ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳本編:アタック開始

2011年10月30日 22時20分22秒 | Weblog
夜の9時には完全消灯となった。
「いよいよ明日だ」という興奮と不安でなかなか寝付けない。
体は疲れているはずなのだが、一向に眠気がこなかった。

深夜12時を過ぎてそっと起きだし、表へと出てみた。
当然のことながら人工的な明かりは360°一切無い。
一つあるとすれば、その時自分が吸っていた煙草の火だろうか。
おそらくは正面に見えているであろう劔岳の山影を確かめたくても、夜空に星は見えず、月もない。
「寝なきゃな・・・」
布団に戻り目を閉じる。

いつしかやっと眠りについたのだが、4時頃には周囲の身支度の音で目が覚めた。
結局は2~3時間の浅い眠りだった。
5時には朝食だ。こんな睡眠不足で大丈夫だろうか。
心配だったのは疲労の回復だが、それよりも高山病を懸念した。
二度と経験したくはないものだけに、不安は大きい。

睡眠不足の割には腹は減っていた。
出された朝食はどんぶりにご飯大盛りだったが完食。
アタック開始前にこれほどの量を食べたのは初めてじゃないだろうか。
まぁこれで前半の「シャリバテ」は防げる。



天候は今ひとつはっきりしない。
Y君は今日のアタックは諦めるとのことだった。
「俺もどこまで登れるかわからないけど、天候が許す限りは行けるところまで行ってみる。」
「登頂成功を祈ってます。でも絶対に無理はしないでください。」
そう言って握手を交わし小屋を出発した。
午前5時45分、アタック開始だ。



小さな雪渓を二つ越え、しばらく進んだ。
振り返ると劔澤小屋が見える。
幸いに周辺にガスは発生していない。
贅沢は望まないから、どうかこのままの天候を維持してほしい。
そう切に願った。



出発して約20分ほどで「剣山荘」へと着いた。
外に出ている人は誰もいない。これからアタックする人はいないのだろうか。
まぁいい、今は自分のことだけで一杯だ。

ここからが本格的な登攀開始となる。
斜度も少しずつきつくなってきた。先ずは「一服劔」に向けて登ろう。



自分の前後には人影はない。
聞こえてくるのは風の音、時折聞こえてくる鳥の声、登山靴が岩場を踏みしめる音、そして自分の息づかいだけだ。
「まさか今日は俺一人、いや、『独り』ってことはないだろうな・・・」
ツアーで来ていた団体の方々は、ガイドさんの判断でもう少し天候の様子を見てから登攀を決めると聞いている。
つまり、劔澤小屋の宿泊者でアタックをしているのは現時点で自分一人ってことになる。



そんなことを考えていると、遂にくさり場が現れた。
「来たか」
確か往復のルートには13箇所のくさり場がある。
その第一番目の登場だ。

ほとんどくさりを頼らずに進むことができ、6時25分、一服劔へと着いた。
「一服劔」と記された標識があると聞いたのだが、どこにも見あたらない。
高度計で標高を確認し、周囲の地形でここが一服劔と判断した。
名前の通り一服しようと思ったのだが、何とか天候が落ち着いている今を逃したくはない。
この先には「大岩」、そして「前劔」が待っているだけに1分だけの休憩をし先へ進むことを優先した。

劔岳本編:アタック準備

2011年10月26日 23時23分02秒 | Weblog


廊下では自分より後に到着したツアーの登山者達がインストラクターさんからセルフビレーの装着指導を受けていた。
ハーネスやカラビナ等、慣れない手つきで触れている。
かといって自分が慣れているわけではないが・・・。

自分も万が一を想定し、簡易ながらスリングとカラビナを組み合わせたセルフビレーを持ってきていた。
これは利き腕である右肩を十数年前に6時間かけての大手術を受けたことが理由の一つだ。
2本の腱が切れ、骨を削ると同時にそれを縫合する手術だった。
長期のリハビリによりかなり元の状態になったが、それでももし、もし右腕一本で崖にぶらさがらなければならない状況になった場合、果たして肩がもってくれるか否か。
更には、持病の左膝の痛みがあった。
利き足は右だが、これも右足一本で万が一の時にどれだけもってくれるかわからない。
「事前に考えられる備えはやっておこう」
そう思い、モンベルおやまゆうえん店のMさんにセルフビレーの相談をした。
時期はまだ早いと思ったが、目を閉じた状態でも自在にセルフビレーを装着できるようになるために、5月にMさんからレクチャーを受けた。
もちろん、明日のアタックへの必需品だ。

