ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

3000メートルを超えて(16)

2010年02月28日 21時10分24秒 | Weblog
久しぶりに「3000メートル~」を書く。
最後の章となる、西穂高山荘から上高地へ下山するまでのルートだ。

西穂高山荘にもうすぐ到着する地点で、夕立に襲われた。
雨で体が濡れることも嫌だが、それよりも落雷が恐かった。
幸い山荘までは急ぎ足で15分ほどだったろうか。
急ぐとは言っても、足場の悪いルートだ。たかが知れている急ぎ足だ。

山荘に着き、チェックイン。
山荘を利用するのはこの時が初めて。チェックインした時刻が遅かったこともあり、夕食を出すことはできないと言われた。
大丈夫。まだ2食分の食料が残っている。
とは言っても1食はラーメン。みんなでラーメンライスを作って食べることにした。

一日中ガレ場や難所ばかりのルートを歩き通した体は、塩辛い物を欲しがっていた。
醤油ラーメンのなんと美味かったことか!
夕食を摂りながら、今日歩いてきたルートをみんなで振り返った。
思いは同じだった。
「引き返したい」「できれば違うルートがいい」
「なんだそうだったのか。俺だけじゃなかったんだ」
お互い疲れてはいたが、笑いながらの難所越え話。
上司のおごりで飲んだビールも手伝ってか、心が和んだ。

今回の登山に出発する直前、半月板損傷の内視鏡検査を受け、正直自信がなかった。
初めての「3000メートル超え」だけに、無理をしてでも何としてでも登りたかった。
テーピングで固めた左膝だったが、最後までもってくれそうだ。

翌朝は快晴。
山荘を早めに出発し、上高地へと下山した。
下るだけの楽なルート。気付けばいつしか地面は岩から土へとかわっていた。そして周囲には樹木が生息していた。
やはり緑っていいもんだなぁとしみじみ感じたものだった。

上高地へ着き後ろを振り返った。
あれは確か前穂高から奥穂高への山なみだったろうか。
みごとなまでにそびえ立つ雄大な連峰を、最後に目に焼き付けた。

3000メートルを超えたんだ・・・。

懐かしき邦画

2010年02月22日 23時53分13秒 | Weblog
昨夜、某TV番組に武田鉄矢氏が出演し、「幸福の黄色いハンカチ」の撮影裏話をしていた。
急に、そして久しぶりにその映画が見たくなりレンタルしてきた。
店でDVDを見つけると、その隣には「遙かなる山の呼び声」が・・・。

帰宅し、夜の10時過ぎになって2本の映画を見た。
おそらくは「特撮」的なシーンは無い。もちろんこの時代CG技術などもあるはずがない。
脚本、監督、カメラ、音声、大道具小道具、そして俳優の技量が現代の映画以上に大きく左右されるのではないか。

共に何度も見た映画だった。
ストーリーは知っている。覚えている台詞もあった。
それでも「いいものはいい」。
最も印象的で感動したのは、脇役を演じていた今は亡き「ハナ肇」さんの演技と台詞だった。
映画の前半は、どちらかと言えば「憎まれ役」。
その憎らしさがあってこそ、最後のシーンには涙した。
高倉健さんが刑務所へ護送される車内。他人のふりをしながら隣の座席に座る倍賞千恵子さん。
そしてハナさん自身が自分をだしに使い、倍賞さんとひと芝居を打つ。
「ははははは、あのバカ」と、他人になりすまし自嘲しながらも、顔を覆って涙を堪えるハナさん。
倍賞さんが健さんに手渡したハンカチは、「黄色いハンカチ」だった。
そのハンカチで、何度も大粒の涙をぬぐう健さん。
ハナさんも、倍賞さんも、健さんも、演技を越えた本物の涙としか思えない。
厳冬の北海道であることが、そのシーンをなお一層引き締めているような気がした。

最も美しき殺陣

2010年02月19日 22時25分11秒 | Weblog
俳優の藤田まこと氏が逝った。
最近はTVの新番組の出演依頼があっても、体調を理由に断っていたことは知っていた。

