ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

25年目のもう一つの山:ダイジェスト(4)

2012年08月31日 20時37分44秒 | Weblog
ロッヂに着く少し前にババ平にあるキャンプ場を通過。
そこで溢れんばかりに蛇口から流れ出る水を見て、思わず飛びついた。
予想していたよりも冷たさはなかったが、将にガブ飲み!
美味かったなぁ(しみじみ)。

15時10分、「槍沢ロッヂ」へ到着した。
受付を済ませ、荷物の整理。
ここでは風呂に入れるのだが、そのまえにちょっと一服しようと外へ出てみると、若くて綺麗な女性から声を掛けられた(笑)。
「あらっ、あの時の・・・。覚えてます? 大喰岳の途中で写真を・・・。」
「おぉ~、あの時の!」
そう、今朝、大喰岳の下山途中で写真を撮っていただいた三人グループだったのだ。
まさかここでもう一度会うことができただなんて。

少しの時間だったが今日のお互いの行程を話し合い、三人を見送った。
彼女たちはこれから「横尾」まで行くそうだ。
あと1時間30分かな・・・。気をつけてね!

槍沢ロッヂはかなり混み合っていた。
風呂には入れるが、石鹸やシャンプー類は使用禁止。
それでも丸四日間汗まみれの体には嬉しいサッパリ感だ。
そして湯上がり後のビール。
ずっとこれを待っていた(笑)!!!

たった一本の缶ビールだが、たまらないね♪
「あ゛~うまっ!」
この時ばかりは周囲の目を気にせず、思い切りゲップをしてやった。

夕食後はのんびりと今日の山行記録を書いた。
談話室で横になりながら、今日あった出来事を思い出し箇条書きで綴っておくだけなのだが、これが後々結構役に立つ。
ブログを綴るにせよ、写真を見るときにせよ、一つ一つが小さな思い出となって蘇ってくるのだ。
ROOKIEさんのこと、三人組のこと、槍で写真を撮り合ったこと、そしてこのロッヂでつい先ほど話をすることができた英国人とのことなど、人との出会いふれあいが多い一日だった。

翌朝はまだ暗いうちに目が覚めた。
腕時計を見ると、午前3時47分だった。
「ということは、7時間ほど眠っていた、いや、眠れたってことか。そっか、7時間も眠れたんだ。」
山に入ってからろくに熟睡することができていなかっただけに、やはり目的を達成できたという無意識の安堵感からなのかな・・・。


他の登山者達は、その殆どがこれから槍に向けてスタートを切る人達ばかり。
自分はのんびりゆっくりと下山。
なんか申し訳ないなぁ(笑)。
写真に写っているのは英国人の方達で、一人はイングランドから、もう一人はスッコトランドから来ていた。
昨夜この二人が日本酒を飲んでおり、自分はビール。
英会話なんてろくにできもしないくせに、「どちらから来ましたか?」なんて話しかけ、それがきっかけで仲良くなったのだ。
しかし会話の内容と言っても山の話ではなく、もっぱらサッカーのことばかり。
英国人とわかったことで、イギリス代表チームやプレミアリーグ、大好きなチェルシーの話となり、これが大いに盛り上がった(笑)。
しかし、サッカーの話題であったからこそこんな自分の英会話レベルでも何とか、本当に何とかついて行けたのだろうと思う(笑)。

槍沢ロッヂを7時に出発。
昼頃に上高地に着けば十分だし、決して急ぎ足になる必要はない。
スタートしてすぐ、ルートの右側に川が流れていた。
梓川の上流になるのかなぁ・・・。
よくはわからなかったが、水の綺麗さと、流れる音、そして鳥のさえずりに誘われるように河原へと下りてみた。
「急ぐことなんてないし、よっしゃ、珈琲といくか♪」


エスビットを取り出し、珈琲一杯分のお湯を沸かした。
ルートのすぐ横であることもあり、多くの登山者達が通り過ぎて行く。
「あらぁ~いいなぁ。私も飲みたいわ♪」
と、笑顔ですれ違う人もいた。
(「どうぞどうぞ、美人限定で大歓迎ですよ!」)
と、心の中でつぶやき熱い珈琲を飲む。

「もう終わりなんだなぁ。終わってしまうんだ。すべて25年前と同じルートだったんだなぁ。あの時と違うのは天気と俺の年齢と登山の知識と経験か・・・。」
そんなことを思いながら贅沢なひとときを過ごした。

横尾を過ぎ、つい数日前に歩いた同じルートを戻る。
「徳澤園」では待ちに待った「ソフトクリーム」を食べた。

復路のときは絶対に食べてやるぞーと、ずっと考えていたのだ(笑)
ここ、徳澤園の名物は実は「ラーメン」であり、そのチャーシューが絶品であることを山の本で知っていた。
しかし、そのラーメンは残念ながら秋限定のようで、まだ時期尚早だった。
まぁいい、今夜は松本でラーメン三昧してやる!

