
決して無理をするほどのルートではない。

今日で三日目、そして最終日。
ここまで怪我無くこれたのだし、最後でつまらないことで怪我をしてしまっては劔岳の思い出が嫌なものになってしまう。
「ここを登り切って少し行けば休憩所があるから。そこで休もう。何か食べよう。多賀谷さんのチョコレートもあるよ♪」
KMさんが微笑んだ。

よし、これなら大丈夫だろう。

みんなで劔岳:立山縦走へ

2017年10月30日 00時18分33秒 | Weblog
その日の夜はなかなか寝付けず、ウトウトとしながらも若干の空腹感を感じていた。

11時過ぎだったろうか、KMさんが起き出したようだった。
「たぶんトイレかな・・・」とも思ったが、どうせ寝付けないんだったら一服しようと庭へと出た。
7月とは言え、標高2500mの高所の夜は冷える。
長袖を着てきて正解だった。
雨はまだ降ってきてはいなかったが、明日の予報は雨のち曇り。
問題は「風」だ。
どの程度の風速になるかで立山縦走を考えなければならない。
そんなことをぼんやりと考えていると、KMさんが現れた。
「眠れないんですか。余計に眠れなくなっちゃいますけど珈琲いれてきましたよ。」
そう言って暖かい珈琲をくれた。

星は出ていない。
ましてや月も出ていない。
漆黒の闇の中、小屋の廊下から漏れている僅かな灯りを頼りに山の話しをした。
「本当はね、何度か引き返そうと迷った時があったんだ。」
「えっ、そうだったんですか・・・」
「KMさんの体力とメンタル次第ではそうしようと、往路の時はずっと考えていたんだよ。でも、『行きます。登りたいです。』っていう言葉と強い思いがあったし、何よりも表情が訴えていたからね。」
そんなことを本音で話した。

結局その夜はあまり眠れず朝を迎えることになってしまった。

朝5時の朝食時にはもう腹ペコで、朝からどんぶり飯をおかわりした。
「よっしゃ、これで(室堂までは)もつだろう。」
外は雨。
身支度を整えて玄関で登山靴を履いた。

受付には新平さんと多賀谷さんの二人がいた。
「新平さん、お世話になりました。来月は北方稜線を予定していますので、また電話を入れますね。」
「そうですか、いよいよですね。お待ちしています。」
出発しようとした時だった。
奥にいた多賀谷さんが「○○さん、これ食べて。」と言って自分に手渡した物があった。
アーモンドチョコだった。
「初めてじゃないでしょうけど、立山経由だったらそこそこ体力も必要だからね。」
ありがたい一言、ありがたい頂き物だ。

二人にお礼とお別れの挨拶をし、7時丁度に劔沢小屋を出発した。
今までにないたくさんの思い出と感動を土産にできた。
レインジャケットのポケットには、多賀谷さんから頂いたチョコレートを偲ばせている。
(「もったいなくて食べられないかも・・・(笑)」)



雨とガスの中、一路別山乗越へと登る。
やはり風はそれなりに強いと感じた。
(「さて、立山はどうするか・・・。乗越に着いたら考えよう」)

1時間ほどで別山乗越に着いた。
少し休憩を入れ、二人の意思確認をした。
「立山はどうする? 雨は収まる傾向にあるけど、風が読めない。ちょっと難しい判断かも知れないね。途中のエスケープルートには入らないでという情報もある。でも行きたいんだったら正直に言って欲しい。」
二人の答えは同じだった。
(「今更聞くまでもなかったか。」)

乗越から別山に向けて、更に登る。
周囲はガス。
残念ながら左手に劔岳を拝みながらの登攀ではなかった。
それでも・・・。

三日連続しての雷鳥との出会い。
天候が悪くても、それなりにいいこともあるのだ。

別山からはすぐ下りルートになるのだが、ここでルートファインディングのミスをしてしまった。
地図では、祠のすぐ横の道を下ることになってはいる。
しかし、自分の記憶では「硯ヶ池」の対岸からのルートのはずだった。
記憶と言っても、自分の場合常に立山方面から別山方面へと登ったのが数回。
今日のように逆を辿るのは初めてだった。
それでも同じルートなのだから間違いはないはずだと思い込んでいた。
「ちょっと待っててね。」
と言い残し、硯ヶ池の対岸方面へと向かった。

ガスが濃い。
劔沢よりも標高が高い分、ガスは濃かった。

AM君が撮ってくれた画像。手前が硯ヶ池で、ガスの中にぼんやりと見えるのが自分。

おかしい、間違いなくルートはこっちのはずだ。
確信はあった。
しかし、どこを探しても真砂岳方面へと向かうルートは見つからなかった。
(「俺の勘違いだったのか。それとも廃道になってしまっているのか。」)
これ以上時間のロスは避けた方がよいと判断し、二人が待っているポイントに戻った。
「いや、申し訳ない。俺の勘違いだったのかもしれない。とにかく祠の所から下ろう。」