今ブログを綴りながらでも、アタックの為のギアはすべて覚えている。
それだけ何度も自宅でギアの取捨選択を繰り返し、ザックへ模擬パッキングをしてきた。
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予備のジオラインMWTシャツ(アンダーシャツ)・ライトシェルアウタージャケット・タオル・バンダナ・行動食・非常食・サプリメント・サーモフレックスウォーターパック・ボディウムチルジャケットボトル・チタンカップ・エスビットクックセット・固形燃料・ライター・トイペ・救急薬品類・ウィンドシェルグローブ・ストームクルーザー・エマージェンシーシート・ヘッドランプ・予備電池・ツールナイフ・笛・温度計・携帯電話(照明として使用)・デジカメ・ルートマップ(3種)・コンパス・筆記具・ミニカラビナ・細引きロープ・ラダーストラップ・セルフビレー・ザックカバー・高度計(ハイギアウォッチ)・高濃度酸素缶
そして色紙・写真・酒

おそらくこれで間違いはないだろう(笑)。



部屋の中で装備一式をパッキングし終え、夕食を待った。
山小屋の夕食時間は早い。
夕方5時には食べ始めることができる。
つまりはそれだけ就寝時刻も起床時刻も早いと言うことだ。

小屋の人が個別に名前を呼び、夕食の案内をしてくれた。
テーブルに着くと目の前にはでっかいトンカツがド~ンとあった。


「おぉ~すげえ! しかも冷や奴付きか。」
こんな山奥で冷や奴が食べられるなんて、自宅と何ら変わらないメニューに驚いた。
ご飯も大きなどんぶりで、味噌汁も器が大きい。
美味い! とにかく美味い夕食だった。
同じテーブルにいた人と会話をしながら食べたが、初対面とは思えないほどのうち解けようで、登山談義に花が咲いた。
本当はビールを飲もうと考えていたが、それは明日の夕食までとっておくことにした。
アタックと下山が無事終わったら飲もう。それがいい。

食後にもう一杯珈琲を飲み、持ってきたシェーバーを取り出して表へと出た。
劔岳のピークはまだガスがかかってはいたが、どうしてもやってみたかったことがあった。
荷物になると分かっていて持ってきた電気シェーバー。
そう、劔岳を見ながら髭を剃りたかったのだ(笑)。
その行為に何の意味があるのかと問われても答えようがないが、めったにできないことを何か一つやってみたかっただけのこと。



談話室へ戻り山の雑誌を読んでいた。
もうすぐ完全に日が落ちる。
その前にもう一度だけ劔岳を見たくて表へと出た。
山頂付近は相変わらずガスっていた。
「一年をかけて今日やっとここまできました。どうか明日は登らせてください。」祈りながら両手を合わせた。

谷の向かい側には「剣山荘」の灯りが見えた。
剣山荘を利用すれば、劔岳往復において約1時間の時間短縮が可能だとは知っていた。
しかし、敢えてこの「劔澤小屋」を選んだ。
主人の新平さんに会ってみたいという思いもあったが、何よりも小屋の庭から劔岳が見えるということが魅力だった。
まさかこれほどまでに圧倒的な山だとは想像できなかったが・・・。



前劔が見えた。
「先ずはあそこが第一関門かぁ・・・」
一人で臨むことへの不安はまだ払拭しきれてはいない。
天候も、自身のことも何もかも不安だらけで夜を迎える。
部屋へ戻り、布団の上で今日あった出来事やその時その場で何を思い考えていたかを思い出しながらメモした。
もちろんこれは後日ブログを綴るときに役立つのだが、それだけではない。
この北アルプスに来たことが、ソロで劔を登ることが、それだけ自分にとって大きなウェイトを占めているということに他ならない。
たとえ些細な出来事でも、小さな出会いでも、後になって振り返ればきっと大きな思い出として残るはずだ。
それを忘れないためにも文字にしておきたかった。