あと2時間ほどで上高地だ。
次第に標高も低くなり、暑さも増してきた。
山の上では感じられなかった暑さが戻ってきた。

いつの間にか独り言が増えた。
「絶対にラーメン食べてやる。絶対にビール飲んでやる。絶対にコーラ飲んでやる。
ラーメン、ビール、コーラ!  くっそぉ~ ラーメンだ、ビールだ・・・」
情けなや・・・と思いつつも、娑婆に近づいた証拠だろう(笑)。

10時52分、上高地「河童橋」へ戻ってきた。
すべての行程は自宅に戻るまでだが、実際に山を感じて歩くのはここまでとなる。
大キレットや槍ヶ岳を思い出しながら一人で感傷に浸っていたそのときだった。
「あらぁ~! やっだぁ~! え~っ! また会えた~!」
そう、あの三人組とまたまた会えたのだ。
これには自分もビックリ!
「おぉ~また会えたね♪」
そう言うと、自分の方から自然と手を出し、三人とハイタッチ。

「こんなこともあるんだねぇ」
と言い、嬉しさがこみ上げてきた。
本音を言えば、今までは所謂「山ガール」が苦手で、自分の方からできる限り接触を避けてきた。
だが、会う度に彼女たちの屈託のない笑顔と挨拶に逆に励まされた。
しかもこんな広い北アルプスの中で三度も会えるなんて・・・。
これも山のもつ力、魅力なのだろうか。

****************************

この日は松本まで戻り、駅前のビジネスホテルに泊まった。
昨年と同じように、学生時代のバレーボール部の友人と会い飲んだ。
もちろん味噌ラーメンとしょうゆラーメンも食べた。
実に美味かった♪

今回の山行については後日ゆっくりと振り返りながら詳細を綴りたいと思っている。
一つ言えることは、25年前のリベンジとして臨んだ北アルプス。
思いは達成できた。
だが、その思いを上回る胸が熱くなるようなたくさんの出会いがあった。
一期一会の出会い、すべては偶然の出会いだろうが、あの日にあそこまで行かなければ出会うことはなかった。

単独であったからこその出会いだろうと思う。
やっぱり山はいいね♪

25年目のもう一つの山:ダイジェスト(3)

2012年08月28日 17時01分59秒 | Weblog

小屋の前にザックをデポし、軽量小型のアタックザックのみで槍への登攀開始。
小屋からであれば30分程度でPEAKまで到達できる。
しかし、侮ってはいけない。
垂直に近いルートであり、高度感は十分にある。
絶対確実な三点支持を必要とし、高さに対する怖さを持っていては登ることはできない。
事実この日、自分が登ろうとしている直前に、恐怖感から梯子や垂直の岩壁を下りられないで大声を出して騒いでいる登山者が何名かいた。
ここに来ることも、槍に登ることも個人の自由ではあるが、はっきり言ってこれは迷惑行為に抵触するような気がした。
無理だと思うのなら絶対に登らない方がよい。
順番を待っている他の登山者がどれだけ嫌な思いをするかを考えてほしいというのが本音だ。
すべての登山者は計画的な時間配分で行動している。
単に混雑しているのであれば話は別だが、たった一人の恐怖心のために何十分も待たされてしまうことは「迷惑」以外の何ものでもない。
厳しいようだが、技術とメンタル不足者は、「登ることと下りること」の両方を考えるべき。
登るのであればよほど空いている時。或いは下から見上げているだけの方が周囲から白い目で見られることもないだろうし、怪我をすることもない。
「登りたい」という思いがあるのなら、最低限持っていなければならない「もの」があるということだ。
そう、ここは北アルプス「槍ヶ岳」。
落ちるということは、即ち「死」なのだ。


PEAKへの最後は、長い鉄梯子となる。
「こりゃ楽だわ♪ また自撮りするかな・・・」
と思ってはいたのだが、ちょうど自分の前に単独で来ていた方がおり、登攀技術を見ただけでかなりの経験者であることは一目瞭然であった。
厚かましいとは思ったが、自分のカメラを手渡し、先に登ったら上から撮ってもらえないだろうかとお願いした。
それならお互いカメラを交換して撮り合いましょうかとなり、相手のカメラで互いの登攀の様子をバシバシ撮り合った。

確かに高度感はあったが、ワクワクするような、押さえきれない感情。
この場に来ることが25年越しの願いだった。
一歩一歩鉄梯子を登る。
そして遂に頂上へ・・・。


「ウォーーーッ!!!」
とは声は出なかった。
あまりに雄大で、美しすぎる北アルプスのほぼ全容に声を失ってしまった。
「360°すべてが北アルプスなのか・・・。こんなのってありかよ・・・。」
形容する言葉を見つけることができない程の圧倒的美しさと、25年間溜まっていた思いもあって、少しだけ涙が出てしまった。
サングラスをかけており、汗も流れている。
おそらくは分かるまい(笑)。