KMさんには、迷わないように絶対にここ(祠)から動かないようお願いしておいた。
じゃぁ行こうか。となったその時だ。

「おぉ~~~! やったよ! 見てごらん!」
二人がふり返ると、その視線の先から見事な劔岳の全容が「これでもか!」と突き刺さってきた。

よかった・・・。
ほんの一瞬だけでも、この絶景を見せることができて本当によかった。
あの時、雷鳥坂を下ってしまっていたら絶対に見ることはできなかった。

運良く他の登山者がおり、シャッターをお願いした。

荒々しく威厳を放ちながら屹立している劔岳。
(「やっぱり俺、この山が一番好きだ・・・」)
改めて確信した瞬間だった。
と同時に、どうしても来月の裏劔のことが脳裏をよぎる。
映像や画像でしか見たことのない裏劔の岩峰群。
それは自分にとって「美しい」という表現はあてはまらない。
情け無いかな「不気味」としか受け止められない。
(「あと一か月か・・・。どうしたものか・・・。」)
一月後に迫った北方稜線だというのに、未だどこかで決心が鈍っている。

気を取り直し、室堂方面も一枚。


でもって、女性だけのサービスフォト。

幸いに雨はもう上がってくれた。
「よっしゃ、縦走じゃ!」

みんなで劔岳:食事が喉を通らない?

2017年10月29日 01時13分00秒 | Weblog
多賀谷さんに話を伺うと、やはり明日はガイドとして長治郎谷からの登頂を目指すそうだ。
しかし明日の天候が不安定であるため「無理かも知れませんねぇ・・・」と言っていた。
興奮とまでは行かないまでも、こうして多賀谷さんと話ができただけで光栄であった。

夕食は第二グループとなり、17時50分から。
「あぁ腹減ったなぁ・・・」とややぼやき気味ではあったが、この第二グループとなったことで、それがとんでもない展開へと繋がって行くのである。

「ぼちぼちかな。食堂に行こうか。」と、二人を誘った。
新平さんから「じゃぁ○○さんたちはあそこのテーブルでお願いします。」と言われ、指定されたテーブルに座った。
すると「多賀谷さんは、○○さんの隣でどうぞ。」と新平さんの声。
(「えっ、ひょっとして俺の隣って多賀谷さんってことだったりして・・・」)

ごはんやおかずがテーブルに並べられ、いつでも食べられる態勢なのだが・・・。
「あぁ○○さん、お隣ですね。一緒に食べましょう。」
そう、多賀谷さんが自分のすぐとなりの椅子に座ったのだ。
(「げっ、どうしよう。俺、嬉しくて・・・緊張して食べられないかも・・・」)


AM君とKMさんは早速「いただきま~す♪」
「わぁおいしい! 私お腹空いてたからおかわりしちゃいます。」
「僕、初山小屋なんで、嬉しいですよ。」
自分はと言えば、多賀谷さんが隣にいるというだけでどうにも箸が進まず、一口食べては「
チラッ」と隣を見たり、一口食べては「はぁ~」と小さなため息をついたり。
そりゃぁ自分とて空腹だ。
当然おかわりをする意気込みで夕食を待っていた。
・・・のだが、まさかまさかの展開に胸が一杯になってしまっていた。
(「いい歳をして俺は何をやっているんだ(苦笑)。」)
そうは思っていても、なかなか食が進まない。

そうこうしていると多賀谷さんの方からいろいろと話しかけてきてくれた。
山の道具の取り扱い方など、プロならではの意見を聞くことができた。
(「ひょっとして、これってチャンスかも・・・」)
そう思い、どうしても知りたかったことがあったことを思い出した。

どうしても知りたかったこととは・・・。
映画「劔岳 点の記」の撮影話しである。
それにしても、まさかその映画に携わった本人がすぐ横にだなんて・・・。
「あのぉ・・・ひとつお聞きしてもいいでしょうか?」
「はいどうぞ」(と、いたって気さくな態度)
「点の記の撮影の時、登山に慣れていない俳優陣の方を実際に登らせるのってかなり危険を伴ったのでしょうか? ましてや劔ですし・・・」
この質問についていろいろと語ってくださったのだが、最後の一言が印象的であった。
「そのうち体が山に慣れてくるんですよ。いつの間にか山向きになってくるんですよ。」
そう言って笑った顔が、また山を知り尽くしているからこその笑顔に見えた。
そして、去年の夏に宇治長治郎さんの墓参りに行ったことを伝えると、少々驚いたような顔をした。
「ほぉ、そこまでしたんですか。そりゃぁ長治郎さんも嬉しかったことと思いますよ。そうですか、お墓参りまで・・・。」

幸せな時の流れであった。
光栄きわまる思いであった。

結局、食事はおかわりなどする気持ちの余裕はなくどんぶりごはん一杯だけだった。

スタッフの一人である、ネパール人の「アン・ヌル」さんをパチリ。

毎年夏になるとこの小屋で働いているアンさん。
もう顔なじみとなり、気軽に話しかけることのできる人だ。
今回も会うことを楽しみにしていた。
「○○さん、おかわりは・・・」と聞かれたが「いえ、もう十分です」
と答えた。
十分とは、腹が十分なのではなく、「胸が十分」と言うことになるのかな(笑)。

