ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

会津へ(5)

2008年10月24日 21時36分10秒 | Weblog
磐越道を飛ばした。
ハンドルを握りながらずっと後悔の念にかられた。
「来なければよかった・・・」と。
同時に初めて義父と会ったときのことが思い出された。
慣れぬネクタイを締め女房の家に行き、座布団から降り
結婚を前提とした付き合いを許して欲しいと頭を下げたこと。
無口な義父だったが、曲がったことが大嫌いだった。
いつも陰で支えてくれていた。
涙が出てきた。
磐梯山が霞んで見えた。

会津へ(4)

2008年10月21日 22時48分58秒 | Weblog
ホテルの室内は暖房があるとはいえ、わずかに窓を開けると北国の冷たい夜風が舞い込んできた。
夕食代は高くついた(笑)。まぁそれはいいとして、翌日の昼食を「喜多方ラーメン」と決めていたので、それを楽しみとして眠りについた。

朝早く携帯電話が鳴り目が覚めた。
「こんな早朝に・・・」嫌な予感がした。
女房からだった。
義理の父が今朝早く息を引き取ったとのことだった。

出発前に病室へ寄ったときは元気だったのに・・・。
息子はまだ眠っている。起こすには早すぎると思ったが、事が事だけに無理をして起こし、事情を話した。

すぐに帰らなければならない。が、高速を飛ばして帰るのは危険だ。
朝食は取らずにホテルを出た。
まだ街は静まりかえっている。
急ぎ「天寧寺」に寄った。
ここには土方歳三が函館に向かう直前、内密に建てた近藤勇の墓がある。
線香を手向けるだけと決め、会津を出発した。
車中やや動揺している自分がわかった。
何故来てしまったんだろうと。

会津へ(3)

2008年10月19日 23時58分37秒 | Weblog
会津の春はまだ寒い。
夕方にもなればコートが欲しいくらいに冷え込んできた。
ホテルから歩いて10分ほどの所に「西軍墓地」があった。
墓地は周囲が柵で囲まれており、入口は門扉までもあった。
幸い鍵は掛けられておらず、自由に出入りできるようにはなっているのだが、何となく戸惑うところだ。
墓地の管理をしている寺に行ったが誰もいない。「勝手に入ってもいいのかな・・・」
迷っていると、寺の隣に幼稚園があった。どうやらこの寺が直接幼稚園を経営しているようだった。
ならば園の先生に聞けばいいかな。と、園の事務所で確認すると「どうぞ自由に入ってください」とのこと。
お礼を言い園を出ようとすると「あの~山口か鹿児島から来られたのですか?」と、聞かれた。
栃木からと答えたが何故か珍しそうな顔をしていたなぁ。

墓地に入ると、いくつもの大きな石碑や墓標があった。
個人の墓標は確か無かったようだったが、主なものはやはり薩摩藩、そして長州藩、土佐藩のものだった。

風が冷たい。
そして墓標も冷たかった。
遠く離れた南国薩摩から戦いに来て、この北国で倒れた多くの人たち。
故郷へ帰りたかったんだろうなぁ。死ぬなら自分の生まれた土地でと、断腸の思いで死んでいったんだろうなぁ。
と、勝手に解釈しながら見学した。

もう日は沈みかけ、寒さも厳しくなってきた。
今夜は温かな物が食べたい。鍋なんかいいなぁと思っていたが、息子は「肉!」「焼き肉!ステーキ!しゃぶしゃぶ何でもOK!」ときた。
高くつきそうな夕食になりそうだ。

会津へ(2)

2008年10月18日 23時51分53秒 | Weblog
会津市街地に戻り、次に「阿弥陀寺」へと向かった。
ここに新選組三番隊組長「斉藤 一」が眠っている。
個人的には新選組の中で最も好きな隊士だ。
あまりにも癖があり、どこか一匹狼的存在。そして腕が立つ。

墓には、会津藩主「松平容保」から与えられた「藤田五郎」の名が刻まれていた。

今まで何人の墓参りをしてきただろう。
幕末維新にかかわりのある人物が主だが、歴史上の知名度で言えば彼は地味な方だろう。ましてや教科書に出てくるはずもない。
なのに感慨深いものがあった。
いや、単なる歴史好きの思い入れが強いだけか・・・な。
それでも墓所を訪ねる度、いつも胸が熱くなる想いになる。
高校、大学とむさぼるように司馬遼太郎氏や池波正太郎氏の書籍を読みあさった。
新選組が、龍馬が、高杉が、中村半次郎が常に頭の中を駆け巡っていたなぁ。