ここへ来たらやらなくてはならないことがある。
このタオルは、出発当日に挨拶に立ち寄ったモンベルおやまゆうえん店スタッフのみなさんから頂いたもので、みなさんの応援メッセージが書き込んであるのだ。
ここで初めて絶叫した。
「ぃやったぜぃ~!!!」
この写真はスタッフのみなさんに見せなければならない。


そしてもう一つがこれだ。
このお菓子は、富山のROOKIEさんからいただいたお土産で、槍の上で絶対に食べてやるぞと決めていたもの。
ROOKIE殿、『しろえび紀行』いただきま~す♪
大汗をかいていただけに、このしょっぱさがたまらん!

最後にもう一つだけ。
2年前の暮れに亡くなった学生時代の友への言葉を青空に向かって贈った。
「誠よ、またおまえに近いところに来ることができたよ。そっち(天国)はどうだい。
空の上でも酒を飲んでいるのか。 実はな・・・俺、教師を辞めたんだ。30年勤めたけど、どうしても山をやりたくてな・・・。相変わらずわがままな俺だろう。 でもな、山に登ると少しだけお前のそばに来られたような気がしてな・・・。」
言葉には出さなかったが、天国の友に向けて心の中でつぶやいた。
気持ちいいほど抜けるような青空だった。

思っていたよりも頂上は空いていた。
しばらく北アルプスのほぼ全景を堪能していたのだが、残念ながら「劔岳」だけが雲に邪魔されて見ることができなかった。
「そっか、もう一度来いってことでいいのかな」
写真を撮っていただいた方も「そういうことですよ(笑)」と言っていた。


「アルプス一万尺」という歌をご存じだろうか。
「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りをさぁ踊りましょう♪」
という、誰もが一度は耳にしたことのあるあの歌だ。

そしてこの写真が、その「小槍」だ。
さぁみなさん、踊れるものなら踊ってみてくださ~い。

ここはロッククライミングの技術がある人だけが来られる場所。
でも、踊っている人は当然ながら誰もいませんでしたとさ(笑)。


頂上での眺めと、25年間したためておいた思いを十分に堪能し下山した。
写真を撮り合った方達と握手を交わし、自分は「東鎌尾根ルート」から下山した。


時間はもう12時を過ぎていた。
「やばい、ちょっと槍でのんびりし過ぎちゃったかな」
だが、あとはもうひたすら下るだけ。
ここいらで昼飯だ♪

今日の昼食は、南岳小屋で作っていただいた弁当。
槍ヶ岳山荘でラーメンを食べたかったのだが、ラーメンは完全に下山し、松本で食べると決めていた。しかも「しょうゆ」と「味噌」を一杯ずつだ(笑)。

この東鎌尾根ルートは、南岳小屋で知り合った方から得た情報で決めた下山ルートだ。
「通常の下山ルートよりもおもしろいし、振り返りながら槍を見ると、また違った槍が見られるよ」と教えていただいた。
なるほど、槍の北側が良く見えるし、槍を眺めながらの昼飯だなんて贅沢だ。

あとはもう下るだけ。
明日も下るだけ。そしてあのフラットなルートを上高地へ向けて歩くだけ。
もちろん気は抜けないが、本格的な登山らしい登山はもう終わってしまったようなものか・・・。


今夜の宿泊地は「槍沢ロッヂ」だ。
少し早歩きで行けば15時くらいには到着できる。
そう思うと、せっかくのこの雪渓をただ通りすぎるにはもったいない。
「どうせ、服は汗でびっしょりだし・・・まぁいいか」
ほんの10秒ほどだったが雪渓の上で寝ころんでみた。
ヒヤッとするほど冷たくて、それでいて心地よい。
「あぁ~気持ちいい!」
火照った体が少しずつ冷やされて行くのが分かる。
かといって、ずっとこのままでいてはびしょ濡れになることは必至だ。
さっさと起き上がり槍沢ロッヂへ向け再スタートをした。

                       ダイジェスト(4)へ続く

25年目のもう一つの山:ダイジェスト(2)

2012年08月27日 23時52分02秒 | Weblog

14時30分
「南岳小屋」に到着した。
今朝の5時40分にスタートだから、ここまで8時間50分のロング登攀&縦走だった。
休憩時間を抜かせば、7時間ほどで来たことになる。
標準コースタイムが6時間40分だから、決して悪いタイムではない・・・のかな。
ほぼ1時間に一度の休憩、デットポイント状態になることを絶対に避けたこと、鼻呼吸による15分間隔でのプチ休憩などを考えればコースタイム通りと言っても良いだろうか。
おじさん、嬉しい♪

