この写真をよ~く見てほしい。
どこかが変だ。
そう、ギヤのチェンジペダルが外れてしまっている(汗)。
8月6日(土)。
O氏と自宅近くのICで待ち合わせ。
更に、北関東道「波志江PA」で、他のメンバーと合流する予定だ。
朝8時にスタートし、順調に北関東道を群馬方面へと走らせていた。
メンバー全員が揃う予定時刻は9時30分。
いたって順調だった・・・・・。
波志江PAが前方左手見えた。
ブレーキをかけ速度を落とし、ギヤを落とそうと、ごく当たり前の操作をするべく左手でレバーを握り、左足でチェンジペダルにブーツのつま先を乗せようとしたのだが、「あれっ、空振り?!」もう一度、「やっぱり空振りだ。なんで・・・」
左下をのぞいてみると・・・「うっそー!!! なんでだよ、チェンジペダルが外れて空中でぶらぶらしているじゃないか!」
一瞬目を疑う光景に、現実を受け入れるのに数秒かかった。
それほど、絶対にあり得ないことが起きていたのだ。
あわてたらまずい。絶対にこける。
ましてやここはまだ高速車道。へたすりゃ命取りだ。
とりあえずウィンカーを出し、80㎞近い速度でPAへの道へとそれた。
本来であればもっと速度を落として入るべきなのだが、落としすぎてバイクが止まってしまえばその場でアウト。
シフトチェンジができない以上、危険を承知でPAへと入り、なんとか駐車場の隅へと滑り込んだ。
考えてみれば、身の毛がよだつほどゾッとすることだ。
おそらくは高速走行中にペダルは外れたのだろうが、いつ、どこでそうなったのかはわからない。
よくぞ生きてたなぁと思う。
一歩間違えば外れて空中でぶらぶらしていたペダルがタイヤの軸と絡み、バイクは転倒。いや、その場で急ブレーキがかかった状態のようになり、自分の体だけが前方に投げ出され、路面に叩きつけられて即死。
そうなっていてもおかしくない状況でずっと高速を走っていたのだ。
運が良かったではなく、悪運が強かったと言った方が適切かな。
思い当たる節があった。
3月11日の、あの大震災の日。
自宅に戻ると、バイクが左側に転倒していた。
おそらくはその時にチェンジペダルに負荷がかかり、ボルトやカラーに何らかの影響が生じ、結果として外れやすくなっていたのだろうと推測する。
あの時の高速走行を思い出すと、今でもゾッとすることだ。
こんなアクシデントが起きたときこそ最大の力を発するのがSU氏である。
JAFに連絡を取り、近くの部品屋まで搬送。
そこに部品が無いと分かるや、途中で見かけた他のバイク屋に出向き、代用部品で応急処理を施してくれた。
とてもじゃないが自分一人ではどうすることもできなかったことだ。
このアクシデントで結局は約3時間もの遅れを生じてしまった。
目的であった幾つかの峠越えをやめ、再度高速に乗り時間の調整をした。
バイクのことよりも、みんなに迷惑をかけてしまったことでかなり気落ちした。
なかなかツーリングを楽しむという心境にはなれず、半日は無口になってしまった。
本当に面目ない。