ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

再び長州へ・・・

2009年05月31日 23時00分21秒 | Weblog
6年前の春になる。
息子と二人で出かけた下関・萩への歴史探訪の旅。
どうやら今度は娘との二人旅になりそうだ。

今度の夏か、9月の連休になるかは未定だが、「るろうに剣心」から始まった長州ファンの娘にとって、下関・萩はある意味「聖地」のような土地らしい。
ルートも前回と同じじゃ味気ない。
どうせ行くのなら少し無理をしてでも変化のある旅にしたいものだ。

それにしても娘は高1。
父親との二人旅って一体・・・。
よそ様の娘さん達と比べ、精神的にまだ幼いのかなぁ。
逆にそこが心配になってきた(笑)。

疼くぅ~!

2009年05月13日 23時52分03秒 | Weblog
今日、職場の同僚である「O氏」と山の話をすることができた。
すれ違い時のわずかな時間だったが、装備や食料などについてあれやこれやとお互い話が尽きない(笑)。

家に帰り昔の写真を眺めてみた。
懐かしいというか、若すぎて恥ずかしい限りの写真を見た。
ザイル一本だけによるロッククライミングの練習をしている写真があった。
そう言えば、初めての練習からかなり無理難題を押しつけられたっけ。
高さ100メートルにも満たない崖であったが、ファーストトライからザイル一本だけ。
「うっそぉ~! エイト管は?」
「セルフビレーはないの?」
正直、小便をちびりそうになったのを覚えている(笑)。

職場の先輩曰く。
「エイト管? 俺たちはレスキューや自衛隊のレンジャーじゃないんだから、ザイル一本で十分。エイト管なんて贅沢言ってるんじゃないよ。」
で、でもなぁ・・・俺、ロックは初心者なんだけど・・・。

自分の腕っ節だけがたより。一瞬でも気を緩めたり、ザイルを握っている手の力を緩めたら真っ逆さまだ。
後になって言われたが「その緊張感が技術力を養い、集中力を高めるんだよ。」
まぁ一理あるけど・・・。

今年の夏、山に登れることが本当に楽しみだ。
長年痛めている膝の怪我も心配だが、それ以上に心は躍る。
さぁて、登山靴の手入れをしなきゃ。

続々・旅への憧れ

2009年05月10日 21時22分48秒 | Weblog
久しぶりに下灘へ行ったときのアルバムを見た。
夜の東京駅。出発直前に見たホームでの親子の別れ。
早朝のホームで食べた讃岐うどん。
うどん屋のおやじさんとの会話。
そして下灘駅で洗濯物を干し、おにぎりをくれたおばさん。
あのときの何でもない出来事を思い出した。

列車でやってきた二人の男性は、駅舎にある清掃用具を取りだし、待合室や駅舎周辺の清掃を始めた。
(JR関係の人なのか。それともボランティア・・・)
清掃が終わるとホームのベンチに腰かけ、本を読み始めた。
素晴らしいシャッターチャンスと思い、ファインダーをのぞいたっけ。

ただ海がそこにあるだけ。
海なし県で育った自分には、あまりにも贅沢な一枚の写真となった。



続・旅への憧憬

2009年05月08日 20時03分55秒 | Weblog
このブログを始めて間もない頃、「下灘駅」へのひとり旅の思い出を綴った。
下灘駅への旅も、「最長片道切符の旅」を見て決めた。

番組の中で関口さんが印象的だった言葉を言っていた。

『人との出会いは、今の自分にとってとても大切な意味があるような気がして・・・。
遠回りの旅をしながら、ある意味無駄な旅をしているはずなのに、なんて有意義なんだろうと。
直線的に進むことが有意義だと思い込んでいる部分があるけど、じゃぁ真っ直ぐ進んでみろよ。そんな生き方できるわけないから。そんなことを教えてもらっている気がする。この旅に。この線路に。
自分の人生も、進もうとしているつもりでも、進んでいないなんてことの山積みのような人生だしね。』

『人と出会って話ができる時点で、お互い親近感をもっているのに、すぐに別れなければならない。それが毎日のように淋しい。
日常の景色には別れはそう連続してはやってこない。でも、人生全体を見てみれば、以外と別ればかりかも知れない。この旅と同じだ。
今はまだしばらく一緒にいられると思っている人のことを空気のように感じているけれど、本当はこういう別れの瞬間が来るんだぞということを強制的に見せられている感じがする。
この旅が終わった後、日常の過ごし方っていうものも少しは変わるのかな・・・。』

