ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

秋、燕へ(本編):なんか凹むなぁ・・・

2012年11月28日 23時35分58秒 | Weblog
車中泊は年間を通してなかり行っている。
日帰り登山にしても、車中で前泊をすることが多いからだ。
この日の夜はまだそれほど強い冷え込みではなく、車内においては♯4のシュラフで十分に暖かかった。

目が覚めた時は外は既に明るかった。
腕時計を見ると時刻は6時40分。
「やっば! 寝過ごしたっ!!」
携帯の目覚ましはかけておいたのだが、まったく気付かなかったようで、予定していた起床時刻の5時を大きくオーバーしてしまっていた。

あわてて服を着込み、顔を洗い、飯を腹に詰め込む。
お手頃北アルプスとはいえ、燕へのルートは北アルプス三大急登と呼ばれている。
カロリーだけは十分に摂取しておかなければならなかった。

外に出て軽くストレッチをした。
どことなく体が硬い。
単に歳のせいだけじゃなく、怠いような感じがする。
「なんか行くのが面倒になってきたなぁ・・・」
今まで感じたことのない意識になっている自分だった。
「ここまできて帰るのもなぁ・・・」
そんな相反する「かったるさ」を抱きながら、重いザックを背負い登山口まで行った。


7時30分、スタート。

目立った紅葉らしき風景もなく、ひたすら樹林帯のルートを登る。
たしかに急登攀といえばそうなのだが、地元の男体山を思えばたいしたことはないような気がした。
ザックの重量こそ男体山の二倍以上はあるが、ルートの状況そのものは予想していたよりも楽だった。


いつもより下を向いたままの登攀が続く。
今ひとつ気分が乗らない感じだ。
時折足を止め上を見上げれば、真っ赤な紅葉樹木との出会いがあった。
「ふぅ~」と大きくため息をつき紅葉を愛でるが感動はあまりなかった。
そして、足を止める回数もため息をつく回数も次第に増えていったような覚えがある。

登れども登れども樹林帯の中。
今までだってこんな状況は何度もあったはずなのだが、今日に限っては気乗りのしない登山となっていた。
「今頃りょうちんはどうしてるかな・・・。熱を出して寝ているんだろうなぁ。」
一緒に登れなかったことと、変わり映えのしない風景とが折り重なり、けだるささえも感じてきた。

「第一ベンチ」と呼ばれる休憩ポイントに着いた。
一服し時刻をマップに記入した。
かなりゆっくり登ってきたつもりだったが、一般ルートタイムよりも早く到着することができた。

そして再び樹林帯のルートを急登攀する。
やはり気分は今ひとつ・・・。
それでも「第二ベンチ」に着くと、第一ベンチで見かけた若いカップル(たぶんご夫婦)がいた。

シャッターをお願いされたことが縁で、話が弾んだ。

自分も撮っていただいた。
写真で見る限りはそうでもないのだが、気分は凹んでいる。
この先、更にルートは厳しくなるようで、いよいよもって凹みが増してくる予感がした。

秋、燕へ(本編):忘れちまったぁ~っ!

2012年11月26日 23時51分57秒 | Weblog
秋に北アルプスに行くのは初めてのことだった。
これも商売柄か、頻繁に、そしていたってお気軽に登山に行ける環境となったからのことであり、嬉しい限りだ。

「燕岳(つばくろだけ)」は標高2763メートルと、決して高い山ではない。
しかも登山口から4~5時間ほどで登頂できるとあって、北アルプスの入門コースと言えよう。
また、天候さえ良ければ山頂からは北アルプスの大パノラマが望むことができ、山ガールなどには何もかもがお誂え向きだ。

今回は職場の仲間である「りょうちん」と一緒に登ることとなった。
・・・ん、そっか! そーだったのか!
りょうちんはまだ若い。
そ~かぁ~、りょうちんの目的は「山ガール」だったんだ(笑)。
今になってやっと分かった♪
と、言いたいところだが、彼はそこまでミーハーではない(と信じたい)。
しかし残念なことに、いざ出発日となり彼は風邪をこじらせてしまい体調不良。
ちょっと淋しいことだが、今回はソロでの燕岳となった。