食事を済ませ三人で庭へと出た。
一服しながらもまだ胸がいっぱいだった。

「お腹いっぱいになりましたか? ぜんぜん食が進んでいなかったみたいですよ(笑)」
「いやぁ、恥ずかしながら緊張しちゃってね(笑)。 でも映画の話しをいろいろ聞くことができて嬉しかったなぁ。 多賀谷さん本人から直接聞くことできただなんて。まさかだったもんなぁ。」

寝るにはまだ時間が早すぎる。
今日一日の出来事を闇の向こうの剣岳を見ながらふり返ってみた。
「AM君もKMさんも凄いね。 登山を始めてまだ間もないのに劔に登っちゃったんだから。
俺だったら無理だったろうなぁ。」
「師匠のおかげですよ。」と、AM君。
「俺かぁ? でも最後は個人の力だからねぇ。」

体は間違いなく疲れているはずだった。
腹も満たされてはいないはずだった。
なのに不思議と気持ちだけは充実していた。
大袈裟な言い方になるが、精神(気持ち)が肉体を越えているとは、このことを言うのだろう。

さっ、ビール飲もうか!

みんなで劔岳:撤収そして感動の出会い

2017年10月27日 01時21分13秒 | Weblog
できればもう一本ビールを飲みたかったところだったが、何はともあれテントを撤収し小屋に来て受付を済まさねばならない。
受付はできるだけ早いほうがよい。
何故なら小屋が混んでいる時は、食事ができるグループは受付順となっているからである。
腹が減っていれば食事は早いほうがいいに決まっている。

各々撤収に取りかかった。
劔を愛でながらテントを撤収する。
なんと贅沢なことか・・・。

今日一番頑張ったKMさん。
本当にお疲れ様でした。 m(_ _)m
早く熱いシャワーを浴びて、またビール飲んでね!


殿を努めてくれたAM君。
岩稜地帯もかなり慣れたと思うし、次はどこを狙う?


このままテントでもう一泊したいところ。
でも、劔沢小屋だけは絶対に外せない。
新平さんやいつものスタッフに会いたい。

名残惜しい思いもあったが、劔沢小屋の食事に思いを馳せテント場を後にした。
ここから小屋まではほんの10分程度だ。
小屋に着き受付を済ませた。
新平さんからはあらためて小屋の説明を受けることはない。
「大丈夫ですよね?・・・(笑)」
と聞かれ「はい、ほかの二人にも自分から説明をしておきますから。」
と答えた。

ざっと荷物の整理を済ませ、早速シャワーだ。
早く髭を剃りたい~!
「石鹸やシャンプーはできるだけ使用しないでください」というルールはあるが、時間をかけゆっくりと洗えばその様な物を使用しなくても十分にサッパリできる。
ただ、髭剃りだけはフォームを使わせてもらった。

「ビールもいいけどやっぱコーラかな・・・」
小屋の庭に出て、冷えたコーラを飲みながら劔岳を見上げた。
(「登ったんだなぁ・・・。みんなで登ったんだなぁ・・・」)
毎年登っているはずの劔であるが、今回は新鮮な思いで登ることができた。
これも「仲間」という存在が大きい。
な~んて感傷に浸っていると、独りの小柄な登山者が小屋に到着したのが見えた。
後ろ姿ではあったが、(「えっ、あの人って・・・。 ん? ひょっとして・・・。」)
僅かだが横顔を確認することができた。
(「やっぱりそうだ。間違いない! 多賀谷さんだ!」)

少し時間をおいてから小屋のスタッフに確認をした。
多賀谷さんだった。

多賀谷 治さん。
国際山岳ガイド。劔・立山を中心とした一帯において、ガイドとしてこの人の右に出る者はいない。
そして、映画「劔岳 点の記」においてはチーフガイドを務めた将に「名人」である。
嘗てこの小屋で一度だけお会いする機会があり、ほんの数分だったが話しをすることができた。
もちろんご本人はそんなことは覚えているはずもなかろう。
しかし自分にとってはかけがえのない思い出として鮮明に記憶として残っている。

恥ずかしながら胸が高鳴った。
ある意味憧れの人でもある多賀谷さんとの二度目の出会いだ。
おそらくは、明日ガイドとして誰かを案内するためにここに前泊するのだと推測した。
ということは今夜は多賀谷さんと同じ宿で眠るということ。
何かまた話ができればいいなぁと勝手に思ってしまった。
できれば写真を撮らせてもらえれば更にラッキーなのだが・・・。

多賀谷さんが明日の準備を終えた頃合いを見て、思い切って話しかけてみた。
するとどうだろう、「以前、ここで会いましたよね。 何となくですが覚えてますよ。」
おぉ~何と言うことだ!!!!!
こんなちんけな登山者を覚えていてくれただなんて。
そして「そうですか、毎年登っているんですか。素晴らしいことですね。」
たとえそれが社交辞令だったとしても最高のほめ言葉を頂いてしまった。
「あのぉ、もしできれば一緒に写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか?」
恐る恐る尋ねてみたところ、なんともあっけない返事を頂いた。
「こんな年寄りでいいんですか? じゃぁせっかくだから外で山をバックに撮りましょうか。」

(「えぇ~! こんなに気さくでいいの? 俺なんかにこんなに気さくでいいの?」)
恐れ多いというか、もったいない返事というか。
ありがたいを通り越して拍子抜けするほどの気さくさであった。
「偉ぶらない」そこがまた多賀谷さんの素晴らしいところであり、自分にとって憧れるポイントなのだ。

