ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

開校記念祭 「抜刀隊」

2014年03月29日 23時49分12秒 | Weblog
さすがはイベントの目玉。
良い席は既にぎっしりと埋まっており、満足できる場所を探すのに苦労したが、ちょうどトラックのコーナー当たりにピンポイントで空いている場所を見つけた。
「いやぁ早くはじまらないかな~(ウキウキ)」
「やけに嬉しそうですね。ほんと子供なんだから(笑)」
何と言われようと、半年も前から抜刀隊の曲を聴くことを心待ちにしていたのだ。
まるで大好きなシンガーのコンサート会場で、幕が上がるのをじっと待っている様な心境だった。



いよいよ吹奏楽部(で、いいのかな)の入場。
そう、彼等が「抜刀隊」を演奏してくれるのだ。
思いっきり期待しているよ!

そして各大隊の入場行進が始まった。
これはBGMは無しで、太鼓による行進のリズムのみ。
う~ん、じれったい!

じれったいのだが、これはこれで見応えがあった。
やや遠くからではあったが、腕の振り、上げる高さ、歩調等々綺麗に揃っている。

全学生(全大隊)が揃ったところで、予想していた通りの訓辞と祝辞が延々と続いた。
分かっていたこととは言え、やはりこれもじっれたいものだ。
ここはじっと耐えるのみ。
そしてやっと終わってくれ、全大隊は一端退場する。
演奏隊だけがグランドに残っており、観閲式もクライマックスに近づいてきた。
カメラ、スタンバイOK。
ビデオ、スタンバイOK。

場内アナの説明が終わったその直後だった。
キタ キタ キタ キターーーーーーッ!!!!!
遂にあの前奏が始まった。
ジ~ンと胸にしみる思いだ。


実に凛々しい。
もう今更言葉は不要だろう。





おぉ~、自分のすぐ目の前を「64式小銃」の群れが進んで行く。
そして抜刀隊の生演奏ときた。
たまらんなぁ~。
おじさんはこの贅沢なひと時を半年間ずっと待っていたのだよ。
ありがとーっ、防大生諸君!

もう少し近くで見たくなり、グランドを出たところで待ちかまえた。

おぉ~、64式小銃の大群が自分の方に近づいて来るではないか。
何という幸せ。


着剣した64式をこんな間近で見られるだなんて・・・。
曲も抜刀隊から「軍艦マーチ」へと変わっている。
これはこれで実にいい♪
 
写真もビデオもバッチリと撮れたし、実に満足。
学生舎へと戻る彼等の後を追うように、自分たちも学生舎へと向かった。
もちろん心の中ではずっと抜刀隊を歌っている。

小隊長(or中隊長)の学生が三人いたところを発見。
ちょっとお願いして一緒に写真を撮らせてもらった。

すると、彼等の方から自主的にサーベルを抜きポーズをとってくれたではないか。
何というサービス精神。
これぞまさしく「抜刀隊」である。
親子のような年齢差であるにも関わらず、顔はにやけっぱなしだった(笑)。
これも感謝感謝の一枚となった。

次のお目当ては「棒倒し」だが、時間はまだ十分にある。
りょうちんは防大の各施設に詳しく、学生協でこんな防大グッズがあるとか教えてくれた。
よっしゃ、飯食ってから防大グッズを買い占めに行こう♪

開校記念祭 「この日を待っていた!」

2014年03月28日 00時53分36秒 | Weblog
たまには山以外の思い出を綴ってみたいが、どうしても個人の趣味的な傾向である故に「ミリタリー系」に走ってしまうことはご勘弁を・・・。

11月16(土)・17(日)の二日間は、横須賀にある「防衛大学校」の開校記念祭だった。
またまたりょうちんと二人でこの記念祭に出かけた。
(ちなみにりょうちんも「ミリタリー」大好き男)
半年以上も前から計画していたことなのだが、さすがに休日の二日間とも出かけることは勤務上難しく、お目当てのイベントがある16日にターゲットを絞っておいた。