夕方になる前に会津藩主「松平容保」の墓所を訪ねた。
しかし、代々の墓所はあまりにも広大な場所にあり、一苦労した。
山一つが敷地になっていたのだ。
残雪がそこここにあり、道はぬかるみ、山頂まで行くにはアップダウンの繰り返しだった。
下山し、いったん駅前のホテルにチェックイン。
ここからは市街地にある「官軍墓地」まで歩くことにした。

英文でメールが(笑)

2008年10月18日 22時55分21秒 | Weblog
オーストラリアからメールが届いた。
9月に我が家にホームステイした彼女からだった。
当然のことだが英文だ。
「・・・・・・・・・・。」
何となくはわかる。だが見たこともない単語がいくつもあった(汗)。
家族みんなで和訳した文を読む。
嬉しい、わずか3週間前のことが妙に懐かしく感じた。
さて、返事を書かねば。
あっ、英文なんだっけ(汗)。

会津へ(1)

2008年10月18日 01時05分06秒 | Weblog
久々に息子との歴史探訪旅日記を書こうと思う。
下関・萩、京都に続く第3弾は「会津」だった。
隣県だけに、観光やキャンプ、ツーリングなどで何度も訪れているが、歴史的観点。特に幕末維新の観点から見れば、まだまだ奥深いところだ。

平成17年の春。この頃、義父が長期入院加療中だった。
出かけることにためらいはあったが、女房の勧めもあり一泊だけということで会津を目指した。

東北自動車道から郡山Jctを経て磐越道へ。
道路はガラガラ、こりゃ昼前には到着か・・・と思いきや、磐梯山を右手に走っていると雪がちらほら・・・。
さっすがは福島。あっという間に猛吹雪となってしまった。
「こりゃまいったなぁ。この先どうなることか」とややへたれ込んでいると、会津若松ICが近づいてきた。
さ~すがは福島。下りる頃には既に天候は完全回復していた。

軽く昼食を済ませ、一路「如来堂」へと走らせる。
この「如来堂」。会津戦争の中でも知る人ぞ知るところ。
かなりの通でなければ、まず来ることのない場所だろう。
なにせ周囲は極めてのどかな田園風景が広がっているだけ。そう、なぁ~んにも無いところなのだ。その何もない田んぼの中に、嘗て戦があったという石碑が建っているだけの場所。
途中のコンビニで聞いたが「さぁ・・・たぶんこの辺りでしょうか。」と、頼りのない答えだった。
すぐ近くにまで来ていることは確かなんだがなぁ・・・。と、田んぼの中の細道を右往左往しながらやっとのことで到着した。
こりゃ確かにへんぴだわ。な~んにもない。見事なまでに360°田んぼ。もちろん人影などない。
だが自分には見えたのだ。
斉藤一を中心とした新選組の生き残り隊士数名と、わずかな会津藩兵が、数百名の官軍兵に包囲されながらも果敢に闘った光景が見えたのだ。
・・・んな訳はない。
訳はないが、それでも静かに目を閉じ、あの頃に想いをはせれば、もののふ達の息づかいが聞こえてきそうな程だった。

善とか悪とかじゃなくて。官軍とか賊軍とかでもない。
己の信念に殉じたもののふ達。
生まれたところが東だったから。或いは西だったから。それとも単に幕末という情勢に流され、やむなく戦った人も多くいたであろう。

遙かに磐梯山が見える。
みちのく最大の激戦地「会津」。
なにゆえあれほどまでの悲劇となったのか。
武士として、あまりにも真正直過ぎた。かたくなまでに真正直過ぎたのがいけなかったのか・・・。

出会いと別れ・・・

2008年10月15日 00時50分38秒 | Weblog
自分の気持ちを上手く表現できずもどかしい。
どう書けばよいのか迷う。

唐突なタイトルだが、何故かふと考えてみた。
どうやら自分は偶然でも必然でも、人との出会いを歓迎し、あるいはそれをどこかで求めている。
そしてたとえ一期一会であっても、別れを無性に寂しがる。

「人間関係、あ~面倒だ!」と何度思ったことか。
一人でいることを強く望みながらも、やはり人間を求めているんだと思う。
だから「もう一度会ってみたい人」がたくさんいるんだと思う。
会える気なら会えるのだ。
だが、会わない方がいい人もいる。
まぁそれは過去の極めてプライベートなことだが・・・。
ちょっと酔ったかな(笑)。