小屋で受付を済ませ、写真に見える小高い丘に登った。
実は、この丘には携帯℡が通じるピンポイントがあるのだ。
ただし、ガスの影響などもあり常に良好とは言えない。
この日の夕食後に、自宅とモンベルおやまゆうえん店とROOKIEさんに電話を入れた。


話は前後してしまうが、小屋に到着後どうにも腹が減って夕食まで待てなかった。
考えてもみれば、ちょっとした行動食を腹に入れただけでの登攀と縦走。
いくら朝食を腹一杯食べてからスタートしたとはいえ、半日で6000キロカロリー以上も消費したのだから「シャリバテ気味」になることは必至だった。
気圧の低さで袋がパンパンに膨らんだポテトチップと、ハチミツドーナッツを売店で買い食べた。

この日も20時頃に就寝したが、やはり12時前に一度目が覚めてしまった。
そのとき思ったこと。
「よし、まだ頭痛や吐き気は来ていない。大丈夫だ。」
睡眠時というのは人間どうしても呼吸が浅くなってしまうことから、目覚めた時には既に高山病になってしまっている確立が非常に高いのだ。

早朝4時30分に起きたが、結局はそれまでもう一度眠ることはなかった。


8月23日(木)
みごとな朝焼けだった。
寒さはあったが、このオレンジ色を見ずして朝飯は食べられまい。
それほど美しい北アルプスの朝焼けだった。


6時10分
南岳小屋を出発した。
小屋のスタッフには、今度の日曜日にここに来る予定のROOKIE殿への手紙を託しておいた。
たいした内容ではなく、手紙などと呼べるものでもないが、これを読んでほんの少しでもROOKIE殿への励ましになればと思った。

振りかえれば、昨日越えてきた大キレットが見下ろせた。
「たったあれだけの距離しかなかったのか・・・。」
アップダウンの多さや危険箇所の数を考えれば致し方あるまいか・・・。


前方には槍ヶ岳が屹立し、振りかえれば北穂高岳、前穂高岳、そしてジャンダルムと奥穂高岳。
更に、右手(東)には常念岳、左手(西)には笠ヶ岳。
360°ぐるりと3000メートル前後の山々に囲まれている。
「こんな贅沢なところに今俺はいるんだ。」
25年前にも通ったルートなのに、何も見えなかった。何も覚えていないだなんて・・・。
25年間、何てもったいない時を過ごしてきたんだろう。
今回、あまりにも天候に恵まれてここまで来たが、山をやめなくて、山を嫌いにならなくて本当に良かったと痛感した。
これもモンベルおやまゆうえん店スタッフのみなさんのおかげだ。


すれ違う登山者の数は少なかったが、時折すれ違う方にお願いして写真を撮っていただいた。
題して「槍にTOUCH!」(笑)

いい歳したおっさんが、「なぁにをバカなことを」と思われても仕方あるまい。
はしゃぎたくなるほど素晴らしい山脈(やまなみ)に囲まれているという現実が嬉しくて嬉しくて・・・。

中岳、そして大喰岳を越え、「飛騨乗越」へとたどり着いた。
これで3000メートル級の山を4つ越えてきたことになる。

大喰岳を下山中に、男性一人と女性二人の三人組のグループとすれ違った。
「う~ん、どんな関係かはわからないが、ハーレムだな。羨ましい・・・(笑)」
そんなことを思いながらもシャッターをお願いした。
実はこのグループの方々とは、この後二度三度と会うことになる。
これだけ広い北アルプスの中で、そう滅多にない偶然だろう。
そして二人の女性は「山ガールスタイル」。
今までちょっと苦手意識のあった山ガールだったが、彼女たちのおかげでその苦手意識が和らいでくれたのは事実だ(照笑)。


槍ヶ岳のテン場近くで、一人の登山者がカメラを地面方向に構えてじっとして動かないでいた。
「はて、どうした? レンズの先には・・・・・えっ、あらら! やったぁ!」
雷鳥とのご対面だ。
こんな天候の良い日に雷鳥と会えるだなんて。
なんか一年分の「運」を一気に使い切ってしまった様な気もするほどラッキーだった。
写真には写ってはいないが、他にひなが二羽おり、計三羽の雷鳥との出会いだった。
天候が悪い時でないと会えないと思っていただけに、しかもうまい具合に槍ヶ岳と一緒に写真に収めることができた。
こんな偶然てあるんだなぁ。


9時20分
「槍ヶ岳山荘」に到着。
ここまで所要した時間は3時間10分。
一般的なルートタイムが3時間35分。
途中休憩や写真撮影などを含めて3時間10分だから、それでも自分のペースが速かったのだろう。
おじさん、少し自信がついたみたい(笑)。

