ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

20㎏オーバー(平ヶ岳:16)

2009年10月31日 23時24分24秒 | Weblog
下山ルートにおける最後の難所。
左膝が爆発しそうになるような下りだった。
「よくこんなところを登ったもんだ。」と感心しながら、極端な負荷が膝にかかってくる。
本当にやばくなりそうな程だった。
着地の一歩ごとに「うっ」「あ゛っ」ってな声が漏れてしまった。
だが今更焦って下りることはない。踏み外して怪我をするくらいなら、じっくりと安全な一歩であるべきだ。

ほんのわずかな距離の尾根に出た。
ここは膝への負担が軽くて済みそうだった。その分両サイドは危険な崖。
確実な一歩が必要になってくる。
「もうすぐだ。もうすぐ平地だ。」
そう言いながら山を下りる。
そしてついに平坦な道へと出た。
「ふ~っ、ここまで来れば駐車場までわずかなもんだ。」
左足がほとんど上がらない。やや引きずるようにして歩いた。
森林の間からアスファルトが見えた時は膝の感覚があまり無く、局部麻酔を打たれているような感じだったことを覚えている。

お互いがっちりと握手。
何はともあれ無事下山した歓びを分かち合った。
自分のせいで大幅な予定の遅れ。膝の痛み。体力の衰え。
まったくもって情けなや・・・。
帰りの途中、自販機でコーラを購入。
このコーラを思い切り飲みたかったのだ!
炭酸が体中に染み渡るようだった。
山水で作ったスポーツドリンク、山水を湧かして作ったカップラーメン、珈琲。
確かに美味い。美味いのだ。
・・・が、やはり文明に慣らされてしまっている自分には、今はこのコーラの味とシュワシュワ感と冷たさが最高の飲み物だった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:15)

2009年10月28日 22時22分26秒 | Weblog
これから先の下山ルートは、長い距離の急斜面を降りなければならない。
登るよりは楽なのだが、正直言って膝への負担が心配だった。
左膝に爆弾を抱えてはや30年近い。
何度かメスも入れたが完治には至っていない。
それでも「この一歩が娑婆へと確実に導いてくれているんだ」と思うと、安堵感と共に何故か山を去る一抹の淋しさの様な思いに駈られた。

ルートの途中途中で、O氏は記録をとっていた。
ルートと現在地の確認、距離、高度、おおよその斜面角度、通過時刻、そして気圧等々、こと細かに記録していた。
もちろん安全のためにが第一であるが、このデータが後日大いに役立つのだ。
写真や動画を織り交ぜての思い出のDVD制作時に欠かせないテロップ。
その文字を入れるときに記録や数字がモノを言う!
もちろん貴重な思い出を、より正確なものとして残すためにも重要となってくるのだ。

しかし、しかしだ。
このルートの至る所に葉が朱色に染まった木々が生えていた。
個人的にはあまり関係のない木々なのだが、O氏にとってはこの上ない「疫病神」的存在だったのだ(笑・・・いや笑ってなどいられない)
決して触れてはならない禁断の樹木。
とは言っても道幅の狭いルートになると、無意識で触れてしまっていることもあろう。どんな詳細な山岳マップでも、まさか『うるし』が生えているポイントまでは載っていないのだから。

高い身体能力、スポーツ万能の彼でもウィークポイントがあったのだ。
下山後に職場で会ったとき、実に気の毒になるほどのかぶれようだった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:14)

2009年10月27日 21時49分59秒 | Weblog
台倉山山頂で昼食をとった。
湯を沸かせば準備OK。あとは3分間待つだけよっと♪
今朝作ったおにぎりの美味いこと美味いこと!
握った飯にふりかけをまぶしただけの簡単おにぎりが、こんなにも美味いとは。
あっという間にたいらげた。
そしてお待ちかねの「カップラーメン」。
一口スープをすする。
・・・笑いが止まらない(笑)。
カップラーメンごときが、こんなにも美味いなんて。
「あ゛~~~う゛めぇ~!!!」
心底思えた言葉だった。
O氏も笑いが止まらない様子で、カップラーメンをこんなにも美味そうに食べる人はそうはいないだろう。

真昼の太陽は暑く、腕が日焼けしているのがはっきりわかった。
休憩の間はシャツを脱ぎ、乾燥させた。少しでも乾いてくれればそれでいい。
腕の日焼け。日焼け程度ならなんてことはない。
実はこの時、O氏の両腕の内側に魔の手が・・・おそらくはすでに伸びていたであろう(笑)。
そして下山してから約2週間もの間、この魔の手に苦しむことになってしまうのであった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:13)