劔岳本編:劔澤小屋

2011年10月25日 23時19分31秒 | Weblog


室堂を出発し、小屋に到着するまで4時間30分を要した。
ルートを見失ったその分、余分な時間をかけてしまったが、ここまでくれば一安心。

玄関から入るとすぐ右手に受付があった。
挨拶をし住所と名前を告げ、予約の確認を済ませた。
とりあえず荷物を置き、着替えをし濡れた物は乾燥室で干してくださいとのこと。
細かな受付はそれからで大丈夫ですと言われた。
ありがたいことだった。
先ずは登山靴を脱ぎ、でかいザックをロッカーへと置いた。
着替えを済ませ、濡れた衣類やスパッツ、グローブ等を乾燥室に干した。
ドライな衣類を着ることができるという何でもないことが本当に嬉しい。
ここは標高約2400メートルの世界で、下界とは約18℃の気温差がある。
じっとしているだけで濡れた体はすぐに冷え、僅かながらも寒さと震えに襲われる。
たった一枚のシャツさえも、乾いてさえいれば温かく感じるところなのだ。

受付にいたのは「佐伯新平」さん。間違いない。
山の雑誌ではよく写真で見かける人で、この劔澤小屋の主人だ。
小屋から劔岳へのルートが記された地図を基に、危険箇所の説明を受けた。
特に下山時は、前劔を越えるまでは浮石や落石に十分に注意が必要だということ。
そして昨日、くさり場においてくさりを留めてある杭に胸を強打し、肋骨を数本骨折した人が運ばれたらしい。
岩肌が雨で濡れていることが大きな要因だが、「明日は我が身」とばかりに佐伯さんの注意事項を真剣に聞いた。

一通り受付を済ませれば、後は明日のアタックに備えての準備をするだけ。
時刻はまだ午後の3時前、ゆっくりと備えることができよう。


食堂には、常時珈琲を飲むことができるようになっている。
これも事前に本で調べて知っていた。
一杯100円のインスタント珈琲だが、体を中から温めるにはもってこいだろう。



談話室に行くと、劔御前小舎で出会ったY君がいた。
自分とは親子のような年齢差だが、山については話しが合う。
彼はまだ登山を始めて数年のようだが、けっこうあちこちの名山を登っているようだ。
自分にもいろいろと山について、技術について、装備やレイヤリングについて聞いてきた。
分かる範囲で答えたが、おそらくは彼自身も明日に控えた劔岳アタックへの不安があってのことだと推測した。



トイレはこのように極めて清潔そのものだ。
ただし、狭い敷地にある小屋だけに男女兼用のトイレとなっている。
これは致し方あるまい。



一服をしに外へ出てみた。Y君も一緒についてきた。
あらためて目の前に屹立する劔岳を見上げる。
感動はある。あるのだが、それよりも僅かにアタックへの不安と畏敬の念が上回っていた。「神の創造物」という言葉がふさわしい山だ。

部屋へ戻り、アタックの準備を始めた。
三点確保の難所だらけのルートだけに、できる限りウルトラライトで臨みたい。
だがこれだけは絶対に外せなかった。
モンベルおやまゆうえん店スタッフのみなさんからいただいた色紙。
友の写真。
そして一杯の酒。

今回のアタックは、自分の為だけに登るのでないという明確な理由があっての登山なのだ。

劔岳本編:LOST

2011年10月24日 22時10分49秒 | Weblog
別山乗越までは、途中休憩を含めて2時間20分で到着した。
予想通りの強風と雨だ。
ザックを外に置き「劔御前小舎」の中へと入った。
暖かい。これは助かる。
体からの発汗により、衣服はびしょ濡れ状態。
行動中であった為にあまり感じることはなかったが、休憩によりじっとしていると、いかに外気温が低いかがわかる。
空いているテーブルを見つけ腰を下ろし、冷め切ったおにぎりを二つ。そしてサンドウィッチを食べ始めた。
「ここいいですか?」
自分の前の席が空いていたため、そう聞いてきた若者がいた。
鳥取から来た学生で、どうやら自分と同じ「劔澤小屋」に泊まるようだ。
彼の名前はY君としておこう。
顔を見て驚いた。
学生時代、四年間を同じ屋根の下で暮らしたあいつにそっくりなのだ。
そう。去年の暮れに病気で逝ったあいつにそっくりだった。
不思議なものだ。今回、劔の頂であいつの写真を天に掲げ、あいつと一献を計画していただけに、「縁」を感じた。

一足先にY君は出発。
「それじゃ、小屋で会いましょう。」
実に爽やかな学生だ。

体は冷え切っていたが、再び歩き出せばまた暖まってくるだろう。
20分ほどの食事休憩の後、今度はガレ場を下りる。
外は風雨が弱まっていた。
だが、相変わらず濃いガスで視界がきかない。
まぁ一本道だし大丈夫だろう。