この日の最大のイベントは、防大名物ともなっている「棒倒し」だ。
たかが棒倒しと思う無かれ。
そんじょそこらの棒倒しとは訳が違う。
(とは言っても自分はまだ動画でしか見たことがないのだが・・・)
この棒倒しに懸ける防大生の思いは尋常ではない。
それこそ何度にも渡り作戦会議を繰り返し、敵チームにスパイを送り込み敵の作戦の裏をかくといったことまであるらしい。
詳細は後ほど綴るが、この棒倒しの前に何としても観ておきたい、否、観なければならないイベントがある。
「観閲式」がそれだ。
4大隊の防大生が見せる(魅せる)統制美。
そして何と言っても生演奏で「抜刀隊」が聞けるということ!
抜刀隊をBGMとして各大隊の一糸乱れぬ行進を思い浮かべただけでもゾクゾクしてくる。


ここは第1大隊の学生舎で、つまり「寮」の様なところ。
入り口にはこの様に「棒倒し」に懸けるそれぞれの思いや意気込みが綴られてあった。
日の丸だけでなく「旭日旗」があるところが防大らしい。


観閲式に向け準備を終えた学生で、一枚撮らせていただいた。

「えっ、自分なんかでよろしいんですか?」
と言っていたが、いえいえとんでもない。
撮らせてもらえるだけで嬉しいんです!

手に持っているのは「64式7.62mm小銃」。
当然「弾倉(20連マガジン)」は装填してはいない。


この学生も観閲式に出るのだが、「サーベル」を差していることから小隊長か中隊長あたりの学生と推測する。

いやはや、いい歳してテンションが上がりっぱなし。
だが、驚きと感心があった。
それは防大生のあくまでも真摯な態度と言葉遣いだ。
一般の来校者が訪れることなど滅多にないこともあろうし、おそらくは来校者に対しては親切丁寧な応対をするよう指導もあったことと思う。
それにしてもだ、場所を訪ねた時などはパンフレットの地図を基に説明してくれただけでなく、「どうぞこちらです。ご案内させていただきます。」とまで言われてしまい、
こっちが恐縮するほどだった。
さすが防衛のエリートといったところだろう。
これが普通の大学祭だったらこうは行かないだろうなぁ。

さて、早いところ場所取りしなければならない。
「抜刀隊」が楽しみだ。

天気予報は大ハズレ! 「ズッコケ・スリップ・藪こぎ」

2014年03月26日 20時49分08秒 | Weblog


足下は殆どが岩場であり、急な下りとなっている。
分かりきったことではあったが緊張する下山だ。
幸いにホールドできるポイントは豊富にあり、しっかりとつかみながら下りることができた。
問題はスタンスだった。
積雪はあっても雪が固まっているわけではなく、場所によっては膝程まで埋まる。
つまり、安定したスタンスポイントが見えないのだ。

慎重に一歩ずつ下りた。
が、やはりスリップしたり、しりもちをついたり、時にはプチ滑落までしてしまった。
怪我をするほどではなかったが、なんとか斜度の緩やかなルートまで下りることができた。
「いやぁー緊張したなぁ」
「あぶなかったですねー」
お互いに笑いながら交わした言葉だったが、正直冷や汗ものだった。

ここまで来ればもう大丈夫だろう。
ホッと一息つき、一服した。




あとはもう一ヶ所の短いガレ場をトラバースし、ひと登りすれば林道へと出られる。
そのはずだったのだが、ガレ場をトラバースした後、ルートを見つけることができなかった。
おかしい、何度も通ったルートなのに・・・。
ルートを示す標識すら発見することができなかった。
降雪後は様子が一変することなど分かっているつもりではあったが、いざそうなってみて初めて分かることもある。

「りょうちん、藪こぎするか?」
現在地は明確に分かっており、ここからほぼ真西に向かえば間違いなく林道にぶつかる。
そして向かう先に「大真名・小真名」が見えてくればもう安心だろう。
一応地図とコンパスで進行方向を確認した。

藪こぎなどそうは滅多に経験することではない。
ある意味今まで以上に足もとに何があるか分からないだけに不安だった。
約30分程頑張り、見覚えのある風景とその先には「大真名・小真名」が見えてきた。
本当にホッとした瞬間だった。

