ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳・再びの奉納 「お花畑に癒されて」②

2024年02月28日 21時08分24秒 | Weblog
乗越からは約一時間の下りルートとなる。
天候が良いその分、通称この「雷鳥坂」を逆に登ってくるのは相当にきつい。
かつては大腿部がつってしまったこともあった。

雷鳥坂をのんびりと下る・・・が、もう劔を見ることは叶わない。
淋しさを伴いつつ、お花畑に癒されながら坂を下る。
真夏の空は碧く澄んで晴れ渡り、遠く北アルプス南部の峰峰が見渡せた。


雷鳥坂を下る。
すれ違う登山者は汗を滴り落としながら息を切らせ登って行く。
「乗越まであとどれくらでしょうか?」
「ここからなら30分もあれば着くと思いますよ。頑張ってください!」
そんな毎度毎度の会話が行き交うのもこの坂の特徴だろう。

この辺りはチングルマとハクサンイチゲが群生となって生息している。
最も見慣れた高山植物かも知れないが、低地では見ることができない花だけについ足を止めて見入ってしまう。


チングルマと青空。
将に夏山ならではの一枚だ。


チングルマと奥大日岳。
奥大日岳は一度だけ登ったことがあるが、登頂の歓びよりも熊との遭遇が不安だった。

Uさんは写真撮影に忙しい。
大好きな高山植物だけに、ましてや見納めも近い状況であれば尚のことだろう。


雷鳥坂を振り返ると見事な青空だった。
だが、劔はもう見えない。
「いい加減諦めよう」と自分に言い聞かせる。

雷鳥平キャンプ場手前の橋に来た。
この先のキャンプ場で休憩を取るが、最後にきつ~い登りが待っている(笑)。
嫌でも足を上げなければならない階段のきつ~い登りだ。


朝食はしっかりと摂ったはずなのだが、摂取カロリーを大きく上回る消費カロリーのせいか腹が空いてきたようだ。
この先で行動食を食べよう。
もちろん塩分摂取も忘れずに。

さて、室堂ターミナルに向けての上り坂となった。
何故この坂がきついと感じるのか・・・
登りだから・・・だけではない。
階段状だから・・・だけでもない。
それはむしろ気持ちの部分にあると思っている。
「あとは室堂に帰るだけ」という安心感。
そして緊張を強いられるようなルートでもない。
故に「しょうがない、登るか・・・」
そんな思いにならざるを得ないのが本音だろうか。


雷鳥坂を気持ちよく下ってきただけに、その分登りがきつく感じてならない。
汗が噴き出してきた。

いくつかの坂を登り、やっとミクリガ温泉まで来た。
ここまで来れば残り15分ってところだろう。
温泉で待ちに待ったソフトクリームを食べ、気持ちも復活。
冷たく甘い物は、疲れた身体に最高のカンフル剤となってくれた。


ミクリガ池。
この辺りは登山者よりも観光で来た人たちで賑わっていた。

ターミナルまであと5分という所で思わぬ出会いがあった。
雷鳥の親子だ。
自分にとってそれほど珍しい訳ではないが、これだけの好天の日に出会えるのはラッキーと言えよう。


写真には写っていないが、雛は三羽いた。
母親の後を追うようにせわしく歩き回る姿が可愛い。

11時過ぎ、室堂ターミナルに到着。
休憩を多く取り、のんびりとした下山だっただけに5時間近くかかってしまったが無事三日間が終了した。


ターミナルの外にある記念碑前にて。

春の頃、Uさんから「一緒に(劔岳に)連れて行ってもらえませんか・・・」と言われた。
この三日間、怪我もなく体調を崩すようなこともなかった。
ではUさんの気持ちはどうだったのだろうか・・・
どれだけ達成感や充実感を味わえたのだろうか・・・
人を連れて劔に登ることは初めてではない。
しかし、この山は自分のことだけで精一杯な事も多く、周りを気に掛けて登るだけの余裕がないケースもしばしばだ。
申し訳ないと思いつつ、どうすることもできない。
自分はガイドではないのだから気にする必要はないかも知れないが、「もう一度登ってみたい」と思ってくれれば幸いだろうか。

********************

つい最近、「劔岳 *線の記*」という本を読んだ。
ドキュメンタリー物だが、歴史好きの自分にとってはおもしろい内容だった。
知っていたつもりの劔岳の歴史だったが、まだまだ謎の多い現状が事細かく記されていた。
今年の劔岳は登るだけではない、もう一つの劔岳を知るために登る。