りょうちんゴメンね。山ガールとの出会いは俺だけのものになっちゃった♪(笑)。

さて、冗談は置いておき・・・。
仕事を終え、22時に地元を出発した。
山ガールなんぞ眼中にない硬派な自分は、60リットルの大型ザックに、テント・シュラフ・調理器具等々をパッキングし夜道を飛ばした。
もうすぐ高速の入り口。音楽でも聴きながら行こうか・・・と考えていた時だった。
「だぁーっ! 忘れた!! 忘れちまったぁ~っ!」

冷や汗が出るほど焦った。
今回の山行において大切な食料(具材)を、職場の冷蔵庫内に置き忘れてきてしまったのだ。
今から戻っても施錠されており誰もいない。
かと言って深夜営業のスーパーをこれから探している余裕もない。
いよいよもって弱った・・・。
「仕方ない。途中のコンビニで何か別メニューの食材を探して間に合わせるか。」
そう考えた。

予定していたテント泊夕食メニューは「洋風中華ごった煮」だ。
ネーミングは適当に自分が付けたのだが、つまりは、水餃子と野菜を中華味のスープで煮込み、そこにコンソメで「コク」をつけるだけの簡単な山飯だ。
予め角切りにしておいたその具材のすべてを、冷蔵庫の中に忘れてきてしまったのだ。

「あ~あ、せっかく昨夜仕込んでおいたのになぁ・・・」
悔しかったが、今となっては悔やむより別のメニューを考えた方が前向きだ。
気持ちを切り替えよう。

IC近くのコンビニに寄り、今から食べる夕食と明日の朝食、そしてテント泊用の食材を探した。
するとどうであろう。
コンビニに「野菜」や「冷凍食品」があるではないか!
そんなことは当たり前なのだろうが、普段あれほど立ち寄っているコンビニであるにも関わらず、買う物と言えば煙草や飲み物、弁当類ばかり。
野菜や冷凍食品などは全く視界に入ってはいなかった。

「おぉ~あるある。えっ、こんな物まであるじゃないか(笑)。」
声にこそ出さなかったが、嬉しくてにんまりしながらかごに入れた。
ウィンナーソーセージ、じゃがいも、にんじん、焼餃子。
予定していた水餃子とアスパラガスは無かったが、これだけあれば十分だ。
調理する手間は増えたが、「それもまた楽しからずや」ってとこだ。

高速に乗り、一路「長野道・安曇野IC」へと走った。
途中休憩したのは上信越道の横川SAのみ。
深夜の高速とあって道は空いており、この時はちょっと飛ばした。
おかげて安曇野ICには1時頃に到着。
ここから「中房温泉」までは細い山道をくねくねと走る。
無料駐車場は思っていた以上に車があったが、何とか駐めることができた。

起床予定は5時。
「さて、3時間ほどは眠れるかな。」
睡眠導入剤(お酒のことね)を飲み、車中泊用に持ってきた♯4のシュラフにくるまって眠った。

選択の難しさⅢ:おっ! おぉ~!

2012年11月22日 21時59分59秒 | Weblog
今日も厳冬期用登山靴の試し履きをしてきた。

先日試し履きをしたスカルパ:モンブランGTXは「やっぱりちょと・・・」という思いがあったが、どうしても気になり再度履いてみた。
その時対応していただいた店の方は前回とは違う人であり、甲の部分がどうしても少し甘くなってしまうことを言った。
すると、「なるほど、ではこうしてみましょうか」と言って靴の「べろ」の更に内側に着いている可動式のインナーの様な物をつま先方向にずらしてくれた。
ソックスは持参のアルパインソックス(かなり厚手でロングタイプ)。
恐る恐る履いてみると・・・「おっ! おぉ~!」。
気になっていた甲の甘さは何処へ(笑)。
更に「スーパーフィート(緑)」を敷いてもう一度履いてみれば・・・。
違和感無し! つま先OK! 甲もピッタリフィット! 内部の当たり所無し!
これには驚いた。
マジックテープによる可動式のインナーを、ほんの少しつま先方向にずらしただけでこんなにもフィット感が違うだなんて・・・。

ある程度履き慣らせば、アッパー部分のフィット感はより増してくるだろう。
カラーはオレンジで残念ながら青系ではないが、赤じゃなくて良かった。
オレンジと言えば「大宮アルディージャ」で、好きな色だしね♪(笑)。

