ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猛暑の劔岳:キヌガサソウ

2018年10月24日 22時38分59秒 | Weblog
平蔵の出会いには大きな岩があり、その岩の陰で休んだ。

体がだるい・・・
頭がボーッとしている・・・
腹は減っているのに食欲がない・・・
体中が熱い・・・

熱中症にこそなったことはないが、まるでこれが熱中症の様な症状であると思える程に力が入らなかった。
「この雪渓さへ登り切ればテン場まで帰れる・・・」
明るい希望はその一点にのみあった。

「さて、ダラダラと登るか」

時刻は午後3時を過ぎていた。

夜明け前にスタートし、もうすぐ12時間が経過する。
途中休憩を入れているとはいえ、丸半日の行動はさすがに体に堪える。


一歩一歩の歩幅は短く、歩みも遅い。
日差しを遮ってくれるものなど何もなく、直射日光がまともに体に当たる。
殆ど言葉もなく、ただ牛歩のように雪渓を登った。

「暑い。いや、それよりも体がだるい・・・」
そんな気もするが、まさか熱中症の初期段階ということでもないだろう。

やっと雪渓ルートが終わり、夏道の入り口へと辿り着いた。
へなへなと座り込み、アイゼンを外した。

バンドを取り外す手指の動きが遅い。
テキパキとした動きが意識してできなくなっていた。
「ただの軽いシャリバテだろう・・・」
そう思っていたのだが、ここまで来ればあと一時間足らずでテン場まで着くはずだ。
だから何かを食べようとまでは考えなかった。


「クロユリの滝」と呼ばれるポイントまで登ってきた。
この滝を写真には撮ったが、実はこの反対側の草地に「キヌガサソウ」と呼ばれる高山植物が咲いていたのだ。
しかしあまりの疲れからその存在には全く気づかず滝だけを撮り素通りしてしまった。

ところがだった。
AM君が何の高山植物かは分からないまでも「とりあえず撮っておこう」と、シャッターを押していたのだ。


これがキヌガサソウ。

以前から知ってはいたが、まだこの目で実物を見たことはない。
それだけにすぐ横に咲いていたことに気付かなかった自分に腹立たしかった。
AM君、画像に残しておいてくれてありがとう!

しばらくは雪渓沿いに夏道を登るが、やがて剱沢方面へと曲がり急斜面になる。
そこさへ登り切れば劔沢小屋でありテン場だ。


この時点で行動時間は13時間になっていた。
惰性で足を出しているような感覚だった。

猛暑の劔岳:猛暑!

2018年10月16日 22時40分58秒 | Weblog
AⅡの南壁を過ぎても急斜面の雪渓は続いており、しばらくはフェイスインでの下降を強いられた。
喉も渇く。
それもかなりの乾きだった。
頻繁にハイドレーションで水分補給はするが、生ぬるい水では「焼け石に水」の様な感じにさへ思える程体内は火照っていた。
それでもまだ緊張感の方が暑さを上回っていた。

時折ピッケルで雪面を掘り、比較的綺麗な雪の塊を手ですくっては口にした。
とにかくこの氷のような冷たさが嬉しい。
内部から体を冷やしてくれるようだった。

そんなことを繰り返しながら下降を続ける。
「いつかはこの斜度も終わる。それまで頑張ろう・・・」
そう自分に言い聞かせ三点支持でゆっくりと下りた。

ルンゼのポイントがだいぶ近づいてきたあたり、「もう大丈夫だろう」と判断しフェイスアウトの体勢で下山した。
体への負担がかなり減り、スピードもアップ。
そして何よりも緊張感からの解放だった。


この先の岩場で小休止を取ることにした。
早朝4時にスタートし、ここまで行動時間は10時間近くが経っている。
想定した行動時間は12時間だが、このままでは13時間、いやそれ以上の時間を要してしまうかも知れない。
焦りはあったが、これから剱沢雪渓の登りが待っている。
最後の最後できつい登りがあるだけに体力は温存しておくべきだと思い、あくまでも一定のペースで下山を続けた。


下から見上げた平蔵谷雪渓。
見上げただけではその斜度のきつさは分からない。

岩の上にへたり込むように座った。
水分、塩分、カロリーを摂取するが、気休め程度にしか思えない程体がきつかった。


だが、まだ一服するだけの余裕は残っていた。

岩の上に寝ころんでの一服。
「ここまでくればもう難所は終わったね。あとはちょっとダラダラと下りてダラダラと登って終わりかな。」
「腹減りました。それにこの暑さには本当に参りますよ。」