2009年10月25日 21時39分09秒 | Weblog
さぁてと、気を取り直していざ出発!
池ノ岳の岩場は急斜面が多く、気を許すとかなりやばい。
慎重に降りて行ったものの、下りの方が膝への負担が大きかった。
着地の度に「体重+ザック」の全重量が一気に膝へとかかってきた。
「そっか、下山はそうだったな」
そんなことも忘れているほど、歳月は流れていたのだ。

今日も暑くなりそうだ。少し歩いただけで汗が流れ落ち、袖をまくった腕の肌には残暑の太陽が襲いかかってきた。
いや、太陽だけならまだましだろう。
O氏の場合、これからとんでもないものに腕を、肌を襲われることになってしまうのだった。(お~こわ)(>_<)
それでも気持ちがいい。おそらくは汗が冷たいからだろう。
高地でかく汗は、べたつきが感じられないのだ。

右手に「燧ヶ岳」が見える。「今日もよろしくな!」

昨日と比べ、足取りは比較にならないほど軽かった。
ザックの重量が減ったこともあろうが、やはりルートに厳しい登りがほとんど無いからだ。
これなら台倉山まで一気に・・・いや、それは間違いだ。
小休止を入れ、水分補給の必要性を忘れてはならない。

樹林帯に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。
木陰に腰を降ろしての一服。
これも昨日では味わえなかった煙草の美味さ。
空気の美味いところで悪い煙を吸って吐く。煙草を吸わない人から見れば、なんともバカげた行為なんだろうなぁ。

歩きながら見覚えのある場所に来ると、何故か嬉しくもなった。
「そうそう、昨日ここを通ったなぁ。」「ここでは完全にバテてたっけ」などと思い返しながら、自然に独り笑いをしている自分がいる。
まだ膝は大丈夫だ。ふくらはぎの痙攣もない。
ただ、どうにも腹が減った~!!!
と、大声で叫びたかった。

20㎏オーバー(平ヶ岳:12)

2009年10月25日 02時02分38秒 | Weblog
たまご石を見下ろすポイントに来ると、いくつかの池が点在していた。
遠くには新潟の山並み。足下には高山植物。
ファンタジーの様な世界を垣間見る思いだ。
しかしながら、その場所には全くと言ってよいほど似つかわしくない物体が存在していたのだ。
たまご石を説明するための、あまりにも大きな看板だ。
初めは「ふ~ん」などと言って感心しながら読んでいたが、なにもここまで大きくしなくても・・・と、次第に呆れかえってしまった。
これじゃ石の説明を知るメリットよりも、景観を損なうデメリットの方が遙かに大きいじゃないか。
何を考えて立てたのかは知らないが、立てたのがお役所だったら、看板設置の計画書に決済印を押した上司達はよほどお目出たい輩だ。

荷物の場所に戻るため、坂を登った。
おっ、おばさま達が降りてくる! なんという数の団体様だ。
「そこのけそこのけ、私らが通るんじゃよ!!!」
おばさま達の心の声が聞こえてきた。
そして「ねぇ疲れちゃったぁ。ここに座って休もうよ!」
と、実際に聞こえてきた声。

「くぉらぁ~このばばあども! 山道で登りの奴と下りの奴とがすれ違うときは、つらい方の登りの奴が優先で、道を譲るんは降りてくるおまえらの方じゃ! 知らんのか?! それからここは人が歩く場所であって、腰を下ろして休む場所じゃな~い! これはマナーではなく、登山のルールじゃぁ~! そんな基本的なことも知らんで、山に来るな! あんたらの目に余る身勝手な行動が、他の人たちにどれだけ迷惑かけとると思っとるんじゃ。 あ~ん?! わかっとるんか!!!」

以上、私とO氏の心の声でした。(ジャンジャン!)



20㎏オーバー(平ヶ岳:11)

2009年10月23日 22時41分01秒 | Weblog
昨日見た「燧ヶ岳」だけでなく、日光男体山、更には白根山までもが見えた。
山並みが幾重にも重なり、青く、いや「蒼く」目に映る。
なんて清々しいんだろう・・・この団体様さえいなければ。