予定通りであれば1時間もせずに劔澤小屋に到着できるはずだ。
標識を見てホッとする。
「よし、このルートで間違いない。」

ルートの両脇にはいよいよもって「雪渓」が見え始めた。
真夏に見る雪渓も20年ぶりのこと。
ここは北アルプスであることを再認識しながらルートを下る。
(「さぁもうすぐもうすぐ。早く着替えて熱いシャワーを浴びたいな。」)
それくらい安心して小屋へと向かっている・・・はずだった。


ガスが一層濃くなってきたようだった。
そろそろ小屋が見えてきてもいいはずなのだが、一向にそれらしき建物は確認できないでいた。
するとルートがT字路に別れており、正面に標識が立っていた。
「劔澤小屋は・・・えっ何故?!」
目的地である小屋に行くには、今来たルートを戻るよう案内が記されていた。
「そんな・・・どこでルートを間違えた?」
たった一本のルートを下りてきたはずなのに。
まずは地図とコンパスで現在地を確認した。
しかし、あまりに濃いガスで周囲の地形がまったくわからない。
「戻れと言うなら戻ろう。」
とりあえずルートを戻り始めた。
どこかで間違えたはずだ。
そう思いしばらく歩いた。
だが、今自分がいる場所がどこかわからない。
そこで、劔御前小舎を出発した時刻から現在の時刻までを出した。(戻りに要した時間は含めず)
更に高度計で標高を確認。
自分の足なら何分で距離はこれくらい。だから今自分がいる場所はこのあたりのはず。
あくまでも概算だが、決して当てずっぽうではない。
地図に印をつけた。しかし確信はなかった。
少々不安になったが、あわてて無駄に動き回らないことだけは心がけた。
「近くにいることは間違いない。落ち着け、大丈夫。」

20分ほどは過ぎていただろうか。
一瞬だったがガスが切れてくれた。
その時、はっきりと数個のテントが目視できた。
「あそこがテント場だ」
もうそれだけ分かれば十分。再度地図で確認し、テント場方面へと向かうルートを探した。
そしてその先には、赤茶色のトタン屋根が見えた。
間違いない、劔澤小屋だ。



こんな時に「GPS」があれば一発で問題解決なのだろう。
無いものねだりをしても仕方がない。
ルートを間違えた自分が悪いだけだ。



写真で見た劔澤小屋。
やっとここまでたどり着くことができた。
疲れはないが、緊張感はより一層強まった。
その訳は・・・そう、小屋の前に「どうだ!ここまで来る勇気はあるか?」
まるでそう言わんばかりの、あまりにも圧倒的存在感を誇示している劔岳が屹立していたのだ。
将に神の創造物そのものだった。
何度も綴る。圧倒的存在感だった。
そのスケールの大きさは例えるものが無い。



容易に人間が近づけるはずがないことを思い出した。
そして映画の「劔岳」が決して作り話ではないという、当たり前のことを今さらながら痛感した。
「凄い」とか「でかい」とかそんなんじゃなくて、畏敬の念のみがその時の自分の心を支配していた。



劔岳本編:地獄谷から雷鳥坂へ

2011年10月23日 22時52分08秒 | Weblog


ターミナルから登山道へと歩き出したが、猛烈な風雨が待ち受けていた。
メガネをかけなければ周囲をはっきりと見ることはできなのだが、雨粒がレンズに付着し、かえって見えにくい状況となった。
「まっ、しかたないか」
そう思い、写真を撮っていただいた後にメガネをはずして歩き出した。

「地獄谷」へと向かう道は、若干のアップダウンはあるものの、観光地として整地されたオシャレな石畳のルートとなっていた。
「なんか調子狂うなぁ」
事前にガイドブックで分かってはいたことだが、ザレ場やガレ場の登山道に慣れてしまっている自分にとっては、整地され過ぎていることに違和感を覚えた。(贅沢なことだ)

雷鳥平へと向かうこのルートは、常に硫黄の臭いがしていた。

無事登頂して下山できたら温泉に入りたいけど、今はまだ考えるのはやめよう。
そう思いながら歩く。

不思議と風雨は弱まっていた。
途中すれ違う下山者と小さな声で挨拶を交わすが、かなり疲労している様子が伺えた。
「このルートで会うということは、おそらくは劔からの下山だろうなぁ」
何となくではあるが、やはり相当厳しい登攀だったのだろうと容易に想像がついた。