この時はお互い笑っていたが、これからまだまだ雪渓は続く。
太陽の照り返しが厳しい状況下で、これ以上体を干されたら果たして・・・。

「さぁて、平蔵の出会いまで行くか」
覇気のない声だったが、難所を越えたという安堵感だけは間違いなくあった。


平蔵谷と剱沢雪渓との合流地点。通称「平蔵の出会い」。

予定ではあと2時間程でテン場まで着く。

猛暑の劔岳:AⅢからAⅡにかけての急斜面(2)

2018年10月15日 00時56分59秒 | Weblog
劔岳南壁のAⅢを過ぎたあたりだっとと思う。
あのシュルンドがパックリと口を開けて待ち受けていた。

ピッケル2本を確実に雪面に深く刺し、それを滑落防止対策として身を乗り出しシュルンドを覗いてみた。
予想していた以上のオーバーハング状態だった。
ここを下る方法は3つ。
1 ザイルをピッケルで固定し、一人が更にそのザイルを持ちテンションをかけ、もう一人が下まで下降する。

2 オーバーハング状態の上部の角をピッケルでほぼ直角状態になるまで削り取り、Wアックスとキックステップで垂直の雪壁を下る。

3 シュルンドの左右どちらかの端に通れそうなポイントがあればそこを利用して通過する。

できれば3の方法が最も楽であり安全だ。

先ずは平蔵の頭側(向かって右)から探るが、直射日光がまともに当たっている部分でもあり、表面上は通れそうだったが、内部に空洞がある可能性が高かった。
更には暖められた岩肌との隙間がもう一つのシュルンドになっている可能性も見過ごせなかった。
「いや、こっち側はかなり危険だと思う。南壁側を探そう。」
そう言って本峰の南壁側へと移動しルートを探した。

幸いなことに幅数メートルだけシュルンドになっていないポイントがあり「ここなら・・・」と思えた。
だが雪面の内部までは分からない。
「賭け」の様な感じもしたが、自分が通過してみることにした。
「落ちたらヘルプだよ(笑)」
と笑って言ったが、内心穏やかではなかった。

一歩一歩ゆっくりと一気に全体重を掛けないように下った。
緊張はあったが距離は10メートルにも満たない。
半分程通過したところで「これなら行けそうかな・・・」と思った。
AM君にはシュルンドの手前で待機してもらい、自分が通過できたら後から続くように言った。

何とか無事通過。
「ふ~っ」思わず大きく息を吐いた。


AM君にGOサインを出し南壁側まで移動させた。


シュルンドのすぐ上をトラバースするAM君。
ここはゆっくりと急がず移動するに限る。
もしシュルンドに落ちれば、その下は岩の絨毯が待ち構えている。
骨折、打撲だけで済めばまだラッキーだろう。

ほどなく合流し、再び自分が先行して下った。


行動している時にはよく分からなかったが、こうして後から写真で見てみるとそれなりの斜度であることが分かる。


Wアックスとキックステップでの下降だと、やはり時間の割には距離が稼げなかった。
「くっそうー、なかなか(安全なポイントまで)着かないなぁ。」
ぼやきが出た。
それでも滑落するよりは安全を最優先すべき区間であることは分かっている。


AM君もゆっくりと下降を続けている。

今はある意味「我慢」の時。
AⅡあたりを過ぎればもう少し楽になる・・・はず。

猛暑の劔岳:AⅢからAⅡにかけての急斜面(1)

2018年10月12日 00時03分09秒 | Weblog

アイゼン・・・良し!
Wアックス・・・良し!
ヘルメット・・・良し!

その他、登山靴の靴ひも、グローブ、ザックのハーネス等々一応のチェックを済ませ、いざスタンバイOK。


AM君にも装備全体のチェックを言った。

この雪渓で数日前に滑落死亡事故が起きたばかりだ。
決して他人事ではない、今から始まる現実に緊張が走る。

先ずは自分が先行し、一定ポイントまで下りたらAM君が続くよう言った。
スタカット方式での下山となるが、それも危険地帯だけであり、ある程度斜度が緩んだら各自自由にイルンゼまで下りることにした。