体に疲れが残っていない訳ではないが、今日は下山だと思うと気は楽だった。
テント場まで戻り、荷物の最終確認をし出発した。
とは言っても、もう一か所立ち寄るところがある。
通称「たまご石」と呼ばれる奇岩がここから1㎞足らずの場所にあるのだ。
ここまで来てそれを見ずに帰ることはできまい。
少し登って分岐点にザックを降ろし、手ぶらで歩いた。
テント場の周辺の風景がよくわかった。
なだらかな谷間にポツンとあるテント場。
なんと、谷の斜面は一面キスゲの様な黄色い花で埋め尽くされていた。
お花畑の中にあるテント場だったのだ。
なんて俺たち二人にピッタリなんだろうか!(笑)
そしてみやまりんどう。名前はわからないがジュビロカラーの、いやいや淡い水色の花。食虫植物のもうせんごけ等々、高山でしか見られない植物がそこここに息づいているのだ。
中には食べられる実のついたものがあった。
う~ん、名前が思い出せない。
見た目はブルーベリーの様で、食べてみると酸味は強いが、甘さもある実だった。
これが疲れた体には実に美味い!
歩きながらついつい取って口に入れたものだった。

そうしているうちに「たまご石」らしき物体が見えてきた。
ははは、確かにありゃ卵だわ!

20㎏オーバー(平ヶ岳:10)

2009年10月22日 21時48分46秒 | Weblog
平ヶ岳山頂はなだらかな丘が広がっているようだった。
湿地帯の部分もあるため、それなりにルートは整備されており、なるほどこれならおばさん達にもさほど苦にはならないかも・・・と思わせた。

本来であれば、昨日のまだ日の高い時間にテント場まで到着し、その日のうちに登頂しているはずの平ヶ岳。
自分のせいで起きた大幅なタイムロスが、結局は翌日まで響いてしまったのだ。
後ろめたい気持ちはあったが、早朝の山頂が実に爽快な気分だったのは正直なところだ。

少し先まで歩くと湿原地帯があり、立ち入り禁止区域となっていた。
だが、この場所からは360°の山並みが見渡すことができた。
新潟県、群馬県、福島県、そして栃木県の山々の稜線が、360°のあまりにも広大な一つの輪になって連なっているのだ。
美しい。美しいとは将にこのことだろう。
・・・と感動に浸っていると、例のおばさま方の団体御一行のざわめきが嫌でも聞こえてきた。しかも複数の団体様御一行がいるから、そのざわめき声ときたら半端じゃない。
でもって驚いたことに朝食を食べ始めたのだ。
いや、食べること自体が問題なのではなく、食べている場所が問題なのだ。
交互通行などできない細い一本道。湿地帯であるために板が敷かれている。
なんとその一本道に腰を下ろし、レジャーシートを広げ食べているのだ。
「ちょ、ちょっとそこは登山者が歩くための場所なんだけど・・・」
言えない。あのおばさん達に言ったらなんと跳ね返ってくるか、容易に想像できる。
疲れているのはわかるが、なにもここで食べなくてもねぇ。
そしてこの団体様。この後、またまた驚くべき発言と行動をとるのであった。
いやはや・・・(汗)。

20㎏オーバー(平ヶ岳:9)

2009年10月21日 23時07分40秒 | Weblog
まだ夜が明けきらぬうちに、背中のあたりが寒く何度か目が覚めてしまったようだ。
それでも熟睡・・・というよりは「爆睡」できた。

日が射してから起き出し、早速湯を沸かした。
O氏はすでに起きており、周辺の散策に出かけていた。
標高2000メートルで飲むモーニング珈琲。
将に贅沢な気分だった。
さて、朝食の準備は手早く簡単に!
ごはん。味噌汁。缶詰類でOK。そして行動食のおにぎり作り。
腹を満たしたところでテントの撤収作業にかかった。

時刻は朝の8時頃だったろうか。一服しながら荷物の整理をしていると、突然おばさま方の団体様御一行の列が通り過ぎていった。
「こんにちは。おはようございます。」と挨拶をすると、「ここに泊まったの?」と聞かれた。
「へぇ~」と言われたが、何故「へぇ~」なのかがわからない。
だって初めからそのつもりだったし、山でのテント泊はいたって当たり前のこと。
それよりも、こんな早朝にこの場所で出会うこと自体が自分には「へぇ~」だ。
仮に山に慣れた人でも、あれだけのおばさん達の団体がこの時間にこの場所にいるということは、深夜の1時過ぎに出発したことになる。
ましてや漆黒の闇の中、ヘッドランプや懐中電灯程度の照明であの山道を歩くことがどれほ危険極まりないか。
それこそ「へぇ~」だ。(笑)

やや体の節々が痛むが、ザックの重量は昨日よりは明らかに軽くなっていた。
これがたまらなく嬉しかった。
荷物をテント場に置き、先ず「平ヶ岳」山頂へと向かった。
ここからなら歩いて30分ほどで登頂できる。
だが、歩いている途中でも、そして平ヶ岳山頂でも、何故かいくつもの団体様御一行に出会った。
「今時のおばさんてすげぇなぁ。タフなんだなぁ。」と感心していると、O氏からの一言。
「実は、車ですぐ近くまで来ることができるんですよ。そこから降りて歩けば、平ヶ岳山頂まで2時間足らずなんですよ。」
そう言えば、事前にネットで調べていたときに、そんなルートがあることを思い出した。
俺たちの昨日のあの苦労は、あの苦痛は一体なんだったんだ・・・。
急にバカらしくもなったが、それ以上に団体様に対して無性に腹が立ってきた。
(でもルートの選択は個人の自由だしね。)
そう、俺たちの目標は「完全徒歩。テント泊。自炊。」それでいい!
つらいときの方が多くても、不思議と楽しいんだな、これが!