それにしても、登山とは何故にこうまでしていろいろなアクシデントが起こるのだろう。
女峰山は過去に何度も登っている山であるにも関わらず、結果としてこうなってしまった。
もちろん様々なアクシデントを想定し、応急的な対応ができる程度のギアは準備しているし、準備だけではなく、一定の知識や技術も習得してはいる。
それでも遭遇してしまう。

本当に上手く行った山行なんて、10回の内2~3回あれば良い方だろうか。
そして上手く行かなかったのには理由(原因)が存在する。
その原因を作り出しているのは、まぎれもなく自分自身なのだ。

まだまだ甘いなぁ・・・。

天気予報は大ハズレ!「目覚めてビックリ!」

2014年03月22日 00時08分44秒 | Weblog
温かい物を食べ、酒を飲んでも小屋内の寒さが何ら変わるはずもなく・・・。

保温性の高いアンダーシャツ、ミドルシャツ、サーマル、ダウンジャケット、アルパインジャケットを着込んではいるものの凍えるような寒さだった。
ソックスは厚手のアルパインソックスを履いてはいるが、指先はとっくにかじかんでしまい、あまり感覚がない。
つま先に使い捨てカイロを貼り、更に予備に持ってきたもう一足のアルパインソックスを履き、そしてシュラフに下半身をつっこんだが、それでも指先から来る冷えを解消できたとは思えないほどの寒さだった。


21時過ぎになり、そろそろ寝ようかとなった。
♯0の厳冬期用のシュラフに全身を入れ、頭もすっぽりと入れた。
わずかに息ができるだけの隙間を作り眠くなるまでただじっとしている。
やっと足の冷たさ、寒さが緩んできたように感じた。
「明日は女峰山のPEAKだ。そして帝釈山までの稜線を縦走か・・・。楽しみだな。」

5時過ぎに目が覚めた。
と言うより、りょうちんの声で目が覚めた。
「○○さん、大変ですよ! 外!外!」
一体どうしたんだろうと思い、眠い目をこすりながら小屋の外へと出てみた。

絶句・・・・・・・・・・
唖然・・・・・・・・・・

「な・なんだぁこりゃぁ~!」
一面大雪の銀世界へと豹変していた。
昨日の自分たちのトレースなんぞどこにも見あたらない。
しかも、雪はまだ降り続いているし。
これでは登頂なんてとても無理だ。
登るためのギアが無い。
いや、それよりも下山をどうする?!
どうやって下山するか・・・。
ピッケルは無い。
アイゼンとは言っても6本爪の軽アイゼンだけ。
これであの岩場の急斜面をどうやって下りればいいのか・・・。
だが、下りるしかないのが現実だ。

しばし考えたが覚悟を決めた。
やはり今持っているギアだけで下山するしか術はない。
雪が降り続いている以上、できるだけ早くした方がよいだろう。
すぐにお湯を沸かし珈琲を飲んだ。


朝食はごく簡単に行動食程度で済ませた。
一時間頑張れば後は大丈夫だ。
最初の一時間が最も危険なルートなのだ。


天気予報を当てにしていた自分たちがバカなのか。
この歳になっても山を軽く見ていた自分たちが愚かなのか。
どのみちおバカなことには変わりないなぁ(笑)

ルートを見失うことはないが、スタートからすぐ始まる岩場の急斜面だけが怖かった。
ここはストックは無しだ。
不安定な6本爪の軽アイゼンだけでどれだけ踏ん張れるか分からないが、樹木でも岩の突起物でも何でも、つかめる物はつかんでゆっくりと下りることにした。

天気予報は大ハズレ!「なんでこんなに寒いんだ!」

2014年03月20日 00時20分15秒 | Weblog

それにしても久しぶりに感じるザックのとんでもない重さだった。
通常であれば、水場から登り小屋までは15分程度なのだが、30分近くはかかってしまっただろう。
とてもじゃないがストック無しでは登り切れなかったかも知れない。
(う~ん、歳はとりたくないものだ)