                    ダイジェスト(3)に続く・・・


25年目のもう一つの山:ダイジェスト(1)

2012年08月26日 22時23分57秒 | Weblog
このところダイジェスト版ばかりで更新が一向に進んでいない。
いかんなぁ・・・。

先週、「リベンジ」とばかりに意気込んで出かけた北アルプス。
終わってみれば「リベンジ」ならぬ「出会い」の山行だった。
本当に多くの人達との出会いがあった。
そのほとんどの人達とは一期一会であろう・・・。
皆爽やかで、山が好きで、素敵な人達であった。
山に、人に、自然に感謝。

****************************
8月20日(月)
新宿発23時の夜行バス「さわやか信州号」に乗り、一路上高地へと出発。
「耳栓」と「アイマスク」の効果もあってか4時間ほど眠ることができた。

8月21日(火)
翌早朝6時前には上高地に到着。
やや眠い目をこすりながら、前日買っておいたコンビニのおにぎりを食べ、登山計画書を記入して提出。
これを書きながら、次第に登ることへの喜びと緊張感が高まってきた。

6時30分に上高地をスタート。
しばらくは梓川沿いのフラットな道を歩くだけ。
ここ上高地は標高約1500メートル(だったかな・・・)。
下界との気温は10℃ほど下がっているだけに、早朝は肌寒い。
山用の半袖シャツ一枚を着ていたが、思わずアウターを重ね着した。

河童橋から見る稜線の美しさに見とれながら「さぁて、ボチボチ行きますか」
と、独り言をつぶやいた。


歩き始めて10分もしないうちに汗をかき始めた。
1500メートル程度の標高では、やはり日が差せば夏山は暑い。
ここはおそらく「徳澤」の少し手前あたりだったろうか、ご夫婦で歩いていた方に撮っていただいた。
天候は文句なしのピーカンだが、午後の夕立はあるかも知れないだけに、午前中の内に距離を稼いでおかなければなるまい。


「横尾」へは9:35に到着。
休憩を2回入れてほぼ3時間だから、ペースは速い。
ここは梓川を横断し、最初の休憩ポイント「本谷橋」。
あまりの暑さで発汗が激しく、しょっぱい物がほしくなりフリーズドライの「赤だし味噌汁」を飲んだ。
今回の山行で持参した火器はエスビットの固形燃料。
これで味噌汁一杯分のお湯を沸かした。
「いやぁ美味い!」
他におにぎり、塩飴、ドライフルーツとチョコレートを食べエネルギー十分。
涸沢へ向け歩き出した。


12時を過ぎて涸沢カールが見え始めた。
ややガスっては来たが、この反対の方角(南東部)はまだ青空が見えていた。
ここで写真を撮っていただいたおばさんがこれまた面白い人で、おばさんと言うよりは「セレブのご婦人」と言った方が的確だろう(笑)。
「せっかくですから青空をバックにもう一枚お撮りしましょうね」
「んまぁ~、あなた、すごく青空がお似合いよ。ううん、私は絶対にお世辞なんかは言わないの。ホントよ。」
俺はいったいなんと返事をすればいいのか・・・。
とりあえずは御礼を言って先に進んだ。
いや、本音を言えばこれ以上あまり関わらない方が良さそうな気がして、さっさと歩き出したのだ。


13時15分。
今夜の宿泊地「涸沢ヒュッテ」に到着。
着替え、荷物の整理を済ませ、ヒュッテ内の写真を撮った。
受付入り口の脇には、コミック漫画「岳‐ガク‐」の漫画家である石塚真一氏が描いた絵や、映画のロケ写真が飾られていた。

夕方5時過ぎ、夕食を済ませ、テラスで珈琲を飲んだ。

見上げれば、明日登る予定の「北穂高岳」が・・・。
思わず北穂に向かって珈琲で乾杯した。
「明日はよろしく。」

21時前には就寝。
疲れてはいたのだが、深夜1時過ぎに目が覚めてしまった。
そのまま眠ることができず、結局は早朝4時に完全起床。
せっかくパッキングしたのだが、固形燃料でお湯を沸かし外で珈琲を飲んだ。
「う~寒、ダウンを持ってきて良かった」と感じるほど、夏の終わりの涸沢の朝は寒かった。


8月22日(水)
朝食を目一杯食べ、5時40分に小屋を出発。
北穂高はひたすら登るだけの直登コースだ。
標高の違いはあれど、どこか「男体山」を思い出す山だった。

今日も快晴。
「こんなに天候に恵まれて、俺どーしよう」
そりゃ嬉しいのだが、怖いくらいのピーカンで、かえって戸惑うほどだった。

写真に写っているのは「シシウド」という高山植物。
30年近く前、自分が初めて覚えた高山植物だ。
そしてバックの山は「前穂高岳」。
この日、彼方にはくっきりと富士山が見えていた。