劔岳・再びの奉納 「お花畑に癒されて」①

2024年02月16日 21時28分44秒 | Weblog
入山三日目、最終日。
今日は室堂を目指しての下山、そして帰宅。
昨夜は少々胸が高まりあまり眠れなかったが、日中かなりのカロリーを消費していることもあり空腹感だけはいつも以上にあった。

腹を満たし外へと出た。
天候はこの三日間で最高に良い。
贅沢を言ったらきりはないが、今日がアタック日だったらなぁと思ってしまう程のピーカンだった。
それともう一つ、多賀谷さん達のグループと同じ行程で劔を目指すことになっただろう。
このことは本音を言えば残念で仕方がなかった。

そんなことを考えながら一服していると、多賀谷さん達のグループが小屋を出発しようとしてザックを背負い始めていた。
「天気に恵まれて良かったですね。でも暑くなりそうですね。」
「はい、まぁのんびりと行きますよ。」
「どうぞお気をつけて。またお会いできることを願っています。」
「また来年劔で会えたら嬉しいですねぇ。では行ってきますね。」

そんな言葉を交わしながら多賀谷さん達の後ろ姿を見送った。
すると姿が見えなくなる直前、多賀谷さんが振り返り自分に軽くお辞儀をしながら「行ってきます」の意味を込めて小さく手を振ってくれた。
自分もお辞儀をし、姿が見えなくなるまで小さく手を振った。
そんな些細なことではあるが、自分にとっては山の生き神様とのかけがえのない思い出となっている。

「さぁて、自分たちももちぼち取りかかりますか。」
そう言って部屋へ戻り下山に向けての最終チェックをした。
そうそう、忘れてならない事が一つあった。
毎年この小屋で購入している絵はがきに、ご主人の新平さんに一筆書いていただいているのだ。
昨日購入した絵はがきを持って新平さんの所へ行き「またお願いしてもいいですか?」と聞いた。
「あっ、いつものですね。もちろんですよ。」

小屋を去る直前にも新平さんの所へ行き挨拶とお礼を言った。

またこの時が来てしまった・・・
この小屋を去る時、そして劔を去る時に感じる例えようのない淋しさだ。
充実した登山だっただけに、良き人たちとの出会いであっただけに感じる淋しさ。
だからいつも小屋を出てしばらくは無口になってしまう自分だった。


劔沢小屋の前で一枚。
本当にお世話になりました。 m(_ _)m


劔岳をバックに一枚。
ありがとうございます劔岳。
また来年の夏に登りに来るから待っていて下さい。

6時30分、小屋を出発し先ずは別山乗越を目指した。
ここから乗越まではほぼひたすら登りルートとなる。
きつい登りではないが、心がきつい。
つまり淋しいと言うことだ。

ついつい小屋と劔岳を振り返ってしまう。
もう二十回以上も通い詰めているはずなのに・・・


劔沢小屋と劔岳。
見慣れているはずの風景が愛おしくて仕方がない。

スタートして約30分、まだ身体が出来上がっていないこともあり小休止を取った。
振り返れば、その雄々しいまでの姿を隠しているものは何も無かった。
本来ならザックは下ろさず立ったままでの一息なのだが、どうしてもじっくりと見ていたくなってしまった。
一服しながら唯々劔を見つめる。
「多賀谷さん達、どのあたりかな・・・もう一服劔は越えたかな・・・」
「気になりますか? (笑)」
照れ笑いでごまかした。


Uさんがいつの間にか撮ってくれた一枚。(結構気に入っている)

ここから別山乗越までは高山植物の宝庫となっている。
疲れはないが、心底癒される思いだ。


お花に夢中なUさん。
今日はのんびりと下山だから気の済むまで撮ってほしい。


自分の好きな花の一つ「タテヤマリンドウ」。
晴天時なので花は開いていた。
淡い青紫の花の直径は約1㎝程度。
とにかく可愛くて可憐な花だ。


別山乗越の小屋が見えてきた。
この区間の左右には、タテヤマリンドウ、ウサギギク、チングルマ、ハクサンイチゲ、コイワカガミ、ヨツバシオガマ、コバイケイソウ、ミヤマダイコンソウ等々が咲き乱れている。
花好きな登山者にはたまらないエリアだろう。

スタートしてほぼ一時間、予定通り別山乗越に着いた。
ここでちょっと贅沢な休憩を取ることにした。
何のことはない、ドリップ珈琲を飲むだけだがこの風景でこの景色。
いつもの何倍も美味しいと感じる珈琲だ。