避難小屋が見えてきた。
ここは通称「唐沢小屋」と呼ばれている。
もちろん普段は無人であり、誰がいつ利用してもかまわない。
ただし予約などは必要ないその分、泊まるなら「早い者勝ち」ってことになる。
おそらくは30人程度は泊まれるのではないかと思われる広さの小屋だ。

扉を開け中に入った。
「うっ、何だこの冷気は・・・」
まるででかい冷蔵庫の中に入ってしまったような寒さを全身で感じた。
まだ屋外の方が少しは暖かいと思えた。

とりあえずはザックを下ろし荷物の整理と夕食の準備をした。
その間もグローブは外せないほど小屋内は冷え切っていた。
少し体が震えていた。
背中にかいた汗が軽度の低体温症を起こしてしまっているのだ。
どれほど寒くとも肌に直接触れているアンダーシャツは着替えなければなるまい。
「うおぉ~たまらんなぁー!」と叫びながら上半身は裸。
見事に鳥肌が立っている。
しかし、結果として着替えたおかげで汗冷えによる震えは治まってくれた。
「りょうちん、温かい物飲もうか」
そう言ってお湯を沸かし甘ったるい珈琲を飲んだ。


今夜の利用者は自分たちの二人だけ・・・当然だろう。
こんな寒い日に好きこのんで来る奴は他にはいるまい。

夕食にはまだ早過ぎる。
かといって他にすることもなく、とにかく体を暖めたかった。
誰が置いていったのか分からないが、薄い銀マットが数枚置かれてあったので、寝る時はありったけの物を床に敷き僅かでも断熱効果を高めた。
しばしシュラフに入りじっとしていた。
いつしか二人とも眠ってしまった。

17時頃に目が覚め、さぁて飯の準備だ。
今夜のメニューは「特製もつ鍋」だ。
何が特製なのかは分からないが、まぁいい。

りょうちんが持ってきてくれたもつ肉はカッキンカッキンに凍っていた(笑)。
どうせ鍋で煮ればいずれは溶けてくれるだろう。
だが問題は小屋内の寒さだ。
それなりの人間がいれば、それだけで人の熱もあり、更には火器の熱もある。
考えてもみれば、30人近くは泊まれるほどの広さの中で、いるのはたった二人。
もちろん暖房器具などあるはずもない。
冷えて当たり前の環境なのだ。
ちなみにこの時の室温は「-15℃」だった。
本音を言えばシュラフに下半身を入れたまま調理活動をしたかったのだが、バーナーにシュラフを近づける事になってしまうのでそれは諦めた。

寒さに震えながらも出来上がったもつ鍋。

ごはんよりもこの熱々の具とスープで体を中から暖めよう。
が、あまりに量が多すぎたようだ(笑)
それにもまして〆のラーメンがあったこともあり、持参してきたFDの米は今夜はお役ご免となった。


美味いねぇ(しみじみ)
しかし寒いねぇ(しみじみ)

食後に酒を飲みいろいろと語り合った。
仕事のこと、恋のこと(もちろんりょうちんの方ね!)
いくら寒くても、こんな時の流れは心から楽しいものだ。

天気予報は大ハズレ! 「水が重たい!」

2014年03月17日 20時57分21秒 | Weblog
奥日光の女峰山へは、日帰りや避難小屋泊などで何度も登っている。
季節としては秋が多く、最も遅い時季としても10月の末だった。

今回は11月の中旬だが、既に山頂部には降雪が確認されていた。
りょうちんも一緒であり、まだ避難小屋泊をしたことがないと言うので避難小屋一泊の女峰山登頂を予定した。

この時期にスタッドレスを履くのはおそらく初めてだろう。
しかし、「光徳牧場」手前当たりから路面にはうっすらと白い物が・・・。
そして林道に入れば完全な雪道となっていた。
「履いてきて正解だったね」
「この坂道じゃノーマルでは無理でしたね」
そんな会話をしながら駐車スペースまで車を走らせた。

初日の総ルートタイムは休憩を含めて4時間程度を想定している。
ご存じの方であれば、志津小屋をスタートし避難小屋までを4時間だなんてかかり過ぎだと思うだろうが、どう考えてもあわてるような日程ではないので初日はのんびりと登ることにしたのだ。