『今まで出会った人や見てきたものは、すべてが素晴らしいものであるけれど、すべてがさわりだけで、かじったに過ぎない。その街のすべてを知ってきたわけじゃない。
まだおまえの知らないことがこれほどあるんだぞっていうことを知らされた旅であって、この旅が終わってから、この旅の、この切符の中に詰まっているものが出始める気がする。』


旅なんて楽しむことが一番。自己満足でOK。
こんなに大袈裟に考える必要なんてない。
かえって疲れるだけだしね。

・・・・・そう思う自分がいて、それでも旅に憧れる自分がいる。

旅への憧憬

2009年05月07日 20時40分37秒 | Weblog
昨夜、NHKBS20周年を記念した番組を見た。
ずっと心待ちにしていた番組だった。
視聴者のリクエスト数でランクを決め、みごと8位になった番組。
「列島縦断 鉄道12000㎞最長片道切符の旅」
ちょうど今から5年前に制作され、こんな自分でも心洗われたものだった。

旅人は「関口知宏」氏。旅費や宿泊費は番組持ちとしても、決してリッチな旅ではない。50日足らずで稚内駅から佐賀の肥前山口駅までを、一筆書きのJR路線で12000㎞を旅をするという、むしろ過酷なものだった。

5年前、できる限りその番組を見た。見入ってしまった。
特に有名な観光名所を訪れることもなく。
リッチな宿に泊まり、リッチな食事を摂るわけでもない。
車内や途中下車した町で偶然知り合った人たちとの出会い。飾らない会話。
車内で食べまくっていた駅弁。どこにでもありそうななんでもない車窓。
自然体の旅番組に、完全に魅せられた。
いつしか自分も旅人になっていた。



GW・・・そしてツーリング(2)

2009年05月05日 22時14分39秒 | Weblog
「那須甲子道路」は、思っていたほどの混雑はなかった。
「茶臼岳」へと北上する「ボルケーノハイウェイ」は何度か走ったことはあるが、南下しながらの那須甲子道路は初めてだ。
なかなかのワインディングとアップダウンの連続。
そして峰峰の山頂付近には、残雪がかなり見えた。標高1000メートルは超えているところだけに、これで天候さえ良ければ関東平野を一望に見下ろせるのだが・・・。

このワインディングを利用して苦手な右コーナーを攻めてみることにした。
左コーナーはリーンウィズ・イン・アウトなんでもOKだが、右コーナーはカーブがきつくなると、どうしてもリーンアウトでなければ曲がりきれない。
要するにへたくそってことだ(笑)。
速度にもよったが、きついカーブでのリーンウィズは50キロが限界だった。それ以上だと「あぁ~事故る!」と思わず叫びそうになった。

途中スキー場入り口でバイクを止めゲレンデを見上げた。
「スキーは久しくやっていないなぁ。若い頃はほとんど毎週のように出かけていたけど・・・。」
女房ともよくスキーには出かけたものだった。

休憩したこのスキー場は、経営難からかすでに閉鎖されて数年が経っている。
ゲートは封鎖され、中までは入れない。遠くに見える中央ロッジの大きな窓ガラスは、その殆どが割れていた。いや、おそらくは何者かが夜間に進入し、おもしろ半分で割ったのだろう。
もの悲しい風景だった。

那須の温泉街を抜け、同僚のO氏の先導で「板室温泉」方面へと向かった。
この道路がまた気持ちがいい!
信号はなく、舗装された道路。直線あり適度なワインディングありで、しかも林間コース。言うことなしの抜け道だった。
O氏に感謝だ。

一部区間だけ高速に乗り、地元に帰ってきた。
今日は今期初のツーリングということで走行距離約200㎞程だったが、慣らし的には十分だった。
夏には長野までのツーリングキャンプがある。そして何年、いや、何十年ぶりかでの夏山登山を予定している。
これはO氏のはからいによるものだが、自分にとって一度は諦めた登山だけに今から心躍る思いだ。
先日女房に恐る恐る言ってみたところ「行ってみれば」の返事。
これってやっぱ怒っているのかな(?)
「結婚前の私との約束はどうしたの?!」
とでも言っている目に見えた(気がした)。(冷汗)


