ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

流氷を見に:やっぱ寒ぅ~!

2015年11月28日 00時23分41秒 | Weblog
夕食の前にロシアの伝統的な歌と踊りを観に行った。

司会の方はもちろんロシア人であったが、流暢な日本語で進行していただき、一つ一つの歌と踊りにどのような意味があるのかなど自分でも理解できた。

夕食は北の食材をふんだんに使っての海鮮料理だった。
やっぱカニは美味い♪

ホテルへと戻る前にコンビニへと立ち寄り、ここ(北海道)でしか売っていないお菓子類を買った。

「セイコーマート」
聞いたことはあるが、実際に入ったのは初めてであった。
有名な観光地巡りもいいが、こんなちょっとした自由な行動が嬉しい。
コンビニなんて日本中どこにでもあろうが、北海道限定の店であることに意味がある。
バスの中で添乗員の方が言っていたご当地ならではの菓子やジュースを購入し部屋で食べることにした。



プチ土産にはもってこいかも知れない。
ただし、この「ガラナ」はいまいちだったかなぁ・・・。
まぁこれも思い出の一つだ。

コンビニの前はバス停であり、よく見るとこんなところにもロシア語の文字が。

仕事で稚内を訪れる人の為であろうか。
いずれにせよ、日常生活の中にロシア語がとけ込んでいる土地は日本でもそうはあるまい。

「さて、ホテルに帰って食べようか。」と言うと。
「ねぇ、防波堤に行ってみない?」という返事。
(「この寒い夜になんで今から防波堤なんだ」)
と思ったが、「せっかくなんだから行ってみない?」というお誘いを断るのも・・・。
それにまさか女房一人で見知らぬ土地の夜道を歩かせることもできまい。
「そうだなぁ、行ってみるか。」
と、平静を装いながら心は寒さで震えていた。


数100mは歩くことになるこの防波堤。
耳が痛くなる程の寒さだった。
「寒くないのか?」
「ちょっと寒いけど結構楽しいかもね。でもお父さんはマイナス30°くらいの所に何度も行ってるんだから平気でしょ。」
「いや、あれはあれで緊張感をもって臨んでいるわけだから・・・。」
そんな会話をしながら夜の防波堤を二人で歩いた。
正直本当に寒かった。
カメラで撮影しようにも、タウンユース用ウールの手袋では厳しかった。
やはりアルパイングローブというものは素晴らしい保温性と防風性を有しているのだと改めて思ったものだ。


部屋の窓から見えた沿岸警備船。
近くで見るとかなり大きい。
画像の中央に見えている白い布をかぶった物は、機関砲だと推測する。
機関銃であれば口径は少なくとも12.7mmはあるだろうが、やはり口径20mm機関砲だ。

やっと部屋へ戻り風呂に入った。
窓の外を見ると、ついさっき歩いた防波堤の道に沿った街灯の灯りが、緑色っぽく暗闇に浮かんでいた。

明日は宗谷岬に行く。

流氷を見に:ノシャップ岬

2015年11月25日 23時51分16秒 | Weblog
野生のアザラシを見た後、「ノシャップ岬」へと行った。
ここは観光コースには入ってはいなかったのだが、やや時間にゆとりがあることから立ち寄ってくれたポイントだ。

宗谷岬の西側に位置し、日本で二番目に北に位置するノシャップ岬。

さすがに風は冷たく、長時間屋外にいると堪えた。
それでもわざわざ厳冬期に日本最北端の町まできたという思いがあり、少々我慢。
雪山の猛烈な吹雪と比べればかなりましなのだが、自分が居る場所が違うだけでめげそうになってしまう。

ノシャップ岬から一望するオホーツク海をしばし眺めていたが、それよりも丘の上に見える建物に目は釘付けだった。

自衛隊のレーダー群だ。
北の脅威である対ロシア機の為の設備なのだろうと推測した。
海もいいが自衛隊の基地もいい。

ここから稚内市内まではすぐだが、ホテルのすぐ近くにある海産物屋へと向かった。
土産を購入するにはもってこいの店であるが、ここで頂いたカニのみそ汁が美味かった。
味はもちろんのことであるが、何よりも冷えた体にみそ汁の温かさが有り難かった。

このカニは冷凍宅配で自宅に送ってもらった。
焼きガニ、カニ鍋、みそ汁、etc・・・、そうは滅多にここまで食べられないカニづくしに満足!