雷鳥平に着くと、これから目指す「雷鳥坂」を目視できた。
しかし、山頂付近は濃いガスがかかっており「別山乗越」を確認することはできなかった。
ここ雷鳥平にきたら風雨は再び強くなってきた。
「別山乗越は間違いなくもっと強いはずだ。こりゃ覚悟しなきゃな。」

雷鳥平から別山乗越までの標高差およそ500mを一気に登攀する直登コースが「雷鳥坂」だ。
地図によれば平均的な所要時間は約2時間とある。
単純計算で言えば1時間で250mを登攀することになる。
男体山に換算すれば、男体山が標高差1200mを3時間30分だから、この雷鳥坂のきつさが分かるというものだ。
しかも70リットルのザックを背負っての登坂であり、当然初日が最も重い。
おまけにこの風雨だし・・・。
それでも今日はここさえ越えれば、後は1時間ほど下って終わりだ。
それだけが嬉しい。



男体山へは4度登った。
「登っておいて良かったぁ・・・」
このときほどそう思ったことはない。少なからず自信につながっている。

登攀途中で思い出したことがある。
携帯電話の電波がもうすぐ圏外になるのだ。
その前に休憩がてら何人かに電話をかけてみた。
山仲間のO氏、TOTOさん。
そしてモンベルおやまゆうえん店へ。
Iさんが電話に出た。やはり天候を心配してくださっていた。
そして励ましの言葉をいただいた。ありがたい。

最後に自宅へかけると女房が出た。
「天気はどうなの?」
「予想通り最悪に近いかな。とにかく風雨が強くて寒いね。」
そう返事をすると意外な言葉が返ってきた。
「ねぇ、帰ってくれば。無理しないで帰ってきて。」
一瞬戸惑った。
今まで山については一切何も言ったことのない女房が、初めて俺の身を案じた言葉を言ったのだ。
「大丈夫だから。明日は天候が回復するしね。じゃぁ頑張るから。」
そう言って電話を切った。
天候が回復するなどもちろん嘘に決まっている。これ以上心配させたくはなかっただけのこと。

あの気の強い女房があんなことを言うなんて・・・。
まいった。あの時の気持ちを正直に綴れば、ここまで来て心が挫けそうだった。

さぁここから先は携帯は通じない世界。
いよいよもって本当のソロの北アルプスだ。
別山乗越まであと1時間。




劔岳本編:室堂へ

2011年10月22日 19時37分04秒 | Weblog


翌早朝6時20分。
ほぼ定刻に終点である富山駅前に着いた。
曇ってはいたが、路面は明らかに雨上がりの直後であるとわかる。
晴れまでは望まないが、できれば今の天候をキープしてほしいと切に願った。

富山駅からは、季節限定の室堂直行便のバスがある。
事前に予約をしていたため、座席を心配することなく、ゆっくりと朝食を食べることができた。
とは言っても「吉野屋」の朝食セットだが・・・(笑)。

昨夜は結局一睡もできなかった。
バスに揺られることで眠れなかったのではなく、明らかに緊張からだった。
ずっと目は閉じてはいたが、この一年間の劔岳への想いや、してきた準備のこと、そして職場や友人、モンベルスタッフ、ROOKIEさん、家族、多くの人たちとの経緯が回想録となり頭の中を駆けめぐっていた。
やがてカーテンの隙間から車外がうっすらと明るみだし、朝が来たことを伝えた。
「遂に富山入りか。来ちゃったな。」

朝食を終え、向かいにあったコンビニに入った。
ここで水を購入し、持ってきたスポーツドリンクの粉を溶かした。
そして、残りの水は万が一の怪我に供えてザックに詰めた。
重いザックが更に重くなった。
「さぁて、バスに乗るか。」
再び富山駅前のバス停へと歩き出した。



行き先を確認し乗車。
おっと、その前にやらなくてはならないことがある。
そう、ROOKIEさんへのご挨拶だ。
一応周囲を見渡した。
ほとんど人はいない。やや恥ずかしい思いはあったのだが、やるしかない。
スゥーッと鼻から息を吸い・・・
「ROOKIE殿ぉ~~ 俺はやったるでぇ~~!」
言った者勝ちだ。
バスの運転手さんが笑いながら近づいてきた。
「どうしたのですか? いきなりでびっくりしましたよ。」
「いや、ちょっと意気込みを言っただけなんで、朝からすみませんでした。」
内心恥ずかしいという思いはあったが、言ってしまえばこっちのもの(笑)。
ROOKIEさん、聞こえたかなぁ・・・そんな訳ないか(笑)