二人を呼んできてみんなで記念写真を撮った。

握手までしていただいた。
(「この手で世界中の山々を登ってきたんだ。この手が・・・この手が世界の山を知っているんだ。」)
感動と嬉しさのあまり涙が出そうになってしまった。


AM君とKMさんは、多賀谷さんがどのような人であるのか、今ひとつ分かっていない・・・のではなく、知っていないだけ。
「すっげーんだから。とにかく俺の憧れの山男なんだよ」
と、この後詳しく説明をした。


多賀谷さんとのツーショット。
あの多賀谷さんとツーショット。
ありがたい。
本当にありがたい。
ましてや俺なんぞのことを覚えていてくださった。

今日再開できたのは全くの偶然だが、山の神様に感謝だ。
劔岳に感謝だ。

みんなで劔岳:いろいろと良かった!

2017年10月25日 00時05分07秒 | Weblog
前劔の山頂を左手にし、トラバースを始めようとした時だった。
「○○さん、またいましたよ・・・。」
と、小声で呟くAM君。
彼の指さす方向を見てみると・・・。

すぐ1mほど先にじっとしている雷鳥だった。
殆ど微動だにせずじっとしくれているおかげで、かなりのアップが撮れた。
「今日はラッキーですね♪」と、KMさん。
確かにそうかも知れない。
天候が次第に回復傾向にある中での出会いは、将にラッキーそのものだろう。
「これは聞いた話だけど、昔は雷鳥を捕まえて、這い松の火で焼いて食べてたそうだよ。」
「え~っ、本当ですかぁ?」
ニヤッとだけして、返事はしなかった。
自分にも確かな自信などない。

さて、前劔の復路に入る。
今一度気持ちを引き締め直してここを下らなければならない。
3年前の夏、このガレ場の下りで自分のすぐ目の前でスリップをし、あわや滑落しかけた登山者を見てしまっているだけに油断は禁物だ。

しっかりと固定されていそうで、実際に足を乗せてみると浮き石だっだりするポイントは数知れず。
そして、途中にはルートが枝分かれしているポイントがいくつもあったが、決して無理はせずペンキマークに沿って下山した。
ゆっくりと、しかし確実に劔沢へと向かっている。

やっと大岩まで降りてきた。
「ここまで来ればガレ場の終わりも近いよ。」

AM君、ちょっと調子に乗りすぎだけど、まっここまで来ちゃえばいいか。

天気は回復傾向にあった。
ピーカンとまでは行かないまでも、午前中と比べればありがたいほどの青空が覗いている。

「ほら、劔沢だよ。テン場は分かるかな?」
先ずは赤い屋根の劔沢小屋を教え、そこからテン場を示した。
「ほら、見えるだろ。あそこの青いテントがKMさんのテントだよ(笑)。」
「えっ、どこどこ? あ~ん、わかんない!」
わかるはずがない。
自分だって当てずっぽうで言っているだけだ。
が、KMさんには内緒だった(笑)。

まもなくコルへと降りる。

本峰をふり返ってみた。
あの岩の塊のてっぺんまで登り、そして今ここに居る。
「KMさん、本当に頑張ったね。本当にすごいよ。」
これは自分の本音だった。
まだ完全に下山したわけではないが、途中で何度か引き返そうかと判断に迷ったことは事実だ。
それでも彼女は自分の力で登り切った。
単独での登頂は無理だったかも知れないが、このか細い腕、脚でよくぞ!
という思いだ。

一服劔が見えるポイントまで下山した。

ここまで来ればもう安心だ。
景色や花を愛でながらでも進むことができる。
そう思うと、早く登頂祝いのビールが飲みたくて仕方がなかった。


一服劔山頂の手前になり、急にガスが濃くなってきた。
「これって雲海なんですか?」
「う~ん・・・そう言ってもいいのかなぁ。よくわからん。でも下界の人たちから見れば自分たちが居る場所は雲の上ってことになるんだろうね。」
「わぁー、なんかすごくロマンチックです♪」
こんな会話ができるのも、一服劔ならではのことだろう。


ガスの切れ間から「剣山荘」が見えた。
「わたし、早くビールが飲みたいです。」
「えっ、飲むのは劔沢に戻ってからだよ。剣山荘じゃないよ。」
「え゛ーっ、え゛ーっ、何でですかぁ?」
「劔沢小屋に行けば分かるから。その方が絶対に美味いから! 我慢じゃ!」
するとAM君も「そっ、我慢じゃ!(笑)」

剣山荘ではなく、何故劔沢小屋でなければならないのか。
その理由は敢えて言わなかった。
言ってしまうと、ビールの味も感動も半減してしまうことが確実だからだ。


「あ~飲みたい!」と言いつつ、一歩一歩劔沢小屋に近づいている。
剣山荘の庭では、既に下山した人や、今日小屋に着いて一息入れている人たちの多くがビールを飲んでいた。
(「あぁ~たまんねぇ」)
早く飲みたいのは誰も一緒。
あと20分。20分歩けば劔沢小屋に着く。
そこで最高の景色で最高に美味いビールを飲もう!