この海産物店のすぐ隣はJR稚内駅であった。
中は暖房が効いていた。

初めて訪れる最北端の駅というだけで心は「旅行」から「旅」へと変わる。
「そう言えば、テレビで見た記憶が・・・」
そう、もう10年ほど前にもなろうか。
NHKBSでやっていた「列島縦断鉄道12000㎞最長片道切符の旅」という番組で、この駅がスタートだったことを思い出した。
「と言うことは・・・あった♪」

これを確認したかったのだ。
「最北端の線路」。
何のことはない物かも知れないが、これを見て今日初めて旅に来たという思いになった。
実際の最北端線路跡は駅の外であり、この場所から数十メートル程北になる。
それでも十分満足だ。
しかし、後になって悔やまれることがあった。
稚内駅の入場切符を買い忘れたことだ。
決して鉄道マニアではないが、思い出と記念にはなるものだ。

バスに戻る途中、歩道を歩いていると珍しい物を発見した。

どこにでもある道路案内標識なのだが、この土地ならではの文字がある。
「へぇ~こんな物にもロシア語かぁ。」
滞在中一般人の方でロシア人と思われる人を見かけることはなかったが、必要があるからこその文字なのであろう。

ホテルに到着。
部屋に入り先ずはカーテンを開いた。
宗谷岬が遙か先に見えた。
そしてすぐ手前には防波堤と海上保安庁の大型巡視船も見えた。

白を基調としたなかなか清潔感のあるホテルであったが、極めて残念なことに館内すべて禁煙とのこと。(T_T)
吸うためには一端ホテルの外に出なければならなかった。
そのために何度ジャケットを着て外へ出たことか・・・。(寒ぅ)

流氷を見に:氷点下

2015年11月24日 23時18分18秒 | Weblog
実に久々となる「山」以外の思い出をアップすることにした。

今年の2月末のこと、女房と二人で北海道へ旅行に出かけた。
「流氷」を見てみたいというかねてからの女房の願いもあり、酷寒の稚内方面へと出かけた。

「ねぇ、稚内ってかなり寒いんでしょう? 日中の最高気温でも氷点下ってこともあるんでしょう?」
「ん~、たぶんね・・・。」
「何を着て行くの?」
「俺は雪山用のアルパインジャケットかなぁ。まぁ一応ダウンとかタイツも持って行くけどね。」
「お父さんはそれがあるからいいわよねぇ。寒さにも慣れてるし。」

と、意味深な物言いだった。
後日、ロングのダウンコートを買わされた。

羽田を離陸し、いざ久々の北海道へ。
家族旅行、仕事、サッカーの応援、そしてバイクツーリング等々で幾たびと出かけてはいるが、北海道へ行くのは7年振りのことになろうか。

羽田を発つ時に思ったことがある。
「真冬の北海道は俺も初めてのことだし、稚内ってやっぱり鼻で息を吸うだけで痛くなるのかなぁ・・・」
正直言って自分にも不安はあったが、流氷を見たいという期待感がその不安を和らいでくれていた。


窓からは北国の山々が見えた。
「おぉ~登ってみたいけど、やっぱり無理だろうなぁ」
そんなことを思いながらも視線は白い峰峰に釘付けだった。

稚内空港に到着。
到着ロビーに入るとすぐに赤い旗が目に付いた。

“サハリン地ビール”
「へぇ~サッポロビールじゃないんだ。稚内(ここ)まで来るとロシアかぁ」
旅の期間に一度は飲んでみたいと思ったのだが、結局サハリンビールは飲めずに終わった。

空港からバスで一般道に出た。
一面ガチガチのアイスバーンの路面を想像していたのだが、以外にも雪は溶けておりちょっと拍子抜けした。
バスで案内されたのはオホーツク海を一望できる高台の公園だった。
雪上車に乗り高台へと向かう。
風は冷たい。(当たり前だ)


頬を切られるような冷たい風だったが、厳冬期の3000mと比べればまだかなりましだと思った。
女房を見ると、両手を頬に当て寒さを防いでいた。
「やっぱり厳しいのかなぁ」
とも思ったが、それは初めから分かっていたことだし、ここは我慢してしてほしい。