ラッセルのように、長時間雪の中に足が埋もれた状態での縦走へ対応できる保温力にも問題なし。
もうひとつ驚いたのが「柔軟性」だった。
あれだけハイカットであるにも関わらず、前へ屈する柔軟性が驚くほどあったのだ。
これなら12本爪のアイゼンを装着した場合でも助かるなぁ。

登山靴選びは慎重に。
何度も試して。できるだけ多くの種類を履いてみて。そして妥協点の少ない物を。
いつも人に言っていることだが、やっと候補がひとつ挙がった思いだ。 

年末ひとり旅

2012年11月21日 22時15分31秒 | Weblog
恒例となっている年末ひとり旅の計画を練ってみた。

昨年、一昨年と続けて「喜多方・会津方面」へと行ったが、今年は新潟方面を考えている。
新潟は長岡市。そう、「河井継之助」の史跡探訪の旅だ。

いまから10年ほど前になるだろうか。
ツーリングを兼ね、バイクで2泊3日で出かけたことはある。
あのときは猛暑の真夏だったが、今回は間違いなく車窓からの雪景色を愛でながらのひとり旅となろう。

戊申戦争最大の戦場となった「北越戦争」に関する史跡探訪だが、一泊故にそう多くの場所を訪れることは難しい。
かなりポイントを絞っての探訪となってしまう。
それはそれでいい。
あとはのんびりと車窓を楽しみたい。
ただ、残念ながら「鈍行」だと自分の地元から長岡に到着するのが午後となってしまう。
これではあまりにも時間がもったいない。
できれば避けたかったことだが、途中から上越新幹線のお世話になる予定だ。

美味い地酒も飲んでみたいし、日本海の新鮮な魚介類も食べてみたい。
欲は尽きないが、目的はあくまでも戊辰戦争の一点にある。

選択の難しさⅡ:だぁーっ! 決まらない・・・

2012年11月20日 02時03分38秒 | Weblog
更に他社のアルパインブーツを試し履きしてみた。
はっきり言ってどの靴も一長一短であり、決定打が無い。

そして今日、モンベルアルパインクルーザー3000を手にしてみた。
しかしながら試し履きをした訳でなく、靴紐を縛っただけ(笑)。
(履いてみたかったなぁ・・・)

12月になれば二度ほど雪山へ行く予定となっている。
それまでに決めておきたいし、できうる限り慣らし履きをしておかねばなるまい。
そうそう、アイゼンの装着具合も購入前に確認しなければならないことだった。
少々焦り気味の自分が悲しい。


選択の難しさ

2012年11月16日 22時33分42秒 | Weblog
職場において、登山靴の説明は一通りの知識と経験を基にした助言を中心にしている。
当然のことながら、一つのメーカーの靴がすべての人にフィットするはずはなく、どこかで妥協点を見い出していることもある。
問題はその妥協点のポイントと程度だ。
更には、体幹的な問題が極めてやっかいとなってくる。
左右の足のサイズが5~6㎜も違う人、外反母趾、がに股、内股、X脚等々、それにより通常ではほぼフィットするはずの物が違和感や痛みまで感じてしまうこともあるのだ。

今日は「好日山荘」へと出向き、アルパインブーツを見てきた。
もちろん最終的には購入を考えている。
初めから一つのメーカーに的を絞っていれば楽なのだが、「靴」だけは絶対にそうであってはならないと考える。
的を絞っていたメーカーがほぼ問題なくフィットしたのであればそれはそれでいい。
だがそれは稀であって、ある意味偶然と言ってもよいだろう。
自分にしても的を絞っているのは「モンベル」であり、今期新しく販売された冬季登山用の「アルパインクルーザー3000」が何の問題もなくフィットしてくれればいいと思っている。
ただ、未だ試し履きをしておらず、どんな感覚であるのかは未知の世界。
早いとこ試し履きしなければ・・・。

今日、試し履きをしたのは「スカルパ」と「スポルティバ」の2社。
スカルパはかなり厚手のアルパインソックスを履き、スーパーフィートという中敷きを敷いたが、それでも甲の部分が甘く、十分なフィット感を得ることができなかった。
スコルティバについては何故か右足のくるぶしとアキレス腱との間に痛みに近いような圧迫感を感じた。
サイズを0.5上げることで幾分和らいだが不安は大きい。
どちらも「△」かな・・・。
ほかにもザンバランやガルモント等のメーカーも候補にあるのだが、それは今後となる。