秋のツーリング・・・5

2008年10月11日 21時50分48秒 | Weblog
雨天時の昼間の走行は何度も経験している。
が、夜間はそう何度もない。何度もないが、嫌な経験だっただけに鮮明に覚えている。
わずかでも明るいうちは視界がはっきりしているだけに助かる。だが、日が暮れると極端に悪くなってしまうのだ。
ましてや雨となると、点いているはずの自分のヘッドライトの灯りさえ認識しにくい状況になる。

シールドにレインブロックをせず走るのは初めてだ。
予測した以上に視界不良となった。
水滴が弾かれず邪魔をする。油膜が対向車のライトを大幅にギラつかせる。走行車線のセンターラインすらはっきりと認識できない。
「やっばいなぁ」と少々焦っていると、いつの間にか車線の端に寄りすぎて走っていた。自分が車線のどの位置を走行しているかさえわからなくなってしまっていた。
そしてそんなことが何度も起きてしまった。
とにかく、大してありもしない注意力を集中させ、安全に走ることだけを心がけた。
途中2か所で休憩。この時ほどホッとしたひとときはなかったなぁ(笑)。
立場上弱音や不満を吐くことなどできない。「もうちょっとだから頑張ろう! 時間はかかっても安全運転で行きましょうね」と自分らしからぬ言葉をかけた。

やっと慣れた道路に出たときは本当に嬉しかった。雨天状況は変わらないのだが、安心感が出てきた。
いろいろとあったが、これもライダーとしての経験。そして失敗を繰り返さないことだ。

秋のツーリング・・・4

2008年10月10日 22時58分05秒 | Weblog
時刻は既に3時を過ぎてしまっていた。
やばいなぁ。予定時刻から遙かに遅れてしまっている。
そして天気も心配だった。予報では午後は下り坂。せめて写真だけでも撮って急ぎ帰ろう。

湖畔の駐車場に停め、「今回はどうする? 何がいいかな」
そう、組体操の決めポーズのことだ。
前回は「ピラミッド」。3人しかいないのだから種類には制限がある。
オーソドックスだが「扇」の決めポーズで撮った。

帰路は前橋からR50となったが、前橋の市街地に入る前からシールドにポツリポツリと嫌な気配が・・・。
覚悟の上でのツーリングだったが、雨はつらい。
何が一番つらいかって、極端に視界が悪くなってしまうのだ。
そのためのアイテムの準備は万全のはずだった。
本降りになる前にシールドにレインブロックをと取り出したが、なんと液が出ない!
全くのケアレスミスだった。何故出発前に点検しておかなかったのか!
だが今更嘆いてもどうなるものでもない。
「これは相当覚悟の必要な帰路になるぞ・・・」
雨粒の水滴、油膜のギラつき、対向車のライトの反射、そして内側の曇り。
ましてやもうすぐ漆黒の闇が始まる。
腹を決めて帰ろう。

秋のツーリング・・・3

2008年10月08日 20時57分30秒 | Weblog
なんとか、本当になんとか無事「渋川伊香保IC」を下りることができた。
料金所を過ぎて仲間にあのときの状況を話したが、正直恥ずかしかったなぁ。

さて、気を取り直して再出発!
が、ちょっと道に迷った。コンビニでルートを聞き、予定より1時間近く遅れてやっと目的地の「水沢地区」に到着した。
さすがに伊香保温泉のお膝元。更には上州三大うどんの名店街が並ぶ道。人と車で混雑していた。
予定していた店は「松島屋」。ネットでいろいろと情報を得てこの店に決めていた。
自分とS氏は何度か食したことがあったが、O氏にとって水沢うどんは初めての味らしい。
季節柄、温かいものをと考えたが、O氏にうどん本来の美味さを味わってもらいたく、つけ麺をチョイス。
4種類のたれが付き、そりぁもう美味いのなんのって!
はるばる200㎞を走ってきた甲斐があったというもの。
数年ぶりの水沢うどんに大満足だった。

家に土産用のうどんを買い、さて榛名湖まで・・・とバイクを走らせていると、後方から「すみませ~~ん。土産のうどん置き忘れてきちゃいましたぁ~」の声。
O氏だった(笑)。
愛妻への土産だけに、気がついてよかったね♪