11時に志津小屋をスタート。
林道をひたすら歩いて行けばいいだけで、景色を堪能しながら歩いた。

曇り空ではあったが、明日は晴れるという予報だ。
山頂はもちろんのこと、自分が県内で最も好きな「帝釈山」までの縦走コースを堪能できそうだ。
写真のバックに映っている中央のPEAKが女峰山。そして左手のPEAKが帝釈山。
その間を縦走して下山する。

今歩いているルートには殆ど降雪は見られない。
だが、山はそうではなかった。
ネットなどで十分に事前調査をしたつもりではあったが、降雪は山頂部のみならず2000mあたりから十分に目視できた。
万が一を考慮し、ジャケットだけはアルパインで、軽アイゼンを準備してきた。
あとは明日の好天を期待して登ろう。

「馬返し」というポイントまで来た。
ここからはいよいよ本格的な登山道となる。

ルート上の雪もやや厚みが増してきていた。

一端下り、ガレ場をトラバースする。
そして樹林帯の登攀だ。
登攀とは言ってもそれほどの急斜面ではないが、途中にある「水場」を越えるとそれなりに岩場が目立ち始め、斜度もいきなり急となる。

「さぁ行こうか!」

樹林帯の中のルートにはトレースが確認できた。
決して迷うようなルートではなく、樹木には「ピンクテープ」やカラーマーク板などの目印となる物がしっかりと設置されている。
それでもトレースというものは本当にありがたい。
時として間違って進んでしまった人のトレースがあるのも事実だが、人が通った形跡があるということ、それだけでも不思議と安心できるのだ。


動いているうちはまだ体は暖かいが、休憩時になれば汗をかいた背中から寒さが伝わってくる。
やはり既にここは雪山なのだ。

会話が弾んだ。
これからの急登攀を前にし、まだ余裕はあった。


一つだけ不安なことがあった。
水の確保だ。
避難小屋の手前に水場があるのだが、ひょっとして管が凍結してしまっているかも知れないという一抹の不安があった。
もしもを考え、雪を溶かしての水作り用に予備の燃料だけは持参して来てはいるが、やはり簡単に確保できるに越したことはない。

徐々に傾斜が増し、周囲の樹林帯も濃くなってきた。
再び小さなガレ場をトラバース。
ここを過ぎればほどなくして水場となる
「凍結してないだろうか・・・」
不安が募る。

ルートのすぐ左側には僅かに水の流れが確認できた。
と言うことは水は大丈夫・・・かな。
水場に着くやいなや管を探した。
ホッとした。
「いやぁー良かったよ。これだけが心配だったんだ。」
りょうちんも安心したようで、早速水筒に水を汲み始めた。
夏場のように溢れんばかりの水量とは行かないが、管の先端からはちょろちょろと、されど確実に水は流れてくれている。
グローブを濡らしたくはなかったので、素手で水汲みを行ったのだが、これがまた寒いの何のって!
水の勢いが無いだけに、水筒が満杯になるまでどれ程かかるか分からない。
ものの2~3分で指先はかじかみ、片手を交換しながら行った。
片方の手が空いている時はひたすら息で指先を温めるが、水筒の口を固定している方の指先に少しでも水が当たるととんでもない冷たさだった。
「それにしても時間がかかるなぁ。たまらないなこの冷たさは。」


ここはひたすら我慢我慢。
この水が今夜の夕食、明日の朝食、そして行動水として絶対に欠かせないだけに、どれほど冷たかろうと、指がかじかもうと必要なのだ。

やっと予定していた量を確保できた。
足りなくなるよりはと思い、約8リットル(二人分)を確保。
㎏で言えば8㎏だが、この8㎏の増量がきつかった。
自分のザックに詰め込みいざ背負おうとしたが、「おぉ~っ!」というほどずっしりと来た。
しかもだ、小屋までの距離は僅かでも、ここから先が最も急登攀となり、足下は岩場となる。
でもって降雪。
ゆっくりと慎重に一歩一歩登ったが、本当にザックが重かった。
ダブルストックで体を支え、「よいっしょ!」というかけ声が無意識で出てきた。
何度かバランスを崩し右に左にとふらついたが、ストックで支えたり、樹木に体を預けたりしながら登攀した。

もうちょっとで間違いなく避難小屋だ。
今夜の飯のためにもここはガンバ!