登山靴だけは最大限に妥協点を潰さなければならないギアであることは先に述べた。
*目的とするのがどんな山であるのか。
*今後、山のレベルを上げる予定にあるのか。
*靴に対して何を求めているのか。(軽量さ・堅牢さ・グリップ力・防水性など)
先ずはそんなところを起点にしているのだが、人によってはデザインやカラーを最優先してしまっている人がいるのが現実だ。
はっきり言ってこれは怖い。
お薦めできない理由をあーだこーだと伝えても聞く耳をもっていない。
最終的に選ぶのは自分ではないが、実際に山に行きスタートして30分もすればどうなってしまうか・・・。
火を見るより明らかだ。


最近、ネットでこんな記事を読んだ。
「現在の登山用具店の店員は実際1ヶ月に1度のハイキング程度の店員が多く、冬山、厳冬期などの経験は少ない。昔の店員は厳冬期も積雪期もこなして来て経験上売る物を説明してくれた。現在はメーカの説明会のみの店員も多い。」

自分の場合どちらかと言えば知識より経験だろう。
頭でっかちではないという自負もある。
しかしながら「雪山」だけは経験数が少ない。
今度の冬は、スノーシューのようなお手軽雪山ではなく、アイゼン・ピッケルの世界にどれだけ挑めるか。
「ろくに経験もないくせに、知識だけは豊富」
それだけはごめんだ。

25年目のもう一つの山(本編):出会いに感謝

2012年11月15日 22時59分08秒 | Weblog
上高地へは11時前に到着した。
つい三日前にここに来たというのにどこか懐かしさのようなものを感じる。
そしてホッとしたというのが本音だった。

「あれっ、河童橋ってどこだっけ・・・」
すれ違う人に尋ねてみると、あと100メートルほどらしい。
自分の姿を見て「お疲れ様でした」と、笑顔で言ってくれた。

人混みが見える。
あそこが河童橋であることはそれだけで分かった。
腹が空き始めていることも、コーラ、ビールを飲みたかったことも、そして食べたくて仕方がなかったラーメンのこともすっかり忘れていた。

・・・GOAL。

100%自己満足であっても、目標達成と無事下山できたことはことのほか嬉しい。


振り返り思わずガッツポーズでパチリ!
雪渓の残る岩肌と夏の青空がたまらない。
「さて、ターミナルまで戻って何か食べるか。」
そう思い、歩き始めようとした時だった。

「あーっ! やっだぁ~! また会えた~!!」
何とも大きく明るい声であったが、笑顔の3人組と視線が合った。
そう、あのハーレム・・・いやいや、爽やか三人組だ。
「また会えたね! へぇ~こんなことってあるんだね!」
自分とは親子ほどの年齢差があっても不思議ではない若者達だったが、実に爽やかで、礼儀正しく好感の持てる若者達だ。
思わず笑顔で、そしてごく自然にお互いハイタッチをした。
こんな清々しい気持ちになったのは久しぶりだった。


再々会、そしてお互いの無事下山を記念して一緒に写真を撮った。
この一枚は、今回の山行においてとびっきりの一枚となった。

別れを惜しみつつ、バスターミナルへと向かった。
梓川沿いのちょっと別の道を歩いてみた。
何度も振り返りながら歩いた。
そして、いつもいつも思うこと。
「終わっちゃったなぁ・・・。」

ターミナルに着き、ゆっくりと煙草を吸った。
コーラも美味い!
何か食べようと2階のレストランへと行ったのだが、かなりの順番待ちであり、食事を諦めた。
「ラーメンまで待てってことかな」
そう思ったのだが、やはり腹は減る。
信州名物の「おやき」を買い食べた。

そうそう、忘れちゃならない下山の報告だ。
モンベルおやまゆうえん店へ電話を入れ、店長さんに無事下山の報告をした。
ことのほか喜んでくれた。
また、木更津店へ移動となったK店長へも報告をした。
自宅へは女房へいつもの文面でメールをした。
「無事下山。明日帰る。」
素っ気ない文面だが、無事が伝わればそれでいい(笑)。

