ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

唯一の雪山泊「寝付けない夜」

2020年06月28日 23時37分48秒 | Weblog
小屋へと戻り、まだ時間にゆとりがあったこともあり少しだけ昼寝をした。
特に疲れていたわけではなかったが1時間程はぐっすりと眠ることができた。

「さて、ぼちぼち始めようか。」
先ずは何と言っても融雪による水作り。
集めてきた雪をコッヘルに入れて溶かし濾過するだけだが、二人分の飲み水と2食分の水ともなればそれなりの量が必要となる。
経験からすれば少々余る程度が安心なので5~6リットルは作ることになる。

今夜は自分たちの他に3人グループが一緒であり、大きなテーブルの上が結構にぎやかな状態となった。


面倒がらずにゴミが浮いていればレードルですくう。(これ大事)


雪は袋の中で圧雪されていたためか、やや氷のようになっていた。(問題なし)

「N君、そろそろ時間だよ。外へ出てみようか。」
「楽しみですね♪」
アイゼンは装着せずとも大丈夫なので、すぐに外へ出ることができた。
空は期待通りの色に染まりつつあった。


夕焼けを眺めながらの一服。美味い!

西の空は徐々に色が濃くなってきた。


風もあり、頬を切るような寒さだったが、それを我慢してでも見る価値のある風景だと思った。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。
飯じゃぁ~!


定番の海鮮鍋だが、雪山ならではの楽しみであり、寒い中で食べる海鮮鍋の味はたまらないものがある。


何という贅沢(笑)。


二人であっという間に具材を食べ終え、雑炊の出番となった。
山で食べる飯は本当に美味い。
そして雪山であれば尚のこと美味さが増す。

食後の珈琲を飲み、ゆっくりと後片付けをしても時刻はまだ19時を過ぎたばかりだった。
明日は5時に起床し6時に小屋を出立する。
目指すは一ノ倉岳を越えて茂倉岳までの往復縦走ルートの予定だ。
だが心配なのは天候だ。
はっきり言ってよろしくないことは明白だった。
どこまで行けるかは明日の天候次第だが、21時には寝ることにした。

21時少し前になりシュラフに入り、ダベリングタイム。
山のことをお互い自由に話し合う。
これがまた楽しいのだ。
「来年の夏になったら○○の山に登りたいねぇ。」
「あのコースってどうなっているんですか?」
いつも話していることと変わりはないはずなのに、環境が違うだけで嬉しさは倍増する。

ぼちぼち眠ろうとしたのはよいが、3人組はまだテーブルの方で酒を飲みながら何か語り合っている。
ひそひそ声だが、会話の内容ははっきりと聞き取れるものだった。
「まぁいいか」と思い目を閉じるも、ウトウトとしながら目が覚める。
夜中の12時過ぎくらいまでずっとその繰り返しだった。
本来であれば「いい加減にせいよ!」と怒鳴られても言い返せない程のことをしているのは明らかだ。
ここは宿泊料を払う必要のない山小屋(避難小屋)ではあるが、やはり山には山のルールとマナーと常識がある。
それを無視しているのは彼等だ。
ちなみに3人組とは言っても、男性一人、女性二人。
(悔しいが羨ましい・・・)
明日彼等はゆっくりと起きて下山するだけらしい。
日の出前に自分たちが先に起きてバタバタしても文句は言えないだろう。

三人のひそひそ声を聞きながらもいつの間にか眠りに就いた。


唯一の雪山泊「今日だけは晴れ!」

2020年06月25日 00時21分11秒 | Weblog
避難小屋(肩の小屋)へと入り、でかいザックを下ろした。
軽く昼食を食べ、貴重品とピッケルだけを持ち外へ。
太陽が眩しい、そう今日だけは眩しい。

双耳峰の一つであるトマの耳へはほんの20分もあれば登頂できる。
天候と雪質さへ問題なければ割とお手軽な雪山が谷川岳だが、天候が一転してしまうと恐ろしいまでの魔の山へと豹変する。


雪の谷川岳山頂に初めて立つN君。
去年のリベンジ成る!(おめでとう!!)