中学の頃から欠かさず見ていた必殺シリーズ。
あの立ち回りが好きだった。
滅多にお目にかかれない二本差しの長刀を使っての立ち回りに酔いしれた。
そして、あの「トランペットのメロディー = 必殺」という図式が成り立つTV番組は、そうは無いと思う。

必殺の中では、殆どの場合脇差し(短刀)を用いてズブリ!
ごく希に長刀を抜き一太刀、そして二太刀。
また、番組のクライマックスに行く前に、ふいに敵から襲われるシーンがあるときは、必ず長刀を抜いての殺陣。
美しい殺陣だった。
決して派手さがある訳じゃない。バッタバッタと10秒間に7~8人も斬り倒すようなバカげた速さもない。
一言で言うなら「しなやか」なのだ。そこに美しさを感じ取ることができた。
人を切ることの是非はこの際別問題。
心底魅せられた殺陣だった。

まだバラエティーで活躍していた昔。
楽屋で座っている姿には「影」があったと言う。
その二面性を見抜いたプロデューサーがいた。
そして「中村主水」が生まれた。
初めから影を持っていたわけではなかろう。
役者としての、人としての苦労があったからこそではないだろうか。

婿殿。
あなたは自分にとって最も美しい殺陣を演じてくれる役者でした。
昼と夜とを、陽と陰とを、光と影とを完全に演じきれる役者でした。
そしてサラリーマンにとって最高のヒーローでした。

最近は雪模様

2010年02月14日 22時08分00秒 | Weblog
2月に入り栃木の県南でもそこそこ雪が降っている。
それほど積もるわけではないが、夜になって降り出せば「あぁ~明日の通勤は大変だな」と思ってしまう。
北国の人たちにしてみれば、3~4㎝程度の積雪などは降った内には入らないのだろが、毎年暮れに履き替えているスタッドレスタイヤは、この時のためにある。

我が家のパグは寒さに弱い犬種で、この時季、風の強い日だと散歩には連れて行けない。
今日は、残雪だったが日中は温かく近くの公園まで出かけた。
生後約8か月。生まれて初めて見る雪。初めて歩いた雪の上。そして初めて味わう雪。
その行動を見ていてるだけでおもしろい。人間にはよくわからないにおいを確かめるかのように、いつまでもクンクンしていた。
そして最近は散歩の時に必ず「マーキング」をするようになった。
今までには無かった行動だ。
それだけ成犬に近づいたということか。

3000メートルを超えて(15)

2010年02月09日 21時20分05秒 | Weblog
命がけで集中力を養うとは将にこのことか。
少々オーバーだが、ジャンダルムを越え一息つくことができた。

「もう無いだろう。もう十分だ。もういいよ・・・」
情けないかな、これが本音だった。
ここから先は西穂高岳へ向け、単調な縦走を・・・と期待していた。
書籍類による事前の下調べでは、そうたいした難所はなかった・・・はず。
まぁ確かに「難所中の難所」はなかったが、大小いくつものピークを越えた記憶がある。
そして驚いたことに、「ここには絶対くさり場があってしかるべきだ」と思えるポイントに、そのくさりが・・・・・ない。しかも何か所もである。
己の手足のみで越えなければならない難所がいくつも点在した。

どのあたりだったかなぁ。
休憩をするためにザックを下ろし、岩の上に腰をついた瞬間だった。
グラグラと岩が揺れ、自分の体が背中から後ろに倒れそうになった。
「浮き石」だった。
迂闊だった。完全に気を抜いてしまっていた。
自分のすぐ50㎝ほど後ろは断崖絶壁。もう少し重心を失っていたらと考えると、身の毛のよだつ思いだ。
岩場やガレ場で休憩を取るときの、いたって初歩的な注意を怠ってしまっていたのだ。

西穂高岳のピークにさしかかり、雲行きが怪しくなってきた。
ゴロゴロという嫌な音が間近で聞こえ始めた。
高所での雷は、地上に落ちる雷とは動きが大きく違う。
地上では、稲妻は上から下へと向かってくるが、3000メートル近いここでは、稲妻はまるで光線銃のように真横にのびてくるのだ。稲妻が走るのだ。
この様子ではいつ光線銃が襲ってくきてもおかしくはない。
西穂山荘まではあとわずか。

3000メートルを超えて(14)