北穂のPEAKまでもうほんのひと登り。

今日から明日の昼過ぎくらいまでは、ずっと標高3000メートルの世界にいることになる。
今回最も気をつけたことは高山病への予防と対策だった。
対策の一つとして、「ブリーズライト」という鼻腔拡張テープを貼って登攀した。
これがまた呼吸が楽!
「へぇ~こんなにも違うんだ」と感心した。
また、呼吸方法にもかなり気を配った。
できる限り鼻呼吸方とし、心臓バクバク状態のデットポイントだけは絶対になるまいと心掛けた。
ドキドキ状態には何度もなったが、決して急いでの登攀だけは避け、15分に一度は大きく鼻から息を吸い、口を窄めて吐いた。
また、携帯酸素缶も有効に使用した。
小型の酸素缶であり、約15リットルもの酸素が詰められている。
これがまた呼吸の安定に効果を発揮してくれた。
鼻腔に酸素缶を当て、吸うと同時に酸素を放出。
そして口を窄めてゆっくりと大きく吐く。
これをたった6~7回繰り返すことで、すぐに呼吸が落ち着いた。

大袈裟なようだが、25年前の高山病はひどかった。
二度と経験したくない辛さ・・・。
小型の酸素缶なんてあるはずもなかったしね。


9時30分
遂に「北穂高岳」に登頂。
ここまで3時間50分。
一般的なルートタイムが3時間20分だから、休憩を数回入れ、自分としてはかなりゆっくりペースで登ってきたつもりだっただけにちょっと嬉しかった。
しかし、いつまでもそんな嬉しさに浸ってはいられない。
ここまでは「プロローグ」のようなもの。
つまりは足慣らしと言っても良い。
問題はここから始まる「大キレット」の縦走だ。

「俺はいったいどのあたりで落石事故に遭ったんだっけ?」
高山病にかかってしまってフラフラ状態、濃いガスだっただけに、どうしても思い出せなかった。
25年前の写真を見る限りでは、「長谷川ピーク」の手前あたりのときにはすでに頭にはバンダナをぐるぐる巻きにしていた。
それだけははっきりしている。


見下ろせば「大キレット」の牙。
彼方には「槍ヶ岳」。
今回はガスはまったく発生していない。
映像や写真ではない、本物の大キレットだ。
初めて見る難所に息をのむ。
「よっしゃ! 行こうか!」
ヘルメットをかぶれば気も引き締まるってもの。
約16㎏のザックだが、「もう少し軽くしておけばよかったなぁ・・・」
と、やや情けない思いにもなった。


直下の岩場を三点支持で下りる。
「なんか思っていたより岩が脆そう・・・」
まだ大キレット縦走は始まったばかりだと言うのに、そんな不安を抱きながらの下りだった。
「お~い槍ヶ岳さん、まってろよ~」
途中何度も槍を見つめながら下った。


振りかえれば、自分が下ってきた岩肌と滝谷が眼前に迫って見えた。
「おぉ~怖、落ちたら一発アウトだね。とにかく時間を気にするよりも手もと足もとを優先して行く方が安全だな。」
そう確信できるほどの難所だった。


このポイントははっきりと記憶にあった。
何故なら、鎖は備え付けられていたが、足もとのステップはあの時は間違いなく無かったことを覚えているからだ。
「ずいぶんと楽になったなぁ。」
安全対策の意味で言えばこれでOKなのだが、ちょっと物足りなさを感じた。
「やっぱり俺ってMなのだろうか・・・」
嫌だと思いながらも、どこかでスリルや難易度の高さを求めている。


ぐわぁ~ん、長谷川ピークのお出ましだ!

確かに写真で見るのと、実際に目にするのとではその迫力の違いは歴然としている。
「えっ、俺って本当にあそこを越えたの?」
過去の自分が信じられなかった。
25年前と同じルートを進んでいるはずなのだが、まるで全く違うもう一つの山を越えているような錯覚だった。


足を置くポイントが「えっ、こんな程度しかないのか・・・」
去年の劔岳を思い出す。
「女性には不利なんだろうなぁ。届くべき岩の突起部分や、引っかけるべき足場にまで、無理をしないとホールドもスタンスもできないかも知れない。」
そんな長谷川ピークの取り付き口だった。
そして見下ろせば数百メートルもの崖。
「ここで滑落したら、あの出っ張った岩に直撃して真っ二つだろうなぁ・・・」
そう思ったのをよく覚えている。
それでもこうして写真を撮るだけの余裕は持っていた。