ここからオキの耳までもほんの20分程度となる。
ピッケル片手にオキの耳まで移動開始。
一昨年と比べれば積雪量は少ないが、それでもアイゼンの爪は心地よく刺さってくれた。


オキの耳へと進むN君。
天気が良い分気持ちも良い。


トマからオキまでであればルートにそれほど問題は無いと思い、ここはN君に先行してもらった。
自分は既に何度も縦走し登頂しているし、N君に是非とも晴天の雪山の感動を味わって欲しかった。


オキの耳山頂。
冬の雪山であればこそ、碧い空が実に美しい。


二人でのんびりと雪山と紺碧の空のごちそうを味わった。

このまま小屋へもどっても融雪と夕食作りまでには時間がたっぷりとある。
少し昼寝をしてから雪集めを開始することにした。
そして明日は荒天の予報だが、夕焼けは期待できそうだった。
雪山の頂で見る夕焼け、夏山では味わえない楽しみの一つだ。

唯一の雪山泊「ありがとうございます」

2020年06月21日 22時25分22秒 | Weblog
ほぼ3時間で肩の小屋に到着した。
中へ入ってザックをおろそうとも考えたが、先ずは指標へと向かうことにした。


山頂直下にある谷川岳のシンボル的指標。
まだ「エビの尻尾」はできてはいなかった。


稜線をバックに一枚。
日差しが眩しい。そしてそれがたまらなく嬉しかった。

今日はこの後ピッケルだけを持って「トマ・オキの耳」へと向かい、避難小屋の中でのんびりとする予定でいる。
ゆっくりと避難小屋方面へと下って行くが、冬の晴天ならではのあの山脈(やまなみ)が目に入ってきた。


まるで青い墨汁だけで描いた墨絵のような風景。
どれほど好天に恵まれようとも、夏山では拝めない青い山脈だ。

小屋の入り口に近づくと、途中自分たちを追い越していった二人に再び会った。
「ご苦労様です。」と言って声を掛けた。
「明日は荒れそうなので気をつけて早めに下山してください。」
そう、彼等は谷川岳山岳警備隊の人たちだ。


幸いにお世話になったことはないが、嘗て何度もこのルートで出会っている山男達。
警察官ではあるが、この地域特有の勤務内容でもある。

小屋の中に入る前に僅かな時間だったが山のことで会話が弾んだ。
特に山岳事故についての情報は貴重な内容だった。
決してお世話になってはいけないと思うが、別れ際「ありがとうございます」とお辞儀をして彼等を見送った。
頼もしき背中だった。

日本百名山に思う③「それぞれの百名山②」

2020年06月16日 00時05分38秒 | Weblog
自分にとっての百名山がある。
まぁ実際に数えたことがないので、100まで至ることはないだろうが・・・。
それでも登った山の数だけはは間違いなく100は越える。

先ずは自分にとっての100名山の定義とは何か。
難しく考えることはない。
「思い出に残っている」ただそれだけだ。
真っ先に挙げるとすれば「小倉山」だろうか。
ほぼ無名の低山であり、地元の人達しか知るよしもない山だ。
標高は157m、ハイキング程度の山だ。
では何故この山を第一に選んだのか・・・。
自分が生まれて初めて「山」と呼ぶことのできる山に登ったのがこの「小倉山」だからだ。
幼き頃生まれ育った小さな町にあるこの山は、町の中央部であればどこからでもその姿を見ることができる。
記憶が正しければ、幼稚園時代には何度も登ったものだった。
そしてあまりの手軽さから、水も食料も一切持たずに登ったと覚えている。
ただ一つだけ確実な記憶がある。
近所の5歳年上のお兄さんと二人で登った記憶だ。
確かポケットに「きんかん」を幾つか入れて、山頂で食べた覚えがある。
山頂からは町の中央部全体が見下ろせたような覚えもある。
ついでながらそのお兄さんは「紀(のり)ちゃん」と言って、その後自分にプラモデル作りとギターとビートルズを教えてくれた人だ。
ギターとビートルズ、即ち洋楽好きの今に至るその大元となった存在だった。

思い出の山となればすぐに幾つもの名前が出てこよう。
北アルプスだけでも「北穂高岳」「奥穂高岳」「槍ヶ岳」「水晶岳」「燕岳」「蝶ヶ岳」「劔岳」・・・・・きりがない(笑)。
でもって山や岳ではないが「長治郎の頭」「池ノ谷の頭」「ジャンダルム」「長谷川ピーク」「二十三夜峰」「摩利支天」「ゴジラの背」「雲の平」「八峰キレット」「不帰劔」「カニのタテバイ」「カニのハサミ」「熊ノ岩」「池ノ谷ガリー」・・・・・これもきりながい。
いい思い出ばかりではないし怪我をしてしまった苦い思い出の山もあるが、その山が好きな山であればその怪我さへも懐かしい。
だが、どうしても好きになれない山もある。
名前は敢えて挙げないが、何度登っても天候に恵まれなかったとか、樹林帯ばかりでつまらなかったとか、そんなくだらない理由だ。