14時25分。
劔沢小屋に到着。
往復約9時間の縦走だった。
9時間というのは想定内であり、決して遅いとは思わない。
いずれにせよ、何はともかく登頂成功と無事の下山を祝ってカンパイだ。

受付で缶ビール3本を買ったが、御主人の新平さんが「あっ、○○さん。今年は長治郎だったんですか?」と尋ねられた。
「いえ、職場の若いもん二人連れてだったので、先ずは別山尾根でした。この後テントを撤収してきますので、今夜お世話になります。 m(_ _)m 」

二泊目はいつもの劔沢小屋と決めていたので、新平さんに挨拶がてら寄ってみたのだ。
しかし、「どうしてもビールを飲むのはここで」と決めていた理由はそれだけではない。
残念ながら、剣山荘からは前劔しか見ることができない。
だからここまで来る必要があったのだ。
どうしてもこの劔沢小屋から見上げる劔岳を見せてあげたかったのだ。
威風堂々たる劔岳を見ながらカンパイをしたかったのだ。


先ずは「やったねー!」のガッツポーズ。

そして・・・

「カンパーイ!!!」

美味い! 
唯ひたすらに美味い!

では個人個人でカンパイを。






正直言って、自分には開放感のようなものがあった。
人を連れての劔岳は初めてだったし、「もし・・・」を考えたらきりがなかった。
「よかった・・・怪我がなくて本当に良かった。 登頂の歓びを感じてもらえて良かった。劔の峻険さと厳しさを感じつつ、充実感を味わってもらえて良かった。でもって美味いビールを飲んでもらえて良かった。」
いろんな良かったがあって本当に良かった。

あっ、ちなみにこの時のビールは自分のおごりです(笑)。
がんばったご褒美ね!


みんなで劔岳:クサリ場から仰いだ青空

2017年10月24日 00時09分15秒 | Weblog
そこそこ危険を伴うクサリ場はもう殆ど無いはずだ。


前劔の門へと向かうこのクサリ場が確かそうであったはず。
残りのクサリ場はさほど危険はない。
KMさんの岩稜地帯の技術も安心して見ていられるほど向上した。
机上であーだこーだと口で説明するよりも、現場が如何に実践的で技術向上には最適であるかという何よりの証明だ。


これから前劔を下る。
その前の休憩としていつも利用しているポイントに着いた。
「ここで休んだら、できれば前劔の門から前劔の下りは一気に降りたいと思っている。もちろん状況に応じて休憩は取るけど、ここから先が今日最後の難所だから。今は十分休んでおいてね。」


「はぁ~私お腹空きました(笑)。」
かなりのスレンダーながら食欲旺盛なKMさん。
笑いが出る、そしてお腹が空く。
「これはいいことなんだよ」と言うと、不思議そうな顔をした。
笑いが出ると言うことは、まだ気持ちにゆとりがあると言うこと。もしくはゆとりが出てきたと言うこと。
そして空腹感を覚えると言うことは、完全に疲弊しきっていないということ。
完全にバテてしまうと、食欲すら失われてしまい、更にバテが重なってしまう。
これが「シャリバテ」のサイクルの一つなのだ。
そんな説明をしながら自分も一服をした。
「さて、(前劔の)門を登ろうか。」

いざ前劔の門へとトラバースして行くと、復路でもお目にかかることができた。

赤○の中にいるのが雷鳥。
おそらくは、往路で見かけた親子の雷鳥だと思う。


雪渓との境目あたりには雛も見ることができた。


ゆっくりと雷鳥を追って行くと、自分たちも雪渓との境目まで来ていた。
「せっかくだからここを歩いてみようか。」
AM君を誘い、雪渓を歩いた。

7月の真夏に雪渓を歩く。
何度も経験しているはずなのだがやっぱり気持ちがいい。
KMさんに「おいでおいで」してみたが「無理です」というジェスチャーが返ってきた。

さぁあまり遊んでばかりもいられない。
大した登りではないが、一応ここにもクサリは設置されている。

声はかけなかった。 もう大丈夫だろう。


AM君も後から続く。声かけは不要だ。

門を登り切り、前劔頂上の側面をトラバースしようとした時だった。

それは唐突な出来事だった。
袖まくりをしていた自分の腕と首筋が急に火照りだした。
そしてその火照りはかなりの暑さへと急変した。
「ん? なんだ急に・・・」
自分の腕を見ようと下を見たら、何と岩肌に自分の影が映っているではないか。
「えっ、これって・・・」
上を見上げた。
「・・・・・」

空は青かった。
まぎれもない7月の青空だった。

今日初めて見る青い空と白い雲。
言葉は出なかった。
ただただ空を見上げ、その眩しさに満足していた。

自分のすぐ上にKMさんがいた。
これはシャッターチャンスだ!
両手を挙げてのポーズをお願いした。

こういう時って、やっぱり女性でなきゃダメなんだなぁ・・・。
いくらモデルのようなカッコイイ男が登山の格好をしても決して様にはならない。
KMさん、モデル代は払えないけど、いい写真が撮れたよ! 
ありがとうね♪