予定より一本早いバスに乗り、一路「新島々」へと向かったが、大正池を過ぎた頃には眠ってしまっていた。


この「新島々駅」は一度訪れてみたかった駅だ。
名前だけは以前から知っていたが、コミック漫画の「岳」に出てきて以来そう思っていた駅だ。
車内には自分の他に何名かの登山帰りと思われる人がいた。
「どこに登ったのかな・・・」
気にはなったが、今はちょっとした「燃え尽き症候群」的な感覚だ。
松本駅に着き、ホテルはすぐそこであるのにザックが重くて仕方がない。

シャワーをあび、髭も剃り超~サッパリ♪
「さて、行くぞ~!」
かねてからネットで検索しておいたラーメン屋がすぐ近くにあるのだ。
駅前通りの「むつみ屋」に入り、味噌ラーメンを食べた。
だが、足りない・・・。
二杯目は醤油ラーメンを食べた。
ささやかだが願いが叶ったときの味はたまらなく美味いね!

夜は大学時代のバレー部の仲間と一年振りに会い飲んだ。
いつもはそれほど飲めない自分なのだが、このときはかなり飲んだなぁ。
ホテルに帰ってベッドに横になり、デジカメのディスプレイで記録を見た。
大キレット通過、槍ヶ岳。
そしていろいろな人達との出会い。

あれから三ヶ月近く過ぎた。
当初は「リベンジ」だけが頭の中にあり、「何が何でも!」という思いで一杯だった。
だが、今は人との出会いの思い出でみたされている。
仲間での山行であれば、会話をするそのほとんどは仲間同士となる。
ソロであれば会話の相手は自ずとすれ違う人達となる。
ソロであるが故の出会いの数々だったことは間違いのないこと。
そして出会った人達からいただいた素晴らしい思い出に感謝したい。

来年はジャンダルム・・・かな(笑)。

W杯アジア地区最終予選:対オマーン戦に思う

2012年11月15日 00時17分11秒 | Weblog
キックオフ前にぶったまげたことが一つ。
主審が何と「カタール人」だってこと・・・。

「なんじゃ~この試合は!  これじゃ日本対中国で、中国人が審判をしているのと同じだろうが!」
まさかこんな割り当てを、本当にFIFAがしたのだろうか。
ビックリしたなぁ・・・。
そして試合を終えてぶったまげたことがもう一つ。
「いやぁ日本もしぶとくなったなぁ。」

楽に勝てる試合ではないことは事前に分かっていた。
日本にとってあまりにも不利な状況が次から次へと起き、勝ち点1でも御の字かなと、少々弱気になっていた。

いざ試合が始まれば、オマーンの攻撃においてシュートミスに助けられたことは事実だ。
「もし・・・」を考えればきりはないが、決定的なシーンを与えてしまったことに関して言えば「50:50」の試合であったとも言えよう。
だが結果がすべてである以上、やはり「勝ち点3」はあまりにも大きい。
何故なら5試合を終えた現時点で日本は「勝ち点13」であり、2位のオーストラリアは1試合少ないものの、仮に5試合目を勝ったとしても勝ち点差はまったく縮まらないからだ。
しかも今度の対オーストラリア戦はホームゲームとなっているだけに、日本にとっては好条件が揃っている。
もちろんそれ前のヨルダン戦でW杯出場を決めてしまってほしい。

日本の攻撃において特筆すべきことは、共に「流れ」からの得点であったことと考える。
2点とも左サイドをえぐってのクロスだ。
見ていて実に痺れるような「えぐり」だった。
また、オマーンは「何とかの一つ覚え」で、カウンター攻撃ばかり。
得点をしたセットプレーについては、あんなのは試合会場が日本だったらまず入らない。
得点に至るまでのアウェーでの彼等のメンタリティーはそこまではないと言えよう。