お湯が沸く間も劔を見つめていた。
「もう一度登りたいですか?」
突然の質問だったが
「上手くは言えないんですけど、なんかこう・・・淋しいんですよ。ここへ来ると尚更なんですよね。ここを下ったらもう劔は見えなくなってしまうんですよね。」
よくもこんな事を恥ずかしくもなく言えたものだと自分でも感心する(笑)。


今年の劔もここで見納めだ。
感謝の一杯ってところだろうか。
よく見ればこのマイカップは至る処キズだらけだ。
購入してもう十数年は経っているだろうか・・・
(「こいつともいろんな山に登ったなぁ。」)
そんなことを思いながら美味い珈琲を飲んだ。

室堂まであと二時間。











































劔岳・再びの奉納 「いくつかの出会い」②

2024年02月12日 21時34分17秒 | Weblog
剣山荘から劔沢小屋までは約20分。
本音は有料でも良いから冷えた水をがぶ飲みしたい思いで一杯だった。
(「もう少し・・・もう少しでキンキンに冷えたビールが飲める」)
そう思いながら小屋を目指した。

16時05分。
劔沢小屋に無事戻ってくることができた。
予定より30分以上遅れての到着だったが、あのご夫婦との楽しき出会いと語らいがあっての遅れであれば何ら問題はない。
「お疲れ様! やりましたね、おめでとうございます!」
「あぁ~ ありがとうございます。一人だったら絶対無理でした。本当にありがとうございます。」
互いに喜び合いながら、改めて小屋の庭から見える劔岳を見た。
ややガスってはいたが、登頂し無事下山した後の劔は何度見ても胸が熱くなる。
そんな不思議な山だ。

「さぁ、乾杯しましょう!」
そう言って登山靴を脱ぐ前に受付へ行き缶ビール二本を購入した。
その時だった。
庭で何人かの方達が語らいながらお酒を飲んでおり、その中の一人に目が行った。
(「ひょっとしてあの人・・・」)
確証はなかったが、妙に嬉しさがこみ上げてきた。
(「いや、先ずは乾杯だ。」)
「はい、これ登頂のご褒美です。」


一気飲みの勢いでゴクゴクと流し込んだ。
半ば脱水症状にも近い身体だっただけに、冷えたビールが五臓六腑にしみ渡る。
「嗚呼! 美味し!!」
思わず出た一言に、写真を撮っていただいた方が笑っていた。

半分ほど飲み終え、ゆっくりと飲むためにベンチに座った。
チラ見するように先ほどの人にさりげなく視線を移した。
間違いなかった。
あの独特の風貌と聞こえてくる声。
登山の世界において自分が最も憧れ、最も尊敬する人の一人。
多賀谷治さん、その人だ。

一瞬視線が合い、軽くお辞儀をした。
するとどうであろう、多賀谷さんの方から声を掛けて来てくれたではないか。
「あれ~、あのぉ栃木の○○○○さんの人でしたよねぇ確か・・・」
「あっ、はい。覚えていてくれたんですか。光栄です。」
「ええ、もう何度もお会いしてますよねぇ。」

覚えていていただいた事への感謝、そして驚き。
こんなちっぽけな山男のことをだ。

「今年も来たんですねぇ。何度目ですか?」
「はい、21回目になりました。」
「そうですかぁ、それは実にすばらしいことですよぉ。」

Uさんは一体どこの誰なのかは知らない。
ごく簡単に紹介し、紹介の最後に言った一言が
「自分にとっては山の生き神様のような人です。」だった。
「またぁ、やめてくださいよぉ○○さん(笑)」

短い時間だったが、多賀谷さんとの語らいはかけがえのない貴重なものだった。


多賀谷さんと一緒に。

多賀谷治さん。
プロの山岳ガイドで、劔立山を中心に活動を行っている。
元々は秋田県のご出身だが、縁あって富山に移住しガイドとなった。
文部科学省の登山研修所の講師を長きに渡ってしており、映画「劔岳ー点の記ー」においては、撮影支援や支援計画などのチーフとしても活躍された方だ。

偶然とは言え、お会いできたのはこれで何度目になるだろうか・・・。
この小屋でも数回、室堂周辺でも何度かお会いし、その度に気軽に一緒に写真に納まってくれた。
この上なく光栄なことだと、劔に登頂したと同じくらいの歓びを感じる。


多賀谷さんとのツーショット。
最高の思い出となりそうだ。

10分ほどの短い時間だったが、劔に関することを中心に山談議に耽った。
と言うよりは、多賀谷さんの言葉の一つ一つを聞き漏らすまいと必死だったような気がする。

その日の夜は疲れているはずなのだがなかなか寝付けなかった。
理由は自分でも明確に分かっていた。
多賀谷さんとの語らいにやや興奮していたのだ。
いい歳したおやじが何をバカな・・・と思われそうだが、自分にとってはそれ程の存在なのだ。