下り始めは「あれっ、斜度ってこんな程度か。」とも感じていたが、それはごく最初の時だけであった。
徐々に斜度が増し、Wアックスで正解だったことを痛感した。
もちろんアイゼンワークはキックステップが基本となる。
三点支持でのWアックスとキックステップというのはそれなりに面倒であり、体力を必要とする。
どの当たりまでこの技術で下りなければならないのか・・・。
正確には分からないが、当分はゆっくり確実に動かしていった方が体力の温存に繋がると判断した。
そしてもう一つ懸念されたのは、やっかいな雪面からの照り返しだった。
岩稜地帯の時よりも暑さをもろに感じた。
「紫外線も相当きついんだろうなぁ」
そう思いながら一定ポイントまで下りてきた。


AM君が下る。
「ゆっくり! 体力に任せてはダメ。とにかく安全第一でゆっくり確実にね!」


キックステップも一発で決めようとは思わず、数回蹴りこんで決めた方がより安全だ。

彼には幾つもの雪山を登らせ、一定の雪山登山技術や知識を教えてきた。
もとより体幹がしっかりしており、運動神経も良い。
だが、敢えて課題を言うなら、まだパワーだけに任せてしまう傾向にある。
それは若い故に致し方のないものかも知れないが、パワーに頼ってしまうと後々大きな事故に繋がる可能性が高い。
基本が如何に大切であるかを今の内に徹底的に体にたたき込んでおかねばならない。
いずれ彼も単独で雪山に挑む日が来るだろう。
また、誰かを連れて登る日も来るだろう。
その時こそパワーや体力の前に基本的技術が重要なのだ。

自分も今までに怪我はしてきた。
ふとした気の緩みで大事故に繋がる一歩手前まではある。
しかし、臆病なまでに基本技術だけは徹底してきたつもりである。
だからこそ何とか無事下山できたとも言える。

AM君が自分に追いついた。

「どう、大丈夫?」
「はい、阿弥陀岳の経験が役立ってます。」

互いに口数は少なかった。
難所越えはまだまだ続く。

猛暑の劔岳:やっと・・・やっと下山

2018年10月11日 01時27分32秒 | Weblog
剣岳山頂からの下山予定時刻から30分程オーバーしてしまっていた。
それほど慌てることのないオーバータイムだったが、懸念されるのは「熱中症」だった。
とにかく今いるこの場が3000メートルの高所であることが嘘のように熱い。
実際の気温は平地よりも低いことは確かだが、それだけ体を動かし続けているという証だろう。
体の芯から茹だるような暑さを感じている。
水分塩分は十分に摂っているつもりだったが、雪渓に穴を掘りその中にうずくまりたい思いでいた。


ヨコバイへ向けて下る。

このヨコバイを中心とした区間のクサリ場がおそらくは別山尾根ルートの中で最も長い区間ではないだろうか。
ヨコバイそのものはせいぜい10メートル程のトラバースで終わるが、その前後のクサリがかなり長い。


AM君が先にヨコバイを通過する。


ヨコバイ一歩目の取り付き口。
ここだけは慎重に決めなければならない。

この取り付き口は、はっきり言って女性などの上背のあまりない登山者にはかなり不利な設計となっている。
両腕でクサリにつかまりながら片足を伸ばして足探りでスタンスポイントに足を置くのだが、それなりの距離があって身長によっては厳しい姿勢を取らざるを得ない。
AM君の身長は自分とほぼ同じであり、問題はない。


ヨコバイを通過中のAM君。
去年初めて剱を登った時は自分が先導だったが、二回目であればポイントによっては彼が先導でも大丈夫だろう。


続いて自分が取り付き口からスタートした。
足を伸ばしてスタンスポイントを探す。


ヨコバイを通過中。


ちょっとアップで。
まともに日差しが当たり、顎から汗が滴り落ちている。
ついさっき十分に水分補給をしたはずなのに、もう喉が渇き始めていた。
ヨコバイを通過しながらも「平蔵谷の雪渓に行ったら、雪を掘り起こしてシャーベットを思い切り食べたい」
そんなことを考えていた。


梯子を下る。

もう慣れたポイントであるが、油断は禁物。
落ちれば骨折どころでは済まされない危険箇所であることには違いない。


この長いクサリ場を下りれば平蔵のコルへと出られる。
こうして改めて下から見てみるとかなりの長い区間であることが分かる。


アップの画像。
今回はAM君がかなり写真を撮ってくれた。
十分に知っているルートとは言え、記念に残るだけでなく詳細なコース状況も記録として今後役立つことだろう。

平蔵のコルへと下りてきた。
本当であればこのまま別山尾根ルートで下山すれば体力的にも気分的にも楽なのだろうと思った。
しかし、今回の山行における最後の難所である「平蔵谷」を下ることが最後の目的でもある。
この雪渓は二度登攀したが、下山するのは初めてのこと。
斜度の厳しさを実感するのはあきらかに下山の時だ。
登りよりも怖さはあるだろう。