12時10分。
北穂高小屋をスタートして約2時間、遂に長谷川ピークに到達。
慎重に進んできただけに、予定よりやや時間を要した。

長谷川ピークは「ピーク」とは名ばかりで、せいぜい数人の人間がやっと立っていられる程度のスペースしかなかった。
この写真は自撮りだが、けっこう苦労して撮ったものだ。
なにせ、三脚を立てるにも一苦労。
更には自動シャッターを設定し、押してから10秒でシャッターが切れる。
カメラからの距離はほんの2~3メートルしかないのだが、ポイントに行くまで走って戻るなんてと~んでもない場所。
焦ったらほぼ間違いなく滑落だ。
自動シャッターを設定し、シャッターを押す。
「ちょっと待って。ちょっと待ってて!」と、返事をするはずのないカメラに向かって言いながらピークポイントへと歩いて戻ったのだ(笑)。


キレットの最低鞍部に着き、少しだけ休憩した。
「ここまで来れば・・・」と安心したのだが、最後の登攀である南岳へ向かう岩肌が見えた。
「こりゃ完璧な壁だ。つらいなぁ・・・腹へったなぁ・・・」
もうすぐ宿泊予定地に着くと分かっていたのだが、行動食だけではどうにも足りず、腹が減っていた。
休憩時間を除けば、既に7時間以上は行動している。
しかも前半戦はほぼ直登のみのコースだったし、ザックの重さは16㎏だ。
後半は、バランスを少しでも崩したら滑落は免れないコース。
おじさんにはしんどい。
おまけに日中の暑さで汗がしたたり落ちる。
水は北穂高小屋で十分に補給してきたのだが、結果としてこの地点で残りの水は数百ccしかなかった。
高山病予防のためにも途中途中でかなり飲んでしまったこともその原因の一つだった。
「こりゃまずいな。節約しなきゃ最後までもたないかも・・・」
余計な不安材料を背負いながら、最後の壁に手をかけた。
「もうすぐもうすぐ。ここからここから。一歩一歩。ガンバガンバ」
いつの間にか「岳」の主人公の台詞を口走っていた。


このとき、あまり力が出なかった。
いわゆる「シャリバテ」ってやつに近い状態だったのだ。
でもって、とにかく喉が渇いてしかたがなかった。
「くっそぉ~、小屋に着いたら思い~っきり水を飲んでやる」
そんな思いで最後の壁を登った。


                     ダイジェスト(2)へ続く・・・




REVENGE

2012年08月19日 22時48分36秒 | Weblog
昨年の8月20日は「劔岳」に向けて出発した日だった。

奇しくも一年後の明日、8月20日は「槍ヶ岳」へのリベンジに出発する。
他人から見れば「リベンジなどと大袈裟な・・・」と、笑われてしまうだろう。
それでも25年前のあの時の口惜しさは決して忘れてはいない。
いまでも時々槍ヶ岳の頂上直前でもがいている自分の夢を見る。
あまり堅苦しくは考えたくはないが、本音を言えばドキドキものだ。
心配なことはいくつかあって、「高山病」「体力」「天候」そして「落石」と「滑落」だろうか。
体とギア、そしてルート上の予備知識など、できる準備はしてきた。
それでも完全に払拭し切れてはいない。

いや、やっぱり楽しもう!
山は本来楽しむために登るべきもの。

では、行ってきます!

友 来たる!!!(ダイジェスト)

2012年08月17日 22時25分32秒 | Weblog
「春の北アルプス」「女房との尾瀬」もまだアップしきれていない。
単に忙しさにかまけてルーズなだけなのだが・・・。

さて、昨日のことだった。
携帯に富山県在住のROOKIE殿からメールが届いた。
「今日の夕方あたりにそちらへ行こうと思います。夕食でもいかがでしょうか。」
「へっ?!」
いや驚いた!
まるで隣近所にでも出かけるような軽いノリで栃木まで来るという印象を受けた。

驚きと嬉しさ。
そしてフットワークの軽快さに再度「すげぇ~」。
何度か連絡をしあって、「じゃぁ登りますか!」と意気投合。
できることなら少しでも日光を案内し、「男体山」に登りたかったのだが、あいにくの悪天候の予報。
低山ではあるが「筑波山」に変更した。


朝6時に佐野ICを出たところで待ち合わせ。
いい歳をして胸が高鳴った。
シルバーのワンボックスカー。富山ナンバー。
間違いない、あの車だ!
大きく手を振りお出迎え。
ROOKIE殿が車から降り、お互いガッチリと固い握手をした。
不思議だ・・・初対面とは思えない。

昨夜富山を出発し、夜通し運転。
しかも殆ど一般道で栃木まで来てくれたのだ。
先ずは腹ごしらえ・・・とは言ってもこんな朝早くから営業している店は栃木じゃ限られている。
「すき家」での定食で申し訳ない。 m(_ _)m