ついでにもう一つの感想を。
オマーンが同点に追いついた瞬間から、スタジアム内の雰囲気は一変した。
観戦(あるいは応援)していた観客のボルテージが一気に上がり、勝ったも同然の様子。
ところがだ。
試合終了間際の逆転弾を喰らった時からはまるでお通夜状態。
さっきまでのバカ騒ぎは一体何処へやら(笑)。
つまりは、所詮は「俄応援」「俄サポ」「俄観戦」ってこと。
詳しいことまでは分からないが、この試合のために通常3000円台のチケットを400円ほどで売りさばいたという。
そんなことをしなければ観客を集められないってことだ。
そんな観客だから本気で応援している者の数はたかが知れている訳だ。
広義で言うならこれがアジアにおける「サッカー熱」と言い換えられよう。
中国を見てみるがいい。
この時代になっても未だ対日本戦は「代理戦争」そのもので、中国の勝利を見に来るのではなく、日本が中国に負けるのを見に来ているわけだ。
過去の歴史はぬぐいきれないが、「それはそれ、これはこれ」でないのが中国なのだ。
アジア諸国がサッカーにおいて遅れをとっている要因の一つは、サッカーをどれだけ愛しているかという国民性(民度)が極めて低いところにある。
純粋にスポーツとして、サッカーという競技としてみなしている国があまりにも少ないところにある。
残念だがこれは事実だ。
幸いにして日本は一部のミーハーを除き、まだ国民性のレベルは高い方だ(と信じたい)。

さぁて、これでW杯出場に王手がかかった。
だが、以前にも書いたことだが、W杯出場は当然のこと。
グループ予選突破も当然のこと。
目標はあくまでも決勝トーナメントにおいての「ベスト8」だ。
今はそれ以上は望んではいない。

愛してるぜ、日本代表!!!


25年目のもう一つの山(本編):娑婆の味

2012年11月13日 18時06分36秒 | Weblog
山での最後の日は「槍沢ロッヂ」で迎えた。


ロッヂに到着したのは15時を少しまわった頃であったが、かすかな記憶にあるロッヂとは様子が違って見えた。

25年前にここを通過した時は、ほぼルートに沿って建物の壁があり、更にはその壁一面に「薪」が積まれていた覚えがある。
曖昧な記憶ではあるがもう25年前のこと、建て替えられていても何ら不思議ではないだろう。

受付を済ませ、先ずは荷物の整理と風呂の準備だ
石鹸やシャンプーは使用できないが、湯船に浸り汗を流すことができるだけでもありがたい。
風呂は混雑していたが、敢えてゆっくりと時間をかけて入った。
おかげでサッパリ!
気持ちいいね♪

夕食までまだ時間はある。
ということで、待ちに待った湯上がりのビールタイム!
缶ビールを買い、外へ出て一気に・・・と思ったのだが、何となく見覚えのある人達が休憩していた。
するとその人達の方から声をかけてきた。
「あっ、また会いましたね♪ ほら、今日大喰で・・・」
「あぁ、あの時の(ハーレム)!」
さすがに「ハーレム」と言う言葉だけは言わなかったが、何という偶然。
こんな偶然は何度あっても嬉しいね!

この後「横尾」まで行き、そこに泊まるそうだ。
あと1時間30分ほどだろう。
「もう少しだから頑張って!」と言い別れた。

夕食後、同宿者の外国人と知り合い、サッカーの話題で盛り上がった。
盛り上がったとは言っても、所詮は片言の英語だ。
それでもサッカーの母国、英国人だからこそ通じたサッカーの話だった。

この夜は8時過ぎに布団に入るといつの間にか眠りに就いていた。
起きたのが早朝の4時前だから、7時間はぐっすりと眠ることができたことになる。
4日ぶりの熟睡だった。

朝食を済ませ外に出て一服していると、昨夜の英国人の方がいた。
槍に向けて出発の直前のようだった。


一緒に写真を撮っていただき、“Good luck!”

自分は今日は一切あわてることはない。
昼頃までに上高地に着けばよいので7時に出発した。

ロッヂを出発してまもなく、ルートのすぐ右側を流れる川の音と鳥のさえずりに誘われるように河原へと降りてみた。
「最後にゆっくりと珈琲が飲みたいな・・・」
そんな思いから、ザックから火器を取り出しお湯を沸かした。


やや肌寒さを感じていたこともあり、のんびりと珈琲の熱さと美味さを味わいながらひと時を過ごした。
すぐ横のルートには、これからおそらくは「槍」を目指す多くの登山者達が通り過ぎて行く。
中には「あら~いいわね♪ 美味しそう。私も飲みたいわ。」
と言葉をかけてくる人もいた。
「もちろん大歓迎ですよ! 美人限定ですけど・・・」
とは言えないが、森の朝の静けさの中で飲む一杯の珈琲はことのほか美味しい。
これも、ほぼすべての山行を無事終えたからこそなのだろうと思う。