赤い実線はあくまでも予定しているコース。
実際には下りてすぐにでかいシュルンドがパックリと口を開けて待ち受けている。(青い輪の部分)
その深さは分からないし、シュルンドに下りる時は間違いなくオーバーハング状態となっているだろう。
つまりは下り口の角の部分をピッケルで削り落としてからでないと安全に下りられないということだ。
この「角の雪を削ること」は過去に登攀した時に嫌と言う程味わっている。


アンザイレンをするかどうか最後まで悩んだが、行けるところまでは各自で下りることにした。

ピッケルは二本準備してきた。
これは実践を兼ね、3月の阿弥陀岳においてAM君に技術習得してもらった。

今回の山行における最後のバリエーションルート「平蔵谷」。
下り始める前に雪渓を見下ろし、コース取りの確認をした。
シュルンドさへ越せれば大丈夫とは思っていても、けっこう急斜面である。
「さてと、行こうか!」
AM君に声を掛けて数歩下り始めた。

「やっぱりフェイスインの方が安全かな・・・」
そう痛感する程の急斜面だった。


猛暑の劔岳:我々はもう仲間です!

2018年10月02日 00時33分46秒 | Weblog
本日二度目の劔岳山頂までもう少しのところまで登ってきた。
斜度は厳しいが、ここまで来れば危険度はそう高くはない。


落石のことを忘れたわけではなかった。
むしろかなりシビアな教訓として残しておくべき事と割り切って登った。
「ここを登り切れば山頂が見える。あとはひたすら下山ルートだ。」
体中の火照りが体力を消耗させている感じがした。
だからこそ早く下山したい思いが募る。


フラットなルートに出た。
もう山頂は見えており、幾人かの登山者の会話まで聞こえてきた。

「さてと、このあたりがいいかな。やろうか!」
「いいですね。やりましょう!」
と言ってザックから20メートルのザイルを取り出した。
結局は今のところこのザイルを使わずに済んでいる。
「無駄に重かったかな」とも感じるが、やはりバリエーションルートでは何が起きるか分からないだけにお守り代わりの様なものだ。



映画「劔岳 点の記」のほぼラストシーン。
山頂手前での測量隊・柴崎芳太郎(浅野忠信)と宇治長治郎(香川照之)との会話。
お互いの体を結んでいたザイルを、長治郎が自ら解き始めた。
「ここまで来れば・・・。ここから先はみなさんが先に行って下さい。」
「いやいやいや・・・」
「わしの仕事は山に登りたい人の助けをすることですちゃ。わしが先に登っちゃ申し訳ないです。」
「いやいや、私はあなたの案内でなければ頂上までは行きません。今日まで一緒に頑張ってきたじゃないですか。我々はもう立派な仲間です。私はあなたがいなければここまで来れなかった。この先も仲間と一緒でなければ意味がないんです。長治郎さん、最後まで案内をお願いします。」

互いの体を結んでいたザイルを二人が持ちながら会話をするシーンだ。
これをやってみたかった(笑)。


唯の「山バカ」、「剱かぶれ」、「映画の見過ぎ」と思われようともかまわない。
映画のシーンと同じ場所でなければ、危険を冒してここまで来なければできない漫才の様なものだ。
だから二人はいたって真面目、真剣だった。
そしてこの直後に言ったAM君の一言が重かった。
「あの映画って明治40年のことですよね。あんな昔にあんな服装や装備で本当にここまで来たんですね。」
「そうなんだよなぁ。いくら仕事、いくらお国のためとは言え、あんな装備で来たんだよね。だから今の時代の俺たちが最新装備でいるのに泣き言なんて言ってたらバチが当たるよ。」


山頂に着いた。
真っ先に行ったポイントは三角点だ。
今まで何度もこの三角点に触れ、感謝の言葉を言ってきた。
だが、これで16回目の剱の山頂であるはずなのに、今までとはまた違った思いで触れた。

(「これで16回目の剱です。何度登っても新鮮です。そして唯々感謝です。こんな素晴らしい山に登らせていただきありがとうございます。」)

いい歳扱いたおやじが何を青春ぶってるか!
と笑われてしまうが、笑われてもいい。
唯純粋に剱岳が好きだから毎年登っている。
それだけなのだ。