みんなで劔岳:来年の劔岳は・・・

2017年10月23日 00時10分09秒 | Weblog
平蔵のコルのすぐ手前、ガスの彼方にぼんやりと見える「早月尾根」。
確証はなかったが、たぶんあれが早月尾根の最終ルートあたりではないかと思った。

AM君が岩の上に登り一言。
「早月ルートからも登ってみたいですね。」
「そうだなぁ・・・。技術的には別山コースの方が上かも知れないけど、時間がかかるんだよね。でもチャンスがあったら登ってみるべきかもね。」
「私はいいです(笑)。」
と、KMさんが一言。
それよりもせっかくだから一枚撮ろうと決めた。
「はい、KMさん、こっちきて!」
半ば無理矢理ポーズをとらせてハイパチリ♪

題して【こちらが劔岳唯一のトイレでございます】

「え~っ、私恥ずかしいです!」
それじゃぁってことで、気を取り直してもう一枚。
【あちらに見えますのが早月尾根でございます】

これで機嫌を直してもらった。
でもって自分はカッコつけて一枚。

【山おやじの後ろ姿】

コルで小休止を入れ、平蔵の頭(ずこ)へと向かった。

一端短いクサリを下るが、ここから見下ろす平蔵谷の眺めもまた素晴らしい。
「○○さん、本当にここを独りで登ってきたんですか?」
突然AM君からの質問だった。
「うん、嘘みたいな話だけど本当だよ。登ってみたくなった?」
少し間をおいて「そうですねぇ・・・チャレンジしてみたいですね。」
「来年どうする? 思い切って長治郎谷から登って、ここ(平蔵谷)から降りてみるかい?」
もちろん半分冗談ではあったが、半分本気でもあった。
返事はなかったが、実は自分の中ではチャレンジ構想の一つとして存在している計画だ。

AM君がクサリ場を下る。

突然、「おぉーこれって気持ちいいです!」
何事かと思い下を見てみると・・・。

気持ちよさそう~と言うよりも、滑落してしまった登山者の様に見えたのは自分だけではないだろう。

続いてKMさんが降りた。
ちょうどバックにタテバイが見えている。

【あちらがカニのタテバイでございます。】
「KMさん、つい数時間前にあそこを登ったんだよ。凄いことをしたんだよ。実感湧いてる?」
「なんかまだよくわからないんです。たぶん、下山して何日かしてから感じるかもしれないです。」
彼女の気持ちはよく分かるつもりだ。
緊張の中、集中してある意味夢中で登り切ったタテバイ。
無心だったのかも知れない。

ところがそんな彼女がなにやら花を見つけて乙女チックになっているようだった。

「チングルマっていろんな所に咲いてますけど、こんな所にも咲くんですね。なんか不思議です。」
思わずシャッターを切ってしまったが、一体彼女に何があったのか・・・。
急に「山乙女」になってしまったKMさん。
大丈夫か?

「おらぁ~! そこの山女、頭を登るぞー!」
気合い一発、まだまだクサリ場は続くのだ。


自分が先陣を切って登った。
「見た目以上に楽だから。ホールドポイントはかなりあるし、クサリは補助的で十分だよ。」
そう言って後続にGOサインを送った。

タテバイの登りに比べればここは随分と楽に思えるだろう。
見ていて何の心配も無かった。


「もう少しだから、気は抜かないで!」
その程度のアドバイスで十分だった。


「はい、お疲れさん。頭のてっぺんだよ。」
着くやいなや、すぐ下りのクサリ場を見つけたKMさん。
「次はここを降りるんですね。」
なかなか頼もしい余裕の言葉に思えた。
考えてもみれば、登山歴間もない彼女がいくら自分が事前に予備情報を教え、本番で助言したり手本を見せながら先導したとはいえ、己自身の力でここまで来ているんだ。
技術だけでなく、メンタルだってそこそこ鍛えられているはずだろう。
山ガールはもう卒業だ。


復路における頭の下り。
カメラを向けるとポーズをとってくれる余裕があった。
(「だからさぁ、あのぉ、もうちょっと色気のある女性っぽいポーズを・・・」)
と言いたいのを堪えた。
山で色気を求めるのは御法度・・・かな。

ここまで来ればもうそれほど危険なクサリ場は無い。
かといってリラックスできる状態ではなかったが、実はさっき見下ろした「平蔵谷」の雪渓がどうにも気になってしまっていた。
「長治郎谷から攻めて、平蔵谷で下る・・・か。 やってみたい。」
が、その前に裏劔が待っている。
先ずは北方稜線を終えてから考えよう。

みんなで劔岳:再びの核心部(カニのヨコバイ)

2017年10月21日 01時00分24秒 | Weblog
今思い返してみれば、今回の劔岳登攀において最も気を遣ったのはカニのヨコバイから平蔵のコルへと下る区間だったかも知れない。
自分一人であればタテバイもヨコバイも慎重さを忘れなければ何の問題もない。
しかしあのクサリの連続は、単独の時では分からなかった、気付かなかったものがあった。

タテバイとヨコバイの分岐点まで下りた。
「ここからヨコバイの取り付き点まで先ずは俺が下るから、後から続いて来て。」
そう言って再びスタカット方式で進むことにした。