20㎏オーバー(平ヶ岳:8)

2009年10月19日 21時41分03秒 | Weblog
それにしても美味いカレーだった。
肉体疲労の後の「辛さ」ってのは、食欲増進剤の一役を担っている。
食後の珈琲の味は、山水を使って沸かしたお湯のせいか、いつもと違った美味さを感じた。

できることなら簡易の濾過器でもあればいいのだが、これが結構値が張る代物。
汲んできた水をよく見れば、それなりの浮遊物や不純物(ゴミ)があった。
まぁ死にはしまい。と笑いながら煮沸消毒だけはしたが・・・。

後片付けと明日の荷造りを済ませた。
時刻はもう9時近くになっていただろうか。かなり冷えてきた。
人工的な灯りはテントの中のランタンだけ。
テント場に着いたのがすでに夜だっただけに、周囲の風景がどのようなものなのかがわからない。恐ろしいまでの“ひっそり感”、そして漆黒の闇。
耳を澄ませば、チョロチョロという沢水が流れる音が聞こえてきた。
テントの中に入り、顔だけを出して夜空を見上げてみた。
星空が綺麗だ。遠く南の方だけ、時折パッと明るくなっている。おそらくは雷だろう。

O氏は大切に大切に持ってきた缶ビールのふたを開けた。
グビグビ~という勢いのある音がテントに響く。
「かぁ~美味い!」
本当に美味そうな一気飲みだったなぁ(笑)。
自分はと言えば、持ってきた「バーボン」さえ飲む気になれなかった。
飲まなくてもすぐに熟睡できる自信があったからだ(笑)。
いや、本音を言えば、酒を飲む気になれないほど疲れ切っていたのだ。

シュラフにくるまり、山のこと、バイクのこと、仕事のことなど語り合った。
二人の声以外、何も聞こえない本当に静かな山中の夜が更けて行く。
明け方は、間違いなく今以上に冷え込むだろう。
10時過ぎ。厚着をして眠りに就いた。

20㎏オーバー(平ヶ岳:7)

2009年10月18日 22時43分44秒 | Weblog
テント場には他の登山者の姿はなく、我々二人だけだった。
既にテントは設営されており、後は食事の準備にとりかかるだけ。

ザックを下ろした。
肩に食い込んだ重みから一気に解放された思いだ。
「これで少なくとも明日の出発までは、この20㎏オーバーのつらさから解放されるんだ」という安心感があった。
悲しいかな、これが本音だった。

ランタンとヘッドランプの灯りなしでは何もできない状況だったが、やっと飯にありつけるという嬉しさから、体の疲労も足の痛みも忘れていた。
先ずは「水」の確保。
すぐそばの沢まで行き、米をといだ。
チョロチョロとした水の流れだったので、素早くとぐことはできなかった。
しかし「飯だ!飯が食えるぞー!」という有り難さを、このささやかな水の流れに感じずにはいられない。
バーナーで米が炊けるまでの間、再び沢の水を汲み煮沸消毒。味噌汁や明日の朝食用の水を作った。
気がつけば手がかじかんでいた。気温のせいもあるが、沢の水の冷たさが原因だろう。
お互いバーナーの火に手のひらを近づけて暖をとる。8月下旬の2000メートルの高地。久々に味わう山の洗礼だ。

メニューはレトルトのカレーライス。
この時間帯になっては贅沢なメニューだろか(笑)。
ご飯が炊け、カレールーもOK。
皿にご飯を盛りつけてレトルトの封を切ったその瞬間、カレールーの何とも香ばしい香りが鼻をついた。
O氏「たまんないね、この香り!」
TA「早く食いてぇ~」
なんと形容すればいいのだろうか、この美味さを。
疲労困憊。筋肉痛。足の痙攣。時間の遅れ。寒さ。そして空腹。
マイナス要素だらけの中で、ささやかなれど唯一無二の確かな「幸せ」を噛みしめるかのように味わった。(決してオーバーではない)
「美味ぇ~~!!!」
思わず二人同時に発した言葉だったっけ(笑)。