多賀谷さんの山に関する考え方や思い出話を思い出しながら、ある一つの事が気になった。
恐ろしいほど「謙虚」なのだ。
あれだけの実績と経歴を持っていながら、何故あれほどまでに謙虚なのか・・・
そしてそのことは、自分の中で幾つかの分岐へと繋がっていった。
言い換えるのなら、他の山男へと繋がって行ったのだ。
例えるなら、劔沢小屋の二代目のご主人である「佐伯友邦」さん。
そしてもっと身近なところでは、知人でもある自分の地元のTさん。
みな自分よりは年配の方々だが、今更ながら気付いたことがあった。
誰もが謙虚なのである。
とんでもない実績の持ち主であるのに、恐ろしく謙虚なのである。
決して高飛車にならず、驕らず、そしてひけらかすことはない。
また、言葉の端々に優しさを感じる。

穴があったら入りたい思いに駆られた。
自分には無いなぁと思えば思うほど目がさえてしまった夜になった。

山を知り尽くしているからこその言葉がある。
おそらくは何度も生死をかいくぐってきたからこその言葉だろう。
そして山で人の死をも見てきたのだろう。

この歳になってもまだまだ人に憧れ追いつきたいと思うことがある。
だが、おそらくは彼等のようにはなれない。
追いつきたくともあまりにも遠い。
それでも謙虚と言う言葉の裏にある、その存在理由に気付かせていただいた。

とてつもない大きな収穫だった。

劔岳・再びの奉納 「いくつかの出会い」①

2024年02月07日 18時05分16秒 | Weblog
復路の途中でも昨日から何度か出会っていた松本市在住のご夫婦とお会いした。
自分たちより少し先に進んでおり、二人を見下ろすように下山する。
カラフルなシャツを着ているだけに遠目からでもよく目視できた。

さて前剱の下山だが、とにかく暑さによる疲労感もありこの区間はゆっくりと下りた。
ザレ、ガレ、浮き石のオンパレードであることはわかりきっている。
慣れたルートかも知れないが、脚部の踏ん張りがものを言うだけに決して無理はせずゆっくりと下山。
やっと難所を下り、「武蔵野コル」に着いたところであのご夫婦に追いついた。
何やら困っている様子・・・
話を伺うとどうやら水がもう無いらしい。
僅かに残っている自分の水を分けてあげようかと思ったのだが、あと一時間以上はかかるコースタイムに対して水の残量は500cc程だった。
(なんとかしてあげたいのだが・・・)

幸いにしてUさんが非常時のためにとペットボトル一本の水を携行していた。
その一本を二人にあげることで問題は解決。
ここから剣山荘までは約一時間もあれば着く。
そうすれば水や清涼飲料水などお金を払えばいくらでも飲むことができよう。
心配はないだろう。

一服劔で再びご夫婦と会い、山談議に花が咲いた。
松本市に住んでいると言うことを知り、なんとも羨ましい思いに駆られた。
そう、松本からであれば北アルプスは目と鼻の先だけに、一年を通して気軽に登山に親しむことができる。
ほんの数年でよいから移住してみたい街だ。


一服劔あたりから見下ろした劔沢。
劔沢小屋が見える。
よく見れば小屋の庭に人が動いているのも目視できた。
おそらくは既に下山した人か明日アタックする人に違いない。
早く戻って冷えたビールが飲みたい!


このクサリ場を下れば剣山荘まで僅かだ。
そこでビールを飲みたい衝動に駆られたことは数え切れない。
(「我慢我慢。あと20分で劔沢小屋に着く。劔の全容を見ながら飲むことができる。だから今は我慢。」)



剣山荘手前のお花畑。
おそらくはシナノキンバイかミヤマキンポウゲのどちらかだろう。

ここまで来れば落ち着いて花を愛でることができる。
柄にもないことだが、この時期のここに来なければ出会うことのできない花々に癒される。
口に出してそのことを言ってしまえば笑われてしまいそうだ。

剣山荘に着いた・・・ん? 見覚えのあるシャツの二人がいた。
互いに近づきあい、またまた山談議に花が咲いた。
30分近くも話が盛りあがってしまったが、山ならではの出会いに感謝したい。


ご夫婦と一緒にパチリ。
とにかく二人とも底抜けに明るくておしゃべり好き。
おかげで元気を頂いた思いがする。
さぁ劔沢小屋まであと20分。
ビールが待っているぞー!