LITTLE CLIMBER 「とっておきの一枚」

2014年03月13日 20時00分59秒 | Weblog
ガレ場の最後の登攀が終わると、「三本槍」方面への分岐点に着いた。
そして休憩ポイントでもあり、ここで昼食を予定している。

ここにザックをデポし、約10分ほど登れば朝日岳のPEAKだ。
PEAKへはすぐに着いたが、途中には雪の名残が小さなアイスバーンとなっていた。


茶臼岳に向かってOさんファミリーの後ろ姿を撮らせていただいた。
「家族で山に登れるっていいもんだなぁ・・・。ちょっと羨ましい」
そんなことを思いながらシャッターを切った。
我が家でもできないことはない。
簡単なことだ。みんなが登れる山を選択すればいいだけのこと。
女房によく言われている「なんであんな山ばかり登るの?」の、「あんな山」のような山にしなければいいのだ。


全員揃って「ハイ、チーズ!」

そして

念願の花子ちゃんとのツーショットだ(笑)

さて、腹も空いてきたし、昼食としよう。
分岐点にはベンチがあり、食事を摂るにはもってこいの場所だ。
さっそくお湯を沸かし準備に取りかかった。
風もやや出てきたし、熱いラーメンが嬉しいね♪



見ているだけで微笑ましい花子ちゃんだ。

普段家でもラーメンは食べるのだが、山で食べるとどうしてこんなに美味しいんだろう。
汗をかき、体力も使い、景色も最高となれば当たり前かも知れないが、山で食べるラーメンは、酒を飲んだ後の「しめ」のラーメンなんかよりも遙かに美味い!

後は下山するだけであり、往路をピストンして帰る。
登攀よりも危険性は高いだけに、ここは慎重に花子ちゃんを見ながら下りた。
しかし、復路でも花子ちゃんの岩場におけるセンスは抜群だった。

この時、勝手ながら変なことを想像してしまった。
花子ちゃんがこのまま登山好きとして成長し、名だたる山を制覇したとしよう。
そして、若手女性クライマーとしてTV出演し、インタビューを受ける。
「あなたが登山を始めるきっかけとなった理由をお聞かせください。」
「私がまだ幼かった頃、母の職場に○○さんという方がいました。その方も登山が大好きで、小さい私をいろんな山に連れて行ってくれたことが私にとってのスタートラインです。」
「その方とは今でもご一緒に山に登られているのですか?」
「いえ、残念なことですが、私が二十歳の時に劔岳に登られ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。」

よくもここまで勝手に想像できるなぁと自分でも感心してしまった(笑)。


下山したら、是非とも撮ってみたい写真がある。
花子ちゃんがOKしてくれるかどうかわからないが楽しみだ。

ほぼ予定していた時刻通りに下山できた。
怪我無く楽しく山に登れたことが何よりだ。

さっそく花子ちゃんに写真のことをお願いしてみたところ、スムーズにOKしてくれ撮った写真がこれだ。

おそらく40リットルのザックだったら大丈夫だろうと思いやってみた。
よっしゃ! 次回はこれで登攀できそうかな(笑)。

この写真は、自分にとって今日のとっておきの一枚となった。
だが、後日Oさんから当日の写真をいただいた。
その中に、思わず無言で見入ってしまったものがあった。



言葉は何もいらない。
この日が如何に楽しかったかを、この一枚がすべて物語ってくれている最高にとっておきの一枚だ。

LITTLE CLIMBER 「花子ちゃん」

2014年03月09日 22時02分21秒 | Weblog
10月も終わりに近づいた頃、職場の仕事仲間である「Oさんファミリー」と一緒に那須の朝日岳に登った。

いつもと違った登山になりそうな予感で一杯。
それは、Oさんのお子さんである5歳の女の子と登るからに他ならない。
ブログ上「花子ちゃん」としておこう。

もとより山好きのご夫婦であり、花子ちゃんも5歳とはいえ数々の山に登ってきた。
嬉しいことに、花子ちゃんは樹林帯のルートよりも岩場の登攀や縦走が大好きで、自分と好みがピッタリ!
今日の山は初級コースではあるが、将に岩場のオンパレード。
危険なポイントもあるが、花子ちゃんには喜んでもらえそうな気がする。