直行便とは言え、ここから室堂までは2時間30分もかかる。
できることならこの間に睡眠をかせぎたい。
1時間ほどは眠ることができたが、目が覚めたときは窓の外は一面真っ白なガスの世界。
「やっぱりな・・・。」
期待はしていなかったが、ここまで悪天候になるとは。
窓ガラスには雨粒が無数に着いている。
今のうちに雨具をと思い、ストームクルーザーを着た。

予定より20分ほど早く室堂ターミナルに着いたが、バスを降りてどっちの方角に行けば良いのかが分からない。
降りる人の流れに任せようと思ったのだが、バスから降りたと同時に猛烈な風雨に体がよろけた。
(「ちょっとこれはまずいんじゃないか!」)
予想を上回る強い風雨にこれからの登攀への懸念が強まった。
とりあえず建物の中に入る。



大勢の人たちがいた。
その殆どは登山者だと分かったが、中には観光で来てると思われる団体や家族連れもいた。
思っていた以上に大きなターミナルだった。
はて、劔岳へはどこから抜ければいいのか・・・と階段を上ると、おどりばに「登山届け」の用紙と箱を発見。
そうそう、これを忘れちゃいけない。
必要事項を記入し終え、ふと壁にあったボードを見た。
そこには主なポイントの気温、天候、風力等が表記されていた。
これは助かるなぁ・・・だが、室堂が風力5mにはかなり疑問が。
「あれで5mはないだろう。重いザックを背負っているのに体がよろけるほどだぜ。それとも俺の体が頼りなさ過ぎるかな・・・。」
と思っていると、その横には怪我人、死亡者が出た場所や原因が表記されていた。
じっと食い入るように見つめる。



忘れていた不安が急に思い出され、これから自分が目指す山が如何に生命の危険を伴うかをあらためて思い知らされた。

階段を上がり、いよいよターミナルの表へと出た。
予想以上の風雨に先が思いやられる・・・。


劔岳本編:感謝そして出発

2011年10月19日 21時24分53秒 | Weblog
モンベルおやまゆうえん店へ行き、最後の装備品である「エマージェンシーシート」を購入した。
土曜日の午後は店内も混雑しており、スタッフの方々と話しをするタイミングがなかなかとれなかった。
「そっか、俺まだ昼飯たべてなかったな」
70リットルものでかいザックを担ぎながらどこか近くの店で昼食をと思ったら、「お店に置いておいてください。大丈夫ですよ。」とスタッフの方から声をかけていただいた。
ありがたい。これだけでかいザックを背負っていては、ただそれだけで目立ってしまう。
財布だけを持ち、モンベルのとなりにある店で昼食を食べた。
再びモンベルへ戻り、今までお世話になったことと、色紙をいただいたことの感謝を述べた。

色紙とは・・・。
出発の二日前になる。
いつもの気分で、いつものようにモンベルおやまゆうえん店へ寄った時のことだった。
店長のKさんが「これ、お店のみんなで書いたものなんですが、受け取ってください。」と言って一枚の色紙をいただいた。
そこにはスタッフ全員からの剣岳登頂に向けた励ましのメッセージが一面に綴られていた。
なんと言うことだ。
俺一人のためにわざわざこんなことまでしていただけるなんて。

歳をとると涙腺が脆くなると聞いたことがある。
だめだ・・・。やっぱり涙があふれてしまった。
さんざんお世話になった上に、このようなことまでしていただいて、俺はなんとお礼を言えばよいのか。

今日はその色紙を持ってきている。
もちろん劔岳のピークまで行動を共にするつもりだ。


Kさんとガッチリ固い握手をして店を出た。
いよいよだ。気の引き締まる思いで駅へと車を走らせた。
****************************
夜の9時頃に池袋に到着し、まずはバス停を探した。
長距離専用のバス停である。


時刻表で行き先と出発時刻を確認した。
間違いない。23時発富山行き。
これに乗れば、目覚めたときは富山駅前となる。


バス停には自分と同じようなでかいザックを背負った人たちが何人もいた。
「どこの山へ行くのかな。ひょっとして同じ人もいるんだろうなぁ。」
そんなことを考えていると、一人の男性が声をかけてきた。
年齢は60歳代だろうか。やはり大きなザックを背負っていた。
話を聞くと、この長距離路線を利用しては何度も劔・立山方面へ行っているらしい。
山へ登るのではなく、「雲」の写真を撮りに行くのだそうだ。
室堂周辺のことなど、詳しい情報をその方から得ることができた。