徐々に暑さに襲われた。
標高もたぶん1800メートルあたりにまで下がっただろう。
汗がしたたり落ち、滝のように流れ出している。

徳澤園に到着。
ここでお約束の「ソフトクリーム」を食べた。

この冷たさと甘さが「娑婆」に近づいてきた感じを思わせる。
時間はまだ朝の9時だが、ここの名物のラーメンを食べたかった。


あと2時間ほどで上高地に着く。
それが分かっているだけに「食欲」という名の欲求不満が一気にわき上がってきた。
「あぁ~ラーメンが食べたい! コーラが飲みたい! ビールが飲みたい!」
小さな声でブツブツと独り言を言いながら歩いた。
「今夜は何が何でもラーメン食べてやるんだ。上高地に着いたら先ずはコーラを飲もう!」
そんなことばかりを考えていた。

明神館あたりを過ぎると、すれ違う人達の様子もだいぶ変わってきた。
ほぼ半数はカジュアル姿の家族連れかカップルだった。
でかいザックを背負い、ひげ面でサングラスをかけた自分の姿は格好の的となっていたようだ(笑)。
「こんにちは」と挨拶を交わしすれ違う。
自分の声も今までと違い、どこか優しくいつもよりトーンが高い。

もうすぐ・・・もうすぐGOALだ。

25年目のもう一つの山(本編):少しだけ淋しい下山

2012年11月07日 22時44分11秒 | Weblog

PEAKでは、必ずではないが標高がしるされている標識版と自分の高度計とのツーショット写真を撮っている。
とは言っても、高度計は常に正確な数値を出しているわけではなく、ほんのちょっとした気圧の変化で数値は変わってしまう気まぐれ者。
あくまでも目安となる程度のものだ。
それ故、意図的に数値を標高に合わせて撮ったもの(笑)。
これも記念写真のひとつなのだ。


西側を見下ろせば「小槍」が見える。
アルプス一万尺の歌でお馴染みの「小槍」だが、実際にアルペン踊りを踊ることはおそらく無理だろうなぁ(笑)。

下山をする前にどうしても言っておかなければならない「思い」があった。
2年前の暮れに逝ってしまった友への思い。
言葉としてではなく、思いとして空へ向かって伝えた。

学生時代の4年間を同じ屋根の下で暮らした。
吹けば飛ぶような木造の男子寮だったが、そこで夢を語りあい、酒酌み交わし喜怒哀楽を共にした。
できることならば槍のてっぺんで、あいつに少しでも近いところで寮歌を歌いたかったのだが、羞恥心に負けてしまった。


腹ペコ山男さんは槍のテント場で一泊し、自分はここから「槍沢ロッヂ」まで下山する。
この時はHPの管理人さんとはつゆ知らず、大変失礼なことをしてしまったと思う。

腹ペコ山男さんと別れ、東鎌尾根ルートで下山を開始。
時刻はそろそろ12時を過ぎる。
どこかで昼食タイムをとりたいのだが、どうせなら槍が見える場所にしたい。
とは言え、細いルート上で荷物を広げることなどできるわけもなく、ちょっと危険ではあったが稜線上に上がり、そこでお湯を沸かして昼食とした。


将に「線」の上での昼飯だ(笑)。
南岳小屋で作っていただいた弁当はとっくに冷めてしまっていたが、熱いスープと一緒でありこの上なく美味かった。
「あ~ラーメンが食べたい」
槍ヶ岳山荘で食べることもできたし、非常食用のカップ麺を食べても良かったのだが、やはり完全下山した後の松本まで我慢我慢!

槍沢ロッヂまではひたすら標高を下げるだけ。
今回の山行における登攀はもう無い。
何となく淋しくもあるが、疲れた足腰には少しだけありがたかった。


たぶん「とりかぶと」だと思うのだが、高山植物を含めた花に目を留めるようになったのも、「危険」からの開放感があってのこと。
高山植物はこれまでも視界には入っていたが、花より団子ならぬ「花より岩壁」だった。


あまり時間を気にする必要もなくなり、雪渓の上で大の字に寝てみた。
標高が下がったこともあり、体中が火照っている感じだったし、とてつもなく贅沢な天然のクールダウンとなってくれた。

「ババ平」のテント場を過ぎればロッヂまでもうすぐだ。
そしてそのロッヂでも不思議な出会いが待っていた。