登山口をスタートし、先ずは階段状のコースを登る。
今日一日を通しての花子ちゃんの体力を考慮し、ペース配分をしてあげなければならない。
できる限りいつもの歩幅よりも短めの歩幅とした。


快調快調!
天気もいいし、程よく汗をかきそうな秋日和の山となりそうだ。

この階段を越えれば周囲の樹木は殆ど無くなり、茶臼岳や目標である朝日岳が見えてくる。
先ずはコルにある「峰の茶屋」までと思ったのだが、やはり途中で一度休憩をした。
下山に向けてできるだけ花子ちゃんの体力を残しておいてあげなければならない。

Oさんは、いつもの職場での雰囲気とはちょっと違っている。
今日は「お母さん」の顔であり、「お母さん」としての子供への気遣いが行動として現れている。
そんな当たり前のことがとても新鮮だった。

もうすぐ峰の茶屋へと着く。
花子ちゃんとお父さんとのツーショットを撮らせていただいた。

この写真を見る度に、自分の娘の小さかった頃を思い出す。
「あぁ~こうして何の照れくささもなく手をつないだっけ。娘の方から手をつなぎに来たんだっけなぁ・・・」
将来花子ちゃんがお嫁に行くと決まった時、この写真を見たらお父さんは絶対に泣くだろうなぁ・・・。
自分だったらぐしゃぐしゃになってしまうかも知れない。
そんなことを勝手に思っている。

峰の茶屋小屋に到着した。
目の前に見えるのが朝日岳だ。
3年前の夏に教員時代の山仲間と登った懐かしい山だ。

休憩の時、花子ちゃんが行動食として持参してきたチョコレートをくれた。
いやぁ~嬉しいね♪
まだ疲れはない様子だし、ここからはトラバースとなるから大丈夫だろう。
問題はそのトラバースを終えてからだ。
初級コースの山とはいえ、完全な岩場でありくさり場が連続する。
いくら岩場が好きな花子ちゃんでも、ちょっとビビってしまうかも知れない懸念があった。


さぁいよいよ今日の核心部へと踏み出した。
気をつけることは「絶対に自分のペースでは登らないこと」「花子ちゃんのスタンスとホールドのポイントをよく見ること」そして「できるだけ花子ちゃん自身の力で登らせてあげること」だ。

ところがどっこい!
こっちが驚かされっぱなしだった。
大人の歩幅で登らなければならないポイントばかりだというのに、器用に両手両足を使い自分流の技術で登攀しているではないか。
しかも、よく見るとほぼ確実に「三点支持」で登っている。
誰が教えたわけでもない、無意識でとっているのだ。



実に素晴らしい“LITTLE CLIMBER”だ。

このコースで最も危険とされている崖のくさり場でも、全く臆することなく平然とした顔で通り越した。
後ろを歩いているご両親もニコニコ笑顔で花子ちゃんを見ていた。
花子ちゃんと初めて山に登る自分の方が余計な心配だったのかも知れない。


もう一踏ん張りでコルとなる。
PEAKまではあと20分くらいだ。
頑張れ花子ちゃん!

鳳凰三山「油断・傲慢・迂闊」

2014年03月06日 22時31分07秒 | Weblog
ここから先は、数時間をかけひたすら樹林帯の中を下山する。
登攀よりはまだ楽なのだが、心配なのは自分の膝だった。
昨夜、眠る前にテーピングを貼り替えガッチリと固めてはおいたが、果たして・・・。

かなりの急斜面が連続していた。
先頭を行くが、時折ぬかるんだ土の上に靴を置かざるを得ない時があり、スリップに注意しながら一歩ずつ下りる。
ストックを活用したり、樹木や岩、木の根につかまったりの連続した下りだった。
膝への負担をできるだけ無くしながらのつもりではあったが、気付けば痛みが走り出していた。
(「やっぱり無理だったかな・・・」)