出発までまだ1時間ほどあった。
さすがに腹も減り、このまま空きっ腹での出発はきつい。
ここは大都会東京池袋駅前。
ちょいと見渡せば腹を満たせる店があちこちにあった。
予算の都合もあり、できるだけ安く腹一杯になる店を選び入った。
松屋で「牛丼大盛りセット」。
でもってすぐ隣にあったマックでビックマックのバリューセット。
これだけ食べれば朝までもつだろう。

もうすぐバスが来る。
高まる緊張もあったが、久々に深夜の長距離バスに乗ることへの嬉しさもあった。
子供の旅行でもあるまいに・・・。


バスの中は3列となっており、一列ごとにシートが独立している。
つまりは通路が二つあるってこと。


定刻に池袋を出発した。
どこか「もう後戻りはできない」。
恥ずかしながら、そんな心境になっていた。
すぐに車内の照明は消されたが、どうにも眠気がこない。
目は閉じているが頭がさえてしまっている。
「まさか朝までこんなことはないだろう。」
そうのんきに構えていたのだが、深夜の1時・・・2時になっても眠気がこなかった。
一つ懸念されることがあった。
高山病だ。
睡眠不足から高山病を誘発することがあると本で読んだことがある。
こりゃやばいぞ!
高山病のつらさはなった者でなければ分からないほどつらい。
二度と味わいたくないつらさなのだ。
やばい。まずい。
そう思いながらも結局は一睡もできずに朝を迎えることになってしまった。
これも不安と緊張からくる神経の高ぶりなのだろうか。
あぁ情けなや・・・。

劔岳本編:「備えよ!」

2011年10月18日 22時10分26秒 | Weblog
自分にとっての劔岳単独登攀は、一大イベントのようなものだった。
決して大袈裟な表現ではなく、それだけ何度も計画を練り直し、準備・装備一覧表を作成してきたということだ。
必要なクロージング、エマージェンシーギア、行動食、救急薬品類、ルート検索、体力と健康の維持等々、約半年前から計画を練った。

本当の本音を言えば、ソロで北アルプスへ行くことへの不安は甚だ大きかった。
高山病や体力はもちろんのことだが、最も不安だったのが、自身がやりきれるだけのメンタリティーを持っているかどうかにあった。
とくかく根性無しなのだ。
こんな俺が単独で劔岳を目指そうだなんて、無謀にも程がある。
そう真剣に思った。
「登りたい」という願い、欲求だけで登れるほど甘くはないことだけは知っていたし、だからこそ事前の計画はかなり綿密なものとなったのだが・・・。
「備えよ!」を合い言葉に、友人知人、モンベルおやまゆうえん店スタッフ、各個人のHPから情報を得まくった。
富山県在住の「ROOKIEさん」もお世話になった大切な一人だ。

それだけの思い入れと、実際に登攀してみて、振り返ればあふれかえるほどの経験をしてきた。
あの時どう感じたのか。何を思い、実際にどのように行動したのか。自分自身のためにも記録として残しておくべく、ここに本編を綴る。
尚、写真については「ダイジェスト」で使用したものとほぼ同じ写真となることを了承していただきたい。
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劔岳単独登攀に向け、新たに購入した各ギアがある。
主なものとして「エクスペディションパック:70㍑」「アルパインクルーザー2500」だが、もちろん直前に購入したわけではない。
ザックにしても、60リットルと70リットルとの違いでかなり迷った。
結果、雪山登山を考慮し、汎用性を踏まえて70リットルに決めた。
ちなみにすべてモンベル製品である。
直前には、必要な行動食やサプリメント、キネシオテープ等々、消耗品を購入。合計すればそれなりの額にはなった。