生まれて初めて見るオホーツク海は感動だった。
好天に恵まれたこともあり、空の青さと海の碧さ、そして真っ白な雪の台地が見事なまでにコラボしていた。

周囲を見渡してみると、一際気になる「山」が見えた。
「ひょっとして利尻富士か?」
添乗員さんの説明はあったのだが、山に見とれていて聞きそびれてしまった。
地図とコンパスさへあればすぐにわかるのだが、まさかそんな物までは持参してきてはいない。

やはり白い山は美しい。
つい数週間前にあれほど身も心も痛めつけられたばかりだというのに、そんなことはすっかりと忘れてしまっていた。
その時だった。
「登りたいんでしょ♪」
「へっ、いや、別に・・・無理だ。」
ニコッと、いや、ニヤッと笑った女房の顔は意味ありげだった。

劔岳 平蔵谷:再会

2015年11月22日 20時48分53秒 | Weblog
別山尾根ルートからの下山は途中休憩を含めて2時間30分であった。
通常のルートタイムが休憩無しで3時間程だから、それなりに早かったことになる。
この歳で2時間30分というのは嬉しい限りだった。

最後の雪渓をトラバースし、劔岳小屋に着いた。
「あぁ~今年も終わってしまったなぁ」と思いながら小屋へ入ろうとした時だった。
ん?どこかで聞き覚えのある声が・・・。
声のする方を見ると、な・なんと去年一緒にPEAKから下山した「Kさん」がいるではないか。
「えっ、ありゃぁ~」
「おぉ~やっぱりいたのか!」
お互いビックリ、そして嬉しさのあまり男同士で抱き合ってしまった。

Kさんとは去年の7月の末、偶然同じ日にこの小屋に泊まり、お互い単独であったことから食事の時も同じテーブルで食べ、山の会話に花を咲かせた方だ。
翌日は登頂のコースこそ違ったが、劔岳のてっぺんで会い、一緒に下山。
その日の夕食も一緒に食べ、部屋も一緒だった。
最終日は小屋から室堂まで二人で下山をし、ターミナルで別れたのだった。

「ひょっとしたら来ているかなぁなんて思ってたんだよ。小屋の人に聞いたら昨日来て今日登ってるって聞いてはいたんだよね。今年は平蔵谷だったみたいだけど、無事下りてきたんだから先ずは乾杯しようや。」
着替えもそこそこに早速ビールを買い、小屋の前庭で乾杯した。
「じゃぁ再会と登頂を祝ってカンパ~イ!」
喉はカラカラだったし、一年振りの再会の喜びもあり一気に飲み干してしまった。



Kさんは明日登頂を目指すのだが、天候は今ひとつのようだ。
それでもたとえ二度目の偶然であれ、こうして会うことができたことが心から嬉しいと言ってくれた。


夕食後に外へ出て山談議をした。
その中の一つ。
劔沢小屋の二代目である佐伯友邦さんが去年体調を崩し入院、手術をしたことを話した。
体力的なこともあり、今年の夏は小屋には登っていない。
淋しい限りである。

下山日は朝から小雨が降っていた。
5時に朝食を済ませ、6時に小屋をスタートするKさんを見送った。
「天気のこともありますから、あまり無理をしないでください。また来年の夏にここで会いましょう。」
最後は握手をして別れた。

自分は7時に小屋を出発した。
新平さんに御礼を言うと、少しだけ淋しい気持ちになった。
劔岳との別れ、新平さんをはじめとした小屋のスタッフとの別れ、そして友邦さんのこと・・・。
「また来年かぁ・・・」

後日、山の月刊誌である「PEAKS」9月号を見た。
自分が泊まった日にPEAKSの記者の人も宿泊しており、劔沢小屋の記事が載っているのではないかと思い購入したのだ。
受付で新平さんが私にルートの説明をしている様子の写真がデカデカと掲載されていた。
青いシャツ、青いバンダナ、右腕の黒い腕時計。

「あはっ、載ってしまったか(笑)」

劔岳 平蔵谷:「己を知り足りてなかりしか」

2015年11月03日 00時33分10秒 | Weblog
頂からの周囲はほぼ雲海となっていたが、これがまたいい感じ♪
いかにも高所、これがてっぺん、これぞ北アルプスってところだ。