初めは時間を確認する意味で腕時計を見ていたのだが、いつしか標高を確認するために頻繁に腕時計の標高の数字を見るようになっていた。
つまり、ゴールである「青木鉱泉」まであと何m下りればいいのかが気になって仕方がなかったのだ。
(「まだ1000m以上も下りるのか・・・。くっそー、膝が痛いなぁ」)
それでも100m下りる度に無意識でにんまりしてしまう。
(「よしよし、100mも下りたんだな」)
高度計の数値が減って行くことがことのほか嬉しかった。

周囲の植物も針葉樹林から広葉樹林へといつの間にか変わっていた。
そして足下には「熊笹」が。
それでも段差があり、ぬかるんだ急斜面だけは必ず存在した。

何度目かの休憩ポイントで、残りのルートタイムを計算した。
この時、今までの登山歴の中で一度もやらなかったことをした。
いや、「してしまった」と言うべきであろう。
予定ではあと2~3時間ほどでゴールとなる。
ハイドレーション内の行動水はまだたっぷりとあるし、これならば予備水はいらないだろう。
まったく何の根拠もないくせに自分で勝手にそうと決め、約1リットルの予備水をその場に捨ててしまったのだ。
(「少しはザックが軽くなるし、膝も楽になってくれるかな。」)
これで持っている水分はハイドレーション内にある行動水(スポーツドリンク)だけであり、真水は無くなった。
膝への負担軽減と引き替えに、貴重な真水を自ら捨てたのだ。
そしてそのまま再び下り始めた。

段差のあるぬかるんだポイントはまだあった。
「あっ!」と思った時、既に体は1mほど滑り落ちしりもちをついた。
特に体の何処かを打った感覚はなかったが、腕まくりをしていた右肘の内側には折れた熊笹の茎が見事に刺さっていた。
痛みはないが腕は泥だらけ、「やっちゃったなぁ」などとのんきなことを言っていたが、驚いていたのはHさんの方。
「大丈夫だから」と言い、予備の水で腕についた泥を洗い流そうとした。
(「しまっった! 水がない・・・なんでこんな時に限って」)
Hさんがザックから水を取り出した。
だが、それよりも早く自分は刺さった熊笹を引き抜いた。
すると1㎝にも満たない小さな傷口から急に血が溢れるように流れ出した。
これには自分でもビックリ。
「おぉ~結構出血するなぁ」などと言っている内に、血は幾筋にも分かれ手のひらまで流れ出していた。
おそらくは傷口が深かったのだろうと思う。
Hさんが心配そうな顔をしながら持っていた水で泥と傷口を洗い流してくれた。
ティッシュでしばらく圧迫止血をしたおかげで出血は治まった。
大した怪我ではなかったが、万が一のための予備水を捨ててしまったことへの教訓となった。
何故捨ててしまったのか。
今まで何があろうとそんなことはしたことはなかったのに・・・。
「楽をする」ことに対する履き違い的な行動だったのは事実。
Hさんには心配と迷惑をかけてしまった。
大いに反省すべきである。

やっとフラットなルートに出た頃には膝の痛みは相当なもので、やや引きずるような感じになってしまっていた。
それでも青木鉱泉まではもうすぐだ。
そこまで行けばバスに乗って韮崎駅まで行ける。

帰りの電車の中では、あの時の自分の愚かな行為ばかりが脳裏を掠めていた。
「何故予備水を捨ててしまったのか・・・」
過去にも豪雨の中での下山は何度もあった。
粘土土のような急斜面でさえ一度もスリップ転倒したことなどなかった。
だから今度も大丈夫だ。
「だから今度も大丈夫だ・・・か。素人じゃあるまいに。」
己の傲慢さから出たあまりにも迂闊な行動だった。

秋の紅葉を愛で、オベリスクを堪能し、テン泊を楽しむにはもってこいの鳳凰三山であった。
そして自分自身の錆をあらためて落とさなければならないことを身をもって経験した。