スリングやカラビナなど、セルフビレーの準備もした。
モンベルスタッフの方からロープワークの指導を受け、万が一に備えた。
そして、出発当日に購入するものだけは事前に決めていた。
ポケットにしのばせておく「エマージェンシーシート」だ。
出発当日は、「劔に登ってみたい」と思い始めた去年の夏からずっとお世話になりっぱなしだったモンベルおやまゆうえん店のみなさんに挨拶をしてから行こうと決めていたから、その時に購入することにしていたのだ。
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8月20日 土曜日。
この日は高校野球の甲子園での決勝戦だった。
家を出発するのが午後なので午前中に行われる決勝戦はゆっくりとTV観戦することができた。
高校球児達のけがれない一途な思いを胸に刻み、清々しい気持ちで出発することができた。
家には自分と愛犬の宗次郎以外誰もいない。
ゲージに行き「じゃぁ宗次郎行ってくるね。よしよし。」
そう言って全身をなでながら顔を近付け、ペロペロと舐めてもらった。
別に見送りはいらないが、何となく寂しい出発だった。
ダイニングテーブルの上に、日程と携帯電話が通じる範囲。劔澤小屋の電話番号を記した紙を置いた。
そして「何かあったらこれを使うように」と書き添えた山岳保険の保険証を添えた。

玄関に行き、一筆書き置きを。
「それじゃ行ってくる。お土産は荷物になるので、あまり期待しないように」とだけ書いた。
本当はもっと書きたかったのだが、それは俺の柄じゃないなと、やめた。

いよいよだ。
ここから劔岳へのスタートは切られている。
山へ登れる嬉しさよりも、まだ不安の方が大きくのしかかっているのがわかる。
「俺に登れるのか。俺なんかがトライしてもいいのだろうか・・・。」
その思いは、室堂に着くまで払拭しきれないでいた。

やっとツーリング:帰路

2011年10月15日 23時40分56秒 | Weblog


キャンプ場から下山を始めるとすぐ、野沢温泉街が眼下に見えた。
ツーリングを忘れ、まるで登山に来ているような錯覚を覚えた。
それほどまでに素晴らしい景色だ。

三国峠を前にして、S氏とSU氏は家庭の都合もあり高速で先に帰宅。
自分とO氏は一般道を帰路とした。
三国峠とはいっても、長いトンネルを通るだけのもので、いたって快適なルート。
あっという間に群馬県へと入り、昼食のために目的の店へと向かった。
あまりの快晴に途中バイクを停め峠を振り返った。
眩しい程の青空が真夏のツーリングらしさを盛り上げてくれている。
だが今は帰路の途中。
そしてこんな時でも、後日に控えている劔岳への期待と不安は忘れてはいなかった。


「時代屋」というこのあたりでは有名な店があった。
猪鍋などを出してくれる店で、大きな門構えだった。


考えてみれば昨日から「米」を食べていない。
「やっぱり米だよね。うまいご飯がたべたいね。」
注文したのはこの店の名物でもある「釜飯」だ。
アルコールフリーのなんちゃってビールで喉を潤し、炊きたての釜飯を食べる。
少々待ち時間はあったが、味は文句なしの◎!
O氏は天ぷら定食。こっちもうまそ~♪

北関東道に乗り、地元のICで解散となった。
あれほどのアクシデントに遭ったのは初めてで、みんなには大いに迷惑をかけてしまった。
それでも年に一度のツーリングキャンプがお流れにならなくて何よりだった。

登山と同じで「備えよ」には時間をかけたはずだった。
バイクの車検直後のツーリングであったために、どこか安心しきっていたんだろうなぁと反省した。

劔岳まであと2週間。
「備えよ」、そしてギアの自己点検と装備の二重三重の確認を怠ることなかれ。

やっとツーリング:朝靄の湖

2011年10月13日 23時06分28秒 | Weblog
小鳥のさえずりで目が覚めた。
なんと爽やかで贅沢な目覚めだろう。
今日の天気は快晴の予報。空はまだ曇ってはいたが、ところどころ青空がのぞいていた。



朝食は簡単にサンドウィッチと珈琲。
自分の担当はソーセージのボイルと珈琲作りだ。
こんな時にも登山の道具と経験が役立っている。

ドリップ珈琲の香りがたまらない。
美味い空気にこの香り、やっぱり自然の中はいいものだ。
田舎に住んでいてもいいものはいい。



食後、湖畔に出て恒例の写真を撮った。
いつものおばか達によるおばかな写真、これも楽しみの一つだ。



おそらく今日の日中はかなり暑くなる。
日焼けは必至だが、これもまた夏のツーリングならではのこと。
昨日の後半が最悪に近い天候だっただけに、暑さや日焼けはかえって嬉しい。

思い出の野沢温泉を9時過ぎに出発。
先ずは新潟方面に抜け、「三国峠」を目指す。