2010年02月06日 22時27分18秒 | Weblog
「ジャンダルム」
確か仏語で「憲兵」を意味した記憶がある。
戦争映画大好きの自分には「憲兵」の持つ意味、意義、そして役割、実務、実態はそれなりに知っているつもりだ。
残念ながら穂高の縦走を終えてから「ジャンダルム」の意味を知ったのであって、だからこそ十分に納得することができた。

互いに写真を撮る余裕などなかった。
会話も少ない。
それだけ各自が集中していなければ通ることができない難所中の難所だった。
その時、その一瞬に岩を見つめホールドする。足場を見つめ確実な一歩を下ろす。
「記憶する」という脳の作業を完全放棄しなければならないほどの難所だった。

でも忘れられない記憶(難所)があった。
「カニの横歩き」=「トラバース」がそれだ。
ジャンダルムのどのあたりだったのかは忘れたが、「あっ、俺死ぬかも・・・」という思いが頭をよぎった場所だった。
断崖絶壁の岩肌と、自分の体とを向かい合わせ、密着しながら横に進むトラバース。
ここで覚えていることは二つ。
その1[道幅がない]
両手を広げるようにしながら岩肌をホールドし、カニの横ばい状態で進むのだが、足を置くための道幅が登山靴ギリギリ程度しかなかった。
おそらくは30㎝程度の幅だろうか、かかとから後ろは断崖なのだ。
生唾を飲み込みながらの横歩きだった。
その2[小物入れ]
腰のベルトにファスナーのついた小物入れを通していた。
中身は煙草だけなのだが、その小物入れが「俺、死ぬかも・・・」という思いをさせた。
両手を広げて岩をホールドしている。そして靴幅程度の道幅。そこから下は断崖。
やっとの思いでの横歩きなのだが、腰の小物入れが岩肌に引っかかってしまい、どうにも身動きができない状態になってしまったのだ。
「あっ、何かが引っかかって動けない」そう思ったのだが、何が引っかかっているのか、体のどのあたりなのかを確認することができない。
つまり、首を動かし確認することができない程、余分な動きが許されない場所だった。
今にして思えば、憲兵が「貴様! ちょっと待てー!」とでも言っている様だった。
少しでも重心が背中に移れば真っ逆さま。それでもなんとかしなければ先へは進めない。
こういう時って喉が渇く。焦っている証拠だろう。
「たぶん腰の煙草入れかな」
確信はなかったが、恐る恐るゆっくりと左腕だけを動かし、手探りで小物入れに触れてみた。
“ビンゴ!”やはり岩肌にひっかっかており、左へのトラバースの妨げになっていた。
再び左腕を元の位置に戻した。この時、何度か大きく深呼吸をしたことを鮮明に覚えている。
たぶん気持ちを落ち着かせるためだったんだろう。
「大丈夫。大丈夫だから先へ行こう」

「憲兵」にしがみつきながら、小さく左へと足をずらした。
登山をなめていたわけではないが、想像を超えた難所だった。

3000メートルを超えて(13)

2010年02月03日 22時32分04秒 | Weblog
体の筋肉が強ばったままの状態で馬の背を越えた。
今は自分一人のことで精一杯。仲間を気遣う余裕がなかったなぁ。

ルートの順番に確かな記憶がないのだが、この後「千畳敷」と呼ばれる難所を越えた。
今度は線上の移動から「面上の移動」だった。
だからといって安心して通れる場所ではなく、ここも引き返したい思いで一杯の難所だった。
それができなかったのは、単に「今更また馬の背を通るなんて・・・」
ただそれだけの思いからだった。

「千畳敷」
一面平らな岩盤で、下りのときはブレーキとなるような岩の突起物が全くと言って無い。
ホールドできそうな岩の突起も、靴底をあずけられそうな部分も無い、一面平らな岩盤の上を下って行くのだ。

通常は「三点確保」と言って、両手足の4箇所の内、動かすのはどこか1箇所のみ。
だがこの場合、4点確保の状態で下りざるを得なかった。
「尻」だ。
尻と両手足の5箇所を岩盤に当て、動かすのは1箇所だけとした。
ズルズルと、いやいや、じりじりと慎重にゆっくりと下った。
1箇所でもズルッときたら、「はい、さよ~なら~」の世界だったなぁ。