GW・・・そしてツーリング(1)

2009年05月04日 22時25分27秒 | Weblog
5連休のGW。約一か月ぶりに息子が帰省してきた。
初めての独り暮らしだが、仲間もできそれなりにエンジョイしているようだ。

私は私で花壇の手入れ、観葉植物の仕立て直しや挿し木。そしてバイクを洗車し、今日、職場の仲間と今期初のツーリングへと出かけた。
目的地は福島県南部の西郷と栃木県那須方面。
GWの渋滞と天候が懸念される。高速に乗っても、おそらくは那須IC付近は渋滞だろうということで、そのまま北上し、白河ICで降りる予定にした。
これがズバリ的中!
那須IC付近では、降りる車の列が数㎞に渡って延々と続いていた。

白河からのR289。新緑のこの季節は最高のロケーションだった。
空は曇ってはいたが、まだ緑色に染まりきっていない若葉の木々が広がり、目を和ませてくれた。そして桜が咲いていた。
時折桜の花びらが舞っている。そんな中を走った。

第一の目的地「雪割橋」に到着。
バイクを止め、橋を歩いた。
阿武隈川の渓谷を見おろす目もくらむ高さに感動!
どうやらこの先も通行可のようだ。
早速バイクで行き止まりの地点まで行ってみると、「おっ、この先にキャンプができる場所があるじゃないか!!」
整備されたキャンプ場ではなく、ただテントが張れる程度の場所のようだ。
当然水場などあるわけがない。
おもしろそう!
二人とも悪い虫が騒ぎ出した。
そう、職場の同僚も自分以上に「アウトドアー男」であり、ワイルド大好き人間。
まったく子供が生まれて間もないといのに・・・。
とは言うものの、今回のツーリングを誘ったのは俺の方。
奥さんと赤ちゃんに悪いなぁ~と思いながらも「行こうぜぃ!」。

ついでに綴っておくが、先日、彼の家にちょっと立ち寄った。
初めは奥さんは留守だったが、途中で買い物から帰ってきた。
本当は怒ってるんだろうなぁ・・・。
(「まったく、我が家にはまだ乳飲み子がいるのに、主人を悪い遊びにばかり誘っているんだから。」)
そう思ってるんじゃないかなぁ・・・。

奥さんごめんなさぁ~い。
と、ささやかな反省もどきをしながらも、頭の中はキャンプのことで一杯。
だが、目の前の看板をよく見ると・・・「熊に注意」とある。
げっ、く・熊が出るのか・・・。
怖いという思いと、ワイルドで楽しそうという思いが交差した。






北辰斜めにさすところ

2009年05月02日 21時23分02秒 | Weblog
「北辰斜めにさすところ・・・」
これは歌の歌詞であり、映画のタイトルでもある。
昨日の深夜、偶然にもこの映画を衛星放送で見た。
年老いた男達が、嘗ての旧制ナンバースクール時代の出来事を懐古するというおきまりストーリーではあるが、自分にとってはある意味万感つのる思いでこの映画を見た。

「旧制第七高等学校」。つまりは現在の鹿児島大学である。
当時は全寮制であり、その寮名を「造士館」と言った。
造士館と言えば、鹿児島県民の方ならおそらくは誰しもが知っている名前だろう。

「番カラ」「弊衣破帽」を常とし、ゲルピンに泣けどみな意気高し。
今の学生には全くと言っよいほど縁遠い学生達であった。
二年前の夏に鹿児島を訪れた際、私はこの造士館跡地に行った。
どうしても訪ねてみたかった場所である。
跡地には弊衣破帽の七高生たちの記念像が建っていた。
そして、造士館寮歌である「北辰斜め・・・」の歌詞が刻まれていた。

自分の親父は旧制高校の卒業で、一高から八高までの寮歌をよく口遊んでいた。
それ故私は、歌詞の意味はわからなくとも、幼稚園の頃からすべての寮歌を知っていた(笑)。

映画を見ながら思った。
親父が生きていれば、どんなにか喜んだことだろう。
おそらくは涙を流して、当時を懐かしみ喜んだことだろう。
今なら俺にもわかる。今の俺なら旧制高校の存在意義も、造士館も、そして、北斜めの歌詞も、その意味もわかるのに・・・。
一緒に歌えるのに・・・。