劔岳・再びの奉納 「核心部を越えて・・・」

2024年02月05日 17時49分00秒 | Weblog
新年、しかも元日に起きた能登半島地震。
熊本での大きな地震以来の大災害であろうか。
国を挙げて最大級の救助支援をしなければならない大規模災害であるはずなのだが、国会では派閥問題やキックバック問題で大揺れだ。
この期に及んでも金と権力の欲にまみれた醜い争いに吐き気がした。
かといって自分に何ができるかと言えば、せいぜい何らかの形での募金しかできない。
あまり大きな口はたたけない。

このブログにおいては勝手に趣味の世界を綴っているだけなのだが、多くの尊い生命が亡くなり、多くの方々が不便な避難所生活を強いられている現状である以上、どことなくブログを綴ることへの後ろめたさを感じた。
それ故にひと月以上アップをせずにいた。
そろそろいいかな・・・と思い、劔岳を再開したい。

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カニのヨコバイを越え、平蔵のコルへ向けての最後の長いクサリとなった。
このクサリ場は本当に長い・・・
基本となる「クサリは片手で握り、あくまでも補助的に」であるが、ピンポイントで両手でクサリに掴まざるを得ない状況にもなる。
また、安全なスタンスポイントまで足が届かずどうしたらよいか分からず腕力が奪われてしまう事もあり得る。
これは足が短いからではなく、身長の問題なのだ。
それ故に、ここでも女性登山者は不利となってくる。

先ず自分が下りながらアドバイスをおくる。
「危険を感じたら両手で掴まってもいいから」と言い途中まで下りた。


Uさんが下りてくるのを待ちながら、下からアドバイスをおくる。
とにかくゆっくりと自分のペースを守ることが大切だ。

なんとか長丁場のクサリ場を終え、平蔵のコルで一息ついた。
このポイントでのお目当ては「コマクサ」だ。
ややザレている場所があり、かつて唯一そこで見かけたコマクサが咲いている(はずだ)。
ビンゴ!
今年も咲いてくれていた。
残念ながらルートに近いポイントではなく、将に崖の一歩手前のポイントであったので近づくことはできなかった。


可憐で愛くるしいコマクサ。
緊張感の中にもホッとできる刹那だろうか。

さて、この後に待っている平蔵に頭を越えればクサリ場の難所は終わる。
頭の登りはいいが、下りが危険だ。
距離は短いが、手足を思い切り伸ばしたり、ボルトをうまく活用しなければ下りることはできない。
平蔵の頭において最も危険な区間が復路の下りなのだ。


復路における頭への登り。
ここは慣れていればクサリを用いずとも登ることができる。
(もちろん安全のためには用いるべきだが)


後からUさんが登ってくる。
ここはそれほど問題はないだろう。


Uさんが自分に追いついたところで一枚撮っていただいた。
まぁ斜度はだいたいこの程度であって、遠目からの見た目よりは大したことはない。

頭のPEAKで下りの説明をした。
前述したとおり、この区間の距離は短いが危険度は高い。
一挙手一投足に集中し、確実に三点支持で移動することを伝え、後は自分の動きを参考にしてほしいと言った。(どの程度参考になるかは定かではないが・・・)


Uさんが下りてくる。
目一杯足を伸ばしてやっとスタンスポイントに着いている。
やはり女性には不利なんだなぁと改めて感じた。

さぁ難所はもう殆ど無いと言っても良いだろう。
集中は必要だが、緊張を強いられるような区間は前剱の下りだけだろう。
その下り区間の手前で一端休憩した。
快晴ではないが、時折雲の隙間から覗く真夏の太陽の日差しは厳しい。
水分補給は十分だが、せめてもう少しだけ冷たい水が飲みたいという贅沢感に襲われてしまう。

前剱の下りルート。
ここは過去に多くの登山者が滑落し、怪我はもちろんのこと数多くの命を飲み込んできたルートだ。
ほんの数年前にも19歳の若き女性が単独で劔に挑み、その帰りにここで滑落し最悪の結果を招いてしまった。
その原因は単に足を滑らせてしまっただけではないようで、それに至までに幾つかの要因があった。
亡くなってしまった方に対して言いたくはないが、その要因はあまりに無謀とも言える。
Uさんへはそのことは言っていない。
余計な不安を募らせたくはないからだが、Uさん自身が知っているかも知れない。
それくらい山岳事故としては大きく取り上げられた事故だった。

さぁ、ここを下ればもう大丈夫。
落ち着いて前剱を下ろう。