今こうして何十年も前の昔のことを思い出してみたが、小倉山にもう一度登ってみたいと思う。
ルートはひょっとして藪となってしまい、低山であるもののそうは簡単に人を近づけさせない山に変わってしまっているかも知れない。
いつか近いうちにフラッと行ってみたい。


日本百名山に思う②「それぞれの百名山①」

2020年06月05日 23時16分17秒 | Weblog
よく「あなたにとって一番好きな山はどこですか?」と聞かれることがある。
何を指して「好き」と捉えればよいのか迷うところであるが、それらを一切抜きにして真っ先に思う浮かぶのはやはり「劔岳」だ。
何故そうなるのか・・・。
理由は多くあってどの理由を第一とすればよいのかが自分でも決めかねている。
*登りごたえがある。
*いろいろなコースがあっておもしろい。
*思い入れがある(強い)
*多くの登山者との出会いがあった。
*達成感に溢れる。

まぁ思いつくところはいろいろあるが、「思い入れが強い」ことが最も屹立した答えだろうか。
「思い入れ」・・・、自分が勝手にそう思い入れしているだけに過ぎないのだが、それも個人の自由だと考えている。
長年山に登ってはいるが、嘗ては単独登山という形態はせず、仲間とのグループ登山ばかりだった。
理由は簡単だ。
楽しいし安全だからだ。
そして独りでの登山に自信が無かったからだ。
「いつかは独りで北アルプスを・・・」
そういった夢や憧れはあったのだが、「何かあったらどうしよう」という不安が遥かに勝っていた。
しかし、忘れられないちょっとした出来事が一つあり、その出来事を頭の中に常に抱いていた。
それは自分がまだ20代半ばの、ろくに山を知らない若かりし頃の出来事だった。
職場の仲間4人で初めて穂高岳縦走に挑んだ時だった。
奥穂高岳を越え、馬の背を越え、ロバの耳を越え、ジャンダルムを越え、やっとの思いで一息ついていた時のことだった。
単独の登山者が反対方向から縦走してきた。
つまり西穂高岳方面から奥穂高岳へと独りで縦走している真っ只中で、自分たちと同じポイントでザックを下ろし休憩を始めた。
年齢は自分よりは上であろうという微かな記憶がある。
彼は水を飲みながら地図を広げコンパスを用いてなにやら確認作業を始めた。
仲間が聞いた。
「何をしているんですか?」
「はい、眺望がいいんで山座同定をしているんです。」
あの頃の自分にとって「山座同定」なるものがいかなるものであるのかなど分かるはずもなく、唯唯「独りでこんなところを縦走かぁ。地図見てコンパス使って、なんかすごくかっこいいなぁ。俺もあんな風になりたい。」
憧憬の眼差しで彼を見ていた覚えがある。

「いつかは自立した山男になる。」
そう思って長年が過ぎた。
もちろんその時以前から単独で山には登っていたが、お気楽な日帰り登山に過ぎなかった。
だから「いつかは独りで北アルプスだ!」と決めるだけは決めていた。

初めて単独で挑む北アルプスの山をどこにするか・・・。
ガイドブックを読みあさり、人に聞き幾つかに絞った。
そして決めたのが「劔岳」だった。
「どうせ登るならあの山しかないだろう。初めての北アルプス単独登山に相応しい山だ。」
決行までは半年以上も有り、下調べをするには十分だった。
しかし詳細に調べれば調べる程「やっぱり止めておいた方が自分のためかな。」と、ネガティブになる一方だった。
そのくせ「いや、最初に自分で決めたんだから臆せず行こう」という思いもあった。

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随分と昔話を綴ってしまったが、つまりは、劔岳は自分が初めて単独で挑んだ北アルプスの山だったということ。
そして事前の下調べと準備に最も時間を費やした山でもあるということ。
それが劔岳への「思い入れ」の強さになっている。

他にも「○○山」「○○岳」といった名前が付いていなくとも、ポイントとしての固有名称だって自分にとっては好きな山と何ら変わりはない。
例えば「ジャンダルム」であり「長治郎の頭」がそうである。
それらは自分にとっては将に「山」そのものだ。

自分にとっての百名山を、思い出と共にもう少し考えてみたい。