ヨコバイの取り付き点の手前でKMさんに合図を送った。
KMさんが下ってくる。
事前に「もしホールドポイントがうまく見つからなかったら、かまわないから両手でクサリを握ってね。」と言ってある。
「クサリは片手で補助的に」という基本は基本で大切だが、そんなことを言ってられない状況の時だってあるということだ。

いい感じで下りてきている。
三点支持だけは厳守するようアドバイスはしたが、往路の岩場やクサリ場でそれなりに慣れたようで安心して見ていられる。


続いてAM君の番。

ジャンダルムでの経験が生きている。
さすがだ。

ここでヨコバイ通過の最終確認をした。
・かならず右足のつま先を窪みに入れること。
・クサリは両手でつかんでもOK。
この二点を言いながら、自分がヨコバイ通過の手本を示した。
「窪みは必ずここにあるから大丈夫。慌てないでつま先で探れば大丈夫。」
ヨコバイの現場で人に説明をしながら通過するのは初めてだった。

ヨコバイを数歩移動したポイントでKMさんに来るよう合図を送った。

どうしても窪地を目視で見つけようとしてしまっていた。
登山靴の側面で岩肌を探っている。
気持ちは分かるがそれではダメだ。


「下は見ないで! つま先だけで窪みを探して!」

言うのは簡単だが、彼女にしてみれば相当な怖さなのだろう。
目に見えない部分を足で探す。
ましてやぶ厚い登山靴だ。
感触は手指ほど伝わってくれるはずがない。
「もう少し下。もうほんのちょっと下!」
やっと窪みに右足を入れることができた。

自分と合流した時の彼女の表情が緊張感で一杯だったのをはっきりと覚えている。

斜め下に降りて、少しだけ広がったポイントで二人を待った。

AM君がヨコバイを通過中。


彼の後に他の登山者が数名いた。
自分たちはこの後もスタカット方式で下山することになっているし、このクサリ場が終わったら先を譲ることにした。


「厳しかったら両手でくさりを握ってもいいんだよ。」
握力低下に影響が出るかも知れないが、少し休めば回復できる。
今はその場その場での安全確実な通過を優先した。


AM君の身長は自分と同じで178㎝。
なんと体重も同じで63㎏だ(笑)。
それぞれのスタンス・ホールドポイントへの距離も同じって事になる。
まぁ体の柔軟性では若い者にはかなわないが、自分が届くポイントであればAM君も大丈夫ってことになる。


AM君が上から撮ってくれた画像。
下に見える僅かに広くなったポイントまで来れば一息つくことができる。

三人が合流し、ここで他の登山者に先を譲った。
「ここから梯子を降りて、またクサリだ。でもそこが終われば平蔵のコルだからそこで休憩を取ろうか。そこまではガンバね!」

AM君は問題ないだろう。
心配だったのはKMさんだ。
彼女が女性だから・・・。
そう、筋力や握力などの低下や持久力が心配だった。
ある程度はメンタルでカバーできるだろうが、それにも限界はあるはずだ。
「やはり急ぐべきではない。」
そう判断した。


彼女は高所恐怖症だと言うが、「へっ、どこが?」と思えるほどだ(笑)。


梯子の下で再び合流し、クサリ場へ移動。


下に見える茶褐色の屋根がトイレだ。
トイレとは名ばかりの様な気もするが、中がどうなっているのかは一度も見たことはない。


そうそう、ゆっくり。 いいよ、マイペースで降りてね。


AM君が降りてきた。
「やっとコルだね。もう少し行ったら休憩しよう。」

考えてみれば、ヨコバイに向かう為の急斜面からずっとクサリ場の連続だった。
途中一息入れることができるポイントはあるが、その後もクサリ場は続く。
(「KMさん、大丈夫だろうか・・・」)
自分を基準にしてはならないという、ごく当たり前のことを今更ながら考えた。

前劔を下るまでは、彼女のためにも今まで以上に緩急が必要だな・・・。
そう思った。

みんなで劔岳:てっぺんでやりたかったこと②

2017年10月19日 23時52分01秒 | Weblog
一通り写真を撮り終え、休憩を兼ねて行動食を摂ることにした。
何を食べても良し、一服するも良し、登頂の感動を独り味わうも良しだ。


周囲はガスっていたが、時折白馬岳が姿を見せることがあった。
そしてほんの刹那だったが、日本海(富山湾)の青い海を見ることができた。
これにはみんな感動だった。
AM君「3000mから見る海は生まれて初めてです。すごいですねぇ・・・。」
KMさん「同じ青でもやっぱり違うんですね。嬉しいです。ここまで来て良かったです。」
自分はただのガイド的存在に過ぎない。
最後は己の意志と力だけで登り切らなければならない。
それ故の感動がそこにあるのだ。
(よかった よかった!)