海(富山湾)が見えなかったことは残念であるが、雲海はまたそれで醍醐味と充実感を味わうことができるというものだ。

ゆっくりと昼食を食べ、食後の珈琲と一服。
そしてそして、是非とも一度やってみたかったことをやった。
劔のてっぺんで昼寝をすることだ。
固い岩の上に寝そべり、両足を伸ばし、帽子のつばを深く下ろす。
時間にして僅かに15分程度だったと思うが、これほど贅沢な昼寝をしたことがかつてあっただろうか。
記憶にはない・・・。
最高に贅沢で、ささやかながらも至福のひとときを劔岳のてっぺんで過ごすことができた。

さて下山だ。
下りる前に写真をもう一枚。

相棒のモン太君もてっぺんで記念写真だ。

カニのタテバイに着いた。
ここは落ち着いて最初のスタンスポイントを足で探る。
両足を着けた後、一枚の写真を撮った。

初めて劔岳に登り、その下山途中で膝を負傷したポイントだ。
正確には覚えてはいないが、この画像の中であることは間違いない。
教訓として残しておくための一枚とした。


ヨコバイを通過するのはこれで何度目だろうか。
あれほど不安で一杯だったこのポイントさえも、タテバイ同様何も感じなくなってしまっていた。

平蔵の頭へと向かう途中、もう一度振り返り平蔵谷を見た。

我ながらよく一人で登ってきたものだ。
自己満足でもいい、達成感は十二分だ。
怪我はしてしまったが、今年の劔も山の辛さと歓びを自分にくれた。

平蔵の頭を下りるくさり場で、ちょっと複雑な想いに駆られるものを見てしまった。
先に下山をしていた単独の方に追いつき、その方がくさり場を下り終えるまで上から見ながら待っていた。
三点支持はほぼ無し。
敢えてしていないのではなく、できない、知らないといった方が当てはまる下り方だった。
そして鎖はと言えば、両手で握り、全体重を鎖に預け、まるでロープにつかまりながら下りるように左右にふらついている。
その後の岩場、ガレ場の下り方もかなり危険な下り方であり、「無謀」と言っても過言ではない。
「こんなことやっていたらいつかは・・・。」
それでも下りることができている。
結果は下りられているのだ。
アドバイスをすることが親切なのか、それとも余計な口出しなのか。
迷いながらもずっとその方のすぐ後を下りていった。
「もしこの人に何かあったら俺が何とかしなけりゃ・・・。できなければ山小屋まで行って救助を要請しなきゃなぁ。」
そんなことをずっと考えていた。

何だかんだと言いながらも結果下りることができている。
果たしてそれで良いのか・・・。
良い訳がない。
劔に登るに来るのであれば、最低限できていなければならない技術がある。
知っておかなければならない技術がある。
その殆どを知らない、できていないままここに来ることがどれ程無謀なことであるのかを知ってほしい。
「年寄りの冷や水」と言われればそれまでだが、怪我をせずに今まで来たことが不思議なくらいに無謀な技術だった。(技術とは言えないほどのもの)
そしてそれ以上に怖いことは、下山後に起きるのだ。

天候にも恵まれた。
地図読みなど大してできなくても、途中で出会った人に聞いて何とかなった。
鎖だって丈夫なはずなのだから、全体重をかけながら下りても問題ない。
ろくに経験もテクニックも知識も無く、装備が不十分でも結果として登頂し下山することができた。
だが、それはただ運が良かっただけだということに気付いていない。
気付かないまま「自分は劔岳にも登ることができた。だから上級者の仲間入りだ。自信が付いたし、もっと難しい山にだって登ることができるだろう。」
それが一番怖いのだ。
「ラッキーは二度目はない」ということを肝に銘じて欲しい。

実を言えば、自分のすぐ身近なところにも同じような人がいる。
いろいろとアドバイスをしてあげたいのだが、とにかくプライドが高く、人の意見に耳を貸そうとはしない。
デジタルギアに頼り、アナログの技術と知識を身につけようとはしない。
もちろんルートファインディングもロープワークも知らないしできない。
それ以前に基本的な体力や筋力も不十分で、僅か18㎏のザックでさえも背負ってまともに歩けない。
あまりにも基本を疎かにし過ぎている。

山に登りたいのであれば、本気で登山というものをしたいのであれば、先ず第一にこのことを知っていて欲しい。

「己を知り足りてなかりしか」

己の体力、技量、知識、総じて経験を十分且つ客観的に理解評価し、足りないものが何であるのかを知ると共に、己が如何に非力で未熟であるかを認め、決して驕らず身の丈に合った山であったか。

ラッキーは二度目はないのだから。