独り言さえも出なかった。それだけはよく覚えている。
そしてこの難所を越えたとき、今までに無かった感情が芽生えたことも覚えている。
「お次は何がくるんだい」
自信ではなく、あきらめに近い思いだった。
「じたばたしても、ここまで来たら意味はない。」
そんな感情が生まれた。

3000メートルを超えて(12)

2010年02月02日 22時38分50秒 | Weblog
「馬の背」がまだ序の口だったことは後から知ることになるのだが、この写真を見るだけであの時の恐怖を思い出す。
生まれて初めて味わう「場の恐怖」だった。
これほどまでに三点確保の重要さを味あわされた場所はない。
(しかし、この後更に味わうことになる)

「なんでこんなルートがあるんだ」
「誰だよ、こんなルート作った奴は」
「バカヤロー なんでここを通らなきゃならないんだ」

確かそんな独り言をぶつぶつとつぶやきながら恐る恐る足を運んだ記憶がある。
もちろんできるだけ切れ落ちた断崖絶壁を見るまいと思った・・・が、こんな時になっても「恐い物見たさ」というアホな考えが起き、ついついのぞいてしまった。
「おぉ~すげぇー!」と言った覚えがあるが、もちろん空元気から出た言葉だった。

緊張すれば体が強ばる。
体が強ばれば余分な力みが出る。
余分な力みが出れば安定感が減る。
安定感が減れば十分なホールドができない。
十分なホールドができなければ滑落しやすくなる。
「かぁ~ダメだ! 落ち着け落ち着け。」
しかし、馬の背を越えきるまで終始緊張しっぱなしだった。
次に待ち受けるは「千畳敷」だった。

3000メートルを超えて(11)

2010年02月01日 22時11分45秒 | Weblog
3日目の朝、早くにテントをたたみ再びザイテングラードを登り始めた。
北穂、奥穂、前穂の峰は雲に隠れて見えない。
今日は奥穂高岳から西穂高岳へのロング縦走コース。ザックの重さが堪える長い一日になりそうな予感がする。

奥穂小屋につき一息入れた。
さすがに肌寒く、みんなシャツを一枚着込んだ。
鉄梯子を登り、奥穂山頂へと向かう。
日本第3位のピーク3190メートル。
山頂は残念ながら雲の中で周囲は見えない。それでもまたまた「3000メートルだぁ!」の勢いよろしく、自己満足に浸っていた。
だが今日はロング縦走。ゆっくりしている間はなかった。

ピークを下り、ザックを背負い歩き始めた。
「さぁいよいよ馬の背だ。」
上司の声がした。
「ん? いよいよ・・・ってどういうこと?」
確か毛が生えた程度って聞いたが・・・。

登山は初めてではない。
それなりに場数は踏んできたつもりだ。
「それが一体なんだと言うんだ。おまえは何様のつもりだい?」
まるで穂高岳連峰が自分に言っている気がした。
「恐怖」を覚えた。
まさしく「恐怖心」だった。

「じょ、冗談でしょう?!」という言葉が出てこない。
思っているのだが、その言葉が言葉として口から出てこなかった。
本当に開いた口がふさがらなかったのだ!
巨大な三角錐を斜め横に倒し、辺の一本の線の上を下りて行く「馬の背」。
両サイドは断崖絶壁で切れ落ちていた。ガスって数100メート下までしか見えないが、恐怖心を増幅させるにはそれはもう十分過ぎる距離だ。

「俺、涸沢から帰る。」
「こんな経験しなくてもいい。」
いろんな独り言が口から出そうで出ない。
もう一つ本音を言えば「しょんべんちびりそう・・・」
高所恐怖症など縁がなかった人生。ジェットコースター大好き男。
なのに、なかなか一歩を踏み出す勇気が無かった。

上司はさっさと先に進んでしまっていた。
「お~い、早く来いよぉ」
できることなら聞きたくはないお誘いの声が、3000メートルの世界に響いた。
足下だけ。ホールドする岩だけを見れば大丈夫! 大丈夫! 大丈夫だって!!
自分にそう言い聞かせ、馬の背にやっと一歩を踏み出した。