そうそう、これをやらなくっちゃいけなかった。
わざわざここまで持ってきた物があったのだ。

本当は珈琲牛乳にしたかったのだが、気圧が低いことでひょっとして紙パックが「パ~ン!」ってなことになりかねない。
ここは缶コーヒーで乾杯だ。
しかも市販されているもので一番甘ったるいと思うもの(笑)
「っしゃぁ~! これで糖分補給完了だぜぃ(笑)」

KMさんはひとり佇み登頂の達成感を味わっているようだった。
「お~い、せっかくだから何かポーズとってよ」
そのリクエストに応えてくれた。

これでガスが晴れ、北アルプスが一望のバックであれば最高なのだが・・・。
「まぁ何て言うか・・・その・・・もうちょっと色気を出すとか・・・」
「え~っ、無理です(笑)」
「うん、無理だろうなぁ・・・」

AM君も登頂の喜びと達成感を感じていたのだろう。
ちょっと盗み撮りをしてしまった。

何を感じているのだろう。
ただ一つ言えることは「連れてきて良かった」ということだ。

自分はと言えば、一か月後に予定している「北方稜線縦走」のことが頭から離れなかった。
今日はこれでいい・・・いいかもしれないが、今度はそうはいかないだろう。
生半可な気持ちでは挑むべきではない北方稜線。
たとえリベンジであるにせよ、とてつもない不安があった。
期待や意欲ではなく、あまりにも大きな不安だ。

しばし、ガスに隠れて見えない北方稜線方面を見つめていた。

これはAM君がいつの間にか撮ってくれたもの。
この時は、劔沢雪渓を下り池ノ平小屋へと向かうルートを頭の中でイメージしていたと思う。

それぞれがそれぞれの想いを巡らし、やっと辿り着いた劔岳。
だが、そろそろ下山しなければならない。
荷物をまとめ、下山準備に取りかかった。

下山にあたり、どうしてももう一ヵ所だけ教えなければならないポイントがあった。

祠のすぐ後ろにある窪地のようなポイントだ。
「ここがそうだよ。・・・と言われているポイント。」
「ひょっとして錫杖が見つかった場所ですか?」
さすがはAM君だ。
「そう。でもあくまでも言い伝えだし、諸説あるけどね。」
KMさんはまだよく理解していなかったようだが、下山後にその話しをすると「なんか私、すごいところに登っちゃったんですね。」
と言っていた。

さて、気持ちを引き締め直して下山だ。
さっそくヨコバイが待っている。



みんなで劔岳:てっぺんでやりたかったこと①

2017年10月17日 23時54分53秒 | Weblog
タテバイを越えれば、今までのような際だった危険箇所は無い。
もちろん気を抜くことはできないが、「もうほんのすぐそこだ」という思いの方が緊張感よりも勝っていた。


二人にとっては初めての劔岳。
緊張感や期待感は自分よりも大きいはずだし、達成感も感じられるはずだ。
「もうほんのひと登りだから。もうすぐ祠が見えるよ。てっぺんだよ。」
そう言って励ました。


足もとに咲く「ミヤマダイコンソウ」。
こんな高所であるが故に愛おしい。
そして久しぶりに高山植物を愛でるだけのゆとりが出たことを自覚した。


遂に山頂を示す祠を目視できるポイントまで来た。
「ほら、やったよ。あそこが、あの祠がてっぺんだよ。」
「えーっ、やっとですか! 遂にですか!」
AM君もKMさんも言葉では言い表しきれない表情だった。
(「うん、二人ともいい顔してるな。」)

一歩一歩山頂へと近づくが、このまま自分が先頭を行ってしまっては意味がないと思っていた。
それは数週間前に、二人にルートの詳細を説明するため自分なりにガイドマップを作成した時に決めていたことだ。

祠まであと数歩。
「二人、先に行って。」
と言った。
「えっ、何でですか?」
「俺が先に着いても意味はないし、二人に申し訳ない。いいから先に行って。」
「えっ、じゃぁみんなで手を繋いで行きましょうよ。」
意外な事になってしまったが、「仲間」と一緒に登頂しよう。

午前10時、劔岳に登頂。

ここまで約5時間を要した。
これほど時間を要したのは初めてだったが、危険箇所はすべてスタカット方式だったし、体力の消耗を極力避けながら可能な限り時間を使って登攀する。
これは初めから決めていたことだ。
何よりも怪我無く登頂できたことが嬉しい。


山頂には数名の登山者がおり、シャッターをお願いした。
満面の笑顔。
充実感、そして達成感に満ちた顔だ。

でもって山頂でやりたかったこと・・・その1。

せっかく三人で登るのだから、ありきたりの写真じゃ物足りないかもね。
男二人が土台にとなり、その上にKMさんが乗る。
シャッターを押してくれた方も大笑いしていたっけ。

他にもやりたいことはあるのだが、その前に二人にどうしても見せたい物、見せなければならない物があった。
三角点である。

AM君は既に「劔岳 点の記」を何度か観ており、劔岳山頂にある三角点がどのような意味を持つのかを知っている。
KMさんには概要は伝えておいた。
「これがそうだよ。これがあの三角点だよ。もちろん明治40年当時の物ではないけど、あの時の命を懸けた苦労がそのまま受け継がれているような気がするんだよね。」
柄にもないことを言ってしまった。


「俺はこうして毎年ここに登っている。登山というあくまでも趣味の世界で登っている。でもあの時代のあの人達がいたからこそ、何だかんだで楽しんで登ることができているだよね。だからせめて感謝の気持ちだけは忘れちゃだめなような気がする。」

これだけは二人に伝えたかったことだ。

さてさて、ほかにもやりたいことがあった。