一路筑波山方面へと車を走らせた。
天候はまずまず。いや、暑くなりそうだ。

スタート後しばらくは樹林帯の中で直射日光は免れたが、明らかに快晴の青空が木々の隙間から覗いている。
昨夜は北アルプス縦走の準備のため殆ど寝ていない。
そしてこの暑さだ。
夏の低山ならではの尋常ではない大量の汗が流れる。いや、体中から吹き出している感じだ。
珍しく「だるさ」を感じながらの登攀となった。
しかし、考えてみるがいい。
ROOKIE殿は富山から車を運転して来てくれた訳だ。
自分などより遙かに疲れはあるはず。
だるいなどと言ったらばちが当たるというもの。
「若いって羨ましい・・・」そう思いながらの登攀だった。


いよいよ「奇岩」のお出ましだ。
「知ったかぶり」をしながら説明をした。


いろんなポーズをしながら、楽しんで進んだ。
もうすぐPEAK。

登りながらいろいろな話をした。
地元のこと。バイクでのオーストラリア大陸一周のこと。家族のこと。そして仕事のこと。
初めて知るお互いのことが多いはずなのだが、やはり初対面とは思えない、不思議な感覚だった。

こんなに大量の発汗状態での山行は覚えがない。
トレッキングパンツまでもが相当濡れているのが分かる。
だるさはあったが、それでもやはりPEAKでの景色はすべてを吹き飛ばしてくれる。
自分は決してピークハンターではないが、いいものはいいね♪

ここでROOKIE殿が、元体操部の実力を披露してくれた。
これだ↓

「さすが」としか言いようがない。
片足が伸びきった状態だけでも素晴らしいのに、足もとをよ~~~く見ると・・・
な・なんと、かなり不安定な程の斜度になっているではないか!
他の登山者からも感嘆の声が上がっていた。
はっきり言って、ここは落ちたら一発アウトの場所である。
バランス感覚だけでは無理で、高所への不安の払拭も絶対に不可欠だ。
「よ~し、今度は北アルプスの滝谷でやってもらおう!」
とは言わなかったが、是非、他の場所でも見てみたいものだ。


しばし広がる景色を見て場所を移動し、昼食を食べた。
・・・が、その前にどうしても「文明の味」が欲しかった。
幸いここは観光地であり、二つのPEAKの間、即ち「コル」には売店が数軒ある。
店に入ってみると・・・「あった!!」
「これこれ、これが飲みたかった」
せめて気分だけでもビール。
ノンアルコールで達成を乾杯した。

昼食とは言っても、自分が持ってきたフリーズドライの「炒飯」と、同じくフリーズドライの「赤だし味噌汁」。
申し訳ないなぁ・・・。

と、突然雷鳴が響き渡った。
積乱雲が頭上近くまで伸びてきている。
下山は「ケーブルカー」とした。

これが正解だった。
あと一本遅く乗ろうものなら、雷のため運転休止となっていた。


「筑波山神社」前でゴール。
ROOKIE殿にとっては物足りない登山だったのかな・・・。
やはり男体山・・・とも思ったが、おそらくは一日中雨となっていたはずだ。
暑さには参ったが、やっぱり晴れはいいね!

駐車場に戻り、一路「モンベルおやまゆうえん店」へと向かったが、走り始めてまもなく大粒の雨が降り出した。
間一髪セ~~フ。
そして店に着く頃に雨あしは弱くなってくれた。

元々が大阪生まれのROOKIE殿。
スタッフの一人にも大阪出身の方がいて、どうしても会わせたかった。
ラッキーなことに今日は出勤日で、スタッフにROOKIE殿を紹介することができた。(地元の話で大盛り上がり!)
よかったよかった♪

佐野IC付近まで戻り、ここでお別れだ。
またまた長距離を走ることになる。
たった12時間ほどであったが、実に充実した時間を過ごすことができた。

ROOKIE殿からは「一歩を踏み出す勇気」というものを教えていただいた。
きっかけは「劔岳」だったが、いつしか「夢を夢で終わらせない。そのための一歩を踏み出す勇気」を教えていただいたのだ。

別れ際に再度ガッチリと握手をした。
淋しさはあるのだが、何とも爽やかな風が吹き抜ける思いだった。

自分は20日から北アルプスの穂高→槍を縦走する。
その直後にROOKIE殿が槍→穂高を縦走する予定だ。
日程はずれるが、同じ「南岳小屋」を宿泊利用する。
小屋に泊まる時に、ROOKIE殿にメッセージを書いておこうかな。
そしていつの日か一緒に「劔岳」を目指せればと思う。
そうだ、劔のPEAKで倒立歩行をしてもらおう!(笑)

ROOKIE殿。
今日は遠路はるばる本当にありがとうございました。 m(_ _)m
こんな中年おやじでも、まだまだ感動できることがあるんだなぁって、しみじみ思いました。
感謝、感謝です。